第一部「メイジと使い魔たち」(第一章・第二章・第三章・第四章) 番外編短編1「刃の先にダーク・ナイト」 第二部「トリステインの魔教師」(第一章・第二章・第三章・第四章) 番外編短編2「ルイズ妖精大作戦」 第三部「タルブの村の乙女」(第一章・第二章・第三章・第四章) 番外編短編3「ゼロのルイズ冤罪を晴らせ!」 外伝タバサの冒険「タバサと獣神官と暗殺者」(前編・中編・後編) 番外編短編4「千の仮面を持つメイジ」 第四部「トリスタニア動乱」(第一章・第二章・第三章・第四章) 番外編短編5「いもうとクエスト 〜お嬢さんのためなら〜」 第五部「くろがねの魔獣」(第一章・第二章・第三章・第四章) 番外編短編6「少年よ大志を抱け!?」 第六部「ウエストウッドの闇」(第一章・第二章・第三章・第四章・第五章・終章) 番外編短編7「使い魔はじめました」 第七部「魔竜王女の挑戦」(第一章・第二章・第三章・第四章・第五章・第六章) 第八部「滅びし村の聖王」(第一章・第二章・第三章・第四章・第五章・第六章) 番外編短編8「冬山の宗教戦争」 番外編短編9「私の初めての……」 第九部「エギンハイムの妖杖」(第一章・第二章・第三章・第四章) 番外編短編10「踊る魔法人形」 第十部「アンブランの謀略」(第一章・第二章・第三章・第四章) 番外編短編11「混ぜ物、ダメ、ゼッタイ」 第十一部「セルパンルージュの妄執」(第一章・第二章・第三章・第四章) 番外編短編12「ハルケギニアの海は俺の海」 第十二部「ヴィンドボナの策動」(第一章・第二章・第三章・第四章・第五章) 第十三部「終わりへの道しるべ」(第一章・第二章・第三章・第四章・第五章) 番外編短編13「金色の魔王、降臨!」 第十四部「グラヴィルの憎悪」(第一章・第二章・第三章・第四章・第五章) 番外編短編14「ヒラガサイト双月草紙」 第十五部「魔を滅せし虚無達」(第一章・第二章・第三章・第四章・第五章) |
輝く杖が昼の光を照り返し、はためくマントがパタパタと音を立てる。 私とその使い魔サイトは、同時に深いため息をつく。 二人の前に立ちはだかったのは、まだ若い学生メイジたち。その数ざっと十名弱。 「とうとう見つけたぞ! 悪党ども!」 リーダー格の男が一人、こちらをビッと指さして、声を高々はり上げる。 私たちを『成敗』しに来た、本日五組目のメイジご一行様である。 「大罪人、ルイズとサイト! お前たちの悪行も、これまでと知るがいいっ!」 ......まあ、好きなように言ってちょうだい。 そうやって朗々と口上を述べている暇があったら、呪文の一発でも撃てばいいのに。 貴族たるもの正々堂々と勝負......なんて思ってるんでしょうね。甘ちゃんだこと。 かといって、こちらから攻撃するのも気が進まない。それこそ、私たちは悪人ですと告げるようなもの。本当は違うのに......。 この、どうしようもない状況は、今日をさかのぼること数日前に始まった......。 ######################## 村というほどの規模でもない、小さな集落。野宿するよりはマシと思って立ち寄った私たちは、村人たちの敵意と警戒のまなざしの中、村長の家に招かれた。出された夕食に、いくどか口をつけた途端、強烈な睡魔に襲われて......。 気がつくと、私は捕まっていた。手足は徹底的に縛られていたし、ごていねいなことに、さるぐつわまでかまされている。 「目がさめたか、ルイズ?」 目の前では、両手両足をロープで縛られたサイトが転がっている。私と違ってさるぐつわをされていないのは、私がメイジ、彼が剣士だからか。 私の杖もサイトの剣も当然取り上げられていた。それでもメイジの呪文を警戒したのであれば......敵は魔法のことをよく知らん連中だな、うん。 「ぬーふっむんぬぬっ! ふむぬっ!」 ちゃんとしゃべれないので、とりあえず暴れてみる。しかし念入りに縛りつけてあるようで、元気なイモムシさんみたいにぴょこぴょこ動くのが関の山。 ここは、使われなくなった馬小屋か何かのようだ。古い藁が敷いてあるが、獣くさい臭いがする。入り口のところには、大柄で屈強な女と、やせぎすの女。見張りなのだろう。 「おっ! 女の方も目をさましたみてぇだぞ」 「あ......ああ。そうだね」 見張りたちが声を上げる。やせぎすは、ちらりとこちらの方を見て、 「しかし......とてもじゃないが、そうは見えないよね」 「そこが怖いところさ。外見にだまされて油断したところを......なんてこともあるだろうしな」 なんだかよくわからないセリフを、さも知ったふうに言う大女。それに深々とうなずくやせぎす。 「......なあ、どうなってんの? 何で俺たち捕まってんのか、教えてくれよ......」 唐突に声をかけられた声に二人はビクンと体を震わせ、あわてて声の主の方へ――つまりサイトに――視線を移す。 「けっ! 何言ってやがる! とぼけたってムダだからなっ!」 「お......おい、ほっとこうよ、男なんて......」 「......それもそうだな」 二人は、再び私を見る。 「この女の方......このまま役人に突き出すのは、ちょっともったいないよね」 「ああ。街まで出かけても見ねえほどの上玉だ」 ちょっと待て! そのスケベそうなまなざしは何!? それは男が女を見る目だ! あんたたち......そーゆー趣味の方々だったのか!? 「役人たちに引き渡しても、どうせ縛り首か何かにしちまうだけだろうが。ならオレたちがいただいちまっても、どこからも文句は出ねぇよな」 出るわい! だいたい、私たちは重罪人なんかじゃないやい! どうやらどこかの指名手配犯と間違えられているようなのだが、さんざんイタズラされたあげくに「人違いでした。てへっ」なんぞ言われてもシャレにならん。 「そうだよね。死ぬ前にイイ思いできるんだから......この子も喜ぶよね」 「そーゆーこった」 ええい! 身勝手な理屈はやめろ! しかし、この二人、こういうことには慣れているのか。 大女が脚に体重のせて私を逃げられなくして、それでも暴れる私の肩をやせぎすが押さえつけた。 ぎゃあ! 私の貞操の危機! しかも女相手に! 「さて......それじゃあ......」 私のブラウスのボタンに、大女が手をかけた時。 「いいかげんにしろ!」 叫んだのはサイトだった。 二人の見張りは、彼の発する『気』に圧されたようだが、それでも私から離れない。 「彼女に手を出すな。さもないと......」 厳しい視線で二人を睨みつけるサイト。 でも、それに怯むような女ではなかったようだ。 「......へっ。その状態で何が出来るっていうんだい?」 「そ、そうだよ! 