第一話 平賀才人は異邦人(ストレンジャー) 第二話 なりゆきまかせの復讐人(リベンジャー) 第三話 困ったもんだの王女さま(プリンセス) 第四話 大国ガリアの囚われ人(プリズナー) 第五話 決戦気分の旅行人(トラベラー) 第六話 爆発だらけの仲裁人(メディエター) |
平賀才人は、東京の街を歩いていた。 修理に出していたノートパソコンを受け取って、家に帰る途中であり、ウキウキしていたのだが......。 そんな彼の気分をガラリと変えるものが、突然、目の前に現れた。 才人は好奇心を刺激され、立ち止まり、まじまじと見つめる。 それは、光る鏡のようなもの。高さニメートル、幅一メートルぐらいの楕円形で、厚みはない。よく見ると、宙に浮いている。 これはなんの自然現象だろう......? 落ちていた石ころを投げ入れてみたり、ポケットから取り出した鍵を先っぽだけ突っ込んでみたり。それから、好奇心に流されて、才人自身がくぐってみた。 すると。 「......!?」 激しいショックに襲われ、気を失う才人。 鏡の中に吸い込まれた才人の代わりであるかのように、いつのまにか、その場には丸まった毛布が転がっていたのだが......。 気絶していた才人は、当然、それに気づかなかった。 ######################## 「......どこだ......ここは......!?」 目を覚ました才人は、顔を上げて辺りを見回す。 窓ひとつない、石造りの部屋。怪しげな道具の数々。 そして、才人が仰向けに横たわっていたところ......床より一段高くなった台座に描かれた魔法陣。 まるでファンタジーだ。映画のセットだ、と才人は思った。 自分は寝ている間に、エキストラとして連れて来られたのであろうか。 誰もいないところを見ると、スタッフや役者さんたちは休憩中なのであろうか。 「とりあえず......事情を知っている人を見つけて、話を聞かないとな......」 立ち上がった才人は、フラフラと歩き出す。 扉を開けて部屋を出ると、上へと続く階段が、薄暗い口を開けていた。 一種独特の、しめった空気が鼻をつく。 「あの部屋は地下室だったのか」 階段を上がりながら、つぶやく才人。 二階分ほどの高さを進むと、一枚のドアに行き当たった。 才人は、無言でドアを開け......。 「な、なんだ!?」 思わず叫んでしまった。 屋根があるところからして、建物の一室らしい。学校の教室ほどの広さはあるだろう。 そこには、剣を腰に下げた、ファンタジーっぽい格好の男たちが大勢。 しかも皆、才人を見たとたん、彼にはわからぬ言葉で騒ぎ出したのだ。 「ちょ、ちょっと待って! みなさん、役者さんですよね? その剣も小道具で......」 才人が慌てるうちに。 男たちは剣を引き抜き、彼に襲いかかってきた! 「えっ、本物!? どういうこと!?」 とまどう才人は、ただの高校生。 本物の警備兵に、かなうはずもない。 抵抗できぬまま打ち据えられて、ふたたび意識を失った。 ######################## 「......痛っ......」 ふたたび目覚めた時、才人はベッドの上だった。 病院のベッドに寝かされていた......というのとは、少し違う。部屋の雰囲気も違うし、何より、周りの人々が違う。 才人を取り囲んでいたのは、医者やきれいな看護婦さんではなく。 これまたファンタジー風の衣装を着た、数人の男たちだった。 「おお。気がついたようですぞ」 三十代半ばの、顔の半ばまで黒髭で埋まった男が、最初に声を上げた。 続いて白髪の老人が、才人に言葉をかける。 「すまなかったのう。部下の者たちが粗相をしてもうて。......怪しい奴だと誤解して、客人に襲いかかるとは......。いくらおぬしがレックス抜きで一人でウロウロしていたとはいえ......」 「ああ、誤解だったんですか。誤解だとわかれば......」 謝罪されれば、つい反射的に「いいんですよ」と返してしまうのが、日本人のサガ。しかし才人は言いかけて、ここでハタと気づいた。 「......! 言葉が通じてる!?」 「そうじゃ。通訳のための道具を、つけさせてもらったからの」 老人が指さしたので、才人も手を伸ばして触れてみる。寝ている間に、才人の頭には、細い銀色のサークレットがはめられていた。 「さて。それじゃ話を聞かせてもらおうか」 今度の発言者は、二十歳前後の美青年。黄金色の髪と、蒼い瞳が美しい。悔しいが、男の才人の目から見ても美青年である。 「いや、説明してもらいたいのは、こっちの方なんだけど......」 「なんだ? レキサンドラから聞いていないのか?」 ボソッとつぶやいた才人の言葉に、聞き咎めたかのような口調で返す美青年。 才人も少しムッとするが、すぐに、さきほどの老人が、 「まあまあ、殿下。レックスの姿が見えないということは、そういうことなのでしょう。まずは、こちらから話をしてみてはいかがですかな?」 「ふむ。老将軍がそう言うのであれば......」 青年が一歩引いてみせた。 それを見て老人は、満足したような笑みを浮かべつつ、再び才人に顔を向ける。 「さてと......では、どこから話したらよいものかのう?」 言って彼は、長い説明を始めた。 ######################## 「......というわけじゃ。これでだいたい、すべて話したと思うが......」 「そうでしょうな。おつかれさまでした、ロッドゥェル将軍」 さきほどの髭の男が、老人にねぎらいの言葉をかける。 話は終わったらしいが、才人は茫然としていた。 「い......異世界......」 そう。 どうやら、ここはいわゆる異世界というところ。 異世界召喚......。 まさに、ファンタジーである。 「ようするに......俺、助っ人として呼ばれたんですね?」 考えをまとめる意味で、敢えて口にしながら。 才人は、たった今聞いた話を、思い返してみる。 ......しばらく前まで、この辺りは、ファインネル王国という人間の国だった。しかし数年前、その平和は突然終わりを迎えてしまう。 ギオラム・バスカーが城に攻め込んできて、王を殺したのだ。 竜人(ギオラム)とは、元々は遥か南に住んでいた種族であり、強大な魔力を操り、戦いを好む邪悪な種族である。今や彼らは、この辺り一帯を支配しており、かつてのファインネル城を要塞として、人間は奴らの統治下にあるも同然。 逃げのびた王子や重臣たちは、反攻の機会をうかがっているが、状況は厳しい。なんとか現状を打開しようということで、このたび別の世界から召喚されたのが、才人というわけである......。 「あー。そこは若干の誤解があるようじゃが......」 やや口ごもりながら、老将軍が才人の言葉を訂正する。 「ひとくちに『別の世界』といっても、どんな世界なのか、どの程度の戦力となるのか、わからないからのう。最悪の場合、強力なのを呼び出したはいいが制御できず、かえって事態を悪化させるやもしれん」 「なるほど」 何が言いたいんだろう、と思いつつ、表面的には理解できるので、一応うなずく才人。 「だから、まずはその世界のことをよく知るために、どうでもいいような当りさわりのない奴を呼び出そう、ということになってな」 「なるほど。......って、じゃあ俺、どうでもいい奴なのか!?」 「......いや、まあ、そう騒ぐでない」 なんとか言い繕おうとする老将軍。 横から、例の美青年が口を挟む。 「それより、今度はこちらが尋ねる番だ。おまえの世界のことを色々と教えてもらいたいのだが......まず、その前に......」 彼は顔をしかめて、 「レキサンドラはどうした?」 「......レキサンドラ......?」 「そうだ。レックスと名乗ったかもしれんが、あの部屋にいただろう? 転移の宝珠(オーブ)を用いて、おまえを召喚した魔道士だ」 たぶん『転移の宝珠(オーブ)』というのが、あの鏡のようなものだったのだ......。 才人は誤解して、勝手に納得する。 だが召喚者の姿は見ていない。だから彼は、正直に答えるしかなかった。 「いや、誰もいなかったんですけど......」 「そんはずなかろう!? レキサンドラは......」 「まあまあ、殿下」 ふたたび割って入ったのは、老将軍だった。 年長者らしく落ち着いた態度で、彼はつぶやく。 「この者が来た時に、もうレックスはいなかったようですな。......はてさて、しかし、いったいどこへ消えてしまったのやら......」 ######################## ######################## 「あんた誰?」 抜けるような青空をバックに、レックスの顔をまじまじと覗き込んでいる女の子が言った。 黒いマントの下に、白いブラウス、グレーのプリーツスカートを着た少女。年は十代後半、いや、まだ半ばであろうか。色恋沙汰には疎いレックスから見てもわかるくらい、明らかな美少女であった。 混乱したまま、彼は素直に答える。 「......私の名前はレキサンドラ。呼びにくければ『レックス』でいいです」 レックスは、わけがわからなかった。 彼は神殿で、別の世界から人間を一人、召喚するところだったのだ。 しかし術の途中で何やらトラブルがあったようで......。 気づいたら、こんな場所にいた。 「......これでは......まるで、私の方が異世界に召喚されたみたいですね......」 小さくつぶやきながら、辺りを見回す。 黒いマントをつけて、自分を物珍しそうに見ている人聞がたくさんいた。さきほどの少女と同じような格好だ。ということは一種の制服なのだろうが、彼の知るどの国のものとも異なっている。 遠くには、石造りの大きな城が見えた。ファインネルの城ではない。広々とした青空と相まって、なんとも平和な世界に見えてしまう。 「ルイズ、『サモン・サーヴァント』で平民を呼び出してどうするの?」 「ちょ、ちょっと間違っただけよ!」 「間違いって、ルイズはいっつもそうじゃん」 「さすがは『ゼロ』のルイズだ!」 少年少女たちが、何やら騒いでいる。どうやら最初の少女は、ルイズという名前らしい。 「ミスタ・コルベール!」 彼女が怒鳴ると、人垣が割れて、中年の男性が現れた。少年少女ばかりではなく、ちゃんと大人もいたようだ。 大きな木の杖を持ち、真っ黒なローブに身を包んだ男。彼としばらく言葉を交わした後、ルイズは、レックスのところに戻ってきた。 困ったような、怒ったような顔で、彼女はレックスに告げる。 「あんた、感謝しなさいよね。貴族にこんなことされるなんて、普通は一生ないんだから」 続いて朗々と、彼女は呪文らしき言葉を唱え始めた。 なんとなく予想はしていたが、やはり、この子たちは魔道士なのか。 ......と考えている間に、ルイズの顔が近づいてきて......。 「え? いったい何を......」 そして重なる二人の唇。 こうして。 魔道士レキサンドラは、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの使い魔となった。 ######################## 「魔法で空を飛ぶなんて......みなさん若いのに、すごい魔道士なんですね」 ルイズの部屋に連れてこられたレックスは、感嘆の言葉を口にする。 さきほどの広場から教室――若い魔道士たちを養成する『授業』が行われる部屋――へ戻る際、ほとんどの者は、空を飛んでいたのだ。 ルイズが授業を受けるのにつきあっていたため、レックスも何となく理解していた。ルイズたちが使う魔法は、今までレックスが学んできた魔法とは、根本的に異なるのだ、と。 それにしても......。 レックスは、ついつい考えてしまう。 竜人(ギオラム)との戦いにおいて、彼らの飛行能力は、脅威の一つであった。もしも人間も空を飛べたならば、竜人(ギオラム)相手に、もっと善戦できたはず......。 「魔道士? あんたの田舎じゃ、メイジのことをそう呼んでるの? ......一体どこの田舎者よ、まったく」 彼の思索に水を差したのは、ルイズの言葉。 彼女はベッドに腰を下ろして、軽くため息をついている。 「はぁ。よりにもよって、平民を使い魔として召喚しちゃうなんて......」 レックスには杖もマントもないので、彼女は彼をメイジとは思っていない。 彼のローブは、ある意味、いかにも魔道士な格好なのだが、ハルケギニアの者には、そうは見えない。似てはいるものの、貴族の服装とは、明らかに違うのだ。 「平民......ですか。まあ......別にどう呼んでくださっても結構ですが......」 苦笑するレックス。 気の弱い彼は、大きく反抗したりはしない。その点、ルイズに仕えるには、なんとも相応しい性格であった。 「......とりあえず、さっきの飛行魔法、私にも教えていただけませんか?」 レックスは、竜人(ギオラム)との対戦を念頭に、頼んでみたのだが......。 これにカチンとくるルイズ。 ルイズは、『フライ』も『レビテーション』も使えないのだ。 彼女の場合、何を唱えても爆発魔法になってしまう。失敗ばかりだから、ついた二つ名も『ゼロ』のルイズ。 「冗談言わないで!」 魔法も使えぬ平民からバカにされたような気がして、ルイズは杖を振る。 小さな爆発魔法が、レックスを襲った。 「うわっ!? 何をするんです!?」 慌てて避けるレックス。 実戦経験は乏しいとはいえ、一応は、竜人(ギオラム)と戦ったこともあるのだ。彼にとって、この程度は、しょせん子供のイタズラに過ぎなかった。 「よけちゃダメ! 御主人様の命令よ!」 「はいはい。わかりましたよ」 無茶いわないでください、と思いつつも、大人しく従う。 回避を禁じられたのであれば、防御すればよいだけのこと。 ルイズが呪文を唱えて杖を振り下ろすのと同時に、彼もまた呪文を唱えていた。 「聖魔霊皇壁(ヴァ・ゼ・ム・ドゥラ)!」 レックスの作った魔力の壁が、ルイズの魔法を弾き散らす。 「う......嘘......。あんたもメイジだったの......!? でも......」 大きく目を見開いて、ルイズは唖然茫然。 そりゃそうだ。 ハルケギニアの常識で考えれば、杖なしで魔法を放つなど、ありえないこと。 そんなことができるのは......亜人のみ! 亜人たちが用いる、先住の魔法だけ! 「レックス......あんたって......もしかして亜人なの!?」 ######################## ミスタ・コルベールは、トリステイン魔法学院に奉職して二十年、中堅の教師である。 彼は今、図書館にこもりっきりで、書物を調べていた。 ルイズが呼び出した男のことが、いや正確にいうと男の左手に現れたルーンのことが、気になってしかたないからである。あの場でわざわざルーンをスケッチしておいたくらい、彼はそれを気にしていた。 彼がいるのは、図書館の中の一区画、教師のみが閲覧を許される『フェニアのライブラリー』。 一冊の本の記述に目を留めて、記された一節とルーンのスケッチとを見比べて......。 「あっ」 思わず彼が、うめきを上げた時。 「ミスタ・コルベール! ミスタ・コルベール! 大変です!」 大騒ぎしながら飛び込んできたのは、問題の使い魔を連れたルイズであった。 「ミス・ヴァリエール! ここは『フェニアのライブラリー』ですぞ!? 教師以外は......」 「それどころじゃありません! 私、とんでもない使い魔を召喚しちゃったみたいなんです!」 彼女の言葉で、コルベールは悟った。 どうやらルイズも知ってしまったらしい、と。 あらためて彼は、チラリと書物に目をやる。それは、始祖ブリミルが使用した使い魔たちについての古書。 それによると。 あの男の左手に現れたルーンは、始祖ブリミルの使い魔『ガンダールヴ』に刻まれていたものと同じ。 つまり、ルイズの使い魔は『ガンダールヴ』であり、ということは、その主人であるルイズは......。 「......そうです。ミス・ヴァリエール、あなたは、すごい使い魔を召喚したのですよ。なにしろ......伝説の使い魔『ガンダールヴ』ですからな!」 「はあ? ガンダールヴ? ......違います、ミスタ・コルベール! 私の使い魔、亜人なんです! エルフです! 吸血鬼です!」 「だから違いますって。私はレックスという、ごく普通の人間です」 「普通の人間が杖なしで魔法使うわけないでしょ!」 「いや、私の世界では、これが普通なんですって」 ルイズ主従が騒ぎ立てる。 「そうそう、君は普通の人間ではなくて『ガンダールヴ』......って、ちょっと待ってください」 二人の言葉を半ば聞き流していたコルベールは、ここでハッとした。 「ミス・ヴァリエール、あなた今、なんと言いました!?」 「だから、こいつは亜人なの! 杖なしで呪文を唱えたんだから!」 「......そんな馬鹿な」 ようやく気づいたコルベール。 別にルイズは、使い魔を『ガンダールヴ』だと知ったわけではなかったのだ。 しかし、それだけではない。まだまだ他にも、何やら大きな誤解があるようだ。杖なしで魔法を使った、とは......? 「ただの平民が魔法を使えるわけないじゃないか!」 「しかも『ゼロ』のルイズの使い魔だぜ!? 主人だって魔法使えないっていうのに!」 「やーい、『ゼロ』のルイズの嘘つき!」 遠くから、いくつかの声が聞こえてくる。 どうやら、この騒動が野次馬を招いてしまったらしい。 中に入るのは躊躇しながらも、『フェニアのライブラリー』の入り口から、何人もの生徒がルイズに揶揄を投げかけていた。 「嘘じゃないもん!」 叫んでルイズは、己の使い魔へと向き直り、 「御主人様の命令よ! あいつらに、ガツンと魔法をおみまいして!」 「えぇっと......軽く電撃で痺れさせる程度なら......大丈夫ですかね......?」 「大丈夫だから、早くやりなさい!」 「......はいはい。わかりましたよ......」 半ば呆れたようにつぶやきながら、レックスは......。 「雷炎降(ブゥド・ラ・グラ)!」 ささやかな炎と電撃が、入り口から様子をうかがっていた生徒たちを急襲する! レックスが本気で放てば、人間の一人や二人、あっというまに黒コゲになる術である。かなり威力を絞ったのだが、それでも直撃した生徒は失神。そして、かろうじて意識を保っている生徒たちは、恐れと共に怒りで体を震わせていた。 「よくもやったな!」 「『ゼロ』のルイズのくせに!」 杖を取り出し、ルイズ主従に向かって魔法を放つ。 慌てて魔力の盾を作るレックス。 「聖魔霊皇壁(ヴァ・ゼ・ム・ドゥラ)!」 「こら、やめたまえ、君たち!」 目の前の光景が信じられないながらも、コルベールは、冷静な言葉を飛ばす。 しかし、もう生徒たちの耳には届かない。ルイズも爆発魔法で参戦し、てんやわんやの大騒ぎ。彼らは、あとでこっぴどく叱られることになるのだが......。 この騒動の中、野次馬にも聞こえるところで『ガンダールヴ』という名前が出てしまったために。 ルイズが伝説の使い魔『ガンダールヴ』を召喚した、という噂が、後々、一人歩きすることになる......。 ######################## 「なんとも信じがたい話だね......」 コルベールがポツリとつぶやいた。 ......図書館での騒ぎが片づいた後。 あらためて三人で話を、ということで、場所をコルベールの研究室へと移し、ルイズと共にレックスの話を聞いた、その感想である。 「......あの......私の話......信じていただけないのでしょうか......?」 心配そうな顔をするレックス。 こうして見ると、ただの気の弱そうな青年にしか見えない。さきほど見知らぬ魔法で大暴れしたことが、まるで嘘のようである。 「いやいや、安心したまえ。信じがたい話ではあるが......私は信じるよ。レックスくん」 こことは別の世界。系統魔法とも先住の魔法とも異なる魔法体系。ハルケギニアには存在しない亜人、竜人(ギオラム)......。 「......そっちの世界でも、亜人は脅威なのね」 ルイズの言葉を耳にして、コルベールは、チラリと彼女に視線を向けた。 最初は「信じられないわ」を連呼していた彼女だが、この様子では、ルイズもレックスの話を受け入れたのであろう。 「この世界にも......竜人(ギオラム)のようなものがいるのですか?」 「ああ。エルフやオーク鬼など、人間とは違う、しかし人間と似た存在......それらをひとまとめにして、私たちは亜人と呼んでいるのだよ」 コルベールは、レックスの質問に答えて、さらに説明する。 亜人の中には、エルフや吸血鬼のように、先住の魔法を駆使するものもいること。人間が使う系統魔法と、先住の魔法との違い。そして、現在はエルフが『聖地』を占拠していること......。 「......なるほど。それでルイズさんは、杖も使わずに魔法を使った私を見て、亜人だと思ったわけですね。そりゃあ大騒ぎするわけだ」 苦笑するレックス。だが、それが単なる苦笑いではなく、暗い影を帯びていることに、コルベールは気づいていた。 ......無理もあるまい。ハルケギニアの民がエルフに『聖地』を奪われたように、レックスたちの国では、竜人(ギオラム)に城をとられてしまったのだから。遠い『聖地』の喪失と、国を失うのとでは、レベルが違うのかもしれないが......。 「......竜人(ギオラム)の魔力は、人間とはケタ違いです。十把一絡げの雑兵たちですら、小さな魔力弾くらいなら、あっさりと生み出し、撃ってくるんです......」 半ば独り言のように、レックスは、ポツリポツリと語っていた。 彼は彼で、自分の世界の存在と照らし合わせることで、コルベールの説明を理解しようとしているのだ。先住の魔法と人間たちの魔法との間には確固たる壁があるように、レックスの世界でも、竜人(ギオラム)と人間との間には、乗り越えられない大きな差があるのだろう。 「さて、レックスくん」 これで、ある程度の事情は理解できた。 そう思ったところで、コルベールは、あらためてレックスに告げる。 「......君が別の世界から来た、ということはわかった。元の世界に戻りたい、と思っているかもしれないが......君は今や、ミス・ヴァリエールの使い魔となったわけだ」 コルベールがこうしてルイズやレックスと話し合っているのは、彼が、使い魔召喚の儀式を監督していたからである。教師としての責任から話をしている以上、やはり、言うべきことは言っておかねばならない。 レックスは元の世界ではそれなりに優秀な魔道士――ハルケギニアでいうところのメイジ――だったようだし、こんなことを言いたくはないのだが......。 「......呼び出された以上、そして契約してしまった以上。この世界で使い魔として暮らしてもらわないといけないのだ」 「そのようですね」 案外ひょうひょうと頷くレックス。 むしろコルベールの方が拍子抜けし、あわてて慰めの言葉をつけ加える。 「まあ、もちろん、いつかは元の世界へ戻る方法も見つかるかもしれないが......」 「うーん。それなんですが......そもそも私、なんでこの世界に召喚されてきたんでしょうか?」 「......ん? どういう意味かな?」 言葉だけ聞けば、今さらながらの疑問である。だがコルベールは、レックスの言葉の奥に、深い思惑があるような気がした。 「ほら、ちょうど私も、異世界召喚なんてことをしていたわけでしょう? その影響で、なんか予定とは違う現象が起こったんじゃないか......。そんな気がするんですよ。だって私、自分がそんな『伝説』のガンダールヴとやらだとは思えなくて......」 たとえば。 本来ルイズは、レックスとは違う異世界人を召喚する予定だった。ところが、たまたま同じ時にレックスも異世界人を召喚しようとしていたため、召喚魔法どうしが干渉して、召喚ルートが交錯して、間違ってレックスが呼び出されてしまった......。 「......という仮説は、どうです?」 「ふむ」 なかなか興味深い説である。 いつのまにかコルベールは、使い魔召喚の儀式を司った教師としてではなく、好奇心旺盛な学者の顔になっていた。 「では、何かね? 君の考えでは、ミス・ヴァリエールの使い魔となるべきだった者は、代わりに君の世界に送り込まれていると......?」 「......ハッキリとした根拠があるわけではないのですが......なんとなく、そう思えるのです......」 「ちょっと待って!」 男二人が何やら考えこんでドツボに嵌る前に、ルイズが割って入った。 「レックスもミスタ・コルベールも、何やらややこしく考えてるみたいですけど......。予定どおりであろうとなかろうと、そんなことはどうでもいいんです!」 そして彼女は、レックスにビシッと指を突きつける。 「レックス!」 「は、はい!」 「ともかく、契約しちゃったんだから、あんたが私の使い魔なのよ!?」 「......はい」 否応無しの正論であった。 ######################## ######################## 「それじゃ、元気でな」 ひとしきり才人の世界について、話をした後。 才人は、元の世界へ送り返されることになった。 ようするに、『別の世界』について教えてもらう、という当初の用件が終わったため、「もう用済みだから帰れ」ということである。 しかし才人は、そういうネガティブなニュアンスでは受け取っていない。 発達した文明や科学の話を披露するだけでなく、ちょうど持っていたパソコンを起動してみせたら、おおいに驚かれたのである。別に才人自身が褒められたわけではないのに、単純な彼は、まるで我がことのように、すっかり気分が良くなっていた。 「はい。皆さんも頑張ってください。......大変でしょうけど」 周りで見守る老将軍たちと別れの挨拶をして、才人は、魔法陣の中央に立つ。 ......ヴン......。 やがて、台座の四方に位置する宝珠(オーブ)が、かすかな鈍い音と共に、虹色のほのかな光を生み出した。 才人は一瞬、睡魔にも似た感覚に包まれて......。 そして彼は、元の世界――東京の街――へと戻って行った。 「特におかしなことは......起こりませんでしたな」 「そのようじゃな」 レックスが行方不明なため、才人を送り返したのは、代役の魔道士である。 召喚者消失が再発するのでは、と心配して、ロッドゥェル将軍たちが周りで見張っていたのだが、それは杞憂に終わった。 「レックス殿が消えたのが、召喚と関係しているのだとしたら、あの少年を送り返すと同時に戻ってくるのでは、という期待もあったのですが......」 「そう単純な話でもあるまいて」 同僚の言葉を、老将軍は否定してみせる。実は彼自身、同じような淡い期待を抱いていたのだが、あえて口には出さなかった。 ......ほかの世界から何かをこの世界に呼び込む時には、その代わりに何かを相手の世界に送り込まなければならない。それが、彼らが使う召喚魔法の原則である。 予定ではレックスは古毛布を使うはずだったが、間違って彼自身が送られてしまったのではないか......。老将軍は、そんな可能性もチラッと思い浮かべていたのだ。 だが、その説は今、完全に否定された。 送り返された才人と入れ替わりに、魔法陣の上には、レックスが用意した毛布が戻ってきて、転がっている。 「さて。こんなところに、ずっといてもしかたあるまい。そろそろ戻って......」 老将軍が、一同に退室の言葉をかけた時。 魔法陣の台座の上で、何かが輝き始めた。 「......!?」 水晶のようにキラキラ光る小さな粒が、空中に浮かんでいる......。そんなふうに見えた。 徐々にその点は大きくなり、手鏡ほどの大きさに膨らむ。 「鏡......!?」 誰かがつぶやいたが、明らかに違う。映っているのは、見たこともない光景......異世界の風景である。 そして、見覚えのある人影が、その鏡のようなものを通り抜けて、こちらへ出現する! 「......ようやく戻ってくることができました!」 誰あろう、それは皆が探しているレックスであった。 見違えるようにたくましくなり、少し老けたようにも見える。 「ああ! なんとも懐かしい......」 言いながら、彼は一同をグルリと見回して......。 「......おや? みなさん、まったく年をとっていないような......?」 その彼の言葉に、老将軍が真っ先に反応する。 「レックス!? まさか、おぬし......こことは時間の流れが異なる場所へ行っておったのか!?」 「ハハハ......。そんな馬鹿な......と思いますが、みなさんのお顔を拝見する限り、そうかもしれませんね。あるいは、召喚魔法や異世界移動魔法が干渉した影響で、時間を超越して空間がつながったのかも......」 こうして言葉を交わす間に、彼の背後の鏡のようなものは、また小さな点に戻り、そして消えていた。 だが、そちらに注意を払う者は誰もいない。その場の誰もが、レックスを取り囲み、口々に彼の無事生還を祝っていた。 「まあまあ、皆の者。これではレックスも困るであろう」 その騒ぎを収めたのは、やはり老将軍である。 「......なんだか知らんが、ともかく彼の話を聞こうではないか。ひょっとしたら、竜人(ギオラム)対策に役立つ情報もあるやもしれんて」 レックスの成長ぶりを見て、冗談めかして言う老将軍。 するとレックスも笑顔で、 「そうですね。まあ色々と強大な敵を相手にしてきましたから......。いや実際に、竜人(ギオラム)そのものとも戦ってきたんですよ」 「なんと!? おぬしが行った先にも、竜人(ギオラム)がおったのか!?」 「慌てないでください、ロッドゥェル将軍。順序立てて話しますから。まずは......」 そして、レックスは語り始める。 この世界の者から見れば日帰りの......しかし彼にとっては日帰りではない、ハルケギニアでの冒険の物語を。 (第二話「なりゆきまかせの復讐人(リベンジャー)」へ続く) |