何が出来るのさ! 言ってごらんよ!」 二対一。もともと口は達者ではないサイト。だけど頑張れ! 全力で応援するぞ! 「もう一度言う。彼女に手を出すな。さもないと......」 「さもないと?」 サイトは静かな口調で、しかしキッパリと答える。 「奇病がうつるぞ」 なんじゃそりゃ。 見張りの二人も、気勢をそがれたかのように顔を見合わせている。 「......奇病?」 「そうだ。胸がぺったんこになる奇病だ。『大平原の小さな胸』という病名らしい。治療法はない」 おい。 「......嘘だと思うなら、そのボタンを外して、自分の目で確かてみるがいい。だが指一本でも触れてみろ、一日と経たないうちにお前たちの胸も......」 サイトの言葉を聞いて、見張りたちがみるみる青ざめる。 「や......やっぱり、まずいよねえ。悪人に手を出す、っていうのは......」 「そ、そうだとも。そのとーりさ」 ひきつった顔で、かわいた笑い。 「......なあ、見張りは外でやらないか......」 「そ......そうだな......。同じ部屋にいて、うつっても困るし......」 二人は私の方をチラリチラリと振り返りながら、やがて一つしか扉から出て行く。 「やれやれ。なんとか出ていったな、ルイズ。俺......うまくやっただろ?」 ほめてほめて、という満面の笑顔のサイト。ブルンブルン尻尾を振っている犬のようだ。まさにバカ犬。 私は、鬼の形相で、彼の方へと這っていき......。 「あれ? ルイズ、なんで怒ってんの? ......おい、ちょっと待てっ!」 メシッ! 私の両足を使ったケリが、まともにサイトの顔面にめり込んだ。 ######################## 「ひどいよルイズ......」 「で、でも! いくらなんでも、あれはないでしょ!? だ、だ、大平原の小さな胸ですってえええ!?」 「うわっ! もう十分だ! わかった、俺が悪かった! けどさ、リアリティーを出すためには、あれくらい言わないと......うげっ!」 見張りがいなくなったので、かなり自由になった。二人で協力したら、なんとか縄抜けも出来たし、当然さるぐつわも外せた。 おかげで、こうしていつもどおり、ケンカするほど仲が良いという状態に戻ったわけだ。 「......なんてやってる場合じゃないわね」 「そういうことは蹴る前に言ってくれ。......だが、ルイズの言うとおりだ。見張りは外の戸口に二人。一人ずつ、やっつけるか?」 「いいえ。一人だけでいいわ。残った方から、事情を聞き出さないと」 打ち合わせ終了。 実行するのも簡単だった。 「あっ! てめえら......ぎゃっ!?」 「ひええええええ! お助けええええええ!」 大柄の方をサイトの当て身で失神させたら、残ったやせぎすは両手を上げて命乞い。 「か......かんべんしてください! どうか、どうか命だけはぁぁっ!」 外に出てみたら、もう真夜中であった。 他の村人たちは、とうの昔に寝静まったのだろう。立ち並ぶ家々には明かりの一つも灯っておらず、その黒々としたシルエットだけが、ひっそりと佇んでいる。 むろん、あたりに人の気配はない。 「さて。じゃあ教えてもらいましょうか。どうして私たちを捕まえたりしたわけ?」 「どうしてって......あんたら立派なおたずね者の賞金首じゃないですか!」 「はあ?」 私とサイトは、思わず顔を見合わせる。 「人違いね。私はルイズ。で、こっちが......」 「サイト......とか何とかって名前でしょ? 手配書に書いてあった。生け捕りに限り賞金を支払う、って......」 ......ということは、私たちの名前を騙る悪党がいるのか、あるいは、どこかの悪党が私たちに賞金でもかけたのか。 しかし、生け捕りに限りというのは、解せない話である。 「て、手配書なら村長さんの家にある。く、詳しいことは村長さんに聞いてくれよ! あんたらの荷物も、そこにあるから!」 これだけ聞けば十分だ。 みぞおちにパンチ一発。こいつも気絶させてから、私たちは村長の家へ向かった。 ######################## 「お静かに。どうか大きな声を立てないように......」 「お前さんがたか......」 老人は、突然の来訪者にも驚いた様子を見せず、静かにベッドから半身を起こす。 まるで私たちが来るのを予想していたかのような口調だ。これでは、こっちが戸惑ってしまう。 「荷物を......返していただけないでしょうか」 「そこの棚のいちばん上じゃ。持って行きなされ」 思わず敬語を使った私に、老人はあっさりうなずいた。 サイトが言われた場所に手を伸ばしている間に、私は、さらに尋ねる。 「けど......なぜなんです?」 「あんたらがやって来たと聞いて、薬を盛るように指示したのは確かにわしじゃ。しかしあんたらの寝顔を見た時、わしはふと思ったんじゃ。これは何かの間違いじゃあなかろうか、とな......」 「それなら、村人たちに一言いってくれれば......」 老人は、静かに首を横に振る。 枕元から一枚の羊皮紙を取り出し、私たちに渡す。 「これは......!?」 まぎれもなく、私たちの手配書だった。とてもじゃないが正気の沙汰とは思えぬ賞金額が記されている。 たとえ一国の王様殺して逃げたって、ここまでの額は出ないだろう。 「......これだけの金があれば今年の冬はラクに越せる、と喜び騒ぐ村人たちじゃ。どうして『何かの間違いかもしれないから逃してやろう』などと言えようか」 老人は語り続けるが、私たちは、きちんと聞いていなかった。 手配書に書かれていた似顔絵と名前で、頭がいっぱいだったのだ。 私とサイトだけではない。キュルケの名前もある。そして、もう一人。青い髪の少女。......タバサだ。 この四人が関わった事件と言えば、あれしかないのだが......まさか......。 「それにもう一つ、その賞金をかけた人物が、デマを流すような人物ではなくての......。直接の知り合いではないが、高潔な人物として名が通っておる」 この言葉は、しっかり聞こえた。嫌な予感がしながら、私は質問する。 「ご存知なんですか? 誰がこの賞金をかけたのか?」 「高貴な身分でありながら、庶民の味方として名高いお方じゃ。あんたらも噂くらいは聞いたことがあるじゃろう、無能王ジョゼフ様。......お心あたりがおありかな?」 ######################## 無能王ジョゼフ。 ガリアの王でありながら、魔法が苦手で、役人や議会からも軽んじられ、旅に出た男。 しかしマジックアイテムや魔法薬の扱いには才能があり、旅先では、しばしば庶民を助けた。魔法がダメなことも平民からは親しみを持たれる理由となり、その意味で『無能王』という愛称を使われる人物......。 これが世間様の認識だ。が、その正体は、とんでもない化け物であった。 しばらく前、彼と衝突することになった私たち――私とサイトとキュルケとタバサ――は、魔性と化した無能王を、やっとのことで倒したのだが......。 「村長、それならばもう、その手配は無効です」 私は言った。 「もともと何かの間違いでかけられたものなのでしょうが......。無能王ジョゼフ様は、しばらく前に旅先で亡くなられた、と聞き及んでいます」 私たちが倒した、などとは無論言わない。それこそ『一国の王様殺して逃げた』って思われて、話がややこしくなる。 「馬鹿を申すな。無能王ジョゼフ様は、かりにもガリアの国王じゃぞ? 御崩御されたら世界中の大ニュースになろうが、そんな話は全く聞かん。......そもそも役人がこの手配書を持ってきたのが二日前。聞くところによれば、この手配のふれが出たのは、ほんの一週間前のことらしいからのう」 一週間前? 私はサイトと顔を見合わせる。 そんなはずはない。 「......しかし、あんたらが本当に、世の中に対して何恥じることなく生きているのなら、王都トリスタニアにでも行きなされ。賞金の支払所もあるじゃろうし、何か詳しい話も聞けようて。そして無能王ジョゼフ様と話し合い、誤解を解くがよかろう......」 老人は、諭すように語る。 私たちは黙ってうなずき、村長宅を辞するしかなかった。 誤解がどーのとかいう話ではないのだが......。 ######################## 「......けどよう? 一体どういうことなんだ、ルイズ?」 一夜明けて翌日の昼。結局私たちは、夜中に村を抜け出したあと、野宿である。 ちょいと遅めの朝食をすませ、王都トリスタニアへと向かう旅路についたのだ。 トリスタニアには色々と知り合いも多いので、立ち寄りたくなかったのだが......。こうなっては、仕方があるまい。 「無能王ジョゼフが生きてるって話?」 「ああ。無能王ジョゼフって......。ルイズが髪を脱色させてまで倒した奴だろ?」 さすがのバカ犬サイトでもジョゼフとの戦いは覚えていたようだが、髪を脱色というのは、ちと違うぞ。まあ言いたいことは何となくわかるけど。 「いくつかのパターンが考えられるわね......。まず一番ありがちなのが、ジョゼフの偽物」 私たち四人に手配をかけたところをみると、ジョゼフの部下が、かたきを討つために彼の名を騙っている......というセンだ。 この場合、かたき討ちというだけでなく、「ジョゼフ様を倒した連中をやっつけて名を売ろう」という目的もあるのだろう。ならば自分の手で倒す必要があり、手配書に「生きたまま」という条件をつけた。 「次に、単なる連絡の不行き届き」 タバサが寝返って私を連れて逃げた後で、ジョゼフが部下に、私たちを手配するよう言い渡したのかもしれない。ところが何らかの手違いで、それが公布されるのがかなり遅れてしまった。 その時点ならば、ジョゼフの狙っていた宝を私たち側が持っていたわけだから、ジョゼフの前に連れてきて、その在処を聞き出さなければならない。だから生かして捕まえる必要があった。 「そして最後に、もう一つの可能性......」 私の真剣な顔を見て、サイトは察したらしい。 「無能王ジョゼフは本当に生きている......ってことか」 サイトの言葉に肯定も否定も返さず、私は空を振り仰ぐ。 「もしもそうなら......」 雲ひとつない青空に向かい、私はポツリとつぶやいた。 「......今度は勝てない」 ######################## ......などとシブいセリフで決めてはみても、結局のところ、まずやるべきことは、身にかかる火の粉を振り払わうことである。 最初あの村でとっ捕まって以来、私たちを『成敗』しようとするメイジやら騎士やらの数は、日ごとに増えていく。 さっきから私たちの目の前で、延々と何やら口上を切り続けている学生メイジたちも、そんな自称正義の味方の一組であった。 「......我らリュティスに名を馳せし、青の八メイジ、始祖ブリミルの加護を受け......」 大人の騎士ならともかく、学生メイジ相手に本気出すわけにもいかない。私も学生メイジだが、こいつらとは実力がケタ違い。私の全力魔法が炸裂したら、こんな連中、森ごと消滅してしまうだろう。 「......なあ、ルイズ。これ......いつまで聞いてたらいいの?」 「そうね......。私も、いい加減うっとうしくなってきたわ......」 ヒソヒソ声で聞いてきたサイトの言葉をキッカケにして。 ドゴーン! いっぱい手加減した、小さな小さなエクスプロージョンをお見舞いする。 直撃させないよう、連中の少し手前を狙ったのだが......。 あれ? 二人か三人、巻き込まれている!? 「ぎゃあ、逃げろ!」 「ううっ、こんなところで......」 「傷は浅いぞ! しっかりしろ!」 「これが悪魔に魂を売った者の魔力か!?」 倒れた仲間を抱え上げ、彼らは一目散に逃げ出した。 今の一発でビビっちゃうんだから、しょせんは貴族のお子様なのよね。 「さ、邪魔者は消えたわ。これで......」 「......ルイズ」 歩き出そうとした私の腕を、サイトがつかんだ。 振り返ると、彼は街道脇の森を睨みつけている。 私も視線の向きを合わせる。すると......。 「げ!」 そこに......。 赤い闇がわだかまっていた。 「あいかわらず......派手な魔法を使う娘だな」 二つの紅玉(ルビー)を眼とする白い仮面。 赤く硬質な何かに包まれた体。 人ではない。 「『赤眼の魔王(ルビーアイ)』......ジョゼフ=シャブラニグドゥ......」 私は、うわごとのようにポツリとつぶやいた。 ######################## 「久しぶりだな。わしを覚えていてくれたようで光栄だよ」 忘れるわけがあるまい。 しかし......。 まさかこんな真っ昼間から、魔王の姿で登場されるとは思わなかった。まあ考えてみれば、魔王と化した無能王が生きているということは、こいつが出てくるというわけなのだが......。 「心配するな。今日のところは、挨拶に来ただけだ。こんな殺風景なところで、お前とやり合うつもりはない」 杖を手にした私も、剣を握るサイトも、冷や汗タラタラ。そんな私たちの様子を面白そうに見ながら、魔王は告げた。 「わしは今、タルブの村の大きな家で、やっかいになっておってな......」 タルブの村。 ここから北に、五日ばかり行ったところだ。 