「レックス殿、その左手は......?」 彼の手の甲に刻まれたルーン、それに気づいた者が、不思議そうな声を上げた。 これから長い物語を語ろう、というタイミングで、いきなり水を差されたわけだが、レックスは特に気にする様子もなく。 むしろ、にこやかな笑顔で、 「ああ、これですか。......そうですね、そこから始めるのが、ちょうどいいかもしれません。実は私、使い魔というものになっちゃったんです」 「使い魔......?」 「そうです。使い魔とは......」 ######################## ######################## 「......で、使い魔って、具体的には何をすればいいのです?」 コルベールの研究室における三者面談の後。 部屋に戻り、ルイズと二人きりになったところで、レックスは尋ねた。 「まず、使い魔は主人の目となり、耳となる能力を与えられるわ」 「それって......視界を共有する、ってことですか?」 「そうよ! 使い魔が見たものは、主人も見ることができるはずなんだけど......。でも、あんたじゃ無理みたいね。私、なんにも見えないもん」 一般的に、使い魔として召喚されるのは、動物や幻獣である。人間が召喚されるなどルイズも初めて見たが、コルベールが見つけ出した古書によれば、始祖ブリミルの使い魔『ガンダールヴ』もまた人間だったという。 「......ルイズさん、もしかして『ガンダールヴ』っていうのは、普通の使い魔よりも能力が劣る使い魔なのではないでしょうか? ほら、伝説と言えば聞こえは良いですが、逆に言えば、それだけ古くさいってことですよね」 昔の基準で考えれば凄かったけれど、今では皆もっと凄い使い魔を呼び出せるようになったから、『ガンダールヴ』など過去の遺物......。 いやな可能性を持ち出すレックスだが、それは聞かなかったことにして、ルイズは話を続ける。 「それから、使い魔は主人の望むものを見つけてくるのよ。例えば秘薬とかね」 「秘薬というのは......魔道に関する材料か何かでしょうか」 さすがレックス、異世界の魔道士。魔法体系は異なるとはいえ、共通する部分があるのも当然であり、それくらいは理解できた。 「そんなようなもんね。特定の魔法を使うときに使用する触媒よ。硫黄とか、コケとか......」 「......ということは、まずはこちらの世界の魔法について、学ばないといけませんね」 そうだ。ハルケギニアの魔法の知識がなければ、それに必要な秘薬など、見つけ出せるわけもない。 ということで、とりあえず今は、これもパス。 「あと、本当はこれが一番なんだけど......便い魔は、主人を守る存在なのよ! その能力で、主人を敵から守るのが一番の役目! これならあんたにはピッタリね! だってレックス、すごい魔法使いなんでしょ!?」 「......いや、たいしたものではありませんが......」 「あれだけ使えれば十分よ!」 もちろん、謙遜はするものの、レックスとて、多少の自信はある。 しかし。 「......ですが、そんなに『主人を守る』機会がたくさんあるほど、今は戦乱の世の中なのですか? どうも聞いた話では、ここって、ファインネル王国よりもよっぽど平和な国のようなのですが......」 そう言われれば、そうだ。ルイズは、まだ学生である。命がけで戦う機会などあるはずもない......と彼女は思う。 「そうねぇ。じゃあ何をやってもらおうかしら?」 結局。 その魔道士としての才能を活かすこともなく。 レックスは、一介の平民のように、洗濯や掃除やその他雑用をやらされるのであった。 ######################## 「おやすみなさい」 夜。 挨拶ひとつを残して、レックスはルイズの部屋を出る。 ......今日も一日よく働いた。これから彼は、自分の寝所へ向かうところである。 本塔と火の塔に挟まれた一画にある、見るもボロい、掘っ立て小屋......。つまりコルベールの研究室で、彼は寝泊まりさせてもらっていた。 伝説の使い魔『ガンダールヴ』として、もっと好待遇を受けてもよいであろうに......などという気持ちは、彼にはない。そもそも、レックスが『ガンダールヴ』であるということは、学院長オールド・オスマンにより、魔法学院では公式には否定されていた。 「『ガンダールヴ』じゃと? バカを言うな。そんなもの、伝説にすぎぬ」 実はこれ、「王室の耳に入りでもしたら大変だ、どう利用されるやもしれぬ」という心配からくる発言なのだが、そうしたオスマンの意図を知る者は少ない。 また、あれだけ図書館で大騒ぎしては、噂が広がるのを抑えることも難しい。生徒たちの中には、王室に勤める貴族の子弟もいるわけで、話が王室まで伝わるのは時間の問題であった。 ......ともかく。 そんなわけで、レックスは魔法学院では、特別扱いはされていない。ただの使い魔として扱われており、使い魔である以上、主人と一緒に暮らすか、あるいは、自分たちで住処を都合するしかなかったのだ。 ルイズはあまり気にしていなかったようだが、レックスにしてみれば、若い女性の部屋で一緒に寝泊まりすることには抵抗がある。そこでコルベールに頼んで、彼の研究室の片隅を借りることになっていた。 ある意味ひどい生活であるが、レックスは、それなりに満足している。 「......案外、私には向いている生活なのかもしれません......」 廊下を歩きながら、一人、レックスはつぶやく。 彼はふと、祖国のことを思い出していた。ファインネルの城が竜人(ギオラム)に攻め込まれた時のこと......。 うずまく人々の悲鳴と怒号。あちこちで炎の手が上がり、王は落城を悟った。レックスやロッドゥェル将軍ほか何人かの重臣に、クルーガー王子を無事に落ち延びさせることを命じると、王は当時の親衛隊長と共に城に残り......。 そのあと王がどうなったのか、レックスは知らない。 あの時、彼はただ、オロオロしているだけだった。 もちろん、いくら彼一人が活躍しようと、事態が変わったわけではなかろう。しかし何も出来なかった、というより、何もしようとしなかった、というのであれば、なんとも情けない話である。 王に命令されてようやく王子たちと共に城を出たのだが、それだって『王子を守って』というより、実状は、一同になんとかついていく、というだけだった......。 「......そんな私が、ここでは伝説の使い魔『ガンダールヴ』だなんて......。笑い話です」 自嘲気味に漏らすレックス。 実戦経験もあるにはあるが、彼は、戦いの場の空気そのものに、どうしてもなじめない。ここハルケギニアで、下僕のように雑用をこなす『使い魔』のほうが、よっぽど、性に合っているかもしれない......。 そんなふうに、物思いにふけっていたので。 「わっ!?」 「きゃっ!」 向こうから来る女子生徒と、危なくぶつかるところであった。 さして広くない廊下を、彼女は走っていたのだ。彼女にも非はあるだろうが、こういう場合、責められるのは自分の方だとレックスは承知していた。ここハルケギニアは、そういう世界らしいのだ。 「すみません! 大丈夫ですか? えっと、ミス......」 「モンモランシーよ。モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ」 見事な巻き髪とそばかす、そして頭の後ろの大きな赤いリボンが特徴の少女である。 レックスは、彼女に見覚えがあった。しばらく前に食堂で、恋人らしき少年とケンカしているのを、目撃したのである。 浮気性の彼氏の二股が発覚して、公衆の面前で痴話喧嘩。野次馬の若者たちはヤンヤヤンヤと盛り上がっていたが、レックスにしてみれば、何がそんなに面白いのか、という程度。すぐに記憶の片隅へと押しやられてしまう、小さなイベントであった。 「あら? あなた......ルイズの使い魔さんね?」 「はい。レキサンドラと申します。どうぞレックスとお呼びください」 レックスが名乗ると、モンモランシーは一瞬だけ考えこんでから、 「ちょうどいいわ。レックス、あなた、ちょっとそこに立ってて」 「......はい?」 「いいから!」 よくわからないまま、言われたとおりにするレックス。どうせ立ち止まっていたのだから、少しの間、動かなければいいだけである。 すると。 「モ......モンモランシー! よ、ようやく追いついたぞ!」 少女を追うように、一人の少年が駆けてくる。 なるほど、彼女は彼から逃げていたのか......と思いながら、レックスは彼に注意を向ける。 フリルのシャツを着た、金色の巻き髪の少年。シャツのポケットには薔薇を挿していて......。 よく見れば、彼は食堂の一件の主役だった。モンモランシーとケンカしていた、彼女の恋人である。 「やや!? そこにいるのは......ルイズの使い魔『ガンダールヴ』か!? 貴族でもないくせに不思議な魔法を使うという......!」 レックスが少年の痴話喧嘩騒動を知っているように、少年の方でも、図書館でのレックスの大暴れを耳にしていたらしい。 「そうよ! ギーシュ、彼と戦ったら、あなたなんかイチコロなんだから!」 レックスの背中に隠れるようにしながら、モンモランシーが言う。 ......『彼と戦ったら』とは......? なんだか嫌な予感がして、レックスは後ろを振り返る。 「あの、ミス・モンモランシー? いったい私に何をさせようと......」 レックスは、ちゃんと『ミス・モンモランシー』と呼びかけた。ギーシュという少年はファーストネームで呼びかけていたが、それは自分には許されぬこと、とレックスは理解している。 ルイズはかまわないと言ってくれているので『ルイズさん』だが、他の貴族に対してはダメ、と彼女からキツく言われていた。使い魔の失態は主人であるメイジの失態ということで、うっかりレックスが他の者に失礼な態度をとったりすると、ルイズは怒るのである。 まあ失礼云々でいうならば、魔法で攻撃することのほうがよほど問題のような気もするが、先日の図書館での騒動は、ルイズに言わせれば例外。あの時は向こうが先に暴言を吐いてきたので、正当な権利として応酬したまで、というのがルイズの言い分だった。 「いいから! ともかく黙って、壁になってなさい!」 「ガ、ガンダールヴ! そこをどきたまえ! これは僕とモンモランシーの問題であり、君には関係ない話だ!」 二人の貴族から、矛盾する命令を下されたレックス。 しかし、どう考えても、ギーシュの発言の方が尤もである。 「はい、どうぞ。ミスタ......」 「......グラモンだ。ギーシュ・ド・グラモン」 レックスが道を譲ると、ギーシュは律儀に名乗ってくれた。 一方、モンモランシーは、レックスが彼女の言うことをきかないと悟るやいなや、再び走り出していた。 「あ! 待ってくれ、僕のモンモランシー!」 彼女のあとを追って、ギーシュも走り去ってゆく。 「なんだったんでしょう、いったい......」 二人の背中を見送りながら。 そう言えばここって女子寮だけどこんな夜遅くにギーシュって少年は何をしていたんだろう、と、今さらながらに不思議に思うレックスであった。 ######################## そして、翌朝。 「決闘だ! ガンダールヴ!」 「......は?」 ルイズを起こしに部屋まで行き、それから彼女と共に食堂へ向かったレックスは、そこでギーシュから杖を突きつけられた。 「いくら君が伝説の使い魔であろうと......僕は、君だけは許すことができない! 絶対に!」 ギーシュが大声で叫んだため、周りにいる者たちがザワザワし始める。 「決闘だって!?」 「ギーシュが決闘するぞ!」 「相手はルイズの『ガンダールヴ』だ!」 野次馬と化したのは、貴族の少年少女たち。ここ『アルヴィーズの食堂』は、貴族のための食堂であり、レックスと給仕のメイド以外は、すべて貴族なのだ。 本来ならば、レックスもここで食事は出来ないのだが、「レックスは私の使い魔だから特別に入れてもらってるのよ、私がちゃんと手配したんだから」とは、ルイズの言。 それがどこまで『特別』なのか知らないが、一人の生徒に頼まれて捩じ曲げられるルールなど、しょせんその程度のものなのだろう、とレックスは思っている。 「......決闘ですか......?」 レックスは今、ギーシュの言葉にポカンとして、おうむ返しにつぶやくのが精一杯。 一方、ギーシュは、周りが騒ぐのに応じて、さらに気分が高揚したらしい。キザったらしい仕草で、バッと見栄を切った。 「そのとおり! しかし貴族の食卓を、君のような下劣な輩の血で汚すわけにもいかぬ。ヴェストリの広場で待っている。僕に討たれる覚悟ができたら、来たまえ!」 言い捨てて、去っていくギーシュ。 レックスは、とりあえずルイズにお伺いを立てる。 「......どうしましょう?」 「相手してやれば? いやだ、って断れる雰囲気じゃなさそうだし」 ルイズが視線で示したのは、周りでワクワク顔の野次馬たち。 戦うことが好きではないレックスは、顔をしかめて、 「でも、これから朝食......」 「大丈夫よ。ギーシュはドットメイジ。あんたの敵じゃないわ。......文字どおり朝メシ前に終わるわよ」 どうやらルイズ、うまいこと言ったつもりらしい。あんまりうまくないぞ、というツッコミを入れてはいけないことくらい、レックスも十分承知していた。 ######################## ヴェストリの広場は、魔法学院の敷地内、『風』と『火』の塔の間に位置する中庭である。広場は今、噂を聞きつけた生徒たちで溢れかえっていた。 「よく来たな、ガンダールヴ!」 ギーシュが薔薇の造花を掲げれば、ウォーッと歓声が巻き起こる。 「ガンダールヴ! 君は、特殊な魔法を駆使する使い魔だそうだね」 確認するかのように、ギーシュが言った。 レックスは、否定も肯定もしない。ああ、またか、と思うだけ。 図書館での一件以来、伝説の使い魔『ガンダールヴ』とはそういうものだ......という誤解が広まっているのだ。 いちいち訂正するのも面倒なので、レックスは、この噂を放置していた。異世界から来た魔道士だと詳しく述べるより、そういう使い魔なのだと認識されていた方が、むしろ都合がいいかもしれない......とも思う。 「......ならば! 僕も最初から、魔法の出し惜しみはしない!」 ギーシュの宣言に、再び沸く観衆たち。それを背に受け、彼は造花の薔薇を振った。 花びらが何枚も宙に舞ったかと思うと......。 人形が七体、その場に出現した。 甲冑を着た女戦士の形である。淡い朝の光を受けて、その肌が、甲冑がきらめく。硬い金属製のようだ。 「僕の二つ名は『青銅』。『青銅』のギーシュだ。したがって、青銅ゴーレム『ワルキューレ』が御相手しよう。この七体のワルキューレが、僕の力だ!」 「ほう......」 レックスは、ちょっと感心してしまった。 おそらく今ギーシュが使ったのは『錬金』という魔法。まるで無から有を生み出したような......。 しかし本来『錬金』は、そういう魔法ではない。ルイズの授業につきあっていたため、それくらい、レックスにもわかっていた。 ギーシュがやってみせたのは、あくまでも、造花の花びらをゴーレムに変換した、ということ。 ただし、ここでポイントとなるのは、その花びらが、ギーシュの杖の一部である、ということだ。そのため、まるで杖の先から突然ゴーレムが飛び出したようにも見える。 これを戦いの中で活かせば、うまく敵を幻惑できるかもしれない。そのために、わざわざ造花の薔薇を杖としているのか......。 「......この少年......なかなかやる......!」 ルイズの話によれば、ギーシュはドットメイジ。メイジとしては最下級のはず。だが。 「......魔力のほどはともかく、頭は回る......!」 レックスは、盛大に勘違いしていた。 まさか単純に格好つけるだけのために薔薇を杖にしているとは、思いもよらない。相手を過大評価したレックスは......。 「わかりました!」 ギーシュにも観衆にも聞こえるよう、大きな声で叫んだ。 戦いの場の空気そのものに、どうしてもなじめないレックス。子供とはいえ知略に長けた少年を相手にする以上、その雰囲気にのまれてしまっては、勝ち目はない! だから彼は、自らを鼓舞する意味で宣言するのだった。 「ならば、私も全力でいきましょう!」 「よかろう! では始めるか!」 ギーシュのかけ声で、ワルキューレたちが走り出す。 レックスも呪文を唱え始めた。 そして。 「牙王滅殺(ジャ・ル・ド・ヴィン)!」 黒い魔力の矢が、七体のゴーレムに向かって降りそそぐ! 「......」 あっというまにボロボロになるワルキューレたち。 こうして、決闘はあっけなく終了した。 ######################## 「ま、まいった......」 その場に膝をつき、ガックリとうつむくギーシュ。 「こんな......他人の女を寝取るような卑劣漢に負けるとは......」 彼の口から漏れるつぶやきを耳にして、周りの者たちは「おまえが言うなー」「この浮気者ー」などの野次も飛ばすが、もうギーシュは聞いちゃいなかった。 だが、レックスやルイズの耳には、しっかり届いている。 「レックス......あんた、いったい何したのよ......」 「え? 私は何も......」 ジト目を向けるルイズに、慌ててバタバタ手を振るレックス。 その時。 「ごめんなさい、ギーシュ!」 その場に飛び込んできたのは、金髪ロールの少女、モンモランシーである。 ごめんなさいあれは嘘なの全部うそなの夏の嘘は幻なの、と、何やらまくしたてていた。 「ギーシュ、大丈夫!? ケガしなかった!? ......まさか『ガンダールヴ』相手に、あなたが本当に決闘を申し込むだなんて......。私、急いで止めに来たのよ! ほら、治療のための秘薬もこんなに用意して!」 言いながら、大量のビンを差し出すモンモランシー。 決闘を中止させるというより、むしろ終わって負けていることを想定しているではないか。本気で急いで止める気だったら、取るものも取りあえず、とにかく駆けつければよかったのに......などと野暮なツッコミを入れる者はいない。 あくまでも秘薬は、最悪の事態を想定して、念のために用意されたもの。それだけ深くギーシュの身を案じていた、という証。......と好意的に解釈しておくべき場面である。 「嘘......? ということは......」 恋人の言葉だけは聞こえるらしく、ギーシュは顔を上げた。 「そうよ、何もなかったの。私が好きなのは......ギーシュ、あなただけ! 私に触れていいのも、あなただけよ!」 私はきれいな体よあなたのために結婚するまでちゃんと守っているわ、と、泣きながら訴える少女に対し、少年も涙を流して、 「ああ! 愛してるよ、モンモランシー! 僕のモンモランシー!」 「ごめんなさい、ごめんなさい。好きよ、ギーシュ! 大好きよ!」 「ああ、モンモランシー!」 「好きよ、ギーシュ!」 座り込んだまま、ヒシッと抱き合う二人。 それを見て......。 「ようするにレックス、あんた、モンモランシーの狂言につきあわされたのね」 わかったような声を漏らすルイズ。 「狂言......ですか?」 「そ。浮気性の彼氏の気をひこうとして、適当な作り話でもしたんだわ。他に好きな男ができた、とかなんとか。......その相手役に、たまたま選ばれちゃったみたい」 レックスも、なんとなく思い当たる。昨夜廊下で出くわしたのがキッカケとなったのだ。 「ギーシュだって『ガンダールヴ』の噂は聞いてたでしょうに......。無謀にも決闘なんて言ってきたのは、恋人を奪われた仕返しだったのね」 嘘から始まった復讐劇。それが、このたびの顛末であった。 「ま、モンモランシーも根は悪い奴じゃないのよ。恋にトチ狂って、ちょっと暴走しちゃったのね。......許してあげなさい、レックス」 こういうのを許しそうにないルイズがそう言うのであれば、そうなのであろう。 ちょっと釈然としない気持ちもあるが、だからといって、それを根に持つようなレックスでもない。ルイズの言葉に、素直に頷いてみせた。 広場の中央に視線を戻せば、いつまでも抱き合ったままの若い二人......。 「雨降って地固まる......ってやつでしょうか」 ふと気がつけば。 あれだけ大勢いた野次馬たちは、いつのまにか、一人もいなくなっていた。 ギーシュとモンモランシーのラブラブ仲直りに呆れて、みんな帰ってしまったのである。 ######################## 夜。 魔法学院の本塔の外壁を、巨大な二つの月が照らしていた。 誰もいない静かな夜......ではない。よく見れば、壁に垂直に立った人影に気づくであろう。 本塔五階の宝物庫を狙う、怪盗『土くれ』のフーケであった。 「さすがは魔法学院本塔の壁ね......」 足から伝わってくる壁の感触に、フーケは舌打ちする。その表情は、フードに隠されて見えない。 しかし、そのフードの奥を覗く者がいたとしたら、きっと驚くに違いない。そこにある顔は、この学院の秘書、ミス・ロングビルのものなのだから。 そう。 彼女は、ここにある秘宝を盗むため、偽名で秘書として学院に潜り込んでいたのだ。入念な下準備をするのも、大怪盗としては当然のこと。 だが......。 「物理衝撃が弱点? こんなに厚かったら、ちょっとやそっとの魔法じゃどうしようもないじゃないの!」 今回の仕事は、かなり厄介である。 「確かに『固定化』の魔法以外はかかってないみたいだけど......。これじゃ私のゴーレムの力でも、壊せそうにないね......」 腕を組んで悩むフーケ。 最近学院に現れたという、噂の『ガンダールヴ』とやらを、何とか利用できないものか......。 そんな考えを頭に思い浮かべた時。 「手伝ってやろうか?」 突然、空から声が降ってきた。 ハッとして見上げれば、一人の男が、夜空に浮いている。 黒マントをまとった長身の男で、顔は白い仮面で隠されていた。 フーケにも気取られぬうちに、こっそり接近していたとは......ただ者ではない! 「何者だい!?」 言葉と同時に、白仮面に向かって『土』魔法を放つ。だが、それは全て強風で跳ね返されてしまう。 このわずか一瞬の攻防で、彼女は悟った。 「風のメイジ......。そうかい、『偏在』だね! どうりで、気配が違う......読めなかったわけだ」 口元を歪めるフーケに、白仮面は肯定してみせる。 「そうだ。風は偏在する。一つ一つが意志と力を持っているのだ。......しかし本体でないと一目で見抜くとは、さすがは『土くれ』のフーケ」 「......私を捕まえに来た......ってわけじゃなさそうだね?」 相手の力量を察して、慎重な対応をするフーケ。 この場にいるのが『偏在』だけとは限らない。うまく気配を隠して、本体がいる可能性もあるのだ。 「言っただろう、手伝ってやる、って」 「へえ。盗賊に弟子入りかい?」 「......勘違いするな。俺が手伝ってやるのは、盗みなんてケチな話ではない。おまえの復讐だよ」 「復讐......?」 怪訝な声で、フーケは聞き返す。 「そうだ。アルビオン王家に復讐したいだろう、マチルダ・オブ・サウスゴータ」 彼女は蒼白になった。 マチルダ・オブ・サウスゴータ......。 それは、かつて捨てた、いや捨てることを強いられた、彼女の本名であった。 ######################## 翌日。 秘書のミス・ロングビルが姿を消した、ということで、魔法学院は朝から大騒ぎ。 何か事件に巻き込まれたのだろうか、ならば自分たちの身も安全ではないのか、と心配する生徒や教師も多い中。 ルイズとレックスは、突然の呼び出しを受けて、トリスタニアの王宮へと赴いていた。 二人を招いたのはアンリエッタ王女であり、王宮に着くやいなや、二人は彼女の居室へと通された。 「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、姫殿下の仰せにより参上いたしました」 「ああ! ルイズ! ルイズ・フランソワーズ! そんな堅苦しい行儀はやめてちょうだい! あなたとわたくしはおともだち! おともだちじゃないの!」 「もったいないお言葉でございます。姫殿下」 「やめて! そんな態度をとるのは、ここではやめてちょうだい! あの枢機卿も、欲の皮の突っ張った宮廷貴族たちも、この部屋までは来ないのですから!」 周りの女官や召使いたちは、聞いてません、という表情と態度を貫いている。 なるほど、信頼できる者たちばかりなのだろう、とレックスは思った。 「姫殿下......」 「幼い頃は、あなたと一緒になって......」 小さな頃のおてんば武勇伝を語り始めるアンリエッタ王女。彼女とルイズは、昔からの親友なのだ。 アンリエッタに応じて、ルイズも思い出話に花を咲かせる。ひとしきり語り終わった頃には、ルイズもアンリエッタのことを『姫殿下』ではなく『姫さま』と呼ぶようになっていた。 そして。 「そんなあなたも、今では、こうして立派なメイジになったのですね」 「姫さま......。私など、まだまだです」 謙遜ではなく、これはルイズの本心。やはり『ゼロ』のルイズと呼ばれるとおり、彼女には、魔法が苦手だというコンプレックスがあるのだから。 「いいえ、話は聞きましたわ。使い魔召喚の儀式で、伝説の使い魔『ガンダールヴ』と契約したとか」 アンリエッタの言葉に、ルイズとレックスはハッとする。どうやら『ガンダールヴ』のことは、すでに王宮にも伝わっていたらしい。 「......使い魔を見ればメイジの実力もわかる、と言われています。始祖ブリミルが用いたという伝説の『ガンダールヴ』と契約したあなたは、きっと、始祖ブリミルの再来なのでしょうね」 「そんな......!」 大げさな表現に身を退くルイズであったが、アンリエッタは構わず、女官の一人に目で合図を送った。すると、その女官がいったん退室して......。 「ルイズが『ガンダールヴ』を得たことをお祝いして、プレゼントを用意しましたの。受け取ってくださいね」 「プレゼント......ですか?」 「ええ。厳密には、あなたへのプレゼントではなく、使い魔さんへのプレゼントなんですけど......」 言って、王女が笑顔をレックスに向けた時。 さきほどの女官が、部屋に戻ってきた。 布で包まれた、細長い物体を両手で抱えている。 王女はそれを受け取り、布を開きながらレックスに差し出す。 「どうぞ。これこそが『ガンダールヴ』のための剣......デルフリンガーです!」 中から出てきたのは、錆の浮いたボロボロの剣。 王女さまからのプレゼントにしては、なんとも貧相であり、王女の居室にも不釣り合いな姿である。 驚くレックスであったが、本当の驚きは、そのあとに来た。 「プハーッ! やいやい、また変な布で俺さまを包みやがって!」 「剣がしゃべってる!?」 「姫さま、これはインテリジェンスソードですか?」 びっくり仰天のレックスに続いて、ルイズも当惑の声をあげた。 アンリエッタが答えるより早く、剣自身がそれに応じる。 「ただのインテリジェンスソードじゃねえぞ! デルフリンガーさまだ! 覚えておきやがれ!」 それから、再びアンリエッタ女王に対して、 「いくら王族だからって、頭は下げねえ! 俺さまを扱えるのは『使い手』だけだ!」 「......ですから、その『使い手』と引き合わせてあげたのですよ」 「なんだと?」 「ほら、どうぞ」 にっこりと王女から手渡された剣を、レックスは、まじまじと見つめる。 剣の方でも、じっとレックスを観察するかのように、黙りこくった。 しばしの沈黙が流れる。 やがて。 「おでれーた。姫さんの言うとおりだ。てめ、『使い手』か」 「『使い手』?」 「......『ガンダールヴ』のことですよ」 横から補足する王女さま。ある意味、豪華な解説役である。 「始祖ブリミルが伝説の使い魔『ガンダールヴ』に持たせていた伝説の剣......それが、このデルフリンガーなのです。苦労して探したのですよ」 そういえば。 コルベールの説明によれば、『ガンダールヴ』というのは、武器を手にしてこそ、その真価が発揮されるものだったらしい。 今さらながらに思い出して、レックスとルイズは顔を見合わせる。レックスは武器を振るうような性格ではないので、今まであまり気にしていなかったのだ。 しかし、今。 王女アンリエッタに目で促されて、レックスは、デルフリンガーを握ってみる。 これが......自分専用の剣......? 半信半疑ながらも、レックスがそれを意識すると......。 「おお!」 叫んだのはアンリエッタだったか、あるいは、女官の一人だったか。 突然、レックスの左手のルーンが光り出したのである! 「これが......『ガンダールヴ』の証!?」 体が羽のように軽い。まるで飛べそうだ。 その上、左手に握った剣が、己の体の延長のように馴染む。 レックスは剣士ではなく、魔道士だというのに......! 「やっぱり間違いないようですね」 満足げに微笑むアンリエッタ。それから彼女は、やや真面目な表情で、 「ああ、ルイズ! わたくしのおともだち! 実は、あなたに頼みたいことがあるのです。こうして伝説の使い魔と伝説の剣を従えた、あなたにしか頼めないことが......」 ああ、うまい話には裏があったのだ。 剣を鞘にしまいながら、レックスはそう思った。 王女さまから直々に凄い剣をもらって終わり......ではなかったのだ。 一方、レックスの主人であるルイズは、詳しく話を聞くより前に、頼み事を受ける気満々。 「なんなりと」 「......ちょっと遠くまで出かけてもらうことになるのですが......。いくら『ガンダールヴ』がいるとはいえ、さすがに使い魔と二人きりでは大変でしょう。彼もつけますから、どうかお願いします」 用件を説明する前に、まずは同行者を紹介するアンリエッタ。 彼女の合図で、新たに一人の男が、部屋に入ってくる。 見事な羽帽子をかぶった、凛々しい貴族。その姿を見て、思わずルイズが叫び声をあげていた。 「ワルド......!?」 (第三話「困ったもんだの王女さま(プリンセス)」へ続く) |