もともとは良質のワインで知られた場所だったのだが、数十年くらい昔に、魔鳥ザナッファーによって自慢のブドウ畑は壊滅させられたという。 その後、魔鳥を倒した勇者が建てたあずまやに、生き残ったブドウのつるが巻き付いて、新たなブドウ棚が形成された。増改築を繰り返した結果、今では巨大なブドウ棚となっているらしい。それを村のステータス・シンボルとして、村そのものも、かなり大きく発展していると聞いたことがあるけれど......。 「一度は魔鳥ザナッファーに蹂躙された土地だ。わしとお前たちが本気でやりあっても、なあに、もう一度壊滅するだけ。たいした問題にもなるまい」 なるわい。 村の人々には大迷惑だ。 「......というわけで、わしはタルブの村で待っておるぞ。......本当の決着をつけたいのでな」 言うなり、フッとその姿がかき消える。 私とサイトはしばし、互いに顔を見合わせる。 「......今の......」 私が口を開きかけた途端。 「『イリュージョン』ですわ」 いきなりうしろで声がする。 慌てて振り向く二人。 そこに、一人の女が立っていた。 中肉中背、黒のマントにフードという、いたってありきたりなメイジの姿。しかし手には剣を持っている。 「......幻影を作り出す呪文です。虚無魔法の、初歩の初歩でしょう? あら、あなた虚無の担い手のくせに、知らなかったのですか?」 どうやら先ほどの『魔王』は本物ではなく、ただの幻だったらしい。 それもそうか。あんな姿でタルブからここまでノコノコ歩いて来たら、それこそ大騒ぎだったはず。 しかし......。 本当に虚無魔法を使ったのだとしたら、タルブの村にいるジョゼフというのは、やはり本物ということに......。 「基本的なことも知らないお馬鹿さんでしたのね。ならば、陛下のお手を煩わせるまでのこともありませんわ。このわたくし、モリエール夫人が今ここで、引導を渡して差し上げます!」 おいおい。 わざわざ私たちをタルブまで呼びたがっているジョゼフの意志は無視。いきなりといえば、あまりにいきなりなことをほざき出す。 よかれと思って先走り、結局他人に迷惑をかけてしまうタイプだ。 「やめといた方が......」 私は面倒くさそうにパタパタと手を振ってみせたが。 「いくぜ!」 あ。 なんかサイトが応じちゃってる。 左手のルーンも光らせて、駆け出していた。 「いざ、勝負!」 モリエール夫人とやらも、サイトと真っ向から斬り合うつもりのようだ。ガンダールヴ相手に、無茶なことを......。 と、思っていたら。 「あれ? このオバサン......結構強い?」 観戦モードの私の前で、予想以上の好勝負が繰り広げられていた。 互いの斬撃を、互いの剣が受け止める。 ぶつかり合う剣から、飛び散る火花。 サイトの剣からは、言葉も飛び出す。 「相棒! 無理だ! 本気でやれ!」 ......ん? どういう意味だ? 「だって! 相手は女の人だぜ!?」 「手加減できる相手じゃねーだろ!」 そういうことか。 サイトは相手が女性だから、殺さずに勝とうとしているわけだ。手を抜いていたからこそ、実力伯仲に見えていたのね。 しかしデルフリンガーに促され、サイトもようやく、モリエール夫人の腕前を認めたらしい。 サイトの表情が変わった。傭兵の目だ。情に溺れない、冷静な目......。 「すまんな!」 「うっ!?」 サイトが魔剣を一閃。 腰から肩まで、斜めにバッサリやられて、モリエール夫人は息絶えた。 ######################## そして、翌日。 朝もやの立ちこめる街道を、私とサイトは並んで歩く。 まだ少々眠いのだが、向かうべき目的地も変わった。タルブの村にジョゼフがいる以上、手配書を何とかするには、そこへ行くしかない。ならば、さっさと進むのが得策である。 「また今日も出てくんのかなあ......」 「......でしょうね」 サイトのつぶやきに、私は相づちを打った。 何が、という主語は必要ない。私たちを『成敗』しようとする正義の味方。 こんな早朝のうちから来やしないだろうが、人々が動き出す時間になれば、当然のように現れるだろう。 ......という予測は、少し甘かった。 「昨日は世話になりましたね」 街道の右手に見える小さな林。 その横にたたずむ黒い影が、私たちの方へ足を進める。 「出たあっ!? 幽霊だ!」 「......え?」 大げさに騒ぐサイトの隣で、私は目が点になっていた。 登場したのは、フードを目深にかぶった黒衣の女。 昨日死んだはずの......モリエール夫人である。 「何を驚いておりますの? まさか、このモリエール夫人を見忘れた......などというつもりはないでしょうね?」 いやいや、そうじゃなくて。 殺したはずの相手が出て来りゃあ、誰でも驚くわい! ......でも素直にそう言うのも少し悔しいので。 「......あんた、いつも自分のこと『モリエール夫人』って言ってるけど。その名乗り方......少し変じゃない?」 「あら、陛下はわたくしをそう呼んでくださいますから! わたくしも気に入ってしまったのですよ」 「......そう。まあ、いいけど......あんたも懲りない人ねえ。サイトにあっさり倒されたのを、忘れたわけでもないでしょうに」 殺された、とは言わない。死んだことに触れては負け、という気分がしたから。 「......わかってますわ。だから今日は助っ人を連れて来ました。......あなた方、出番ですわ!」 モリエール夫人の合図で、二つの影が林の中から現れる。 「......待っておったぞ」 「けっ、偉そうに言いやがって」 その二人を見て、サイトがまた大騒ぎ。 「またまた幽霊だあっ!?」 「......あんたたち!?」 今度は私も、一緒になって叫んでいた。 (第二章へつづく) |
「どうやらまだ元気だったようだな、貧乳娘」 ニヤけた声で言ったのは、禿頭の中年メイジ。ただし今日は杖ではなく、大剣を手にしている。 普通の奴から『貧乳娘』などと呼ばれたら私は腹を立てるのだが、こいつの場合、それより先に気持ち悪くなる。なにしろコイツ、前に会った時にはイヤラシイ顔で「貧乳たまらん」とほざいていたのだ。 ミスコール。私が戦いたくない相手ランキングでナンバーワンの男である。 「ミスコール男爵! 敵とはいえ相手はレディであろう!? 貧乳娘などと失礼なことを言ってはいかんぞ!」 仲間を叱責するのは、こちらも剣を手にした禿頭。名前は......たしかソワッソン。貴族のメイジだ。 なるほど、この二人を連れて来たから、今日のモリエール夫人は自信満々なわけか。 しかし......。 モリエール夫人も含めて、三人とも死んだはずの人間なんですけど!? 何この幽霊軍団!? 「なあ、ルイズ? これも何かの魔法か!? 死人を蘇らせる魔法があんのか!?」 「ガタガタ騒がないの! 男の子でしょ!?」 そう言う私も動揺していたのだが、サイトの言葉で、少し冷静になった。 そう、きっとこれも魔法。ただし、さすがに魔法で死者蘇生は無理だろうから、何らかのトリックを魔法でやっているのだ。 ならば......こちらも魔法で! 「サイト! ちょっと時間を稼いで!」 「......何か策があるのか? よし、まかせろ!」 私の盾となるべく、魔剣デルフリンガーを手に、サイトが前に立つ。 「時間稼ぎですって......? そんなことさせるもんですか! さあ!」 モリエール夫人の掛け声と共に、三人が向かってくる。 それをサイトが剣一本で受け止める! 右から左から正面から。迫り来る三つの斬撃を、サイト一人で相手する。さすが伝説の使い魔ガンダールヴ! その間に......。 「ウル・スリサーズ・アンスール・ケン......ギョーフー・ニィド・ナウシズ......」 トリステイン魔法学院でも、人間そっくりの精巧なガーゴイル(魔法人形)が出てきたことがある。あれと同じなら、同じ方法が通用するはず! 「......エイワズ・ヤラ......ユル・エオ・イース!」 最後まで詠唱した『ディスペル・マジック』だ。辺り一帯を『解除(ディスペル)』するに十分だった。サイトと戦っていた三人がバタバタと倒れる。 「......やったのか?」 「そうみたいね。......ちょっと予想とは違ってたけど」 私は三つの死体に目を向け、顔をしかめる。 人形などではなかった。本物だった。死体そのものを操る魔法だったらしい。 「ひどい話だな......」 サイトも私と同じ気持ちなのだろう。 私は小さなエクスプロージョンで地面に穴を開け、サイトが三人の死体をその中へ。 簡単な埋葬を済ませた後、私たちは、また歩き出した......。 ######################## 「しっかし......結構うっとうしいもんだな......学生メイジのマントってやつはさ」 昼食を突っつきながら、サイトは一人ぶうたれる。 「ぶつぶつ言わないの。これで無用のドンパチはかなり避けられるはずなんだから。そう思えばどうってこともないでしょ?」 途中にある小さな町に立ち寄った私たちは、まず仕立屋に行き、『変装』をおこなったのだ。 私は白い法衣の巫女姿。大きなフードで、特徴的なピンクの髪もかなり隠れている。トリステインの聖女と呼ばれてもおかしくない格好になった。 一方サイトの方は、いつもの青と白の上着――パーカーというらしい――を外して、代わりに大ぶりのマントを羽織り、メイジに化けた。 さらにヘッド・リングや護符のペンダントをジャラジャラとぶらさげており、背中には魔剣デルフリンガーもしょったままなので、かなり好戦的なメイジとなっている。 「......とは言うけどよ。変装というより仮装だぜ、これじゃあ。見るやつが見りゃあ、あっさり正体バレちまうだろ」 「見る人が見れば、ね」 私はクックベリーパイを食べながら、サイトに応じた。 こんな片田舎の町でクックベリーパイが食べられるとは思わなかった。ちょっと幸せ。今日はいいことありそうだ。 「今まで私たちを狙ってきた『英雄』たち、あの手配書を頼りに探してるのよ。格好を変えちゃえば、あんな似顔絵だけで私たちを見分けるのは、ほとんど不可能。......つまり私たちと面識のない連中は、これでオサラバってわけ」 自信満々に言い切って、エヘンと胸を張ってみせる。 こんな簡単なこと、なんで今まで気づかなかったのか。むしろ、そっちが不思議なくらい。 ......と思った時だった。男が声をかけてきたのは。 「やあ、ルイズじゃないか! 元気そうだね、あいかわらず」 私は目が点になった。 ######################## ふり向くと、私のすぐ後ろに、一人の男が立っていた。 黒いマントに、白いシャツ、グレーのスラックス。旅の学生メイジの典型的な姿である。年のころは、私やサイトと同じくらい。 「よお、ひさしぶり」 「いつかはどうも!」 サイトは片手を上げ、男も挨拶に応じた。 ......あれ? 私はテーブルから身を乗り出すと、ポツリと小声でサイトに尋ねる。 「......誰だっけ?」 「何言ってんだ。マリコルヌじゃないか」 「へ!?」 私は再び振り返り、まじまじと男の体型を見る。 「あんた......痩せた?」 「うん」 トリステイン魔法学院で知り合った、学生メイジである。......と言っても、二つ名すら聞いておらず、私は『太っちょ』として認識していただけ。 まあ今でも標準よりはポッチャリさんだが、少し痩せただけでも、かなりイメージが違う。 「それより......あんた、なんでこんなところに?」 「僕も旅に出たんだよ! 学生メイジの本分は勉強することだって言う人もいるけど、この間の事件で、それは違うって思い知らされてね」 魔法学院でも私たちはちょっとした騒動に巻き込まれたわけだが、その際、このマリコルヌも関わっている。 「......外で遊び歩いていた君たちの方が、威張ってばかりの先生たちより、メイジとしては格上だったからねえ。だから、僕も真似することにした」 なるほど。貴族の学院でヌクヌクしているよりは、一人旅で苦労した方がカロリーも消費する。それで自然に、少しばかりダイエットになったわけか。 しかし......。 説明しながら、マリコルヌはニヤニヤ笑っている。おそらく道中の出来事を回想しているのだろうが、こりゃあ魔法修業じゃなく、本当に遊び歩いてるっぽいぞ。こう見えて、かなりの女好きだからなあ、この男。 「......あのさあ、マリコルヌ。ひとつ聞きたいんだが......」 「なんだい、アニキ?」 そもそもマリコルヌがサイトをアニキと慕うようになった経緯が......。 いや、止そう。思い出したくもない。 「ここで俺たちを見て、俺たちだってすぐにわかった? ......実は、これでも一応、変装してるつもりなんだけど」 「アニキ......。それは『変装』じゃなくて、ただの『仮装』だよ? そんなもんフクロウでも一発で見破るよ」 「......だそうだ......」 ジト目を私に向けるサイト。 うっ......。 「で、でも! 私たちを知らない人になら判んないでしょ?」 言う私に、マリコルヌは、いたずらっぽい笑顔を向けて声を低くし、 「......ははあ......あの手配書の対策だね......」 「知ってるの!?」 「当然だよ。この辺りじゃ、どこへ行っても君たちの噂で持ち切りだ。