「久しぶりだな! ルイズ! 僕のルイズ!」 「ワルドさま......」 震える声で言うルイズ。 男は人なつっこい笑みを浮かべると、彼女に駆け寄り、抱きかかえた。 されるがまま、ルイズは頬を染める。 「お久しぶりでございます」 「相変わらず軽いな、君は! まるで羽のようだね!」 「......お恥ずかしいですわ」 それから男は、ハッとしたような表情でルイズを下ろし、その場に跪いた。アンリエッタ王女に向かって、恭しく頭を下げて言う。 「申し訳ありませぬ。殿下の御前で、このような......」 「いいのですよ。二人の間柄は、わたくしも存じておりますから。それに、ここは公式の場でもありませんし」 顔を上げてください、と手で示すアンリエッタ。続いて彼女は、レックスのために、 「こちらは、魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵。ルイズの婚約者でもあります」 「君がルイズの使い魔『ガンダールヴ』だね? 話は聞いている。僕の婚約者がお世話になっているよ」 王女さま直々の紹介の後、ワルドは、気さくな感じでレックスに声をかけた。 「いいえ、こちらこそ」 言いながらレックスは、あらためてその貴族を見つめる。 見るからに女性受けの良さそうな、イイ男である。レックスの国のクルーガー王子も美青年であるが、それとはタイプが違う。 このワルドは逞しい体つきをしており、形のいい口ひげも男らしさを強調している。目つきは鋭く、鷹のように光っており......。 「......伝説の使い魔『ガンダールヴ』。機会があったら是非、手合わせ願いたいものだ」 その瞳の輝きに、レックスは、何やら嫌な予感がするのであった。 ######################## まだ学生にすぎないルイズと、異世界から来たレックス。 ハルケギニアの政治情勢を詳しくは知らぬはずの二人のために、アンリエッタが説明する。 アルビオンの貴族たちが反乱を起こし、今にも王室が倒れそうなこと。反乱軍が勝利を収めたら、次はトリステインに侵攻してくるであろうこと。 それに対抗するために、トリステインはゲルマニアと同盟を結ぶ予定だということ。 同盟のために、アンリエッタ王女がゲルマニアの皇室に嫁ぐと決まったこと......。 「そうだったんですか......」 そのルイズの声は、レックスには、沈んだ感じに聞こえた。おそらくルイズは、幼馴染みである王女が意に添わぬ結婚をすると知って、悲しく思っているのだ。 だがレックスにしてみれば、アンリエッタが語った内容は、しごく当然の話であった。強大な敵の襲来が予期され、しかも自国が相手と比して弱小国であるというならば、政略結婚で他国を味方に引き入れるのは、常套手段の一つなのだから。 ......ただの一般論ではない。イザという時、他国との同盟などなかったらどうなるのか、レックスは彼の世界で思いしらされていた。竜人(ギオラム)たちにファインネル国を攻め落とされた後、近隣諸国に使者を送っても、形式的な返事が来るだけ。『貴国の状況、誠に遺憾である。軍の都合がつき次第、支援の兵を送らせていただく』という言葉のみで、それっきりだったのだ......。 「礼儀知らずのアルビオンの貴族たちは、トリステインとゲルマニアの同盟を望んでいません。二本の矢も、束ねずに一本ずつなら楽に折れますからね」 レックスが祖国について思い出している間にも、アンリエッタの話は続いていた。 「......したがって、わたくしの婚姻を妨げるための材料を、血眼になって探しています」 そしてアンリエッタは、苦しそうに告白する。 以前にしたためた一通の手紙のことを。 アルビオン王家のウェールズ王子のもとにある、昔の手紙のことを。 「内容は言えません。でも、それを読んだら、ゲルマニアの皇室は......このわたくしを赦さないでしょう。ああ、婚姻は潰れ、両国の同盟は反故。となると、トリステインは一国にてあの強力なアルビオンに立ち向かわねばならないでしょうね」 詳しく語られずとも、なんとなくレックスはわかった。 ようするに手紙というのは、ラブレターなのだ。 若い王女と王子の愛の証......。 なるほど、そんなものが明るみに出ては、政略結婚の障害となろう。 「では、姫さま。アルビオンに赴き、ウェールズ皇太子を捜して、手紙を取り戻してくればよいのですね?」 「ええ、そのとおりです。伝説の使い魔と伝説の剣を手に入れたあなたなら、きっとこの困難な任務をやり遂げてくれると思います」 そう、その伝説の剣だ。 鞘に収めた剣にチラリと視線を落としてから、レックスは、ふたたびアンリエッタ王女をジッと見つめた。 この剣を渡された時は、いかにも交換条件のような感じで任務の話を持ち出されたため、腹黒王女なのかとも思ったが......。 ラブレターの件について語る王女の表情は、恋する乙女のそれであった。恋愛ごとには疎いレックスが見てもわかるくらい、なんともあからさまな表情であった。 あれを見てしまっては、とても彼女を『腹黒王女』とは思えない。 さきほどの『腹黒』は、周囲の大人たちの入れ知恵だったのかもしれないな、とレックスは意見を変えていた。 ......しょせんレックスも男である。 「では私は、出発の準備をいたしますので......」 言ってワルドが、先に部屋を辞する。 アルビオンの状況は一刻を争うようで、アンリエッタとしては、今すぐ出発して欲しいらしい。 手紙の存在同様、表沙汰には出来ない任務であるため、王室から特別船を用意することは出来ない。だが、港町ラ・ロシェールまで行けば、船などいくらでも出ているはず......。 「最近は『風石』が市場に大量に出回っているため、船の行き来も活発ですからね」 そう言うアンリエッタに、ルイズも頷いていた。 なぜか最近、ロマリア皇国が大量に『風石』を売り出しており、それがロマリア宗教庁の財源の一つとなっている......という話を、ルイズも耳にしていたからである。 ただし。 彼らが『風石』をどこから入手しているのか、そして、それが何を意味しているのか......。 そこまで知る者は、この場には、一人もいないのであった。 ######################## グリフォン隊隊長というだけあって、ワルドの乗騎は幻獣グリフォン。鷲の頭と上半身に、獅子の下半身がついた生き物である。立派な羽も生えていた。 これならば馬よりも速そうだ......。レックスはそう思ったが、残念ながら、ワルドのグリフォンは、ルイズを跨がらせるだけで既に定員いっぱい。 「私......馬の扱いには、あまり自信ある方じゃないんですけど......」 レックスは、王宮から貸し与えられた馬で、ワルドのグリフォンについていく。 ここハルケギニアは、見たこともない幻獣がいる世界。つまりレックスにとっても、いわばファンタジーの世界である。 馬だって元の世界とは違うかもしれない、元の世界の馬より乗りやすいかもしれない......。そんな淡い期待もあったのだが、それは見事に打ち砕かれた。ハルケギニアでも馬は馬。ファインネル王国の馬と同じであった。 それでも。 途中の駅で馬を何度も交換して、必死にワルドのグリフォンを追走した結果。 一行は、その日の夜中に、ラ・ロシェールの入り口まで辿り着いていた。 「この岩山を抜ければ、街が見えてくるよ」 親切にもワルドが教えてくれた、ちょうどその時。 崖の上から投げ込まれる松明、そして飛来する無数の矢。 松明の炎に馬が驚き、放り出されるレックスであったが......。 赤々と照らされた峡谷の上、武器を手にした男たちがいるのを、レックスは確かに見た。 「まさか......アルビオンとやらの貴族の襲撃!?」 「違うな。貴族なら弓は使わんだろう。ただの夜盗か山賊の類に違いない」 落ち着いたワルドの言葉で、レックスも冷静さを取り戻す。 「山賊......ですか」 今までは魔法学院に閉じこもっていたから知らなかったが、ここハルケギニアも、それなりに治安は悪いのだな......と、のんきなことを考えるレックス。 何を悠長な、と言うことなかれ。 ワルドとレックス、二人の魔法使いの前では、山賊などたいした障害にもならないのだ。 案の定。 特筆するべきこともなく、彼らは、これをアッサリ撃退してしまう。 「おや? 君はガンダールヴなのに......剣は使わないのか。せっかく殿下から頂いた専用の剣なのに」 「はい。私はガンダールヴである以前に、魔道士ですから」 魔法一辺倒のレックスを見て、ワルドは不思議がっていたが......。 レックスにしてみれば、あれは王女さまからの頂きもの、として持っているだけ。それを使うなんてとんでもない、という気持ちであった。 ######################## 夜も遅かったので、三人はラ・ロシェールにて一泊。 翌日、朝一番の船で、アルビオン目ざして飛び立った。 「本当は、今日はアルビオンに渡る船を出す日ではないそうだ。......かなり足もとを見られたよ」 乗船の交渉役を務めたワルドは、そう言って苦笑していた。 浮遊大陸アルビオンは、空中を浮遊して、主に大洋の上をさまよっている。ただし、月に何度か、ハルケギニアの上にやってくる。だから空船は普通、アルビオンが最も近づいた時に出航するのである。 「なるほど......。こちらが無理を言ったので、高い乗船料をとられた、というわけですか」 「そういうことだ。......ま、乗せてもらえただけでも良しとするさ。最近じゃ『風石』も大量に出回っているから足りなくなることはないが、これが一昔前ならば、『風石が足りないから物理的に無理です』なんて言われて、断られていたかもしれないね」 ワルドは、なんでも説明してくれる親切な人である。 なんとなく心もゆったりとしてきたレックスは、ワルドに好印象を抱いていた。 舷側から見える景色は、どこまでも広がる白い雲。それがレックスを開放的な気分にしていたのかもしれない。 ワルドと並んで外の雲を眺めながら......。 いつのまにかレックスは、彼の元いた世界について、色々とワルドに語っていた。 「そうか......。ギオラムという化け物に、王城を......。君も色々と苦労しているのだな」 「はい。あの脱出行でも、私は全然役に立てなくて......」 「謙遜するな。君の魔法は一級品だよ。スクウェアメイジの僕が保証する」 ワルドが、レックスを優しく慰める。 山賊に襲われた際に、ワルドはレックスの魔法を見ているのだから、これは根拠のないデタラメではないのだが......。 しかしレックスは、首を横に振った。 「......だめなんです......私は......戦いの空気をかぐだけで、体がいうことを聞かなくなってしまって......」 学生相手の児戯や、ちょっとした山賊を蹴散らす程度なら、なんとかなる。 しかし、本格的な命のやりとりとなると、とたんに取り乱してしまう。 かつて、ファインネルの仲間と共に竜人(ギオラム)のアジトを襲撃した時も、比較的安全なところから援護をする役だったにも関わらず、膝が震えて止まらなかった......。 「うーむ......」 話を聞いたワルドは、思わず腕を組み、 「......魔法の実力ではなく、精神的な問題ということか。しかし、それだけ心が弱くても魔法が立派ということは、ハルケギニアの魔法とは違って、君たちの魔法は精神力には依存しないのかな?」 ちょっと興味深そうな声を出してから、ワルドは、ポンとレックスの肩を叩いた。 「結局は自信だな。自信をつけるしかない」 「それは......わかってるんですが......」 「何ウジウジしたこと言ってんのよ」 男たちの会話に、ルイズが参加してきた。ちょこんとワルドの横に座り、ウトウトしていたのだが、どうにもレックスの態度に我慢がならなかったらしい。 「使い魔がそんな弱腰だと、主人の私までバカにされるのよ!? もっとビシッとしなさい!」 「いや、そう言われましても......」 「だいたい、私たちは今からアルビオンへ行くのよ! 戦争の真っただ中に! 姫さまからの大事な使命を受けて! ......そんな弱腰でどうすんの!?」 「まあまあルイズ、この任務に関しては、彼は大丈夫だよ。なあ、レックスくん?」 ルイズを宥めるワルド。彼はチラッとレックスに視線を向けてから、再びルイズに対して、 「もしも将来トリステインにレコンキスタが攻め込んできたら、ギオラムに攻め込まれたファインネルの二の舞になるやもしれぬ。レックスくんとて、そうした悲劇が繰り返されるのだけは、なんとしても避けたいだろう」 「......それは、もちろん」 レックスが小さく同意を示し、ワルドは話を続ける。 「同盟成立の障害を取り除く......。ある意味では、今回の任務は、そうやって攻め込まれるのを防ぐための任務とも言える。だから、これはレックスくんには相応しい任務なのだよ」 そうだ。 いざ攻め込まれた際には戦えない、という者でも、戦いを未然に防ぐ任務なら、こなせるはずだ。 ワルドの言葉で、レックスは、あらためて気を引き締める。 ルイズも、なんとなく納得したらしい。 しかし。 「でも......戦えるだけの力を持っているのに『戦えません』なんて言うのは、なんだか嫌味だわ」 「......う......」 これには返す言葉もないレックス。 ワルドも笑って、 「ハハハ......。それは確かに、そのとおりだな。レックスくん、やっぱり君は、自信をつけるべきだ」 「はあ。しかし......それが難しいことでして......」 「......君の世界で王城を化け物に奪われたように、ハルケギニアでは『聖地』をエルフどもに奪われている。どうだ、いっそエルフから『聖地』を奪い返してみないか?」 「ワルド!? あなた、いったい何を言い出すの!?」 驚きの声を上げるルイズ。ぽかんとするレックスに向かって、ワルドはさらに、 「『聖地』奪還に貢献できれば、自信もつくだろう。元の世界で王城奪還する上でも、きっと役に立つ」 「ワルド! いくらレックスでも、エルフには勝てないわよ......」 ワルドの態度とルイズの反応から、ワルドの言葉は冗談なのだろうとレックスは判断した。 それでも一応、 「はあ。考えておきます」 と、返したちょうどその時。 「空賊だ! 空賊が出た!」 三人の耳に、船員たちの叫び声が届いた。 ######################## 「山賊の次は空賊ですか!」 「何ビクついてんの。あんた伝説のガンダールヴでしょ。あれくらいチャチャッとやっつけちゃいなさいよ」 「......そうは言われましても......」 山賊とは違う。レックスにしてみれば、空の敵、というだけで、恐いイメージがあるのだ。 レックスは、目でワルドに助けを求めた。 ワルドは真面目な表情で、ルイズの肩にポンと手を置き、 「そんなに簡単な話ではないな。見ろ」 「......え?」 ワルドに促され、ルイズも敵船に視線をやった。 黒くタールが塗られた船体は、まさに戦う船を思わせた。ピタリと二十数個も並んだ砲門をこちらに向けている。さらに黒船の舷側に、弓やフリント・ロック銃を持った男たちが並び、同じくこちらに狙いを定めていた。 「敵は武器を持った水兵だけじゃない。あれだけの門数の大砲が、こちらに狙いをつけているんだぞ。......戦場で生き残りたかったら、相手と己の力量をよく天秤にかけ、わきまえることが大切だ。さすがにレックスくんは、そうした判断が出来るようだね」 「......あ......。そういうことなのね......」 しゅんとなるルイズ。 実戦経験に基づいた判断を持ち出されてしまっては、何も反論できない。ワルドだけでなく、レックスだって、そうした経験値はルイズよりも高いのだ。 レックスから元の世界の話は聞いているので、ルイズにだってわかっていた。こう見えてレックスは、恐ろしい亜人と戦う国のメイジなのだ、と。 「......」 一方レックスは、言葉に詰まっていた。 別にワルドが言うように正しく状況を見抜いたわけではなく、生来の弱腰で怯えただけだったのだが......。 今はそれは言わない方が良さそうだ、という気持ちと、でも嘘をつくのは良くない、という気持ちとで、揺れ動くレックス。 そんな彼の葛藤は知らず、ワルドはつぶやく。 「......おまけに、向こうにはメイジがいるかもしれない」 前甲板に繋ぎ止められていたワルドのグリフォンが、乗り移ろうとする空賊たちに驚き、ギャンギャンと喚く。その瞬間、頭を青白い雲で覆われ、グリフォンは甲板に倒れ、寝息を立て始めた。 「眠りの雲......。確実にメイジがいるようだな」 ワルドのその言葉は、レックスの不安を大きくするだけだったのだが......。 ######################## 「あれがニューカッスルの城だよ」 後甲板に立ったレックスたちに、凛々しい金髪の若者が語りかける。 説明を聞きながら、レックスは、世の中なにが幸いするかわからないものだ、と感じていた。 ......昨日、空賊の黒船に拿捕された時は、どうなることかと思ったものだが......まさか空賊船の正体がアルビオン王党派の『イーグル』号であり、ウェールズ王子まで乗っていたとは! 信じられないくらい、できすぎた話であった。が、ウェールズは確かに本物だった。ルイズが指に嵌めていた水のルビー――アンリエッタから渡されたものの一つ――と、ウェールズの持つ風のルビーとが共鳴したことで、それは証明されている。 それに、戦力で劣る王党派が、空賊を装って反乱軍の補給路を絶って回っている、というのも、理にかなった話だった。 ただ一つ惜しかったのは、ウェールズが肝心のラブレターを持っていなかったこと。それはニューカッスルの城にあるということで、こうして今、彼らはアルビオン大陸までやって来たのだ......。 「なぜ、下に潜るのですか?」 説明役の青年......ウェールズに尋ねるレックス。 ニューカッスルへ真っすぐ向かわずに、『イーグル』号は、大陸の下側に潜り込むような進路を取っていた。 レックスは、回想に没頭していても、ちゃんと周りの様子は見ていたのである。 「叛徒どもの、艦だ」 ウェールズは、城の遥か上空を指さす。 遠く離れた岬の突端の上から、巨大な船が降下してくる途中だった。『イーグル』号は慎重に雲の中を進んできたので、向こうからは雲に隠れて見えないらしい。 「かつての本国艦隊旗艦『ロイヤル・ソヴリン』号だ。叛徒どもが手中に収めてからは、『レキシントン』と名前を変えている。やつらが初めて我々から勝利をもぎとった戦地の名だ。よほど名誉に感じているらしいな」 本当に巨大、としか形容できない、禍々しい巨艦であった。 ......こんなものに気づかなかったとは、自分は、やはり回想に没頭していたのだろうか......? そう思った直後に、レックスは、自らの考えを頭の中で打ち消した。 違う。日頃から、注意の向け方が、ハルケギニアの人々とは違うのだ、と。 レックスの世界では、人間の魔道士は空を飛べず、もちろん空船などというものも存在しない。それは飛行能力を持つ竜人(ギオラム)に大きな利を与えていた。 元の世界に戻って再び竜人(ギオラム)と戦う時のためにも、もっと自分は『空』を意識するようにしなければ......と、レックスは気を引き締める。 「あの忌々しい艦は、空からニューカッスルを封鎖しているのだ。あのように、たまに嫌がらせのように城に大砲をぶっ放していく」 まさにウェールズが説明したとおり。 それは帆を何枚もはためかせ、ゆるゆると降下したかと思うと、ニューカッスルの城めがけて並んだ砲門を一斉に開いた。どこどこどっこーん、と斉射の震動が『イーグル』号まで伝わってくる。砲弾は城に着弾し、城壁を砕き、小さな火災を発生させていた。 「備砲は両舷合わせ、百八門。おまけに竜騎兵まで積んでいる。あの艦の反乱から、すべてが始まった。因縁の艦さ。さて、我々のフネはあんな化け物を相手にできるわけもないので、雲中を通り、大陸の下からニューカッスルに近づく。そこに我々しか知らない秘密の港があるのだ」 ######################## 「これが姫からいただいた手紙だ。このとおり、確かに返却したぞ」 「ありがとうございます」 深々と頭を下げ、手紙を受け取るルイズ。 ニューカッスルの秘密の港に着いたレックスたち三人は、早速ウェールズに連れられて、城内の彼の居室まで来ていた。 「明日の朝、非戦闘員を乗せた『イーグル』号が、ここを出発する。それに乗ってトリステインに帰りなさい」 ウェールズの言葉に返事もせず。 ルイズは、渡された手紙をじっと見つめていたが、やがて決心したように口を開いた。 「あの、殿下......。さきほど、栄光ある敗北とおっしゃっていましたが、王軍に勝ち目はないのですか?」 港で出迎えた老メイジとウェールズが交わした会話。それをルイズは気にしていたのだった。明日の正午に、最後の決戦が行われるという......。 「ないよ。我が軍は三百。敵軍は五万。万に一つの可能性もありえない。我々にできることは、はてさて、勇敢な死に様を連中に見せることだけだ」 「殿下の、討ち死になさる様も、その中には含まれるのですか?」 「当然だ。私は真っ先に死ぬつもりだよ」 明日にも死ぬというのに、皇太子は、いささかも取り乱したところがない。 端で見ていたレックスは、ウェールズの態度に、ファインネルの王を思い出していた。 落城を悟った王は、重臣たちに、クルーガー王子を無事に落ち延びさせるよう命じて、自らは城に残り......。 そうだ。あのときと同じだ。大切な者を生き延びさせるために、己の死を覚悟した者の表情だ。 ならば、この若き皇太子は、やはり......。 「殿下......失礼をお許しください。恐れながら、申し上げたいことがございます」 ルイズが深々と頭を垂れて、ウェールズに一礼する。何か、よほど言い出しにくいことを口にしようとしているのだ。 「なんなりと申してみよ」 「この任務を私に仰せつけられた際の姫さまのご様子、尋常ではございませんでした。そう、まるで、恋人を案じるような......。もしや、姫さまと、ウェールズ皇太子殿下は......」 「君は、従妹のアンリエッタと、この私が恋仲であったと言いたいのかね?」 「そう想像いたしました。とんだ御無礼を、お許し下さい。してみると、この手紙の内容とやらは......」 「恋文だよ。君が想像しているとおりのものさ。確かに、この恋文がゲルマニアの皇室に渡っては、まずいことになる。なにせ、アンリエッタは始祖ブリミルの名において、永久の愛を私に誓っているのだからね」 始祖ブリミルに誓う愛は、ハルケギニアでは、婚姻の際の誓いである。つまり、この手紙が白日の下にさらされた上で、まだゲルマニアに嫁ごうというのであれば、彼女は重婚の罪を犯すことになってしまうのだ。 「ゲルマニアの皇帝は、重婚を犯した姫との婚約は取り消すに違いない。そうなれば、なるほど同盟相成らず。トリステインは一国にて、あの恐るべき貴族派に立ち向かわねばなるまい」 「とにかく、姫さまは、殿下と恋仲であらせられたのですね?」 「昔の話だ」 「殿下、亡命なされませ! トリステインに亡命なされませ!」 熱っぽい口調で言うルイズ。 ワルドが近寄り、スッとルイズの肩に手を置くが、彼女の剣幕はおさまらない。 「お願いでございます! 私たちと共に、トリステインにいらしてくださいませ!」 「それはできんよ」 「殿下、これは私の願いではございませぬ! 姫さまの願いでございます! 姫さまの手紙には、そう書かれておりませんでしたか?」 ここで言う『姫さまの手紙』とは、返してもらった昔の手紙のことではない。今回のアルビオン行きに際してルイズが託された、ウェールズ皇太子宛の書のことである。そこには、昔の手紙を返してください、という旨が記されているはずなのだが......。 「私は幼き頃、恐れ多くも姫さまのお遊び相手を務めさせていただきました! 姫さまの気性は大変よく存じております! あの姫さまがご自分の愛した人を見捨てるわけがございません! 姫さまは、たぶん手紙の末尾であなたに亡命をお勧めになっているはずですわ!」 「そのようなことは、一行も書かれていない」 「殿下!」 「私は王族だ。嘘はつかぬ。姫と、私の名誉に誓って言うが、ただの一行たりとも、私に亡命を勧めるような文句は書かれていない」 苦しそうに言うウェールズ。 その態度を見れば、彼が嘘をついていることくらい、ルイズにもレックスにもバレバレであった。 「アンリエッタは王女だ。自分の都合を、国の大事に優先させるわけがない」 ウェールズは、アンリエッタを庇おうとしている......。レックスは、そう感じた。 アンリエッタは情に流された女......と思われるのが、嫌なのだろう。 それに、もしも彼が亡命してしまえば、将来レコンキスタがトリステインに攻め入る格好の口実を与えることとなる。アンリエッタの国である、トリステインに......。 「......」 ウェールズの意志の硬さは、ルイズにも伝わったはず。これ以上は彼女も何も言えまい、とレックスが思ったその時。 ワルドが、ルイズの耳元で何やらボソボソと囁く。するとルイズの表情が変わった。 俯いていた彼女は、決然と顔を上げて、 「殿下。恐れながら、私どもは明日、『イーグル』号には乗りませぬ。