前代未聞の賞金首、何をやらかしたんだ、ってね。......ま、僕は君たちがそんな悪人じゃないって知ってるけどね」 「誤解よ、誤解。あの手配書は......ちょっとした手違いでかけられたものなの」 「なあ、ルイズ。マリコルヌ相手に、ごまかす必要もないだろ。......実はな、マリコルヌ。俺たち、手配をかけた奴からタルブの村まで来いって言われて......」 「こ、こ、このバカ犬!」 公衆の面前なので、軽く叩く程度で済ませておいた。 まったくもって考えの足らんサイトである。いきなり他人を巻き込んでどうする!? 「へえ。反撃しに行くの? 面白そうだね。じゃ、僕も一緒に行くよ。それならば賞金目当てで来る連中の目もごまかせるだろうし」 マリコルヌが意外なことを言い出した。 前の事件の時には、有名な盗賊メイジが一枚からんでいると知ったとたんにアッサリ逃げ出したというのに。 「ちょっと、マリコルヌ......。簡単に言うけど、相手はたぶん相当でかいわよ。......まあ、私たちもまだ、実態を見たわけじゃあないけど......」 「わかってるって」 いたって気楽に言うマリコルヌ。 「僕も戦う......なんて言うつもりはない。ヤバくなったら足手まといになる前に、ちゃんと逃げ出すよ。......ただタルブの村まで一緒に行くだけさ」 それから、少し遠い目で。 「アテのない旅の行く先としては、面白そうだもん。だって、タルブの村だよ? タルブの村と言えば......メイドの名産地!」 「......は?」 再び、目が点になる私。 何を言い出したんだ、この男は!? タルブの村は良質なブドウからワインを作ることで有名。ブドウの名産地とかワインの名産地と言うなら理解できるが......。メイドの名産地とは!? 「あれ? ルイズは知らないの? ......僕も話で聞いただけなんだけどさ、タルブの村には、大きなメイド塾があるんだって。そこで養成されたメイドは、どこに出しても恥ずかしくない、立派なメイドになるんだって!」 なんじゃそりゃあ!? そんな話は初耳だぞ!? しかし。 「ああ! タルブの村って......そのタルブの村か! どうりで、どっかで聞いたことある名前だと思った......」 「知ってるの!? さすがはアニキ!」 げ。 男二人が盛り上がり始めた。 ......と思いきや、どうも少し違うらしい。サイトは、ちょっと困ったような顔で、頭をかいている。 「知っているというか何というか......。ま、厳密に言うと、行ったことがある......かな?」 おい。 そういうことはもっと早く思い出せ。 「......どういうこと、サイト?」 「うん。こっちの世界に来たばかりで......まだ右も左も判らないころだったかな。しばらくタルブの村で厄介になってたんだ。そもそも傭兵の真似事を始めたのも、あの村での出来事がキッカケで......」 「アニキ、『こっちの世界』とか『来たばかり』ってどういうことさ? アニキは、遠くからルイズに使い魔として召喚されて来たんじゃないの?」 あ。 サイトがボロを出した。 確かにマリコルヌには、そういう設定を言っておいたはずだった。 しまったという顔で私を見るサイト。これでは、よけいにバレてしまう。 「いいわ。もう魔法学院でもないし、今さらマリコルヌに内緒にする必要もないでしょう。......いい? これは、ここだけの話よ......」 私はマリコルヌに説明する。 サイトは実は異世界から来たこと。私の魔法も『火』ではなく『虚無』であること。私たちが旅をしているのは、サイトを元の世界へ送り返せるような虚無魔法を探すためであること......。 短い間とはいえ、共に旅をするのであれば、これくらいは話しておくべきだと思ったのだ。さすがにジョゼフ=シャブラニグドゥの一件までは言わなかったが。 「......驚いた」 少し黙った後、マリコルヌが口を開く。 「アニキを使い魔にしてるくらいだから、ルイズもタダ者じゃないとは思ってたけど......。伝説の『虚無』か......」 「どうする? 今回の相手は、そんな私たちから見ても手ごわい奴なんだけど......」 私に言われて、一瞬言葉を詰まらせるマリコルヌ。 それでも。 「......な......なあに。さっきも言ったように、ヤバくなったら逃げ出すよ。本当に......ただタルブの村まで同行するだけさ」 こうして。 旅の仲間が増えた。 ######################## その日は朝から快晴だった。 旅はきわめて順調で、このまま行けば三人は、昼にはタルブの村に着ける。 変装と、プラス一名が効いたのだろう。あれ以来、私たちを狙う連中は面白いくらいパッタリ姿を現さなくなった。 しかし、そのプラス一名は、やや浮かない顔をしている。 ......なんだ? 私が疑問の目を向けると、彼は語り出した。 「風の妖精さんからお知らせがあります」 マリコルヌの二つ名は『風上』。もちろん、妖精というガラではないが......。 「安宿の壁は薄いんだヨ。妖精さんもビックリさ。隣でイチャつく音もバッチリさ」 「はあ? あんた......何か勘違いしてない?」 「そうだぞ? 俺たち、別にそういうことは何も......。なあ?」 私とサイトは、顔を見合わせる。 宿に泊まる際は、マリコルヌは一人部屋で、私とサイトは同室。サイトは私の使い魔だからだ。マリコルヌとは違うメイジが旅の連れだった時からの習慣で、私としては当然の割り振りをしているつもりだった。 「へえ? ......『サイト、こっち来なさいよ』『いいよ、俺は床の上で』『でも、それじゃ疲れがとれないでしょ。いざ戦闘って時に困るわ』『でもよ、ここのベッドじゃ狭いから......』『それでも硬い床よりはマシでしょ?』『いや、そういう意味じゃなくて......ルイズは女で俺は男だぞ!?』『違うでしょ、女と男である以前に、メイジと使い魔よ』『うーん。でも......』『御主人様の命令よ! ほら、早く来なさい!』『......わかった。それじゃ......おじゃまします』『あら、サイトったら! 体こんなに冷えちゃってるじゃないの!』『ああ。だからルイズも、これじゃ冷たくて嫌だろ?』『何言ってんの! あんたが風邪でもひいたら、誰が私の盾になるの!? ほら!』『おい!? 何やってんだルイズ!?』『あ、あんたを暖めるために......し、仕方なくやってるんだからね!』......これって、イチャついてるようにしか聞こえないんですけど」 「ちょっと待て。おいマリコルヌ、途中からお前の妄想が混じってるぞ!」 「そうよ! いつ私がサイトを体であっためたって言うのよ!?」 ひどい話である。 