代わりに......」 何を言うつもりなのだろう、とレックスが不思議がるのも一瞬だった。 「三人で反乱軍の......レコンキスタの総司令部を強襲いたします」 ルイズの言葉に。 驚きのあまり、思考が停止するレックス。 レックスだけではない。ウェールズも絶句していたが、すぐに立ち直り、 「ラ・ヴァリエール嬢! いったい何を言い出したのかね、君は!?」 「殿下の御存命こそが、姫さまの願い。つまり、私たちの本当の任務です。......総司令官を倒してレコンキスタを崩壊させてしまえば、殿下が亡命する障害はなくなります。いいえ、殿下が国外逃亡なさる必要すらなくなるでしょう。ですから......」 ......殿下の御存命こそが姫さまの願い、私たちの本当の任務......。 その言葉が、レックスの頭の中で重く響いた。 「ちょっと待ってください!? 私たちは鉄砲玉ですか!?」 思わず叫んだレックスを、ルイズが叱りつける。 「つべこべ言わないの! あんた伝説のガンダールヴなんでしょ!? それに、姫さまから専用の剣まで貰って来てるじゃないの!」 「その意気やよし! それでこそ僕のルイズだ!」 「そんな、ワルドさんまで!? もうちょっと常識的に......」 賛同の声を上げたワルドに、慌てるレックスであったが、彼の言葉は途中で止まる。 ......そうだ。さきほどの耳打ちだ。そもそもこれは、ルイズではなく、ワルドが思いついたことなのだ......。 「レックスくん。考えてみたまえ。両軍の決戦という混乱に乗じて、少数精鋭で敵中枢を奇襲する......理にかなった作戦ではないかね?」 「ほら、ワルドもこう言ってることだし」 ルイズは、ワルドに全幅の信頼を寄せているのだろう。しかしレックスには、無謀な作戦としか思えない。 三人のやりとりを聞いていたウェールズも、首を横に振りながら、 「......危険だ。それは危険すぎる。反乱軍をなめてはいけないよ。そんな簡単に、敵の親玉を倒せるわけがない。トリステインの大使である君たちを、そんな危険な目に遭わせるわけには......」 「ならば殿下」 ここでワルドが、ニヤリと笑いながら言った。 「殿下も......ご一緒なされますか?」 ######################## 翌朝。 鍾乳洞に作られた港の中、ニューカッスルから疎開する人々が、『イーグル』号に乗り込むために列を成していた。 それらの人々を横目に、グリフォンと風竜が一匹ずつ、飛び立っていく。 「民や兵を残して行くのも......あまり良い気はしないな」 視界の中で小さくなる城をチラリと振り返り、ウェールズがつぶやいた。 小声の独り言である。だがウェールズが手綱を握る風竜に乗せてもらっているレックスの耳には、それはハッキリと聞こえていた。 「......なるほど......そういうわけだったのですね......」 「......ん? 何か言ったかね?」 「いえ、なんでもありません。殿下」 否定して、レックスは、並走して飛ぶグリフォンに目を向けた。そこには、ワルドとルイズが乗っている。 ......ニューカッスルに立てこもった王党派と、反乱軍レコンキスタとの最後の決戦。その開戦直前に、四人で敵陣の背後に回り込み、戦いが始まった後、本陣にいるはずの総司令官を強襲する......。 これは全て、ワルドが立てた計画だった。最初は何をバカな、と思っていたレックスも、今では納得している。ワルドには裏の意図がある、と気づいたからだ。 (......こうでもしないと......皇太子殿下は、ニューカッスルの城から離れようとしないから......) おそらく『敵陣強襲』などという話は嘘っぱちなのだろう、とレックスは推測していた。この作戦の真意は、ウェールズ皇太子を逃げ延びさせることなのだ、と。 そして。 ワルドの意図は、ウェールズの侍従や、アルビオン王にも伝わっていたに違いない。これが本当の強襲作戦などではないと、アルビオンの者達も悟っているのだ。だからこそ、アルビオン側から皇太子に供をつけることなく、ウェールズ一人が、三人に加わっているのだろう。 ウェールズを城の外へと釣り出すために、トリステイン大使ルイズがその身を危険にさらしてまで死地に赴く、という話をでっちあげたワルド。ウェールズが話に乗ってきた時点で、作戦は、半分以上成功したようなもの。あとは、またワルドが上手く言いくるめて、途中で進路を変えて、トリステインへと向かうだけ......。 この時、レックスは、そう信じていた。 ######################## 「屍炎弾(ジャ・ル・ブゥド)!」 渦巻く蒼白い炎は一本の槍と化し、竜騎士を目がけて突き進む。 騎乗している火竜を巧みに操り、騎士はこれを回避したが、その直後。別方向からの『エア・スピアー』に貫かれ、空に散った。 仲間がやられたのを見て、残った一騎が反転しようとしたが、時すでに遅し。 「冷冥召喚陣(ク・ルセル・グ・ファ)!」 レックスが放った冷気の術にやられて、竜ともども、動きが鈍ったところを『エア・カッター』で切り刻まれた。 「......あっさり片づきましたね。先を急ぎましょう、殿下」 「ああ」 グリフォンを駆るワルドが、風竜のウェールズに声をかけ、皇太子は小さく頷く。 ......なるべく敵が少ないであろう空路をゆく彼らであったが、そもそもニューカッスルは、かなりの敵に包囲されていたのだ。まったく遭遇しないというのは、無理な話。 こうして散発的に竜騎兵と出くわすことも、何度かあった。 ただし、こちらには、異界の魔法を操るレックスに加えて、スクウェアメイジのワルドや、トライアングルのウェールズもいるのだ。爆発魔法のみのルイズが杖を振る必要はなく、あっけなく障害はクリアされていく。 「......見えてきたぞ。あの森の向こうに見える小さな古城......あそこが反乱軍の前線基地のはずだ」 ウェールズの言葉を合図に、風竜とグリフォンが高度を下げる。 「ハルケギニアの王家たちは弱腰ではない、と反乱軍に示すのは、王家に生まれたものの義務! このウェールズが、レコンキスタの司令官を倒し、必ずやアルビオンの内憂を払ってみせようぞ!」 勇ましく宣言する皇太子の後ろで。 「......あれ? 本当に突入するんですか......?」 今さらながらに、疑問に思うレックスだったが......もう手遅れだった。 ######################## 「貴様が反乱軍の首領だな!?」 扉を開けて部屋に飛び込みながら、ウェールズ王子が叫ぶ。 ......小さな城ではあるが、ここが謁見の間なのだろう。大理石の柱が立ち並び、柱と柱の間を通り、赤い絨毯が伸びている。絨毯の先には玉座があり、一人の男が座っていた。 年のころ三十代の半ば。高い鷲鼻に、理知的な色をたたえた碧眼。帽子の裾から覗いているのはカールした金髪。頭の帽子は球帽で、緑色のローブとマントを身に着けており、一見すると聖職者のような格好にも見えるが......。 「ようこそ! お待ちしておりましたよ、ウェールズ皇太子!」 男は、快活な済んだ声で応じた。その物腰も、なんだか場違いに軽く感じられる。 「レコンキスタ総司令官を務めさせていただいておる、オリヴァー・クロムウェルだ」 そう。 彼こそが反乱軍レコンキスタのボス、クロムウェル。この小城における最重要人物......いわば王のはずなのに、それにしては、王を守る兵は少なすぎた。ここ謁見の間まで来るのに、さして抵抗らしい抵抗を受けなかったのだ。 レックスの身に、嫌な悪寒が走る。 司令部がほぼもぬけの殻なのは、主力が決戦に出向いているためだ......ということで、今までは自分を納得させていた。だが、いざクロムウェルのところまで来てみても、彼の周りにすら数人しかいないというのは......あまりにも変ではないか!? 「元はこのとおり一介の司教に過ぎぬ。しかしながら、貴族議会の投票により、総司令官に任じられたからには、微力を尽くさねばならぬ。始祖ブリミルに仕える聖職者でありながら『余』などという言葉を使うのも、微力の行使には信用と権威が必要ゆえ」 クロムウェルの言葉を聞き流しつつ。 レックスは、あらためて謁見の間を見渡してみる。 入ったばかりの場所に、レックスたち四人。 あとは、全部が敵である。 大理石の柱の間には、親衛隊らしき四人のメイジ。長身の黒マントをまとった男たちで、白い仮面に覆われて顔は見えないが、マントの中から魔法の杖が突き出ているので、メイジであることは間違いない。 そしてクロムウェルの玉座の左右に、二人の女性が控えていた。 一人は、フードを目深にかぶった女のメイジ。顔の下半分しか見えなかったが、それでもかなりの美人に見えた。フードからこぼれる緑髪も美しい。 もう一人は、冷たい妙な雰囲気のする、二十代半ばくらいの女性であった。細い、ぴったりとした黒いコートを身にまとっており、異世界人のレックスの目から見ても、奇妙ななりである。マントもつけておらず、杖も持っていないので、メイジではないようだ。 つまり。 この女たち二人を数に入れたとしても、クロムウェルを守る兵は六人。 やはり、おかしい。これでは......まるで......。 「レコンキスタ! 貴様らの野望はここまでだ!」 レックスが考えている間にも、ウェールズがクロムウェルに対して、タンカを切っていた。 「ハルケギニアを統一し『聖地』を取り戻す......それが貴様らの理想だそうだな? 理想を掲げるのはよい! しかし貴様らは、そのために流されるであろう民草の血のことを考えぬ! 荒廃するであろう、国土のことを考えぬ!」 「ウェールズ皇太子が、そのような低俗なことをおっしゃるとは......なんとも嘆かわしい。......民草? 国土? それがなんだと言うのだ!? 今、必要なのは貴族の『結束』! 鉄の『結束』だ! ハルケギニアは我々、選ばれた貴族たちによって結束し、あの忌まわしきエルフどもから『聖地』を取り返す! それが始祖ブリミルより余に与えられし使命なのだ!」 「世迷い言を! 口で言ってもわからぬなら、我が魔法をその身で受けるがよい!」 呪文を唱え、杖を振りかぶるウェールズ。 だが、彼が魔法を放つよりも早く。 「......っ!?」 風の魔法『ウインド・ブレイク』が、ウェールズを背後から襲った。 紙きれのように吹き飛んだウェールズは、壁に叩きつけられ、床に転がる。 これをやったのは......。 「ワルド!? あなた......」 ハッとするルイズ。 「貴族派! あなたアルビオンの貴族派だったのね! ワルド!」 「そうとも。いかにも僕は、アルビオンの貴族派レコンキスタの一員さ」 わななくルイズの怒鳴り声と、冷たく感情のないワルドの声。 対照的な二人の声を聞きながら......。 レックスは、ようやく全てを悟っていた。 ああ、自分たちは罠にはまったのだ、と。 ######################## 「ルイズ、それにレックスくん。おかしな動きは見せないでくれよ。まだ僕は、ルイズを傷つけたくはないからね」 言いながらワルドは、柱の近くに佇む四人のメイジへと視線を向ける。 彼らは四人とも、杖をルイズへと向けていた。 ......つまり。動けばルイズを撃つ、ということだ。おそらくすでに呪文も唱えてあるのだろう......。 などと考えながらレックスが四人を見ていると。 彼らは一斉に白い仮面を外した。現れた顔は......すべてワルドと同じ顔! 実はワルドは五つ子だったのか!? いや違う! 「......『偏在』......!」 ルイズにくっついて出た授業で、レックスは聞いたことがあった。 風のスクウェアスペル『偏在』。いわば分身の術であるが、ただの分身ではない。それぞれが本体と同じく、魔法を放つことすら出来るのだ。 「いかにも。一つ一つが意志と力を持っている。『風』は偏在するのだ!」 レックスの言葉を肯定するワルド。 「そんなことはどうでもいいわ! それより......。どうして! トリステインの貴族であるあなたがどうして!」 ワルドの裏切りを信じられず、ルイズが叫ぶ。ワルドは、レックスから彼女へと視線を戻した。 「さきほど閣下がおっしゃっただろう? 貴族の『結束』......と。我々はハルケギニアの将来を憂い、国境を越えてつながった貴族の連盟さ。我々に国境はない」 仰々しく、ワルドは杖を掲げる。 「ハルケギニアは我々の手で一つになり、始祖ブリミルの光臨せし『聖地』を取り戻すのだ」 「昔は、昔はそんな風じゃなかったわ。何があなたを変えたの? ワルド......」 「月日と、数奇な運命の巡り合わせだ。それが君の知る僕を変えたが、今ここで語る気にはならぬ。話せば長くなるからな」 彼の言葉を聞いて、杖を握るルイズの手に力が入る。 だが。 「だめです、ルイズさん!」 レックスの制止に、ビクッとするルイズ。日頃の弱気なレックスらしくない、芯の通った声だった。 「そうだ。さきほども言ったように、君を傷つけたくはない。だが......言うことを聞かぬ小鳥は、首を捻るしかなくなるからね?」 場合によっては容赦しない、というワルドの宣言。 ワルド本人とは異なり、『偏在』たちの杖は、いぜんルイズに向けられたままだった。 「ルイズ。君を手に入れることは、この旅における僕の目的......三つの目的のうちの一つだった。しかし旅の途中で、目的は一つ増えてしまった。それは......ガンダールヴを手に入れることだ」 「......私......ですか......?」 「そうだ」 ワルドがレックスに冷たい目を向ける。 「......最初に山賊をけしかけた時点で、君の実力は、よくわかったからね。だから港街での襲撃も中止とし、あそこで君と戦うのもやめた。本当はね、もっと色々とラ・ロシェールで行う予定だったのだよ」 一瞬だけ、ワルドはチラリと、クロムウェルの傍らの女メイジに視線をやった。 では、その『予定』とやらに彼女が関わっていたのだろう、とレックスは推測する。 「レックスくん。旅の途中で、僕は言ったはずだ。エルフから『聖地』を奪い返してみないか、と」 「......!」 「あれは冗談などではない。僕は本気だよ。ルイズともども、レコンキスタに加わる気はないかね?」 「いやよ! 誰が......」 「ルイズさん! 今は迂闊な発言も控えてください!」 再びルイズを止めるレックス。 そんな二人を見て、ワルドは口元に笑みを浮かべながら、 「......そのとおり。早急に返事をするのは、賢明ではないな。君たちは、そこでしばらく考えていたまえ」 そしてクルリと体の向きを変え、クロムウェルの前まで歩みを進め......。 地面に膝をつき、頭を垂れた。 「閣下。お見苦しいところをお見せして、申し訳ありません」 「何を言うか! 子爵! 顔を上げたまえ! 君は目覚ましい働きをしたのだよ! こうして余のもとにウェールズ皇太子を連れてきてくれたのだから! 誇りたまえ!」 ニカッと人なつっこそうな笑みを浮かべ、クロムウェルはワルドに告げる。続いて今度は、倒れているウェールズに対し、 「さて。君は、ずいぶんと余を嫌っているようだが......余の方では、妙な友情さえ感じているのだよ。どうかね? 今からでも遅くはない。改心して『聖地』奪還のために働く気はないかね?」 「......ふ......ふざけるな......誰が貴様などと......」 よろよろと立ち上がるウェールズ。 呪文を唱え始めたが、完成には至らなかった。ワルドの『エア・ハンマー』で、ウェールズは杖を叩き落とされ、再び倒れ込む。 「ふむ。あくまで余に逆らうというのか。では仕方がない。......いっぺん死んでみる?」 冗談めかして、死の宣告を与えるクロムウェル。彼は笑顔をワルドに向けた。 「死んでしまえば、誰もがともだちだからな。......では、子爵。なるべく傷つけぬように、殺してやってくれ」 「承知しました。ですが閣下、よろしいのですか? ウェールズ皇太子を手にかけるのであれば、私よりも、もっと相応しい人物がいるのでは......?」 「おお、そうだったな! ミス・サウスゴータ!」 「......はい」 クロムウェルに呼ばれて。 傍らの女メイジが、一歩、前に出る。 「さあ、憎き仇のウェールズ皇太子だよ! 今こそ、念願の復讐を遂げるときが来たのだ!」 ウェールズに歩み寄る女メイジ。現在は『土くれ』のフーケと名乗っている、マチルダ・オブ・サウスゴータ。 もはや立ち上がる気力すらないウェールズは、彼女を見上げながら問う。 「......仇......だと......?」 「そのとおり! 君としては身に覚えのない話かもしれないが、君の父上がいけないのだよ!」 黙ったままのフーケに代わり、クロムウェルが嬉々として語る。 「話の発端は、君の叔父上......モード大公がしでかした不始末なのだ。なんとモード大公は、あの忌まわしきエルフを愛人とし、エルフとの間に娘までこしらえておったのだ!」 よほどエルフを嫌っているのだろう。クロムウェルの表情が、苦々しいものに変わった。 それに気づいて、わずかにフーケが眉をしかめる。 「もちろん王家にも秘密だったようだが、そのような大罪、いつまでも隠しとおせるはずもない! 始祖ブリミルがお許しにならない! ある日ようやく真相を知ったアルビオン王は、モード大公を投獄し、忌まわしき母娘の行方を調べた。そして、ついに隠れ家を見つけた。残念ながら、娘の方には逃げられたそうだが......母エルフは、その場で処罰されたよ」 クロムウェルの顔が元に戻り、彼はフーケに笑みを向ける。 「ここにいるミス・サウスゴータは、元々アルビオンの出身でな。彼女の父親はサウスゴータの太守だったのだが、モード大公に従い、エルフ母子をその領地にかくまったばかりに......王命により、家を取り潰されてしまったのだ。......当然その憎悪の矛先は、アルビオン王家に向けられておる」 「......知らなかった......」 ハーフエルフの従妹の存在を告げられ、ウェールズは考えこむ。 一方、フーケは呪文を唱え、杖を構えたまま、硬直していた。 いざとなると躊躇してしまう。 いや、それだけではない。 たった今、クロムウェルの口から、復習のように過去を聞かされて......。彼女は彼女で、考えこんでいたのだ。 そして。 ウェールズが顔を上げる。 「......ならば......もし父上と私が死んでも、アルビオン王家の血は、まだ途絶えないのだな......」 厳密に言えば、トリステインのアンリエッタ王女も、アルビオン王家の血を引いている。だが彼女はトリステイン王家の人間であり、ウェールズは、彼女をアルビオン王家にカウントしていなかった。 「......では、私たちの死後、ぜひ彼女を......そのハーフエルフの従妹を、王位に就けてくれ!」 「......うっ......!」 フーケが声を詰まらせる。 だが。 「何を馬鹿なことを! エルフの血が混じった者を、余は貴族とは認めぬ! 余だけではない! 誰も認めるはずあるまい!?」 クロムウェルが、大声で怒鳴った。 「そもそも! アルビオン王家は滅亡するのだ! そして余が......神聖アルビオン共和国の皇帝となるのだ!」 玉座から立ち上がり、ガバッと両手を広げるクロムウェル。 そして、この時。 彼の胸を......『土弾(ブレッド)』が貫いた! ######################## 胸に大穴を開けて、崩れ落ちるクロムウェル。 やったのはフーケである。 「ここにきて......裏切るというのか!?」 「悪いね。私にとっちゃ一番大事なのは、あの子の身だからね。......過去の復讐より、これからの未来を優先させただけさ」 叫ぶワルドに、軽い口調で、しかし冷静に返すフーケ。 ......『あの子』とは、彼女が面倒を見ているハーフエルフ、ウェールズの従妹ティファニアのことである。 エルフに対する嫌悪感むき出しでしゃべるクロムウェルを見て、フーケは悟ったのであった。こいつに従っていてはティファニアが危険だ、と。 アルビオンの全ての貴族を......系図、紋章、土地の所有権など全てを、クロムウェルは、管区を預かる司教時代に諳んじていた。ある意味、事情を知り過ぎた男。 それに、こんなところでペラペラしゃべる小悪党など、とても信用できない! むしろ、もしもの場合ティファニアを王位に、と言い出したウェールズの方がマシである。 「馬鹿な! ここから逃げられるとでも思っているのか!?」 ワルドがフーケに杖を向ける。 この謁見の間だけでなく、外にはレコンキスタの大軍がいるのだ。入ってくる時に容易だったのは、あくまでも打ち合わせの上。実際には、いたるところに精鋭が隠れていた。 「......逃げる気なんてないさ。あんたたちもろとも......」 「いいえ! 希望を捨てないで下さい!」 叫ぶレックス。 事態が急転したこの時が、唯一にして最大のチャンス。 彼は、そう察していた。 「ルイズさん! 今こそ『始祖の祈祷書』を!」 ######################## ......それは、トリスタニアの王宮での話。ルイズとレックスの二人が、アンリエッタの居室を出ようとした時のことだった。 「そうそう、忘れていました。あなたには、これも預けておかなければ......」 「姫さま?」 大使の身分を保証するための水のルビーも、ウェールズへの親書も、すでにルイズは渡されていた。 そして最後の最後に、アンリエッタ王女から手渡されたものが......。 「あなたが本当に、伝説の虚無に目覚めたのであれば......これは、あなたが持つべきでしょう。きっと困った時に、この本が虚無魔法を教えてくれるはずです」 「......これが?」 トリステイン王家に伝わる秘宝、『始祖の祈祷書』だった。 ######################## 「何っ!? ......『始祖の祈祷書』だと!?」 レックスの言葉に、ワルドがガバッと振り返る。 ワルドは知らなかったのだ。『始祖の祈祷書』を、ルイズが所持しているとは。 トリスタニアの王宮では、ワルドは、出発の準備のために一足早く部屋から去っていたから。 「ええいっ、こうなればやむを得ぬ!」 ワルドの意を組んで、四人の『偏在』が魔法を放つ。 ルイズとその隣に立つレックスを目がけて。 しかし。 「聖魔霊皇壁(ヴァ・ゼ・ム・ドゥラ)!」 レックスの作った魔力の壁が、凶悪な『風』を弾き散らす。 「は......跳ね返した......!?」 動揺するワルド。 ワルドは知らなかったのだ。このような強力な防御魔法を、レックスが使えるとは。 今回の旅では、レックスは、それを必要としていなかったから。そこまでの強敵とは出会っていなかったから。 ......そして、この間に。 ルイズは『始祖の祈祷書』を開いていた。彼女の指に嵌められていた水のルビーが、光を発する。 「......!」 ページに浮かび上がるルーン文字。 今の彼女に必要な虚無魔法を、『始祖の祈祷書』が、教えようとしているのだ。 ルイズは、朗々と呪文を詠み上げ始める。 異変に気づいたワルドが、『エア・ニードル』で杖を青白く光らせ、駆け出した。自らルイズを貫くつもりだ。 だが、すぐに彼は転んでしまう。 床から伸びた土の手が、彼の足首をガッシと掴んでいたからだ。フーケの『アース・ハンド』である。 「貴様っ!」 「おっと!」 ワルドが刃と化した杖を振るうが、フーケには届かない。 彼女は身軽に跳んで、倒れているウェールズを抱きかかえると、ルイズたちの方へと走る。 現状ではルイズとレックスこそが味方であり、しかもレックスが防御魔法を駆使している以上、一カ所にかたまるのが得策、とフーケは判断していた。 「ちっ!」 ワルドの分身たちの攻撃は、相変わらずレックスに弾かれている。 そして。 ついにルイズの魔法が......彼女の初めての虚無魔法が完成する。 「みんな! 私につかまって!」 杖を振り下ろすルイズ。 一瞬の後。 謁見の間から、四人の姿は消えていた。 ######################## 「......消えた......だと......!?」 茫然とするワルド。 発動したルイズの魔法は、ルイズとレックスとフーケとウェールズの四人を、瞬時にどこかへ運び去っていた。 謁見の間に残されたのは......。 ワルドとワルドの『偏在』たち、そして黒衣の女性と......もはや物言わぬ死体となったクロムウェルのみ。 しばし立ちすくむワルドであったが、突然、彼の耳に黒衣の女性の声が聞こえてくる。 「......見たこともない怪物......? ......竜のような......人間のような......新たな敵......ですか......?」 彼女は、まるで電波でも受信しているかのような表情で、何やらブツブツつぶやいていたのだ。 ワルドの視線に気づいたのか、彼女は彼に向かって、 「申し訳ありませんが、この辺で、私は帰らせてもらいましょう」 「......何っ!?」 「クロムウェル亡き今......もうアルビオンに用はありませぬ」 「......クロムウェルなど、しょせん傀儡だったということか......?」 「ええ。今度は、あなたを代わりに仕立て上げてもよかったのですが......」 一応の事情説明はしてくれているが、かなり早口である。彼女は焦っているのではないか、とワルドは感じていた。 「......どうやら、こんなところで遊んでいられる状況でもなくなった模様。私は、ジョゼフ様のおそばに戻らなくては......」 そして彼女は、懐から何やら怪しい道具を取り出し......。 ピカッと光ったかと思うと、煙のように消えてしまった。 「......ジョゼフ様......だと......? まさか、奴の本当のあるじは......!?」 つぶやくことしかできない、ワルドであった。 ######################## 虚無の魔法の一つ、『瞬間移動(テレポート)』。 初めて成功した魔法がこれであったことは、ルイズに幸いした。今までまともに呪文を唱えられなかったルイズは、精神力が溜まりに溜まっており、それを一気に消費することで、なんと一気にトリスタニアの王宮まで『瞬間移動』してしまったのだ。 王宮の中庭に四人が突然出現したことで、警備の魔法衛士隊の隊員たちは色めき立った。だが彼らの中にはウェールズ皇太子の顔を知っている者もおり、ただちに四人は、アンリエッタ王女のもとへと案内される。 「......ウェールズさま......」 喜びの涙を流すアンリエッタを見て、レックスは思った。これこそ、幸せを絵に描いたような表情だ、と......。 手紙を取り戻してきたばかりでなく、ウェールズ本人まで連れてきたのだ。任務は大成功であった。 ただし、良い報告ばかりではない。 「......して、ワルド子爵は? 姿が見えませんが」 「ワルドは裏切り者だったんです。姫さま」 「裏切り者?」 喜びに浮かれていたアンリエッタの顔にも、さすがに陰がさした。 「あの子爵が裏切り者だったなんて......まさか、魔法衛士隊に裏切り者がいるなんて......」 何か否定するかのように、首を左右に振り、続いてアンリエッタは、フーケに視線を向ける。 「......して、こちらの女性は?」 答に詰まるルイズたち。 「私は......」 「協力者だ」 正直に告げようとしたフーケを遮り、ウェールズが言った。 ......なるほど。敵であったことは水に流す、というわけか......。 皇太子がそう判断するのであれば、それが一番だろう、とレックスも思う。 「......アルビオンへと派遣されるルイズさんの身を心配して、秘かにオスマン学院長が、レコンキスタに忍び込ませていた間諜です」 機転を利かせて、ウェールズの言葉をフォローするレックス。 王女の前ということで、フーケは今フードを下ろしており、その顔もハッキリ見える。だから、彼女が魔法学院の秘書ミス・ロングビルであることに、レックスは既に気づいていたのだ。 「まあ!」 なんとも無理のある話だが、世間知らずのお姫さまは、素直に信じてしまう。 だいたい、ルイズたちのアルビオン行きを、オールド・オスマンが事前に知っていたはずもないのだが......。 ともかく、それで話が通ってしまったので。 フーケは秘書ミス・ロングビルとして、魔法学院に復帰することになった。 ルイズたちは口裏を合わせ、オールド・オスマンに対しては「姫さまの御命令でミス・ロングビルはアルビオンに派遣されていた」と説明。 なぜ彼女が、という疑問に対しても「実は彼女は王家ともコネがある凄いメイジ」と返しておいた。......まあ、これは完全な嘘ではない。王家は王家でも、本当は、アルビオン王弟の忠臣の娘なわけだが。 ######################## こうして。 このたびの事件は、無事に終了した。 トリステインに来てしまったウェールズ皇太子の処遇をどうするか、トリステインは予定どおりゲルマニアと同盟を結ぶのか、総司令官を失ったレコンキスタが今後どう動くか、などなど、まだまだ問題は山積みであるが、それらは政治レベルの話。一介の学生であるルイズや、その使い魔であるレックスの関わるべきことではない。......レックスは、そう考えていた。 噂によれば。 最終決戦の最中、クロムウェルの訃報が流れたため、反乱軍レコンキスタ側の士気はガタ落ち。数に勝るレコンキスタも、ニューカッスルの城を攻め落とすことは不可能となり、一次撤退を余儀なくされた。その結果、アルビオン王家とレコンキスタとの争いは継続中である、という。 ......だが、それも遠いアルビオン大陸、文字どおり、雲の上の話だ。魔法学院に戻ったレックスたちには、もはや関係ないのだ......。 しかし。 虚無に覚醒したルイズと、その使い魔レックス。彼らの平穏な日々は、長くは続かない。 「助けて! ルイズ!」 ある日。 部屋でくつろいでいたルイズとレックスのところに、一人の少女が駆け込んできた。 ルイズは、冷たい視線で出迎える。 「あら? ツェルプストーの女が、この私に何の用かしら?」 レックスも、来客へと目を向けた。 髪は燃えるように赤く、彫りが深い顔に、突き出たバストが艶かしい。一番上と二番目のブラウスのボタンを外し、胸元を覗かせており、褐色の肌が健康的な色気を振りまいている。 彼女の名前は、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。 ルイズの隣の部屋で暮らす少女であるが、二人は頻繁に口喧嘩しているので、あまり仲は良くないようだ。そんなキュルケが何をしに来たのだろう、とレックスも不思議に思った。 「そういう嫌味は後回しよ! とにかく時間をあまり無駄にしたくないの!」 「......よっぽど急いでいるようね? なんだか知らないけど......でも私に頼むなんてどういうこと......?」 首を傾げるルイズに、キュルケは、すがるように、 「だって、あなたたち、レコンキスタを倒してきたんでしょ!? だからお願い、今度はガリアを倒して!」 「はあ!?」 ルイズとレックスの声がハモッた。 数日学院を留守にしている間にルイズとレックスが、なにかとんでもない手柄を立てたらしい......という噂は、すでに学院中に広まっている。噂というものは時には真実を突くものでもあり、アルビオンでのゴタゴタに関わる話だ、という話まで出回っていた。 だから今さら『レコンキスタを倒してきた』と言われても驚きはしないし、ハイそうですか、と流せるくらいなのだが......。 さすがに『ガリアを倒せ』は、初めてである。 「タバサが行方不明になっちゃったの!」 別の学友の名前を挙げるキュルケ。 タバサは、青みがかった髪とブルーの瞳を持つ、小柄な眼鏡っこ。無口無表情な少女で、いつも本を読んでいるのだが、なぜかキュルケとは親しいらしい。......それがレックスの認識であった。 「たぶん、ガリア王家にさらわれたんだわ!」 キュルケは、大げさに騒ぎ立てる。 しかしこの時、キュルケは知らなかったのだ。 そのガリア王家のトップ......国王ジョゼフこそが今、敵に捕えられているのだ、ということを。 (第四話「大国ガリアの囚われ人(プリズナー)」へ続く) |
「......『お熱』のキュルケ......ついにあんた、頭まで湯だって、おかしくなっちゃったの?」 「微熱よ。び・ね・つ。あなたって、記憶力までゼロなのね。......って冗談言ってる場合じゃないのよ!」 条件反射のように、ルイズに対する最大の侮蔑『ゼロ』を口するキュルケ。頼みに来たというのに、その態度はいかんだろう、とレックスは思う。 「冗談言ってんのは、あんたの方じゃないの。なんでタバサがガリア王家にさらわれなきゃなんないのよ?」 「だって......」 キュルケは考えこむように俯いた後、すぐに顔を上げて、額に手を置いた。 「......あなたたちに協力してもらう以上は、話さないといけないわよね。あの子がガリア人ということは知ってる?」 「外国からの留学生だってことくらい、私も知ってるわ。あと『タバサ』っていう、いかにもな偽名から考えて、何やら複雑な事情がありそうだ、ってことも」 ルイズも真面目に対応し始めたらしい。とりあえずレックスは口を挟まずに、二人の少女の会話に耳を傾ける。 「ただの貴族じゃないのよ。あの子は、ガリアの王族なの」 「王族ですって?」 「そうよ」 キュルケが説明する。タバサがこのトリステイン魔法学院に留学してきた哀しいいきさつを......。 現国王の弟であったオルレアン公がタバサの父親であること。彼は現国王派に殺されたこと。さらにタバサの母親は、タバサをかばって毒をあおぎ、心を病んでしまったこと。そしてタバサは、厄介払いのようにトリステインに留学させられたこと......。 「そんな仕打ちをしておきながらガリア王家は、面倒な事件が起こると、あの子に押しつけるのよ」 タバサはガリアの北花壇騎士として、汚れ仕事を色々やらされているらしい。 「そういえば......タバサって、時々学院からいなくなってたわね」 今までルイズは特に気にしていなかったが、言われてみれば、タバサは真面目な生徒のくせに度々授業をサボっていた。 「それじゃ、また王家からの呼び出しで、その北花壇騎士とやらの仕事やってんじゃないの?」 「それが今回は違うのよ!」 「なんでそう言い切れるの?」 「だってタバサの使い魔が言うんですもの!」 キュルケは、窓の外を指し示す。 ルイズとレックスが、そちらへ目を向ければ......。 タバサの使い魔である風竜が、哀しげな雰囲気を纏って、空に浮かんでいた。 ######################## ######################## その頃......。 「......」 目を覚ましたタバサは、周囲を見回した。まず状況確認をするというのが、北花壇騎士タバサとしては、基本中の基本なのだ。 そこは、まるで夢の国であった。広い寝室の真ん中に置かれた天蓋つきのベッドに横たわり、公女時代にさえ袖を通したことのないような豪華な寝間着に身を包んでいる。 ベッドの隣の小机には、宝石を散りばめた眼鏡立てが置いてあり、彼女の眼鏡が立てかけられていた。 「......」 それをかけ、体を改める。どこにも異常は感じられない。たしか自分は、ガリア王ジョゼフに呼び出され、拝謁した途端に電撃を浴びせられ、失神したはずだったが......。 「目覚めたか?」 声のするほうに顔を向けると、ジョゼフがいた。部屋の入り口付近に置かれたソファに座り、本を読んでいる。 「......!」 咄嗟に杖を探すが、どこにも見当たらない。こうなっては戦うことも出来ない。タバサはゆっくりとベッドから下りた。 そんなタバサに、ジョゼフは笑顔を向ける。 「慌てるな。俺は本物だ」 「......本物?」 聞き返すと同時に、タバサは理解した。タバサが謁見したガリア王は、偽物だったのだ。考えてみれば、本物の『無能王』ジョゼフが、電撃魔法など使えるわけがない。 わかった、という意味でコクリと頷いてから、タバサはあらためて尋ねる。 「ここはどこ?」 「アーハンブラ城だ。俺とお前のために用意された牢獄だよ」 博識なタバサは、その城の名を知っていた。エルフの土地である『サハラ』との国境近くにある、ガリアの古城。意識を失っている間に、ここまで運び込まれたのだ。 「......二人の牢獄?」 「そうだ。お前の母親や俺の娘は、たぶん別の牢屋に囚われているのだろう。人質として。......もっとも、俺にとってイザベラなどそんな価値もないのだが......」 「......」 「ついでに言っておくと、お前を着替えさせたのは俺ではないぞ。俺たちの世話をするための女も送りこまれていてな。そいつがやったんだ」 その時。 まるで部屋の様子を覗いていたかのように、タイミングよく扉が開き、一人の少女が入ってきた。 年の頃は十五ほど。白い巫女服に身を包んだその姿は、まるで寺院の助祭である。タバサとジョゼフの視線にさらされ、少女は身をすくめた。 「......誰?」 タバサの問いかけに、少女は震える声で答える。 「あ、あの......。ミケラと申します。実はその、あなたがたの協力がほしくて、主人に遣わされたのです」 「......協力?」 「い、いえ、詳しい話は後日、わが主が直接お話しいたしますので......。とりあえず、今しばらく、ここでお休み頂ければ......。あ、あの......。何かありましたら、遠慮なくお申し付け下さい」 「......特にない。今は」 「わかりました。では、また後ほど......」 タバサの目覚めを確認するだけだったのだろう。ミケラと名乗る少女は、再び部屋から出て行く。去り際、ミケラは頭を下げたまま、タバサに告げた。 「我が主が乱暴なことをして、どうもすみません」 彼女は『我が主』と口にする際、とても複雑な表情をしていた。それについてタバサが追求する間もなく、ミケラは退室していた。 「何?」 しかたなく、ジョゼフに尋ねるタバサ。抽象的な質問に、ジョゼフは苦笑を浮かべつつ、 「何を聞きたいのかは知らんが......。たぶんお前は、あいつの主人とやらに痛めつけられたのだろうな。俺もそうだった。凄いぞ、あいつの主人というのは。何しろ......」 そしてジョゼフは語り出す。 ミケラの主人が、いかにしてジョゼフを捕えたのか、という話を......。 ######################## ガリアの王都リュティスに巨大な敷地を誇るヴェルサルテイル宮殿。その一画にある迎賓館の晩餐会室で、二人の男が顔をあわせていた。 「おはよう。ヴィットーリオ殿」 「ごきげんよう。ジョゼフ殿」 長いテーブルを挟んで対峙するのは、ガリア王ジョゼフと、ロマリア教皇ヴィットーリオ。それぞれ歴史ある大国の王であるが、それにしては、殺風景な光景だった。 テーブルの上には料理の一つも用意されていない。召使いも、侍従も、衛兵すらいなかった。 ジョゼフの後ろには一人だけ、長身の男が付き従っているが、ヴィットーリオは警護一人伴わずに、単身で乗り込んで来ている。 「おしのびで内密の相談......と聞いていたので、もてなしは何も用意していないぞ」 「結構です。どうせ私の口には合わないでしょうから」 「ほう? ガリアの料理は美味で有名なのだが......。まあ、いい。それで今日は、いったい何の御用件かな?」 「単刀直入に申し上げましょう。この国を......ガリアを頂きたい」 あまりにも率直な物言いに、ジョゼフは目を丸くする。 「驚いたな。ヴィットーリオ殿。聡明なあなたが、そのような冗談を口にするとは! あなたは大した喜劇役者だ! 見損なっていたよ!」 「お褒めいただき恐縮ですが、これは冗談ではありません」 「わかっている。わかっているぞ! ロマリアの教皇殿は最近まるで人が変わったようだ、という噂は聞いていたが......。いやはや、本当に別人ではないか!」 ジョゼフは笑みを浮かべた。彼の言葉の真意に、ヴィットーリオも気づく。 「なるほど。それで『役者』と言ったわけですか。ならば話は早い。私の申し出を拒絶すれば、どうなるか......。おわかりでしょう?」 「うむ。だが話を続けたいというのであれば......。余に偽りを見せ続けるのは、失礼ではないかね?」 ジョゼフの言葉に頷いて。 ヴィットーリオが、身に纏っていた幻を解く。 「それが......現在の教皇殿の、真の姿というわけか。これは面白い!」 パッと見では、竜の鎧で全身を覆い、背中に大きな盾のようなものを背負った人間にしか見えない。しかしよく見れば、竜をかたどった鎧ではなく、それこそが素顔であり、背中に広がるそれも盾ではなく、一対の翼......。 「人間よ。ひとつ教えてやろう。お前たちの魔法など、私には通じん。命が惜しければ、おとなしく私に従え」 もはや『ヴィットーリオ』を演じる必要もなくなり、口調もガラリと変わっていた。白い竜の化け物は、高圧的に命令する。 だがジョゼフは、まったく臆した様子もない。むしろ事態の推移を面白がるかのように、微笑んでさえいた。 ジョゼフは、後ろの男に声をかける。 「なあ、ビダーシャル卿。この竜のような化け物は、お前たちの仲間か?」 「失礼な。我らの同族にも、『大いなる意志』を共に仰ぐ仲間にも、このような者はいない。おおかた、お前たち悪魔が呼び出した怪物なのではないか?」 言いながら、後ろの男が一歩前に出る。帽子の隙間からはみ出た長髪が、フワリと揺れた。 彼はつばの広い、羽のついた異国風の帽子を被っていたが、それを脱いでみせる。金色の髪の間から、長い尖った耳が突き出ていた。 「......ほう。私の同族ではないが、お前も普通の人間とは違うようだな?」 「私は『ネフテス』のビダーシャルだ。出会いに感謝を。......と言うのが、私たちエルフの作法でね」 「なるほど。ロマリアの連中が言っていたエルフが、こんなところにもいたのか。ならば私も名乗っておこう。竜人(ギオラム)の魔道神官......ベヅァーだ」 「ギオラム......という種族なのか? 新たな種族だな。これも悪魔が招いた『大いなる災厄』の一つかもしれぬ。ならばベヅァー、お前に告ぐ」 ハルケギニアの人々の間では恐れられているエルフ。その穏やかな声の中には、無限の迫力があった。だが竜人(ギオラム)のベヅァーには通じない。 「なんだ?」 「去れ。我は戦いを好まぬ」 「だったら、このガリアという国を渡したまえ」 「それは無理だ。蛮人の世界の理には疎い私にも、お前の要求が通らぬことくらい理解できる」 「ならば力ずくで頂くことになるが......」 ベヅァーがジョゼフを一瞥する。悠然としたジョゼフに代わり、ビダーシャルが首を横に振った。 「それは困る。我はこの男をここで守るという約束をしてしまった。この男を害するというのであれば、全力で防がねばならぬ」 「......面白い......ならばやってみるがいいっ!」 言い捨てて、呪文を唱え始めるベヅァー。 ジョゼフが椅子ごと後ろに下がり、ビダーシャルも立ち位置を変え、ジョゼフを後ろ手にかばう。 るぐぉぅっ! 呪文とも、叫びともつかぬ声と共に、ベヅァーは左手を、二人に向かって突き出した。 後ろにジョゼフがいるせいか、あるいは別の理由か。ビダーシャルは、逃げようとはしない。 「『大いなる意志』よ......。このような下らぬ者を守るために『精霊の力』を行使することを赦し給え......」 がづんっ! にぶく硬い音を響かせ、まともに吹っ飛び、倒れ伏したのは......ビダーシャルではなくベヅァーの方だった。 白い竜人(ギオラム)は、起き上がりながら不敵に笑う。 「ずいぶんと強力な魔力障壁だな。私の魔力を全て跳ね返すとは......」 「『反射(カウンター)』という先住魔法だそうだ。あらゆる攻撃、魔法を跳ね返すらしい。戦いが嫌いなビダーシャル卿には、なんともお似合いな魔法ではないか!」 後ろで面白そうに解説するジョゼフを、ビダーシャルはチラリと振り返って、 「......お前はどちらの味方なのだ? わざわざ敵に教えてやることもなかろうに。いったい誰のために戦っているのか、わかっているのか?」 「よいではないか。ただ見ているだけでは、余は退屈なのだ。......それに、どうせ知ったところで、お前の『反射(カウンター)』は破れんのだろう?」 「......人間め。ずいぶんと余裕だな......」 小さくつぶやいてから、ベヅァーは再び、ヴァンッと吠えた。 するとジョゼフの体が大きく震えて、それから硬直してしまう。 さすがにビダーシャルの表情が変わった。 「なっ!? 私を通り越して......!?」 「そう驚くでない。エルフよ。金縛りの術なら、対象に直接かけるもの。その前に魔力障壁を持つお前が立っていようと、関係はない。......もっとも、お前の障壁が後ろの男までカバーしておれば、結果は違っただろうがな。今さら範囲を広げても、もう遅いぞ?」 ジョゼフがビダーシャルの解説をしてしまったように、ベヅァーも喋り過ぎだった。単なる金縛りであるならば、術者を倒せばよいだけの話! ビダーシャルが攻撃に転じる。彼は両手を振り上げた。 「石に潜む精霊の力よ。我は古き盟約に基づき命令する。礫となりて我に仇なす敵を討て」 部屋の中央に置かれた石造りのテーブルが持ち上がる。それは宙で爆発して、ベヅァーに襲いかかった。 しかし。 「ばかなっ!」 驚愕の声を上げるビダーシャル。 ぶっ放した散弾のように襲いかかる無数の石礫は、一つもベヅァーに届かないのだ。ベヅァーに触れるその直前、すべて弾き散らされてしまう。 「私の魔力障壁は、お前の障壁のような凄まじい『反射』能力こそ持たぬが......これでも十分であろう?」 余裕の笑みを見せるベヅァー。まだ石礫の散弾は続いているが、相変わらず弾き散らされ......。 いや。 相変わらず、ではない。 石礫を弾く障壁の位置が、少しずつ移動していた。ベヅァーの直前から、もっとビダーシャル自身に近い位置へと......。 「まさか!?」 「気づいたようだな。後学のために、ひとつ伝授してやろう。魔力障壁とは......こう使うのだ!」 ベヅァーが語る間にも、魔力障壁は、ビダーシャルへと迫りつつあった。『反射(カウンター)』に守られているとはいえ、このままにはしておけない。 竜神(ギオラム)の魔力障壁を回り込んで攻撃するため、ビダーシャルは左へ跳んだ。 しかし。 ばぢっ! 二種類の魔法の壁が、ぶつかりあう。 いつのまにかビダーシャルのすぐ左にも、ベヅァーの魔力障壁が張られていたのだ。 「言っただろう? 魔力障壁とはこう使うのだ、と」 左側だけではない。前後左右、上も下も......。 ビダーシャルの『反射(カウンター)』をさらに外から覆う形で、彼は、完全に包囲されていた。 「エルフよ。私にはお前の魔力障壁は破れぬ。だからお前を、私の魔力の『檻』に閉じ込めることにした」 ならば『檻』の外から攻撃すればよい! 「石に潜む精霊の力よ。我は......」 「......無駄だ!」 ベヅァーが吠え、瞬間、雷撃が部屋中を荒れ狂う。石礫の素材になりそうな調度品が、次々と壊されてゆく。 もちろん、ビダーシャルはベヅァーの魔力障壁に守られているため、彼の体に被害はない。 だが彼は見てしまった。ベヅァー自身も、ビダーシャルを囲うものとはまた別の魔力障壁に守られている、ということを。 ......これでは互いに攻撃できない......。 そして。 こうした状況の中、部屋には一人、魔力障壁に守られていない男がいた。 「......うぅ......」 「どうかな? 私の雷は? もう金縛りは解いてやったから、喋れるはずだが?」 雷に全身を貫かれたジョゼフが、声すら出せぬ悲鳴を上げて、のたうち、床に這っていた。 「範囲は広いが、お前への効き目は弱くしておいた。生きてるんだろう? ......そろそろ、この国を私にくれる気になったかね?」 ベヅァーは、ゆっくりとジョゼフのもとへ歩み寄り、腰を屈めた。ジョゼフが何やらボソボソ小声でつぶやいているので、彼の口元に耳を近づけたのだが......。 「......余のミューズよ......もうアルビオンなど放って、戻ってこい......。竜のような......人間のような......新たな敵が現れたのだ......」 ジョゼフが口にしていたのは、どこか遠くにいる部下への言葉だった。 「ほぅ......この期に及んで、まだ私を無視するというのか......。愚かな人間め!」 再びベヅァーの雷撃がジョゼフを襲う。 ジョゼフの意識は暗転した。 ######################## 「......そして気づいた時には、この城に幽閉されていたというわけだ」 「つまり、あなたは負けた」 「そうだ。あのエルフにすっかり任せていたのでな。こんなことなら、俺自身が魔法を使って、相手してやるべきだったよ」 普通ならば負け惜しみでしかないセリフだが、喜々として語るジョゼフを見ていると、案外本心なのかもしれない、とタバサは思った。 しかし『無能王』とも呼ばれるジョゼフは魔法が苦手であり、エルフですらかなわぬ化け物相手に戦えるはずがないのだが......。もしかするとジョゼフには秘めた力があるのだろうか? 色々と考えながらも、タバサは表情を変えずに、ただ黙ってジョゼフを見つめていた。そんな少女の内心を知ってか知らずか、ジョゼフは話を続けている。 「......ビダーシャルがどうなったのか、俺は知らん。あとからミューズも来たかもしれんが、おそらく敗北したであろうな。そして、ヴィットーリオに化けていたあのベヅァーという奴......。あいつは今、俺に化けてガリアの玉座に座っているのだ!」 そうだ。タバサに電撃を浴びせた偽ジョゼフこそが、そのベヅァーというギオラムなのだ。 「だが、いくら奴が不思議な術を使う竜のメイジだとしても、一人で同時に二国の王を演じ続けるのは不可能であろう。おおかた『協力』というのは、奴の傀儡になれ、ということではないかな」 ジョゼフの言葉に、タバサは頷き、同意を示す。だがジョゼフが簡単に言うことをきかないことくらい、ベヅァーにもわかっているはず。ならば......。 「そうだ。俺がダメなら、お前を新王に即位させて傀儡政権にする、というわけだ」 まるでタバサの思考を読んだかのように、はっきりと言葉に出すジョゼフ。彼はさらに、 「シャルロット。お前はどうするかね? 母親を人質にされ、傀儡の王になれと言われたら?」 タバサは何も言えなかった。 そもそも今までだって、タバサの母親は人質だったのだ。父の仇であるガリア王家に従ってきたのは、母親の身柄を押さえられていたからだ。 だからこそ、タバサは、憎い仇たちの言いなりになってきたのだ。 ならば、これからは......。 ######################## 気がつくと、そこはいきなり王城だった。 といっても、本国のマジュラ城ではない。結界の中に作られた城......白輝帝(ライラ・ギオラム)の居城である。 「......なっ!?」 思わず顔を引きつらせ、ベヅァーは辺りを見回した。 小さな窓の、石造りの部屋。 壁にかかったタペストリ。 そして彼の立つところには......床に描かれた魔法円。 「なんたることっ! 私が人間ごときにまんまとしてやられるとはっ!」 彼はその場で法冠を脱ぎ捨て、床に叩きつけた。 部屋の隅にいた竜人(ギオラム)兵が、不審げな顔で彼を眺めている。ベヅァーは、そんな兵たちを見ようともせず、 「まさかっ! まさかあんな手段に出るとはっ! 戦って破れるのならばまだしも、まさか......! えぇいっ! 思い出しても腹の立つっ!」 竜人(ギオラム)の国々の一つヅェムド王国が、人間の小国の王城を占拠し、そこを拠点に町と結界塔とを建造したのは、一種の実験である。領土拡大と結界術の実用実験であり、また、ちゃんと竜人(ギオラム)が結界内で生活していけるかどうか、の実験も兼ねていた。 この結界を張るには四つの塔が必要であり、そのうちの一つを任されていた術者が......魔道神官ベヅァー。 しかし彼の塔に、人間が攻め込んできた。彼のいる最上階まで。 ベヅァーは竜人(ギオラム)の中でも高位の魔道士であり、もちろん人間など彼の敵ではなかった。攻め込んで来た人間どもを打ち倒し、その中から誰か一人を、情報収集のために連れていこうと物色していた時......。 入ってきたのだ。あの人間の小娘が。たいした武器も持たずに、まるで迷いこんできたかのように。そして転移の宝珠(オーブ)を作動させて、彼を強制的に脱出させてしまったのだ! 「......あの......」 絶叫するようにわめくベヅァーに、竜人(ギオラム)兵が声をかける。 「もしかして......白翼の塔のベヅァー様では......?」 「そのとおりだっ!」 ベヅァーは半ば自棄気味に叫ぶが、義務を怠ることはしなかった。 「白輝帝(ライラ・ギオラム)に取り次ぎを頼む。白翼の塔のベヅァーが参った、と。それと......白翼の塔が、人間どもに陥とされた、と......」 「ほぉう。塔が陥落したのか。しかも塔の警護を担当していたファーダルグ将軍まで戦死......つまりベヅァー殿だけが逃げ帰ってきたわけだな」 応えたのは、白輝帝(ライラ・ギオラム)の声だった。 いつのまにか場所は、城の謁見の間へと変わっていた。しかしベヅァーは、それをいぶかしみもせずに上告する。 「私に軍をお貸しください! 必ずや塔を再び奪い返し、人間どもを根絶やしにしてみせます!」 「ベヅァー殿は何か勘違いしていないか? ここは、あくまでも結界の実験のための場所。この城を潰したのも、ただ、人間たちの組織だった反抗を避けるために過ぎない。いかに、相手がたかが人間といっても、全面戦争をやれるだけの戦力はない」 「ならば本国に増援を求められればよいでしょう!」 「......ベヅァー殿......確かに、本国に増援を求めるのはたやすい。しかしあちらとて、王国の領土を狙う国はある。人間ではなく、竜人(ギオラム)の......な」 あまり兵を空ければ、そこを突く国も出てくるかもしれない。そのような危険を冒してまで、本国が実験地域に増援を送ってくれるはずもないのだ。 「それにもし。いくらかの増援が来たとしても、人間どもの根絶やし、などは無理な相談。こちらがそのつもりでかかれば、人間たちとて、必死になって抵抗してこよう。となればこちらにも、甚大な被害が出よう。なにしろ人間どもは、ベヅァー殿の白翼の塔でさえ陥としたくらいだからな」 最後の言葉は、ベヅァーに対する皮肉だった。 白輝帝(ライラ・ギオラム)だけではない。いならぶ高官たちの顔にも、守るべき塔を失ったベヅァーに対する嘲笑が、はっきりと浮かんでいた。 笑っていたのだ。その場に揃った全員が。 ......まあ、お前はしょせんその程度だと思っていたよ......。 笑みは、そう語っていた。 屈辱と怒りとで、ベヅァーの全身が震える。 そして露骨な笑い声がわき起こり、その中に一つの耳障りな笑いを聞きつけ、ベヅァーは首を巡らせた。 そこに......。 一人の人間がいた。 竜人(ギオラム)のベヅァーに、人間の顔の判別などつかない。 それでも彼にはわかった。その人間が誰なのか。 特徴的な桃色の髪を持つ、人間の小娘。ベヅァーにまんまと一杯くわせた、あの『ルイズ』とか名乗る小娘である。 あからさまな嘲笑を浴びせかける少女に向かって、ベヅァーは炎を放った。 「きさまぁっ!」 ######################## 自分自身が発した叫び声で、ベヅァーは悪夢から覚めた。 ......夜。 新たに占拠した人間の城の、王の寝所。人間が使うベッドの上で、竜人(ギオラム)が眠る姿勢でうずくまりながら、ベヅァーは深く息をついた。 しかしまだ、怒りに動悸が収まらない。 あれから......。 彼のいた結界の塔が陥落してから、そしてこの世界にやってきてから、かなりの日が経っていた。 あの日以来、ベヅァーは頻繁に同じ夢を見るようになった。 むろん夢は夢。現実には......ベヅァーは、白輝帝(ライラ・ギオラム)の城には辿り着かなかったのだ。 人間の小娘『ルイズ』により、塔から強制脱出させられたところまでは事実。だが、転移させられた先は、なぜか異世界ハルケギニアだった。 たしかに転移の宝珠(オーブ)は、召喚の術でも用いられるもの。術者の能力次第では、別の世界の者を召喚することすら出来る。応用すれば、異世界への『道』を作ることは可能だろう。 しかし白翼の塔では、そのような術はかけていなかった。あくまでも城へ脱出するための宝珠(オーブ)だったのだ。 「どこだっ!? ここはっ!?」 転移直後の時点では、まだベヅァーは、自分が異世界に来てしまったことを知らない。驚き慌てるベヅァーの前には、一人の男が立っていた。 「これはこれは。人とも竜とも違うようですが......なんとも不思議な生き物を呼び出してしまったようですね」 髪の長い、一種異常なくらいの美しさを持つ男性だ。