魔法学院以来、サイトと同じベッドで寝るようになったのは事実であるが、マリコルヌが想像しているような甘い会話は一切ない。 なぜか朝になったら私がサイトを抱き枕にしているのも、メイジと使い魔の自然な関係であって、男女の仲とは無関係である。だいたい、サイトが目ざめる前に、ちゃんと離れるようにしているし。 「そうかなあ? 風の妖精さんは、そういう会話を拾ってくるんだけど......」 「その風の妖精さんというのは、マリコルヌの想像上の生き物なんじゃねーの?」 「あんたたち......そろそろ警戒しなさいよ。もう少し行くと『臭気の森』だから」 気を引き締めるため、私が注意する。が、男二人は、怪訝な顔をした。 「『臭気の森』......?」 こいつら。 タルブの村の噂話を知っていたり、サイトにいたっては行ったことあったりするくせに、『臭気の森』も知らんのか。 「タルブの村に大きな被害を及ぼした魔鳥ザナッファー......。その死骸が散乱している場所よ」 バラバラにされた魔鳥ザナッファーだが、その肉片は腐り落ちることもなく、今でもタルブ近辺の森に残っていると聞く。普通の鳥や獣の死臭とも違う、異様な匂いが立ちこめているらしい。 「あんた、タルブの村に居たんでしょ? 『臭気の森』には行かなかったの?」 「うん。たぶん村の反対側で暮らしてたんだろうなあ、俺。......ま、まだ何も判らなかった頃の話だし、村を観光案内されることもなかったし」 アッサリと言うサイト。 マリコルヌも、首を横に振っている。 別に観光地ってわけじゃないが、『臭気の森』の話は、メイジ仲間では有名なはず。マリコルヌって、世間知らずなお坊っちゃんなのね、やっぱり......。 ######################## 森は不気味に静まりかえっていた。 異様にひんやりとした空気。木々の葉は、どす黒いほどに濃い色をしていた。 そして、ところどころに落ちている硬質な暗緑色の破片。ドロリとした正体不明の粘液。 「おい。これって......」 「そうね。きっと、これが魔鳥ザナッファーの肉片や体液ね......」 しかしサイトは、私の言葉など耳に入らないかのように。 フラフラと、魔鳥の『死骸』に歩み寄っていく。 「違う......」 つぶやきながら。 サイトは、魔鳥の肉片に手で触れて、愛おしそうに撫で回し始めた。 「何やってんのよ、サイト!?」 「アニキ、どうしちゃったのさ!」 私とマリコルヌが唖然とする中、サイトが語る。 「これは......魔鳥なんかじゃない。ゼロ戦だ。......俺の世界の戦闘機だ」 「せんとうき?」 「ああ。空飛ぶ武器だ」 「......サイトの世界の武器? じゃあ『破壊の杖』と同じ!?」 「ああ。規模は全然違うけどな」 トリステイン魔法学院にて秘宝扱いされていた『破壊の杖』。あれもサイトの世界から紛れこんだ武器だったという。 なるほど、魔鳥ザナッファーも、異世界からの武器だったわけか。それがハルケギニアで暴れたとなれば......。昔の人が対応に苦労して『魔鳥』扱いしたのも、無理はなかろう。 「昔々......俺の世界では、第二次世界大戦っていう、でっかい戦争があってさ。その頃、活躍した戦闘機だ」 サイトの世界の歴史を語られても、私やマリコルヌにはチンプンカンプン。それでも『世界大戦』という言葉から、世界を揺るがす大きな戦いだったのだろうという想像くらいは出来た。 そこで使われた飛行兵器。そんなものが、どうやって、この世界に......。 理由もなく迷い込んだのか、あるいは、誰かが意図的に召喚したのか!? ......が、それ以上考えている場合ではなかった。 ガサリ。 右手の茂みの葉が揺れたのだ。 「何だ......?」 「誰かいる......のか?」 マリコルヌは杖に手をかけ、サイトも表情を引き締めた。 私は、反対側の茂みに注意を向ける。今のが敵の陽動だ、という可能性も十分考えられるからだ。 「とりあえず......僕の呪文で......」 「やめなさい、マリコルヌ。無関係な人間が、用でも足してるだけかもしれないわ」 茂みはそれきり動かない。 私たちも動けない。 「......じゃあ、どうするよ?」 と、サイト。 マリコルヌも言う。 「ひょっとしたら......野ウサギか何かが逃げてっただけかもね」 普通ならば――『臭気の森』でなければ――気配で判るだろうが、ここでは無理だ。森そのものが異様な気配を放っているらしい。実に不便な話である。 しかし、ずっとこのままというわけにはいかないが......。 と。 「......う......うんっ......」 茂みの揺れた辺りから、小さなうめき声が聞こえてきた。 女の声だ。 「なあんだ、女じゃないか」 いきなり相好をくずし、無警戒に近づくマリコルヌ。 「きっと風の妖精さんが運んできてくれた、僕のパートナーだ! これで僕も、今夜からは寂しくないよ......」 ちょっと待て。 何をどう考えたら、そう都合の良い解釈が生まれるのだ!? しかし私やサイトがツッコミを入れるより早く、既にマリコルヌは茂みに分け入っていた。 「おーい、大丈夫だ。ただの行き倒れみたいだよ!」 私とサイトは、一瞬顔を見合わせてから、茂みの中へ。 そこに、一人の女性が倒れていた。 ######################## 二十代半ばくらいの女性だ。細い、ピッタリとした黒いコートを身にまとっている。マントはつけていないので、メイジではなさそう。深いフードに顔をうずめているが、その隙間からのぞく唇は、艶かしく赤くぬめっていた。 「ちょっと冷たい雰囲気の女性だけど、これ......僕が拾ったんだから、僕のものにしていいんだよね?」 「落とし物じゃあるまいし。あんたのものにしちゃダメよ、マリコルヌ」 「いやルイズ。落とし物だって、勝手に自分のもんにするのはどうか思うぞ......」 サイトが私に言っている間に。 マリコルヌは、彼女を抱き起こしていた。 「しっかりしてください。何があったんですか?」 声をかけながら軽く揺さぶる。どさくさに紛れて、ややこしいところを触ってたりするのが、いかにも彼らしい。 「う......」 彼女は、うっすらと目を開けてから、ボーッとした顔で辺りを見回す。 まだ少し朦朧としているのか。 「......逃げられちゃったみたいね」 それが彼女の第一声だった。 「何の話?」 「......タバサ」 問われて素直に答える彼女だが、私とサイトは驚いた。 思わず彼女に駆け寄る私。 「あんた、タバサを知ってるの!?」 「知ってるも何も......ああっ!? あなたはルイズね!?」 彼女は慌てて、ローブの中からゴソゴソと何やら取り出した。 