だが人間とは美的感覚の異なるベヅァーに、それはわからない。ただ男の言葉から、この男こそが召喚主なのだということは理解できた。 そして......。 人間に敗れたばかりのベヅァーにとって、そんな男は憎悪の対象でしかなかった。 「きさまかっ!? きさまが私を......ここに連れてきたのかっ!?」 「そうです。少々落ち着いていただきたい。今から説明しますので......」 「ふざけるなっ!」 男の言葉は、ベヅァーの怒りに火を注ぐだけだった。彼を無理矢理に塔から追い出した小娘と、彼を予定外の場所に出現させた男......。ベヅァーの頭の中で、二人を関連づけてしまうのも当然である。 きゅごぅっ! ベヅァーの解き放った炎の渦が、目の前の男を焼き尽くす。 一瞬の凶事。 その場には男を警護する騎士たちもいたのだが、皆、唖然とし、硬直してしまう。だが、すぐに我に返って、 「ああ!?」 「きょ、教皇聖下!?」 「きさま、よくも!」 もはや手遅れであるが、一斉に杖を引き抜き、ベヅァーに向ける。 竜人(ギオラム)が知るかぎり、そのような『杖』を武器とする人間は一人しかいなかった。桃色の髪を持つ、あの少女......。 「きさまら......やはり、あの小娘の仲間かぁっ!」 ベヅァーの怒りを象徴するかのように、雷撃が荒れ狂った。 強烈な雷に全身を貫かれ、黒コゲになった騎士たちが、バタバタと倒れていく。 ほどなく。 「あ......あわわ......」 その部屋で動く『人間』は、たった一人になった。 涙で顔を濡らし、腰を抜かして、部屋の隅にうずくまる少女。髪の色は桃色ではないし、ベヅァーに攻撃の意志を示すこともなかった。だから、ひとまずは助かったわけだが......。 「さて......」 射すくめられるようなベヅァーの視線にさらされ、少女は身をすくめた。 それでも。 「あ、あの......。あなたは何者なのでしょうか?」 体は正直に怯えていたが、口では冷静に質問し、勇気を示していた。 それを見て、ベヅァーも少しだけ落ち着きを取り戻す。とりあえず話が通じる者を相手にして、状況を知らねばならないのだ。 「聞きたいのはこちらの方だ。......ここはどこだ? お前は誰だ?」 「あ、あの......。ここはロマリアです。私はミケラと申します」 「ロマリア? 人間の国の名前か、あるいは地名か? 我々が占拠した城の連中の仲間ではないのか?」 「失礼ですが、あのその、あなたのような種族のかたは初めて見ましたし、そのような種族に占領された国というのも知りません。......もしかして遥か東方の話なのでしょうか?」 「竜人(ギオラム)を知らんとは......。我ら竜人族(ギオラム・バスカー)は、ずっと南の、暖かい地域に住んでいる種族だ」 「ずっと南......。では、海の向こうということでしょうか。初めて聞く話ですが......」 半ば現実逃避気味に、落ち着いた受け応えをするミケラ。 その後もこの調子で二人は会話を続け、やがてベヅァーは、自分が『使い魔』として召喚されたことを知る。 「この辺りでは、魔道士のことをメイジと呼ぶのか。しかも......『使い魔』だと!? この私を使役するだと!?」 「あ、あの......。でも、それがハルケギニアの常識ですから......」 微妙に噛み合ないまま続いた会話は、ミケラがロマリアの説明をするために地図を引っぱり出した時点で、ようやく一つの正解に辿り着く。 「では! ここは異世界だというのか!?」 「そう考えれば、色々と納得できます。ハルケギニアに『竜人(ギオラム)』なんて種族はおりませんから」 仕えていた主人を殺されたというのに、ミケラは、なぜか協力的だった。 ベヅァーとしては、人間どもなど皆殺しにしてしまいたいが、とりあえず異世界に来てしまった以上、人間の助けも必要。なにしろここは、竜人(ギオラム)が存在しない世界なのだ。いくらベヅァーが偉大な魔道士とはいえ、彼一人の力で元の世界に戻るのが不可能だということくらい、よくわかっていた。 だから。 ベヅァーはミケラのすすめに従って、彼が殺した『教皇聖下』に化けて暮らすことにした。 「あ、あの......。それは先住魔法の『変化』のようなものなのでしょうか? 顔だけではありませんから......『フェイス・チェンジ』とは違いますよね?」 「こちらの世界の魔法のことは知らん。それに、これは変身の魔法ではなく幻術だ」 ミケラや他の側近たちを恐怖で屈服させて。 ベヅァーの『教皇聖下』としての生活が始まった。 ほどなく彼は知ったのだが、ロマリアというのは、この世界の魔道に関して学ぶには、なかなか都合がよい国だった。神として崇められる偉大な魔法使い、始祖ブリミル......その直接の弟子が興した国なのだ。 他国への影響力も強く、そもそも本物の教皇は、ハルケギニア全土を巻き込む戦争を計画していたらしい。 「『聖戦』......?」 「あ、あの......。我が主は、伝説の力を集めて、エルフから『聖地』を取り返すつもりでおられたのです。異人たちに占領された『心の拠り所』を取り戻してこそ、ハルケギニアは初めて『統一』されるのだ、と......」 「この世界の統一......つまり世界征服か。なるほど、強欲な王だったのだな」 「違います!」 ミケラにしては珍しく、彼女は力強く反論した。 「けして私利私欲ではありません! そうしなければ......ハルケギニアが滅んでしまうからです!」 ハルケギニアの地下には、大量の『風石』が眠っており、もはや飽和状態となっている。かつてアルビオンが『大隆起』して浮遊大陸となったように、今度はハルケギニア全土に渡って約半分の土地が空に浮かび上がろうとしている......。 「それを食い止めるために、我が主は伝説の力『虚無』に目覚められたのです。伝説の力により『聖地』を取り戻すのです」 「だが......その『聖地』とやらも、一緒に浮かび上がってしまうのではないか?」 ベヅァーの問いかけに、ミケラは少し黙って、悩んだような表情を見せた後、再び口を開く。 「あなたさまには真実を伝えておきましょう。......『聖地』には巨大な魔法装置があり、『風石』に宿る精霊の力をも打ち消すことができる......。我が主は、人々にそう告げるつもりでおりました」 「......その言い方だと、それは嘘ということになるな。実際には『聖地』を取り戻しても問題など解決しない......と?」 「いえ、実は『聖地』には扉があるのです。エルフたちが『シャイターンの門』と呼ぶ......別の世界に通じる扉が」 「別の世界......か」 「そうです。それがあなたさまの世界かどうか、私にはわかりません。しかし......元の世界に戻るための手がかりにはなるでしょう」 ミケラの言葉に、ベヅァーは不気味な笑みを見せた。そもそも人間の目から見ると、竜人(ギオラム)の笑顔はとことんコワいのだが、今のベヅァーは幻術で『教皇』の姿になっているので、一応は人間らしい笑顔である。 「......なるほどな......」 ベヅァーにも、ミケラの魂胆はわかっていた。彼女は、うまくベヅァーを焚き付けて、本物の教皇がやろうとしていた事業を続けさせようというのだ。 「元の世界に戻りたければ『聖地』を奪還せよ......と言いたいのか? この私を利用するつもりか?」 「あ、あの......。異世界への移動ということになれば、少なくとも伝説の力『虚無』が必要だと思います。普通のメイジが使い魔を召喚しても、ハルケギニアの生き物しか呼び出されませんから。それに、始祖ブリミルも別の世界から来られた人間だったと言われています」 しかしロマリアの虚無は、ベヅァー自身が殺してしまった。代わりに別の者が虚無に覚醒するだろうが、それを待つよりも、他の国で既に覚醒している虚無を探す方が早いはず......。 「わかった。ならばこのベヅァーが、このハルケギニアを『統一』してやろうではないか! この世界の王になって、他の虚無たちも従えてやろうではないか!」 それが、ベヅァーがハルケギニア征服を目ざすきっかけだった。あくまでも最初は、元の世界に戻ることを最終目標としていたのだ。 だが......。 しばらくハルケギニアで暮らすうちに、ベヅァーの中で、戻りたいという気持ちは少しずつ薄れてゆく。 連日の悪夢のせいだ。 あの悪夢が彼に教えてしまったのだ。戻ったところで、塔を失ったベヅァーなど、蔑まされ、笑われるだけだ、と。白輝帝(ライラ・ギオラム)は人間を放置するであろうから、あの『ルイズ』とかいう人間に対する恨みをはらすこともできないのだ、と。 「......そうだ......ゾムド様は......しょせんそういう人だ......」 白輝帝(ライラ・ギオラム)ゾムドは、本国の王......黄金王(グレア・ギオラム)の弟の一人ではあるのだが、どちらかというと学者肌の竜人(ギオラム)で、慎重論を唱えがちの臆病者だ。 敗残者であるベヅァーがいくら説得しても、白輝帝(ライラ・ギオラム)を動かすことは出来ないだろう。 「......ならば......あんなところに戻る必要もない。ここに......私自身の国を作ればよいのだ! もはや白輝帝(ライラ・ギオラム)にペコペコすることもない!」 このハルケギニア全土を手中に収め、それから元の世界への『道』を開き、自分が戻る代わりに、自分の言うことをききそうな竜人(ギオラム)たちを呼び寄せる......。 それが現在のベヅァーの、おぼろげな将来設計だった。 人間たちを憎み、人間たちを倒すために、人間たちの世界で王となる......。少し矛盾した部分もあるが、ベヅァーの心の中では、ちゃんと割り切れていた。 なにしろベヅァーが本当に憎んでいる人間は、ただ一人。 あの『ルイズ』という小娘なのだ。 「......いずれは......あの小娘もハルケギニアに呼び寄せ、私のこの手で引き裂いてくれようぞ......」 しかしベヅァーは知らない。 彼と同じ世界から――ただし彼よりも過去の時点から――既に、一人の魔道士がハルケギニアへ来ていることを。 そして彼の仇敵『ルイズ』が、実はハルケギニアの人間であることを。 ######################## うおぉぉおおおおおっ! リュティスの城に戻ってきたミケラは、竜の唸り声のような音を耳にして、軽く頭を左右に振った。 「......またですね......」 あれは竜人(ギオラム)ベヅァーの咆哮だ。彼が毎晩のように悪夢を見て、うなされているのを、彼女は知っていた。 「......それだけ......自分の世界へ帰りたい気持ちが強い、ということなのでしょうか......」 ある意味では、ベヅァーも囚われ人。ハルケギニアという世界にとらわれた囚人......。 彼女は、そう理解していた。 自然、哀しげな表情になるミケラ。だが、いくら彼女が慈悲深い巫女だとしても、さすがに、ベヅァーに対して同情的になることはない。 ベヅァーは教皇ヴィットーリオを殺した......にっくき仇なのだから。 それでもミケラは現在、ベヅァーに仕えている。教皇を演じるベヅァーの第一の側近として、こうして走り回っている。 なるべくベヅァーのそばから離れぬように、そしてベヅァーから聞き出せる情報は出来るかぎり引き出して......。どうしたらベヅァーを倒せるのか、それを知るための、今は雌伏の時なのだ......。 複雑な気持ちで、ふと夜空を見上げると、星が一つ流れるところだった。 「......あの星にも人々の世界があったのだとしたら......それはどうなったのでしょう......」 流れ星から、崩壊する世界を連想するミケラ。 彼女がベヅァーに従う最大の理由は、ロマリアの崩壊を食い止めるためであった。下手に逆らってロマリアが蹂躙されることを、彼女は恐れているのだ。 教皇ヴィットーリオは、ロマリアを良き国にするため、日々、努力していた。今のロマリアは、ヴィットーリオが作り上げた国だと言っても過言ではない。彼が作り上げたものを、一匹の怪物に壊させるわけにはいかない。 そのために......。 残った者をまとめあげ、何事もなかったかのように、教皇の意志を継ぐのが、教皇に仕えていた者のつとめ。 だからミケラは、怒りや憎しみといった感情は心の奥底に押し込めて、ベヅァーに『教皇』をやらせているのだ。 「......我が主よ......。主の御遺志は、のこされた者たちが、必ずや......」 どんな犠牲を払ってでも、ハルケギニアを滅亡から救う。それが教皇ヴィットーリオの願いだったはず。その『犠牲』の中に教皇自身が含まれてしまったとしても、ミケラは悲しんではいけないのだ。 だからミケラは、ベヅァーを利用する。使い方しだいでギオラムは、強力な駒になるのだから。 実際。 現在のロマリアに、もはや『大隆起』の心配はない。地中深くにあった巨大な『風石』の鉱脈を、既に掘り出してしまったからだ。人間には不可能なことでも、竜人(ギオラム)の魔道技術では可能だったのだ。 ......採掘不可能な深度に存在するから、どうしようもない......。 そうした『大隆起』の前提を、竜人(ギオラム)が引っくり返してしまったのだ! ならば。 ロマリア以外の国々も傘下に収めて、他の国々の『風石』も掘り出してもらえれば、『大隆起』問題は完全に解決する......。 ミケラや真相を知る者たちは、積極的にベヅァーのハルケギニア征服に協力しなければならなかった。 しかし同時に。 「......戦い続ければ......いつかはベヅァーを倒す力を持つ者と、衝突するかもしれません......」 亡き主を想う、か弱い少女として。 矛盾した気持ちを持ち続ける、ミケラであった。 ######################## ######################## 「......しゃべれない風竜から、これだけ聞き出すのは大変だったのよ!」 きゅいきゅい、ふがふがと鼻を鳴らして。 窓の外のシルフィードが、キュルケの言葉に同意を示した。 「これだけも何も、たいしたことわかってないじゃないの。タバサがガリア王家に呼び出されて捕えられたらしい......ってだけでしょ」 「まあまあ、ルイズさん。ミス・ツェルプストーも苦労なさったようですから......」 ルイズの言うとおりと思いつつも、一応は、とりなそうとするレックス。だがその時、キュルケの苦労を無駄にする声が、壁際から投げかけられた。 「しゃべれるだろ、そいつ」 デルフリンガーだ。 すっかり存在を忘れられていたが、それだけではない。キュルケにいたっては、ルイズの部屋にこのような剣があることを、今、初めて知ったくらいだ。 「あら? インテリジェンスソード?」 「そう。姫さまから頂いたのよ」 「王室からの頂き物なの......? これが......? それにしては、ボロボロに錆びた剣じゃないの。それに、こんな無造作に壁に立てかけちゃって......」 「レックスのための剣なんだって。だからいつでも使えるように、こうやって出してあるのよ」 「......のわりには、おめえら全然、俺に話しかけてくれねーし、俺を使ってもくれねーけどな」 拗ねたような声を出すデルフリンガー。 人間ならばプイッと顔を背けるのかもしれないが、剣なのでそのような仕草はできない。 ともかく。 話が進まないので、レックスが口を挟む。 「あの......『しゃべれる』とはどういう意味です? あそこにいる竜が、実は口がきけるということですか?」 「んだ」 続いて剣は、風竜に向かって、 「なあ。いつまでとぼけてるんだ? 韻竜よ」 「いんりゅう?」 一同はきょとんとしたが、真面目に勉強をしていたルイズが、すぐにハッとする。 「まさか......だって、韻竜はずっと昔に絶滅したはずじゃ......」 「そこにいるんだから絶滅なんてしてねぇんだろうさ」 「えーっと......シルフィードさん......でしたっけ。あなたは、その韻竜という種族なのですか?」 窓の方へと歩み寄り、レックスが尋ねる。だがシルフィードは困ったように、きゅいきゅい鳴きながら首を左右に振り始めた。 「違うって言ってますね」 「なあ韻竜よ、おそらく主人から『正体を明かすな』とでも言われてるんだろうが......。今はそんなことを言ってる場合じゃねえんだろ? お前の大事な主人がとっ捕まってるんなら、いわば非常事態ってやつだよ」 デルフリンガーに説得されて。 「ああもう! お姉さまがしゃべるなって言うから我慢してたのに! そこの剣おしゃべりなのね! きゅいきゅい!」 とうとうしゃべり始めるシルフィード。 だがルイズは韻竜に関する知識を少しは持っていたので、そしてキュルケもキュルケなので、激しく驚いたりはせず、割と冷静だった。 レックスは、そもそも竜人(ギオラム)がいる世界から来たので、竜がしゃべるくらいでなんだ、と冷ややかに対応する。韻竜というのが竜人(ギオラム)みたいな悪者じゃなければいいな、と思うだけだった。 「韻竜ってなんです?」 「伝説の古代竜よ。知能が高く、言語感覚に優れ、先住魔法を操る......強力な幻獣よ」 「なあ韻竜。先住魔法の凄さを、軽くこいつらに見せてやれよ」 ルイズはレックスに説明し、デルフリンガーはいたずらっぽい声で、シルフィードに告げる。 シルフィードは、精霊の力と言って欲しい、とかなんとか文句を言いつつ、呪文を唱え始めた。 「我をまとう風よ。我の姿を変えよ」 風がシルフィードの体にまとわりつき、青い渦となる。光り輝く渦は一瞬にして消え、シルフィードは若い女性の姿に変わった。 「あれだけ大きな体が......こんな小さな姿になるとは......。しかも、どこからどう見ても立派な人間ですね。こんな魔法、初めて見ました!」 感嘆するレックスの前で。 「きゅい!? そういえば......ここって窓の外だったのね〜〜! きゅ〜〜い! きゅ〜〜い!」 翼を持たぬ姿のシルフィードは、地面に落下していった。 ######################## 正体を現し、しゃべり始めたことでシルフィードと意思の疎通は図りやすくなったが......シルフィードも詳しいことまでは知らなかった。 「だからしゃべらなくても事足りると思ってたのね」 とにかくシルフィードの説明はこうだった。 タバサはガリアの王城まで呼び出された。 いきなりガリア王が魔法を放ち、タバサは倒れた。 シルフィ怒って壁を突き破って襲いかかったけどあっけなくやられた。 ガリア王はとんでもなく強かった。 逃げるのが精一杯。 「なのね」 シルフィードは、どうだと言わんばかりに胸をそらす。拙い伝聞だが、キュルケの話を補完するには十分だった。 「伝説の韻竜って言っても、たいしたことないのね。ガリアの『無能王』にやられちゃうなんて......」 「あら。『ゼロ』のあなたが、そんなこと言っていいのかしら?」 「なんですって!?」 「まあ、冗談はさておき......」 ジロッと睨むルイズに、キュルケは真面目な顔で、 「......タバサって、ああ見えてもトライアングルメイジなのよ。しかも北花壇騎士なんてやってただけあって、実戦経験も豊富だわ。そのタバサを倒したということは......」 「......ガリア王は噂されてるほど魔法が苦手じゃない、ってことね」 キュルケの言いたいことを理解して、先に口にするルイズ。 そんな二人の少女を見て、シルフィードがきゅいきゅいわめく。 「そうなのね! ガリア王は見たことない魔法使うし......実は人間じゃなかったのね!」 「人間じゃなかった......? どーゆー意味よ?」 そういうことは先に言え、と一同が思う中、代表して質問するルイズ。 シルフィードは、こくこく頷きながら補足する。 「よくわからないけど、たぶんギオラムって種族なのね。さすがギオラムは凄い、って、おつきの女官が言ってたから」 「ギオラムですって!?」 跳び上がらんばかりの勢いでレックスが叫び、ルイズはギギギッと彼に首を向ける。 「......ギオラムって......あんたが言ってた、あんたの世界の亜人ね......?」 「え? 何? ルイズの使い魔の仲間なの?」 キュルケはギオラムという言葉自体が初耳なので、一人きょとんとしているが......。 レックスは、頭が真っ白になっていた。 ......この世界にも竜人(ギオラム)がいる......。いや、たぶん『いる』じゃなくて『来ている』だ......。 完全に硬直したレックスに代わり、ルイズが立ち上がり、宣言する。 「そういうことなら......私たちが行かなくちゃならないみたいね。ガリアに......!」 (第五話「決戦気分の旅行人(トラベラー)」へ続く) |
「そういうことなら......私たちが行かなくちゃならないみたいね。ガリアに......!」 バーンと立ち上がり宣言するルイズ。 彼女を見上げながら、キュルケは素朴な疑問を口にする。 「で、そのギオラムって何? あなたたちは何か知ってるみたいな口ぶりね?」 「それは私の口から話すより、レックスが説明するべきね。ほら、あんた、いつまでも固まってないで......」 ルイズはレックスの方に顔を向ける。 だが、そこには誰もいなかった。 ギオラムの名を聞いた途端に硬直したレックスは、いつのまにか姿を消していたのだ。 「......あれ?」 ルイズが室内を見回すと......。 キュルケと、人間の姿のシルフィード。二人が仲良く揃って、ルイズのベッドを指さしていた。 なるほど、ぶるぶる震えたレックスが、ベッドの下に潜り込んでいる。頭隠して尻隠さず、の体勢で。 「レックス! あんたが逃げ腰でどうすんの!? あんたの世界から持ち込まれた問題でしょ!」 「......ルイズの使い魔は伝説の使い魔だとか、特殊な魔法を駆使する使い魔だとか言われてるけど......やっぱり噂は噂だったのかしら? しょせんルイズの使い魔......」 「ちょっとレックス! あんたが情けない態度だと、私までバカにされるのよ! しっかりしなさい!」 ルイズに叱咤され、渋々ベッドの下からゴソゴソ這い出すレックス。 「そうは言われましても......この世界に竜人(ギオラム)まで来ているなんて......」 「もう一度聞くけど。ギオラムって何者?」 「そうなのね! 知ってることがあるなら教えるのね! きゅい」 キュルケとシルフィードに促され。 「実は......」 ポツリポツリと、レックスは事情を語り始めた。 ######################## レックスの長い話を聞いて。 「へえ。あなたって別の世界から来たメイジだったの......」 「きゅい! 信じられなーい!」 目を細めるキュルケと、相変わらずきゅいきゅい喚くシルフィード。 「......実は韻竜が生きてた、ってことのほうが、よっぽど信じらんない話だわ」 小声でツッコミを入れるルイズに、キュルケが視線を向ける。先ほどの彼女の言葉を思い出し、一人で頷きながら、 「なるほどね。それで『あんたの世界の亜人』ってことか」 「そ。そういうこと」 「じゃあ、この一件、ルイズのところに持ち込んで正解だったみたいね」 キュルケとルイズ、今度は二人揃ってレックスを見る。 「......あの......」 女性陣の視線に怯えるレックス。 シルフィードも含めて、三人とも「さあタバサを助けに行こう」と目が告げているのだ。乗り気でないのは、レックスただ一人だけらしい。 どこかに逃げ出したいような顔をしながら、それでもレックスは思い切って、 「でも......他の王国の王に化けているというなら、軽々しく乗り込んだりしては国際問題になるのでは?」 「......なんで?」 「えーっと......。ほら、ルイズさんたちは、この国の貴族なのでしょう? 一応えらい人......なんですよね? それが他国の王宮に攻め込むというのは......ちょっと......」 しどろもどろになりながら、なんとか説得を試みる。 だが、そもそも世界が違えば常識も異なるので、説き伏せるのは易しい話ではない。それくらいレックスにもわかっていた。 アルビオンへ行く際にも感じたが、ここハルケギニアでは国家間の敷居が低すぎるのではないか。レックスの世界では、国同士は、それほど友好的ではない。ましてや、もしもどこぞの将軍だか文官だかの子弟が王さまを殺しに来ようものなら、戦争の火種になって当然である。 「......それもそうね。ジョゼフ王に化けてるんだから、相手はガリア王国......」 つぶやくルイズ。 あれ? 説得に成功した? ......と彼が喜んだのも束の間。 「じゃあ、ちゃんと姫さまに許可をもらってから行きましょう。きちんと報告して、援助なり協力を仰いだ上で、ガリアに乗り込めばいいわ」 「姫さまって......アンリエッタ王女? 大丈夫なの、ルイズ?」 「ええ。姫さまなら私たちの味方だわ。幼馴染みってだけでなく......アルビオンでの一件もあるしね」 最後のところで、ルイズはレックスに向かって小さくウインクをしてみせた。アンリエッタ最愛のウェールズ王子を助け出してきた一件......その時の『貸し』があるから大丈夫、と言いたいらしい。 「......はあ......」 ため息をつくしかないレックス。説得に成功するどころか、むしろ話が大きくなった気がする......。 こうして。 彼らは、まずトリスタニアの王宮へと向かうことになったのだが......。 ######################## アンリエッタに相談した結果。 ルイズとキュルケとレックスは、城の西に建てられた塔の一室にまとめて監禁されてしまった。 貴人用に造られたらしく、十畳ほどの部屋には、ベッドや机も用意されている。 軽いため息と共に、キュルケは、ごろんとベッドに横になり、 「はあ。ルイズの言葉を信じて、素直に従ったあたしが馬鹿だったわ......」 「し、仕方ないでしょ! 姫さまがダメって言うんだから!」 やや赤い顔で、反論するルイズ。素直に「ごめんなさい」が言える彼女ではないが、一応は「悪かった」と思っているのかもしれない。椅子もベッドも使わず、ぺたんと床に座り込んでいた。 「......」 迂闊なことは言わない方がいいと判断して、レックスは、黙って壁にもたれかかった。 鉄格子のはまった窓を通して、外の景色をボーッと眺めながら。 先ほどの一幕――アンリエッタ王女との謁見――について回想する。 『ガリアのジョゼフ王が異世界から来た化け物だ......などという話、誰が信じましょうか』 アンリエッタ王女は、そう言ってルイズたちの話を一笑に付したのであった。 もちろん彼女自身は、幼馴染みルイズの話を嘘だと決めつけたわけではない。ポイントは彼女が信じるかどうかではなく、万民が受け入れるかどうか。その意味では、ルイズたちは今、十分な証拠を持ち得なかった。 さらに。 『タバサ殿はガリアのシュヴァリエとのこと。彼女をどうしようがガリアの勝手ではありませんか。わたくしたちが口出しすることは、内政干渉と取られましょう』 タバサが連れ去られた話までは信憑性があると認めた上で、ガリアへ向かう許可は出さず......。 それでも詰め寄るルイズを、投獄してしまったのであった。 「......まあ、これで良かったんでしょうね......」 小さくつぶやくレックス。行きたくなかった彼としては、現状に満足するべきかもしれないが......。 彼は、アンリエッタ王女の態度に疑問を感じてしまう。 ルイズにしてもレックスにしても、別にトリステインに仕える騎士でも官僚でも何でもないのだ。いくらルイズの実家が高位の貴族だからとはいえ、私人としてガリアに出向くことが本当に『内政干渉』に相当するのだろうか? ルイズの部屋では、レックスだって似たような理屈でルイズに説得を試みたわけだが、あれは、そもそもハルケギニアでは通用しない理屈だろうと思いつつ、ダメ元で論理展開していただけだった。 なにしろ。 アルビオンへ手紙を取り戻しに行った時には、『学生たちが私人として』どころか、王宮の魔法衛士隊の隊長まで同行していたのだから。 「......しかも、あれって他ならぬ王女さまのご依頼だったんですよねえ。あの時はOKで今度はダメというのは、ちょっとダブルスタンダードな気もするのですが......」 あるいは。 あのアルビオン行きの王女の判断自体が誤りであり、あの後、彼女は王宮の偉い人たちからこっぴどく叱られたのかもしれない。それで考えを変えざるを得なかったのかもしれない。 まあアルビオンの件に関しては、ウェールズ王子を助け出してきたことにより、後付けで「アルビオン王家から頼まれてトリステイン王家が手を貸した」という形にすることも可能になったわけだが......。 「そういえば......。ウェールズ王子は、もう王宮にはいらっしゃらないようでしたが。アルビオン本国へ帰られたのでしょうか?」 などと、外を向いたままレックスが考えていると。 トントン。 小さく肩を叩かれて、彼は振り向く。 いつのまにかキュルケが近くに来ており、耳元に顔を寄せていた。 ムッとするような色気が漂うが、それはキュルケがキュルケであるがゆえ。単なる自然現象。別に色っぽい意図があるわけではなく、何か内緒話があるようだ。 「ねえ。レックス......だっけ? あなた、杖なしでも魔法が使えるのでしょう?」 「はい。それが何か?」 「『それが何か』じゃないわよ。だったら、あなたは戦えるじゃないの」 ハルケギニアの常識では、メイジは杖がなければ何も出来ない。当然、ルイズもキュルケも、ここへ収監される際に杖を取り上げられていた。だから二人とも今、魔法は使えない。しかしレックスは違う。 「あなたの魔法で、この壁を軽く、ぶち破ってくださらないかしら」 豊満な体をスーッと寄せて、丁寧な言い方で頼み込むキュルケ。態度や口調はともかくとして、ようするに脱獄の提案である。 「だ、だめですよ、ミス・ツェルプストー! そんなことしたら、本物のお尋ね者になってしまいます!」 レックスにはわかっていた。今は囚われの身であるが、これは「しばらく頭を冷やしていなさい」というだけだ。いずれは許される、短期間の勾留に過ぎない。だが牢破りなどしては、さすがに許されなくだろう。 「そんな堅苦しいこと言わないで。キュルケでいいわ」 「ちょっとキュルケ! 私の使い魔に何やらせるつもり!?」 二人の会話を聞きつけて、ルイズも近くにやってきた。 小声での内緒話といっても、扉の外にいる衛兵たちに聞こえなければいいという程度の内緒話である。全部ではないが、話の一部は、ルイズの耳にも届いていたのだ。 「ルイズさん! あなたからも言ってやってください! キュルケさんってば、壁を壊して逃げ出そうなんて言い始めて......」 そこまで口に出してから。 レックスは「しまった!」と思った。 元々ルイズも「ガリアへ行こう」派である。キュルケに賛同して、レックスに脱獄行為を強制するのでは......? しかし。 「ここから逃げ出す......? それはダメだわ。これ以上姫さま怒らせたり迷惑かけたりしたくないもん」 よかった。この案件に関しては、ルイズはレックスの味方らしい。 「......それじゃ仕方ないわね」 案外あっさりキュルケも引き下がり、ベッドに戻って、また横になる。 「じゃ、助けが来るまで待ちましょうか」 「助け......ですか?」 「そう。あのシルフィードが、ジッと待ってるわけないでしょ」 キュルケの言葉で、レックスもハタと気がついた。今の今まで、タバサの使い魔のことを忘れていたのだ。 レックスたち三人は、風竜シルフィードに乗って王宮までやってきた。城の衛士の前で変身するわけにもいかないので、そのままシルフィードは竜の姿で中庭に残してきている。 今頃、城の竜舎か何かで世話をされているのかもしれないが......。 いつまでも三人が戻らなかったら、ひと暴れ始めそうだ。タバサ救出に行きたいという気持ちが一番強いのは、おそらく使い魔シルフィードなのだから。 「なんだか......嫌な予感がします......」 心配の言葉が口から出てしまうレックス。とはいえ、今の彼に出来ることなど何もなく、キュルケやルイズに従って、ここで休むしかないわけだが。 ######################## 夜。 窓から差し込む双月の明かりが、鉄格子の形に影を落とす頃......。 その窓の外から、閃光と大音量が響いてきた。 「......な!?」 床に転がってウトウトしていたレックスは、跳び上がって窓に張りつく。 目に飛び込んで来たのは、驚くべき光景だった。 一匹の青い風竜が、巨大な土のゴーレムとタッグを組んで、王宮の竜騎士相手に、所狭しと暴れ回っているのだ。さながら、怪獣大戦争といったおもむきである。 「な、何よあれ......」 「助けに来るとは思ってたけど......ちょっと派手にやり過ぎじゃないかしら?」 ルイズとキュルケもベッドから起きてきたが、窓の外を一目見るなり、唖然としてしまう。 だが、異変は窓の外だけではなかった。 どさっ。 反対側から――扉の外から――、衛兵が倒れる音が聞こえてくる。 三人が振り返ると、扉の小窓の格子越しに、見覚えのある緑の髪がふわりと揺れた。 「ミス・ロングビル!」 今は魔法学院で秘書をしている、元盗賊『土くれ』のフーケだった。 「なぜ、あなたがここに......?」 「アルビオンでの借りを返すためです」 レックスの問いに、簡潔に答えるフーケ。レックスやルイズは、フーケにとっては大恩人ということで、その恩返しに来たらしい。 「ミス・ロングビル! その衛兵たちが扉の鍵を持っているはずです! 早く......」 「いいえ。塔の中をモタモタ逃げていては、王宮の衛士に捕まる可能性があります。それよりも......」 小窓からルイズとキュルケの杖を渡しつつ、フーケは急いで説明する。 同時に。 ドゴォォォン。 轟音とともに、牢の壁――王宮の中庭に面したほう――が外側から破壊された。先ほどの二大怪獣の片割れ、巨大ゴーレムのしわざである。 「しょせんは貴人用の一時的な牢獄。強い物理的な力を加えれば、ほら、このとおり......」 「きゅい! 助けにきたのね!」 フーケの説明にかぶさるようにして、できたてほやほやの穴から飛び込んできたのは、青い風竜シルフィード。 それを見たフーケは、 「さあ、みなさん。その風竜に乗って、逃げてください」 「では、あなたも一緒に......」 「いいえ」 レックスの言葉に対して、首を横に振り、 「私はここに残って、陽動役を務めます」 彼女の言葉で、レックスは悟った。さきほどの二大怪獣大暴れも、一種の陽動だったのだ。 そして、その役割から抜けるシルフィードの代わりに、フーケがゴーレムと共に、敵を引きつけるつもりなのだ。 「でも......大丈夫なのですか?」 彼の言葉に、フーケは軽く笑ってみせた。 おそらく追っ手として派遣されるのは、王宮の近衛隊。だが魔法衛士隊の一つグリフォン隊は隊長ワルド子爵が裏切りで消えたため、現在機能しておらず、その後、あらたに近衛隊が新設されたという話も聞かない。 ならばマンティコア隊かヒポグリフ隊が出てくるであろうが、どちらであれ、フーケは軽くあしらう自信があった。盗賊フーケとして活動していた時も、市街の警備をしていた彼らをいつも翻弄していたのだから。 「何やってんのレックス! もたもたしてる場合じゃないでしょ!」 フーケの前職など知らぬため彼女を案じるレックスを、竜の背に乗るルイズが急かす。ルイズは脱獄反対派だったはずだが、こうなってしまった以上は、もうここには留まれないと判断したらしい。 レックスは後ろ髪がひかれる想いで、しかも表情にその気持ちがはっきりと出ていた。彼を安心させるかのように、フーケは笑顔で言葉を送る。 「心配しないでください。あとから私も、皆さんに合流しますよ」 フーケが見守る中、三人を乗せて、シルフィードは飛び立った。 竜の姿は、みるみる小さくなっていくので......。 「......強力な助っ人を連れて、ね」 フーケの言葉を最後まで聞いた者は、誰もいなかった。 ######################## 青い鱗のシルフィードが、夜明けの空をゆく。 「きゅい。そろそろガリアに入るのね」 風竜は背の上に三人に告げる。 ルイズとキュルケは眠っているが、すでに目覚めていたレックスが、竜の言葉に反応した。 「......すごいですね。シルフィードさんは」 「きゅい?」 「こんな空の上で......ちゃんと現在地を把握しているなんて」 レックスは視線を上げてみる。 視界に入るのは、明るみ始めた空の青さばかり。彼方にうっすらと輝いているのは、二つの月であろうか。白の月は透き通るほどに白く、赤の月は薄い赤みを残すのみ。 幻想的な光景であるが、こうした見え方をするというのは、ここが超高空である証の一つでもあった。 「きゅい! ガリアの空には詳しいのね。お姉さまと何度も飛び回ったから」 誇らしげに答える竜。その声の中には、どこか哀しげな響きが含まれているようにも聞こえた。 そうだ。 シルフィードが『お姉さま』と呼んでいるのはタバサのことであり、タバサはガリアではなくトリステインの魔法学院生徒であり、シルフィードが使い魔として召喚されたのはタバサがトリステインに来た後なのだから......。 この風竜がタバサを乗せてガリアを飛び回ったというのは、ガリア王家の命令によりやらされた、危険でややこしい任務の行き帰りなのだ。 ......レックスは、キュルケから聞いたタバサの境遇を思い出し、なんともいえない気分になった。 あらためて、風竜に視線を向ける。 ガリア王家にこき使われるタバサを、このシルフィードは、どのような想いで見守っていたのであろうか? そのタバサが悪い奴に囚われた今、どれほど胸を痛めているのであろうか? 「......」 レックスは今、思考の中で『悪い奴』という曖昧な言葉を使った。その正体を誰よりも詳しく知っているはずなのに。 竜の亜人。ギオラム。レックスの世界から来た怪物。恐ろしい強敵......。 ちょうど体がブルッと震えたところで、彼に声をかける者があった。 「おはよう、レックス。さすがに......朝は寒いわね。この高さでは」 起きたばかりで「うぅっ、寒い」と体をこする赤毛の少女。 ならば、そういうことにしておこう。 「キュルケさん、おはようございます。......そうですね、冷えますねえ」 「ルイズは......まだ寝ているみたいね」 「ええ。無理に起こす必要もないでしょう」 キュルケにつられて、レックスもルイズの寝顔に視線を向けた。 幸せそうな顔で眠っている。いい夢を見ているに違いない。 「そうね。この子、切り札になるんでしょう? だったらタップリ休んで、精神力も満タンにしておかないといけないわ」 「はい。ルイズさんが切り札になる......はずです」 表情を引き締めるレックス。 いくら竜人(ギオラム)が強敵とはいえ、敵は一匹。ルイズやキュルケといったハルケギニアのメイジと協力して戦えば、倒せない相手ではない。......相手が雑兵程度であるならば。 だが、もしも将軍や魔道神官クラスの手だれの竜人(ギオラム)だったら......。戦って勝つのは無理だろう。そして、シルフィードから聞いた話から推測するに、そうである可能性は高い。 だから。 生来の臆病さを抜きにしても、なるべくレックスは戦いたくないと考えていた。そもそも今回のガリア行きは、救出作戦なのだ。 「ルイズさんには『瞬間移動(テレポート)』という魔法があります。タバサさんの居場所さえ突き止めれば、それで一緒に脱出して終わりです」 あらためてキュルケに告げるレックス。 アルビオンで彼らを救った虚無魔法『瞬間移動(テレポート)』、それに今回も頼るつもりなのだ。 本当ならガリアへ行く際にも『瞬間移動(テレポート)』は使えるはずだが、ルイズの魔力をギリギリまで温存しておきたいがために、シルフィードを移動手段としているのだった。 特に大怪我などしていないシルフィードなので、三人くらい余裕で運べると言っていたが......。実際には、かなり無理をさせているのではないか、とレックスは思う。 まるでそんなレックスの気持ちが伝わったかのように。 「きゅい」 シルフィードが一声、空の彼方へ向かって鳴いた。 ######################## ガリア王族が暮らすヴェルサルテイル宮殿は、もちろん王都リュティスに存在している。ただし、市街のど真ん中に鎮座しているわけではない。 「なんというか......さびしい場所ですね......」 「しっ! 黙りなさい、レックス!」 気を紛らわすため、ポツリと感想をもらしたレックス。当然のようにルイズに怒られてしまう。 街並が途切れ、代わりに長い石壁が延々と続く場所だった。贅をつくした大宮殿のため、こうした場所にしか建設できなかったのだ。 今。 レックスたち四人――シルフィードも今は人間の姿――は、夜の闇に乗じるようにして、宮殿東側の壁沿いを歩いていた。 さいわい双月が雲に隠れたおかげで、辺りは深い闇と化している。一応、宮殿壁には魔法のたいまつが掲げられているが、その光量は弱く、彼らが夜陰に紛れるには困らない。同時に、たいまつのおかげで、足もとが見えずに躓くということもなく、彼らにとっては理想的な状況になっていた。 しかし。 「......」 重く肩にのしかかるような、この漆黒の闇に覆われていると......。 レックスは、たまらなく不安になってくるのだ。なにしろ、これから彼らは、ガリアの王宮に突入しようというのだから。 ......タバサが敵に捕えられた場所はガリア王宮であり、シルフィードがタバサを最後に目撃した場所も王宮である。現在の居場所がわからない以上、まずはその現場に行ってみるしかない......。 そういう方針に決まってしまったのだ。レックスは気が進まなかったが。 たしかに、ガリアの王宮まで行けば何らかの手がかりが得られるかもしれない。だが、そこには、ガリア王に化けた竜人(ギオラム)がいる可能性も......。 「......ここなのね」 突然の声に少しビクッとしながらも、レックスは頭を切り替えた。 今のはシルフィードだ。先導役の彼女が、小声で合図をしたのだ。 「一番見張りが手薄なのは、このルートなのね?」 ルイズの確認にシルフィードがうなずく横で。 キュルケはすでに魔法を唱え始めていた。彼女の『フライ』で、四人は石壁を乗り越え、王宮の敷地内へ。 すると。 「なにやつ!」 一瞬、硬直する四人。なんと彼らは、巡回する警備兵からほんの数メイルのところに、降りたっていた。 ######################## 「ひえ〜〜!」 四人は一目散に走り出した。 わらわらと集まってきた警備の兵たちが多すぎて、魔法で応戦してもキリがないからだ。 「だから来たくたかったんですよぉ。だいたい、いきなり王宮に乗り込むなんて、無茶にもほどがあります......」 「レックス! 泣きごと言ってるひまがあったら、呪文でも唱えなさい!」 ルイズの言うとおり。 先頭がシルフィード、続いてルイズとキュルケ、しんがりがレックスという形である以上、追っ手をなんとかするのはレックスの役目だ。逃げる途中で時々振り返って、牽制のために攻撃魔法を放ったり、あるいは防御のために魔力壁を張ったり......。 「......あんたを信じた私たちが馬鹿だったわ!」 これはレックスではなく、シルフィードを責める言葉だろう。 見張りのど真ん中に飛び込むハメになったのは、たしかに、案内役シルフィードのせいとも言える。 ......まあ今さら言っても遅いのだが。 それでも彼女の性分では、文句の一つも言わないと気が済まないのかもしれない。レックスはそう思った。 「きゅい! 私は精一杯がんばったのね! 思い出せない部分はカンで補ったのね!」 タバサの使い魔として、この王宮には何度も来ているはずのシルフィード。だからこそ一行はシルフィードの判断に従ったわけだが......。 考えてみれば。そもそも、この風竜は、王宮内の警備兵の配置をしっかり覚えるようなタイプとは程遠かったのだ。 「カン......? じゃあ......あんた、当てずっぽうで私たちを敵のど真ん中に連れ出した、って言うの!?」 「わー。ごめんなのね〜〜」 「かわいく言ったって許されないわよ! このバカ竜!」 「......でも仕方ないわよ、ルイズ。警備兵の配置も、すっかり以前とは変わってたんじゃないかしら?」 軽くフォローを入れるキュルケ。 「見てごらんなさい、周りの兵たちの格好を」 「......あら?」 キュルケに言われて、ルイズも気づく。 彼女たちを追う兵の中には、普通の衛兵や騎士たちに混じって、明らかに雰囲気の異なる者たちがいたのだ。胸元に聖具を下げ、手には聖なる杖を握る一団......。 「もしかして......ロマリアの聖堂騎士? なんでガリアにあんな連中がいるの!?」 「あたしにも、そこまではわからないけど......。相手はガリアだけじゃないのかしら。どうやら、思ってた以上のおおごとみたいね」 ちなみに。 台詞だけ抜き出してしまうと悠長に会話しているようにも見えるが、これらの言葉は全て、必死に逃走しながら交わされたものである。 当然、追いかけてくる兵たちからは、矢やら魔法やら、びゅんびゅん飛んでくる。 これに対応するのは、最後尾であるレックスの仕事。 「裂斬弾(ヴィン・ザ・ゴウ)!」 まとめて数人の兵士をなぎ倒すが、まだまだ敵は追いかけてくる。焼け石に水である。 「レックス! しっかりしなさい!」 「やってますよぉ」 といっても、足を止めて本格的に戦っていたら、レックスは三人に置いて行かれてしまう。こんなところに一人取り残されては、どうなることやら。 彼らは現在、いつのまにか、王宮の建物の一つの中を疾走していた。やみくもに走るうちに、入り込んでしまったらしい。 「......庭を走り回る間に、空へ飛んで逃げればよかったんです......」 これまた、今さら言っても仕方ない言葉が口から出てしまうレックス。 まあ、そう言ってみたと同時に「どうせ空へ逃げては、下から狙い撃ちされていたかもしれない」などと思ったりもするのだが。 ともかく。 もう今は、この建物の中を走り抜けるしかなかった。 ......美しい青石で組み上げられた宮殿である。左右の壁の美しさは、見とれてしまって一瞬、現状を忘れてしまうほど。広い通路ではあるが、挟み撃ちされたら逃げ場はない。前方に敵が現れる前になんとかしなければ......。 「きゅい......?」 「どうしたの、シルフィード」 突然、竜が何か気づいたらしい。 「きゅい! 私すごいのね! いつのまにか正解なのね!」 喜ぶシルフィードに導かれて。 彼らが進む先には、大きな扉があった。 「ああ! 待ってください、シルフィードさん!」 後ろからレックスが呼びかけるが間にあわない。 バタン! 扉を開けて、四人が飛び込んだ部屋には......。 「......待っていたぞ、お前たち」 青い髪と髭を持つ偉丈夫が座っていた。 ######################## 「はるばるトリステインからの賓客と聞いてな。せっかくだから、余のもとまで招待してやったのだ」 言いながら、男はゆっくりと椅子から立ち上がる。 ようやく、レックスは悟っていた。罠にはまったのだ、と。ここへ自分たちは誘導されたのだ、と。どうりで城の兵士たちから挟み撃ちされることもなかったわけだ......。 「何よ、王様のふりなんてしちゃって。聞いてるわよ、あんた偽物なんでしょ......」 たじろぐことなく、杖を構えるルイズ。 そんな彼女を見て。 「......お前か......」 男の表情が変わる。 キュルケやレックスやシルフィードなど眼中にないかのように、その視線は、じっとルイズの桃色の髪に注がれていた。 「......そうか......お前もこちらの世界に来ておったか......。くっくっく......」 言葉のうちに、狂った歓喜の色をにじませて。 男が、まとっていた幻術を解く。 現れ出た真の姿は......。法衣をまとった、真っ白い竜人(ギオラム)。 「......塔では世話になったな......会えて嬉しいぞ、ルイズ!」 竜人(ギオラム)という別種族であり、人間の個体識別は困難であっても、ルイズの特徴的な桃色の髪を忘れるはずがなかった。 「な、何のこと!?」 「......このベヅァーの顔を忘れたとは言わせんぞ......」 「し、知らないわよ、あんたなんて!」 驚き、とまどうルイズ。 無理もない。ベヅァーと名乗る竜人(ギオラム)は、まるで旧知の知り合いであるかのように話しかけてきたが、彼女には、こんな化け物と出会った記憶などないのだ。 傍から見ているレックスにも、状況がわからないが......。 敵の注意がルイズだけに向けられている今こそが、攻撃のチャンス! 「ウル・カーノ......」 レックスと同じことを考えたのか、すでにキュルケが小声で何やら唱え始めていた。すぐに呪文が完成し、彼女の杖から『フレイム・ボール』が飛ぶ。 しかし。 「邪魔をするな!」 ベヅァーがブンッと腕を振り、キュルケの魔法は弾かれてしまう。 いや、いくら竜人(ギオラム)とて、素手で炎を叩き落とせるわけがない。ベヅァーは魔力の障壁を張ったのだ。 「......この娘に用があるのだ! お前たちはそこでじっとしておれ!」 ベヅァーが吠える。 キュルケの体がガグンッと震えて、そのまま動かなくなる。 金縛りだ。キュルケの隣にいたシルフィードも巻き込まれているが、後ろにいたレックスは無事。 ならば、これが勝機......とレックスは見てとった。竜人(ギオラム)がキュルケたちに術をかけているということは、さきほどの魔力障壁は、もう解除されているということ。今、術を叩き込めば......。 「屍炎弾(ジャ・ル・ブゥド)!」 渦巻く蒼白い炎の槍が、ベヅァー目がけて突き進む。 そして。 ばぢっ! 「そんな!?」 はじけ散る魔力の槍を見て、驚愕の声を上げるレックス。 ベヅァーの魔力障壁は、まだ続いていたのだ。 「二つの術を同時に使うなんて!」 「三つだ」 ベヅァーの言葉と同時に、魔力衝撃波がレックスを襲う。直撃を受けたレックスは、背中から壁に叩きつけられ、床に倒れ込む。 「......」 あっというまに仲間三人を行動不能にされ、ルイズは言葉もない。 「......て、て、て、敵に後ろを、み、み、見せないのが......」 ようやく絞り出した声も、自身を叱咤激励するものとは程遠かった。 震える足で立ちすくむルイズに、ベヅァーはゆっくりと近づきながら、 「さて......。ようやくお前の相手をしてやれるわけだが......」 「ひっ!」 「簡単には死なさんぞ。じっくりじっくり、いたぶってやる......」 両手で印を切り、ベヅァーが吠える。 バヂヂバヂッ! 雷撃が部屋中を荒れ狂う。 衝撃に全身を貫かれ、ルイズは悲鳴を上げることすら出来ず、床に這い、のたうち回った。 ルイズだけではない。キュルケやシルフィード、レックスも同様だ。雷が避けたのは、ベヅァーが立っていた場所だけ。 「効き目は弱くしておいたからな。生きてるんだろう? まだまだこんなものではないぞ。私が受けた苦しみを、お前にもたっぷり味あわせて......」 その時。 倒れ伏したルイズたちの横を、一陣の風が吹き抜けた。 ......いや。何者かが、風の如く素早く駆け抜けたのだ。 「魔力障壁とは笑止! どうせ遠距離魔法にしか効かないのであろう!?」 瞬時に竜人(ギオラム)のもとまで辿り着き、はっしとばかりに斬りつける男。 「ほう。これが......『ブレイド』という魔法か」 「『ブレイド』ではない。『エア・ニードル』だ」 何のこだわりがあるのか。男は律儀にも訂正するが、その表情は読めない。彼は、白い仮面で顔を隠していたのだ。 「そうか。だが......残念だったな」 ニヤリと笑う竜人(ギオラム)。 そう。 仮面の男の推察は、間違っていた。 青白く光る彼の杖でも、ベヅァーの魔力障壁は貫けなかったのだ。 竜人(ギオラム)が手をかざし、反撃が来ると察した白仮面は、それを食らう前に、大きく後ろに跳んだ。 ......この短い攻防を床から見上げていたルイズは、ようやく体のしびれがとれて、口を開く。 「あんた......ワルドじゃないの! どうしてここに!?」 彼女の呼びかけに対して。 遅れてきた助っ人は、落ち着いた言葉を返す。 「ワルド子爵ではない。彼はお尋ね者だろう? 私のことは......『白い仮面の男』とでも呼んでくれたまえ」 (第六話「爆発だらけの仲裁人(メディエター)」へ続く) |
「あんた......ワルドじゃないの! どうしてここに!?」 「ワルド子爵ではない。彼はお尋ね者だろう? 私のことは......『白い仮面の男』とでも呼んでくれたまえ」 ガリアの王宮における竜人(ギオラム)との決戦の最中、突然あらわれた謎の男。彼は白い竜人(ギオラム)ベヅァーに杖を向けたまま、床に伏したルイズに優しく答えるのであったが......。 「いや、どう見てもワルドでしょ! 仮面の下から髭も見えてるし!」 二人の言葉のやりとりに、レックスは思わず苦笑する。 ハルケギニアの貴族には、髭を生やした男が多い。そんなものが根拠になるのであれば、魔法学院のオールド・オスマンだって『ワルド』にされてしまう。 まあ、この場合は、ルイズの言うとおり『どう見てもワルド』なわけだが。 ともかく。 そろそろレックスも舌が動くようになったので、この会話に参加する。 「そんなことより、なぜここに......?」 「レックス! それ私がきいた質問よ!」 間髪入れずに応えたのは、仮面の男ではなくルイズ。もちろん、彼の質問の答とは違う。 この質問は、ルイズやレックスだけではなく、同じく倒れたままのキュルケやシルフィードも疑問に思っている部分であろう。 そして。 これに対する解答は、意外なところからやってきた。 彼らの後ろ......部屋の入り口からの声という形で。 「私がお連れしました」 ######################## 話はしばらくさかのぼる。 アルビオンにおける王党派と貴族派との争いにおいて。 当初は優勢だった貴族派が劣勢になり始めたのは、彼らの総司令官クロムウェルが討ち取られた時からだった。 レコンキスタの一員として現場に居合わせたワルド子爵は、自軍の敗北を悟ると同時に、逃走を決意した。 さりとて、今さらトリステインには戻れない。逃亡者ワルドが潜伏先として選んだのは......。 「ほう。なんとも俺に相応しい場所ではないか、ここは!」 アウソーニャ半島に位置する都市国家、ロマリア連合皇国。 光溢れた土地として喧伝されているため、人々は、そこを笑いと豊かさに満ちた場所だと信じて、世界中から集まってくる。しかし、いざ来てみれば、キラキラ光るお仕着せに身を包んだ神官たちやら敬虔な信者たちやらが行き交う街......などという光景は、幻想に過ぎなかった。 たしかに、石柱を何本も束ねたような豪華な寺院もあるし、着飾った神官たちが談笑しながら門をくぐっている。だが、彼らのすぐ後ろ、通りには、衣服も食事もままならぬ人々が、配給スープの鍋に列を成しているのだ。そうした貧民たちを救ってこそ『神のしもべたる民のしもべ』であろうに、神官たちは彼らの相手などしやしない......。 理想と現実の違いをまざまざと見せつける、二面性に溢れた街であった。 「......気に入ったぞ、ロマリア」 そうした街の一角に腰を据えて。 ワルドは、様々な情報を集め始めた。そして探っていくうちに、ワルドは知る。実はロマリアも『聖戦』を企てていた......ということを。 「こんなことなら......レコンキスタではなく、最初からロマリアに加担しておけばよかったかもしれん」 反乱軍レコンキスタだからこそ受け入れてもらえたのだ、とは思わず、自分ならロマリアに取り入ることも可能だったはず、と考える自信家のワルド。 ......同じ『聖地』を目ざすにしても、ロマリアはレコンキスタとは違う。レコンキスタの場合、皆を束ねるための目標として設定されていただけで、クロムウェルの私利私欲が透けて見えていたが、ロマリアの場合、本気で世界を救おうという教皇の意志が反映されたものだった。 ワルドとしては、『聖地』まで連れていってもらえるのであれば、どちらでもよかった。いや、『聖地』に特別な何かがあると信じるロマリア教皇の考え方のほうが、むしろワルドには好都合であった。 「そうか......。やはり『聖地』には......。では、俺の母は正しかったわけだ」 心を病み、狂ってしまった母親。子供の頃にワルドが、半ば事故のような形で殺してしまった母親......。 そして母親の死後に発見された日記。そこに記されていた、母親の狂気の理由。 『わたしは恐ろしい秘密を知ってしまった。この大陸に眠っていた、大変な秘密を......』 『聖地に向かわねば、わたしたちは救われない。でも、聖地をエルフから取り返そうとすることも、また破滅......』 『可愛いジャン。わたしのジャン・ジャック。母の代わりに聖地を目指してちょうだい。きっと、そこに救いの鍵がある......』 日記を読んだときから、『聖地』に向かうことは、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドの義務となった。祖国を裏切ってまで為さねばならぬ、彼の贖罪......。 同時に。 母親をそこまで追い込んだ『恐ろしい秘密』とは何か。その詳細を知りたい、という渇望も彼につきまとう。 そんなワルドにとって、ロマリアは最適な場所であり......。 色々と調べていくうちに。 彼は、もう一つのロマリアの二面性に気づく。 「教皇は......偽物なのか!?」 慈愛の光に輝く美しい聖者、教皇ヴィットーリオ。だがそれは表の顔に過ぎず、実は現在の教皇は、本物を殺してすり替わった、恐ろしい『化け物』なのだという。 「だが......なぜ?」 本物の教皇に仕えていた忠臣たちは、なぜ、そんな『化け物』に従っているのか。 ロマリアの王として君臨する『化け物』は、なぜ、本物の教皇がやろうとしていた政策......『聖戦』を、引き続き行おうとしているのか。 不思議に思いながらも、ワルドは、ロマリアの地で書物を漁り続け......。 ある日。 トン、トン。 路地裏のアパルトメンの一室――ワルドの居室――の扉がノックされた。 傍らに置いた軍杖に手をかけながら、ワルドは、ドアに言葉を投げかける。 「どなたですかな?」 「......安心おし。私だよ」 女の声だ。 だが、ワルドはここに一人で住んでいる。逃亡者であり、また『聖地』という目標を持つ彼なのだから、同棲相手などいないし、馴染みの女なんて存在も作ってはいない。 顔をしかめて、 「部屋をお間違えではないですかな。私は......」 「......ワルド子爵だろ」 女の声を聞いて、軍杖を握る手に力が入る。 部屋の外でも、その気配を察したらしい。 「嫌だねえ。よしとくれよ、危ない真似は。......私の声、忘れちまったのかい?」 言われてみれば、聞き覚えのある声だ。確か、この声は......。 「『土くれ』のフーケ......マチルダ・オブ・サウスゴータか?」 「ご名答」 女は勝手に扉を開けて、部屋に入ってくる。 粗野な言葉遣いとは裏腹に、身なりはきちんとしていた。 かつて彼女はトリステイン魔法学院に秘書として潜入していたのだ、とワルドは思い出す。アルビオンでの事件の後、また秘書として学院に戻ったのであろう。 「わざわざトリステインから......俺を捕まえに来たのか?」 「勘違いしないでおくれ。あんたに力を貸すよ」 既視感のある会話だ。二人が初めて出会った時の――トリステイン魔法学院の本塔外壁における――言葉のやりとりと、よく似ている。立場こそ逆であるが。 「力を貸す......? 手伝ってくれるというのか?」 「あんたは今、裏切り者ということで、逃亡生活中だろ。トリステインの連中に、私が取りなしてやろうじゃないか」 どうやらこの女、ワルドがロマリアにいる真の理由までは知らないらしい。だからといってワルドの方から、『聖地』に関して調べているなどと、わざわざ教えてやる必要もない。 ワルドは、敢えてそれに触れずに、 「......凄いな。そんな口利きができるほど、偉くなったのか?」 「そうじゃないけどね。あんたに手柄を立てさせる......つまり、奴らに恩を売る機会があるのさ」 そしてフーケは説明した。 ガリアで生まれつつある陰謀を。 ロマリア教皇に扮した怪物が、今度はガリアまで支配下に入れようとしており、放っておいてはハルケギニア全土に及ぶかもしれない、という話を。 いずれトリステインも事態を静観できなくなるだろう。実際、トリステインの一部の者たちが今、なんとかしようとガリアに向かっている......。 「ほら、あんたも知ってるだろ。ルイズ・ヴァリエール嬢と、その仲間たちさ」 「ルイズ。それに、レックスくん......か」 「ああ。あんたとも因縁深い連中だろ?」 そう言われて、苦笑するワルド。 だが......。 ワルドは、瞬時に思考を働かせる。 ......これは、ロマリアの『怪物』を見定めるチャンスだ。 前教皇の政策どおりに『聖地』を目ざすのが本当なら、首謀者は『怪物』であっても構わない。フーケに言われるがまま反ロマリアとして参戦したフリをして、機を見て裏切り、ロマリア側に取り入るも良し。 あるいは逆に、自分の目で判断した結果「怪物は信じるに足る存在ではない」ということになれば、本当に対ロマリアの戦力となって活躍し、ルイズたちやガリア王家に恩を売るも良し。その場合、後々、ルイズを頼るという選択肢も、ガリア王家に近づくという選択肢も可能となるであろう。しょせん彼一人では『聖地』へは辿り着けないのだ。 どちらにせよ。 少なくとも三つの勢力が入り乱れている現場に突入することは、彼にとってプラスとなるはず......。 「わかった」 ワルドは椅子から立ち上がり、 「では、行こう。急ぎの話なのだろう? さあ、案内してくれ」 ######################## 「私がお連れしました」 竜人(ギオラム)ベヅァーと白仮面ワルドが戦っている方向とは反対側から聞こえてきた声。 聞き覚えのあるその声に、レックスは、いまだ床に倒れたまま、首だけを後ろへ向ける。 入り口に立っていたのは、トリステイン魔法学院で何度も見かけた姿......。 「ミス・ロングビル! 来てくれたのですね!」 「言ったでしょう? あとから私も駆けつけます、って」 秘書然とした優しい微笑みを見せる、元盗賊『土くれ』のフーケ。 彼女の態度に励まされたレックスは、全身に力をこめる。口がきける程度には、首を後ろに向ける程度には、麻痺も収まってきたのだ。ならば......。 「......人間たちなど。何人来ようと、同じことだ......」 聞こえてきたのは、ベヅァーの不穏な声。 そちらに視線を戻せば。 新たに現れたフーケに向けて、ベヅァーは左手を突き出していた。 「危ないっ!」 竜人(ギオラム)は、魔力を見えないままの形で、衝撃波として放ったのだ。レックスにはわかったが、来たばかりのフーケに、それが理解できたかどうか。不可視の攻撃など、予測していなければ避けられない! しかし、レックスの心配とは裏腹に。 ボコッ。 床の一部が盛り上がり、土の壁を形成する。竜人(ギオラム)の魔力弾は、フーケの代わりに、その大きな土くれに激突した。 即席の盾としては十分である。土壁は一撃で粉砕され、もうもうとした土埃に辺りは包まれたが、フーケ自身は無事であった。 さらに。 土煙で視界が遮られている間に、レックスは、よろよろと立ち上がっていた。 いや、彼だけではない。ルイズやキュルケ、シルフィードも起き上がってくる。キュルケやシルフィードなどは、雷撃を食らう前に金縛りにあっていたはずだが、麻痺している人間に金縛りを続けるのは無意味ということで、すでに竜人(ギオラム)は術を解いていたようだ。 「なかなかやるな。しかし......」 土煙の向こう側から聞こえる竜人(ギオラム)の声には、焦りの響きは微塵も含まれていない。さきほどの攻撃を防がれたからといって、まったく気にしていないらしい。 「......これは防げまい!」 再び、竜人(ギオラム)の雷撃が室内を蹂躙する。 だが、一瞬早く。 「聖魔霊皇壁(ヴァ・ゼ・ム・ドゥラ)!」 レックスの魔力の盾が、その場の全員をまとめて覆っていた。 ......ちょうど、土煙が少しずつ収まり、視界がクリアーになってゆく。今の一撃が空振りに終わったことは、ベヅァーも察したのだろう。 「ほう。その術......この世界のものではないな? ならば、お前もルイズと共にこの世界にやって来た者なのか......」 ベヅァーの言葉は、大きな誤解――ルイズが異世界人であるという誤解――に基づいているため、レックスたちには意味を成さない。だが、ここでベヅァーを追求している場合ではないし、そもそも彼らは竜人(ギオラム)の言葉に耳を傾けてはいなかった。 それよりも。 レックスの魔力障壁に覆われた世界の中、ワルドがレックスに歩み寄り、 「主人とその仲間たちを守る......。さすが『ガンダールヴ』だな」 「......剣ではなく、魔法を使ってますけどね。王女さまからいただいた剣も、魔法学院に置いてきてしまいました」 額に汗を滲ませながら、ワルドに対応するレックス。この場の全員をカバーする魔力障壁を張り続けることは、レックスにしても一苦労だった。 「いや、それでいい。君はガンダールヴである以前に、異世界から来た魔法使いなのだから。......魔法使いならば、頭を使いたまえ」 「......?」 「君の頭の中には、異世界の知識が......我々の知らぬ情報が詰まっているのだろう? さて、レックスくん。ギオラムの弱点とは何だ?」 レックスはハッとする。 彼にしてみれば当たり前すぎて、ルイズたちには話していなかったこと。レックスの世界の人間にとっては常識になっていること。それは......。 「ワルドさん! 竜人(ギオラム)の弱点は寒さです! 南の暖かい地方で暮らす竜人(ギオラム)は、人間よりも寒さに弱い! ですが......」 同時に複数の術を操れるベヅァーは、攻撃をしながらも、まだ魔力障壁を続けているはず。レックスが冷気の術をぶつけたところで、今のベヅァーには届かない。いや、そもそもレックスは一度に一つの術しか使えないので、今は防御だけで手一杯である......。 だが彼が最後まで説明するより早く。 「......良いことを聞いた」 少女の声と同時に、ガチャンと窓の割れる音。 左の壁に、即席の出入り口が作られて......。 極寒の嵐が、部屋に吹き込んで来た! ######################## 一気に室温が低下する中。 割れた窓をくぐって。 自分の体よりも大きな、無骨な杖を突き出しながら、青い髪の少女が入ってくる。 「タバサ!」 真っ先に叫んだのは、キュルケだった。 そう、この小柄な少女こそが、『雪風』のタバサ。レックスたちがガリアまで来た目的である。囚われの身になっていたはずだが、すでに何者かの手により、救出されていたようだ。 よく見れば。 タバサの後ろに続く、一組の男女。 男の方は、先ほど竜人(ギオラム)ベヅァーが偽っていた姿そのまま。彼こそが本物のジョゼフ王であると、レックスにもわかった。 女の方は、ぴったりとした黒いコートを身にまとい、冷たい妙な雰囲気を漂わせている。アルビオンで見た女性だった。 「......やはりシェフィールドは、ジョゼフ王の使い魔だったか......」 隣でワルドが、そうつぶやいている。なるほど、ルイズに対する自分のような存在か、とレックスは理解した。 ともかく。 タバサと合流できた以上、事前の打ち合わせどおりならば、あとは一緒にルイズの『瞬間移動(テレポート)』で脱出すればよいのだが......。 どうやら、そういう雰囲気でもなさそうだった。 「ああ。余のミューズが、私とシャルロットを助け出してくれたよ。だから......そこのトカゲから、玉座を取り戻しに来たのだ! 奪われた玉座を取り戻したら、普通は大喜びするのではないかね?」 玉座奪回宣言をするジョゼフ。ちょっと最後の部分は言っている意味がよくわからないが、そこは聞き流すことにして。 おそらくジョゼフとタバサの杖も、使い魔が取り戻してくれたのだろう。 そうやってレックスが状況を理解している間に。 入ってきた三人を見比べながら、キュルケがタバサに尋ねていた。 「どうして......?」 「......今は共闘するしかない」 質問も解答も色々と省略されているが、これだけで二人には通じるらしい。 まあ、悠長に長話していられる状況でもなかった。タバサの『アイス・ストーム』の影響で、レックスたちもすっかり冷えてしまい、体をぶるぶる震わせている。 「いくらなんでも、無謀ですよぉ......」 「我慢しなさい、レックス!」 ルイズの叱責。いや、レックスとてタバサの意図は理解しているのだ。 竜人(ギオラム)には魔力障壁があるので、冷気攻撃も、魔法そのものは通用しない。だから部屋ごと冷やしてしまえ、というわけだ。 いくら優秀な魔力障壁とはいえ、周囲の温度変化まで完全に遮断できるはずがない。実際、レックスやルイズたちも、レックスの魔法の壁で覆われているはずなのに、冷気の影響をモロにくらっている。これでは、どちらが先に参ってしまうのか......。 「でも......言っちゃなんですが、あっちの魔力障壁は、私のものより優秀ですので......」 レックスの泣きごとに。 「そうか。ならば、その魔力障壁を何とかすればよいのだな?」 自信ありげに問いかけてきたのは、ジョゼフ王。 彼にどんな秘策があるのか、わからぬままレックスが頷くと、 「これでよかろう」 言いながらジョゼフは、懐からオルゴールを取り出してみせた。茶色くくすみ、ニスもはげた古いオルゴールだ。蓋を開いても、何も聞こえてこない。 しかし。 「......!」 ルイズの表情が変わる。まるで何か重要なメッセージでも聞いたかのように。 彼女の様子を見て、ジョゼフ王は満足げに、一つ頷いてから、 「ミューズよ。余とミス・ヴァリエールが呪文を唱える間、時間を稼いでくれ」 「御意」 今度は、ジョゼフの使い魔――ジョゼフからはミューズと呼ばれワルドからはシェフィールドと呼ばれた女――が、数体の小さな人形を取り出した。 それらは人間大のガーゴイルへと姿を変え、竜人(ギオラム)ベヅァーに襲いかかる。 (頼みましたよ......シェフィールドさん) 主人の呪文詠唱の時間を稼ぐ。本来ならば、これもガンダールヴの役割の一つ。しかし今のレックスは、ベヅァーからの攻撃に備えるだけで手一杯。そちらはジョゼフの使い魔に任せるしかなかった。 「ええい、鬱陶しい!」 竜人(ギオラム)ベヅァーが喚く。 ガーゴイルたちの攻撃は魔力障壁に阻まれ、バヂバヂと音を立てて足踏みを余儀なくされている。それでもベヅァーは、おのれに迫ってくるものを不快に感じたらしい。竜人(ギオラム)は両手をかざし......。 「お前たちなど添え物に過ぎぬというのに! 誰よりも私が殺してやりたいのは、そこのルイズという小娘なのだぞ!」 手のひらから生み出された魔力の衝撃波が、一つ、また一つ、ガーゴイルを打ち砕いてゆく。 だがシェフィールドとしては、これで良かったのだ。 そうして竜人(ギオラム)が、人形たちの相手をしている間に。 「ウル・スリサーズ・アンスール・ケン......」 ルイズとジョゼフの口から紡ぎ出される、ルーンの二重唱。 「......きゅい?」 シルフィードは困惑しているが、他の者たちは薄々察していた。いったい何が起ころうとしているのか、を。そして攻撃のタイミングを見計らっているうちに......。 「......ユル・エオ・イース!」 呪文が完成し、二人の『虚無』が同時に、竜人(ギオラム)目がめて杖を振り下ろす。 「そんなもの! はねのけてくれるわ!」 ベヅァーは、おのれの魔力障壁に絶対の自信を持っていたに違いない。 しかし虚無魔法『解除(ディスペル)』をダブルで食らった瞬間。 「!?」 ベヅァーの表情が変わった。手応えから感じたのだろう、魔力障壁が消失したことを。 動揺しながらも、即座に魔力障壁を張り直そうとするベヅァー。 そこに。 「そうはさせん!」 飛び込んでいったのは、白い仮面のメイジ。 危ない、とレックスは思ったが、警告する間はなかった。 案の定。 竜人(ギオラム)は、咄嗟に防御から攻撃に切り替えて、手に集めた全魔力を白仮面にぶつける。 あわれ、白仮面は頭を吹き飛ばされ、その場に倒れ......。 いや。 倒れるより早く、その場で消え去る仮面のメイジ。しかし、その消滅した後ろから。 「何!?」 先頭の『ワルド』に隠れていた三人の『ワルド』が、同時にベヅァーへと突撃。三本の『エア・ニードル』が、竜人(ギオラム)の体に突き刺さった。 ぐふっ、と竜人(ギオラム)が血を吐くのを見つめていると、レックスのすぐ隣から、冷静な声が聞こえてくる。 「私は、そこまで愚かではないよ」 本物のワルドだ。 つまり。今、斬りかかっていったのは......すべて『偏在』! 「ならば......遠慮する必要はないですね。ワルドさん」 あの三人を巻き込んでもいい、ということだ。 それに、ベヅァーがあの様子では、もうこちらの防御もいらないだろう。それはつまり、レックスも攻撃に参加できるということ......! 「冷冥召喚陣(ク・ルセル・グ・ファ)!」 レックスの冷気の術が。 「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ハガラース......」 タバサの『氷の槍』が。 三人の『偏在』ワルドごと、ベヅァーに突き刺さる。 「がぁっ!?」 さしものベヅァーも、これではたまらない。 もう魔力障壁を張り直す力も残っていなかった。体のあちこちが凍りつき、目に見えて動きが鈍ったところで......。 「みんな! 今よ!」 床から伸びた『土の手』が、竜人(ギオラム)の体をガッシリと拘束し。 動けぬその身を『エア・カッター』が切り刻み。 全身まるごと、キュルケの炎が焼きつくし。 そして、最後に。 「とどめよ!」 「......貴様か......ルイズ! やはり......貴様だけは......絶対に......」 ボロボロの体で血を吐きながらも手を振りかざす、ベヅァーに向けて。 ルイズの爆発魔法が炸裂した......。 ######################## 「ねえ。さすがに......死んだのよね?」 「トカゲだぞ。再生するかもしれん」 「いえいえ。そんな能力、竜人(ギオラム)にはありませんから。......少なくとも私が知るかぎり」 竜人(ギオラム)の死体を取り囲む一同。 そこに。 「後の処理はお任せください。後片付けを済ませてから......我らロマリアの民は、ロマリアに戻ります」 そう言いながら入ってきたのは、年の頃ならば十五ほど、白い巫女服に身を包んだ少女だった。 ジョゼフやタバサは、彼女のことを知っている。ベヅァーの片腕として働いていたロマリア人、ミケラである。 ミケラは、その場の面々を見渡してから、ペコリと頭を下げた。 「あ、あの......。主人の仇をとっていただき、ありがとうございました」 ここで彼女が言う『主人』とは、偽教皇ベヅァーのことではなく、本物の故ヴィットーリオのことであろう。それくらいは、レックスたちにも理解できた。 ......彼女に仇討ちの意志があったならば、今回、兵士たちの抑えをしていたのはミケラに違いない。 もちろん、最初に「トリステインから来た連中をこの手でいたぶってやろう」と言い出したのは、ベヅァー本人だったはず。余裕に満ちあふれた竜人(ギオラム)の、ちょっとした遊び心だったはず。 その気持ちを利用して、彼女は衛兵たちを決戦の場に近づけさせず、一対多の状況を作り上げたり、さらには助っ人の参入も見逃したり......。 そこまでは容易に推測できるのだが。 「......なぜ?」 一同を代表して、疑問の言葉を口にしたのは、タバサだった。彼女らしく端的すぎる言葉であるが、一応は意味が通じたとみえて、 「はあ......」 深いため息と共に。 「......説明の必要がありそうですね。なぜ私たちが主の仇に従っていたのか。そして土壇場になって、皆様を助けるような真似をしたのか......」 ミケラが、ゆっくりと喋り始める。 「今回皆様をお助けしたのは、これこそが仇討ちの好機と思ったからです。やはり......仇をとりたい、という気持ちには勝てませんでした。我々は今まで、主の御遺志を継ぐためにやむなく、自分たちの気持ちを押し殺して、あの化け物に従ってきたのです......」 近いうちにハルケギニア全土が、大隆起という災害に見舞われること。その対策として、教皇ヴィットーリオが『聖地』奪回を企てていたこと。しかしハルケギニアの人間とは異なる魔法技術を持つベヅァーならば、わざわざ『聖戦』などせずとも、大隆起の原因となる『風石』を掘り出せたこと。実際、今のロマリア領内には、もはや大隆起の危機は存在しないこと......。 ミケラにとっては苦い思い出も詰まった話であろうに、彼女は、涙一つ流すことなく語る。もう涙も枯れてしまったのだろうか、とレックスは哀しく思った。 「ですから......。支配の手をハルケギニア全土に広げれば、他国の『風石』掘削も容易となり、大隆起の原因を取り除けるので......」 「そんなもの......武力で他国を併合せずとも、掘らせてください、と交渉すればよかったのでは......?」 「だめよ、レックス」 ポツリとつぶやいたレックスに、ルイズが小さく首を振る。 ハルケギニア世界において、もともと『風石』は貴重なものであり、その掘削には巨大な利権がつきまとっていた。国同士の交渉にも使われるくらいであり、おいそれと掘らせてもらえるものではなかったのだ。 「でも、掘らないと世界が滅亡するのでしょう? ならば......」 「その滅亡云々を信じれば、の話ね。ハルケギニア全土が空に浮くなんて......実際に目にするまで、とても信じられない話だわ」 ルイズに続いてキュルケも、 「あなたを疑うわけじゃないけど......本当なの? その、大隆起、って話?」 「皆様がお疑いになるのも無理はありません。ですが、これはかなり昔から調査されてきたことで......」 ここでミケラは、ワルドに視線を向けて、 「子爵の母上もご存知だった、とか」 「......さすがロマリアの情報網だな。そんなことまで......」 ワルドの顔に驚きの色が浮かぶ。それまで平然としていたのが今さら驚くということは、少なくともワルドは大隆起を知っていたのだ......と、レックスは気づいた。 「あ! では、ワルドさん、あなたが以前から『聖地』奪回を口にしていたのも......?」 「まあ、そういうことだ」 詳しくは語りたくない、という彼の表情を見て。 あまり立ち入ってはいけない問題なのだろう、とレックスは悟った......。 ######################## ######################## 「......というわけで、無事にベヅァーという竜人(ギオラム)を倒し、ひとまずのケリはついたのでした」 地下にある召喚の部屋にて、長い長い物語を話し終えたレックス。 それまで周りの者たちは、相づち一つ挟むことなく、黙って聞き入っていたのだが......。 これで終わりということで、誰かがハァーッと息を吐いた。すると、まるでそれが合図であったかのように。 「なんともすごい話ですな!」 「我々とは異なる魔法の存在する世界とは......!」 「強敵たる竜人(ギオラム)相手に、レックス殿は、なんとも勇敢に......」 てんでバラバラに、皆が感想を述べ始めた。 そんな中。 「......しかしのう、レックス。今の話を聞くと......まだまだ続きがありそうなんじゃが?」 ひときわ大きな声でレックスに話しかけたのは、老将軍ロッドゥェル。これにはレックスも苦笑し、 「まあ、それはそうなのですが......」 竜人(ギオラム)ベヅァーと同じ世界から来たレックスならば、やはり特別な魔法技術があるだろうし、深すぎる『風石』も掘り出せるのではないか、と期待されて悪戦苦闘した話とか。 共通の敵に対して一時的に手を組んだガリア王ジョゼフが、しばらくしてから、やっぱり悪役ぶった態度で立ちふさがってきた話とか。 実はルイズの爆発魔法は『エクスプロージョン』という立派な虚無魔法の出来損ないだった、という話とか。 苦労の末ルイズが『世界扉(ワールド・ドア)』という虚無魔法を習得してくれて、おかげでこちらへ戻れるようになった話とか。 「......たしかに、まだまだ冒険談は色々ありますが。ほら、とりあえずの区切りとしては、この辺がちょうどいいかと思いまして......」 「なるほど。続きは後日......ということじゃな」 老将軍の言葉に、レックスが頷いた時。 魔法陣の台座の上で、何かが輝き始めた。 「......これは!」 キラキラ光る小さな粒。大きく膨らんで鏡となり、映し出される異世界の風景。その鏡のようなものを通り抜けて、こちらへ来ようとする人影......。 レックス帰還の再現である。 しかしレックスは、もうこちらにいる。 今度やって来たのは......。 「ぷはぁっ! ようやく辿り着いたわ! ......ここがレックスの世界なのね?」 桃色の髪の少女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。 「ルイズさん!? なぜ、あなたがここに......」 「一度この目で見てみたかったから、遊びに来たの。それに......」 あっけらかんと答えられて、レックスはようやく気づいた。使い魔として契約してしまったレックスを、いやに簡単に帰してくれると思ったら......。こういうことだったのか。気軽に遊びに来るつもりだったのか。 「......あんたは私の使い魔なんだからね!」 「ははは......」 引きつった笑いと共に、絶句するレックス。思わず目をそらすと、ふと、左手のルーンが視界に入った。 もしも手に巻かれた人工的な装置か何かならば、たとえ「無理に外したら爆発する」と脅されたとしても、いつかは取り外す気になったかもしれない。 でも、これは、そういう類のものとは違う。言わば永遠の......絆なのだ。 「レックス殿。もしや、その娘が......?」 「はい。さきほどの話に出てきた......ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢。私の......御主人様です」 おそるおそる尋ねてきた髭面の将軍に、渋々ルイズを紹介するレックス。 「......レックス殿の話にあったような、そんなすごい魔道士には見えんが......」 「あー。『世界扉(ワールド・ドア)』でこちらに来たということは、おそらく......」 レックスがギギギッと視線を戻すと、ルイズは軽く頷いてみせた。 「そう。私の精神力、もうほとんど空っぽだから」 ただでさえ虚無魔法は精神力の消耗が激しいのだが、レックスの知るかぎり、ルイズの使う『世界扉(ワールド・ドア)』は、それが顕著である。 そして。 精神力からっぽで魔法の使えないルイズなど、文字どおり『ゼロのルイズ』。そんな状態で遊びに来たところで、『遊び人レベル1』みたいなものだ。 「......なんだ。では助っ人にもならん、役立たずではないか」 「なんですって!?」 「ああ! ダメです、ルイズさん! そちらのおかたは......」 ルイズが杖を振り、小さな小さな爆発が、クルーガーの鼻先で生じる。 「空っぽって言っても、これくらいは出来るのよ!」 エッヘンと胸を張るルイズだが、それどころではない。 「あああっ! 殿下っ! 大丈夫ですかっ!?」 「きさまぁぁっ! いきなりなんつぅことをっ!」 「そこになおれっ! 不埒者っ!」 目くらまし程度の爆発とはいえ、いきなり王子を襲ったのだ。大騒動である。 「申し訳ありません! あとでよく言って聞かせますから! この場は私に免じて......」 「......まあ待ちなされ、皆の衆。今日のところはレックスの顔を立てようではないか。別の世界から来た娘なのじゃ、色々と習慣や考え方も違おうて。......それでよいですな、殿下?」 「まあ、老将軍がそう言うのであれば。......実害は何もなかったからな」 お咎めなし、で収まったのは、奇跡と言えるかもしれなかった。 ともかく。 一度こちらへ来てしまった以上、精神力が回復して『世界扉(ワールド・ドア)』を再び使えるようになるまでは、ルイズはハルケギニアに戻れない。 「それまで......よろしくね!」 「よろしくね、じゃないですよ。まったく。......くれぐれも危険なことはしないでくださいね?」 「大丈夫。あんたが守ってくれるから」 「そんな......」 談笑する二人は、この後この地で白い竜人(ギオラム)と再会――ベヅァーの側から見れば初遭遇――することを、まだ知らない......。 こうして。 レックスの異世界冒険が終わったと同時に。 今度は、ルイズの異世界冒険が始まる。 (日帰りガンダールヴ 完) |