例の、私たち四人の手配書である。それを私たちと見比べながら、 「やっぱり! ルイズとサイト! ほか一名!」 「......おいおい」 露骨に顔をしかめるマリコルヌ。 私は軽く微笑みつつ、いけしゃあしゃあと言ってのける。 「人違いね。よく間違えられるけど、完全に別人よ」 「いいえ、騙されないわ。この天下に名高い賞金稼ぎ、シェフィールドの目はごまかせないわよ!」 「天下に名高い......って、聞いたことないわよね、そんな名前」 「ああ......」 「全然......」 ......つうか、この人、賞金稼ぎだったのか? 異国の神官とか古代の呪術師とか、そういう格好なのだが。人は見かけによらないものだ。 「てっ、天下に名高くなる予定なのよ! とにかく! ここで私に出会ったのが運の尽き......」 ナイフを引き抜き、私に向かって躍りかかる。が、私の杖一本で、軽く撥ねのけられた。 「くっ! さすが大悪人ルイズ! こうまで手ごわいとは......」 「あんたが弱すぎるのよ」 体術が得意とは言えぬ私にあしらわれるようでは、このねえちゃん、本当にダメダメである。 「さて、シェフィールドさん。あんたに聞きたいことがあるんだけど......」 「フン。どうせ言わなきゃ拷問でもするつもりなんだろ? いいさ、何でも喋ってやるよ」 大きく誤解されているようだが、これはこれで話がサクサク進むので都合がいい。 「さっき言ってたタバサのことだけど、彼女、この近くに来ているの?」 「ああ、そうだよ。手配書が出た時からタバサの首を狙ってるんだが......。彼女がタルブに来たのは、もう五日ぐらい前だったかな? 手配をかけたのがジョゼフ様だ、ってどこかで知ったみたいで......」 「ちょっと待って! ......とするとやっぱり、タルブの村には無能王ジョゼフがいるっていうの!?」 私は彼女の言葉を遮って問う。 シェフィールドは一瞬、面白くなさそうな顔をしたが、おとなしく答える。 「......もちろん、いらっしゃる。あなたたちもジョゼフ様のお命が目的!?」 あのジョゼフに対して敬語を使ったりされると、こっちとしてはえらい違和感があるのだが、無能王の実態を知らぬ世間では、今でも彼のことは庶民の味方あつかいである。 ここで『ジョゼフって本当はこんな奴だったんだよ』などと説明している暇はないし、説明したところで信じてくれるとは思えない。 だいたい、このシェフィールドという女、さっきから『ジョゼフ様』と言う度に、恍惚の笑みを浮かべている。狂信的な崇拝者のようだ。 仕方なく、私は多少調子を合わせることにする。 「とんでもない思い違いよ。そもそも、あの手配書自体、無能王ジョゼフが悪い男に騙されて、誤解でかけたシロモノ。私たちは、その誤解を解くためにタルブの村へ......」 「冗談言っちゃいけない。ジョゼフ様が簡単に騙されるわけないだろ。それに、だったらタバサは、なんでジョゼフ様のお命を狙うのさ?」 「......タバサは私たちとは別行動をしてたせいで、そこいらの事情を知らないのよ。それで早く彼女に会って話をしないといけないの」 どんどん話をでっち上げる私。 「......だから教えて。今、タルブの村は一体どうなってるの?」 「どこから話せばいいものかねえ? ......私が知っているのは、タルブにジョゼフ様が来た後の話でね。タバサを見つけて追ううちに、私もタルブの村まで来たんだけど......。すでに村に潜入していたタバサは、ジョゼフ様が泊まっている家の娘と手を組んで、ジョゼフ様の命を......」 「ちょ、ちょっと待ってよ」 またまた彼女の言葉を遮ってしまった。 「何よそれ? タバサはともかく......なんで村の娘までが、一緒になって無能王の命を狙うわけ?」 「そんなこと知らないわ。ただ、その計画は失敗に終わり、村は大騒ぎになったのよ」 タバサったら......またわざわざ、動きにくくしてくれちゃって......。 しかし彼女にとってジョゼフは父の仇でもある。生きていたとなれば、直接乗り込むのも仕方ないか。 「その後、二人はこの森に逃げこんだみたいでね。私は追いかけたんだけど......逆にやられてしまって、このザマさ」 だいたい話は理解できた。 詳細はともかく、近くにタバサがいるのは間違いないようだ。ならば彼女と合流するのが一番だろう。 サイトを見ると、彼も判ったような顔をしている。それから彼は、シェフィールドに視線を向けた。 「......で、この人はどうすんの?」 「僕がもらう! 僕が拾ったんだから!」 「ちょっと!? 勝手なこと言うんじゃないよ!? なんで私が、あなたみたいなデブの愛人にならなきゃいけないのさ!?」 うわ。 今のは傷ついたぞ。マリコルヌは、これでも以前より痩せたのだから。 案の定、彼はうずくまってしまい、地面を指で突ついてる。 それを無視して、私たちは話を進める。 「逃せばタルブへ戻って人を呼ばれるおそれがあるし、連れて行っても足手まとい。かと言って、そもそも無関係な相手なんだから、始末するってわけにもいかないし......」 「もう一回気絶させて、ここに放り出しておく......ってのが適当なんじゃねーの?」 「ま、そんなところかしらね」 「ちょっと待って!」 私とサイトの言葉に、慌てふためくシェフィールド。 「嫌よ、そんなの。第一、私は......」 彼女がセリフを言い終わるより早く......。 それは現れた。 ######################## しげみの葉が鳴った。 私とサイトは、慌てて身をひねらせる。 つい今まで二人が立っていた空間を、白い槍のようなものが一瞬貫き、また戻る。 マリコルヌも復活して、その場にすばやく立ち上がった。 私もマリコルヌも杖を構え、サイトは立ち回りに邪魔な変装用マントを外して、背中の剣を抜く。 「ほほぉう......なかなかの体さばき......」 茂みを揺らしながら、その男は姿を現した。 シェフィールドは思わず口を抑え、小さな悲鳴を押し殺す。 「な......何よ、これ......」 無理もないことである。 ボディ・ラインがはっきりわかるほど体にフィットした、真っ黒い服の男。 五十歳くらいだろう。日焼けした顔と鋭い目つきが特徴なのだが、それは顔の左半分のみ。 その反対側、つまり顔の右側には......。 何もなかった。 眉も、髪も、目も耳も。 口は顔の中央でプツンと途切れたようになくなっており、鼻の隆起さえ、そこを境に消失している。 ただ、ぬらりと生白い、肉の塊があるばかり......。 「化け物......」 私の小さなつぶやきに、それは半分だけの顔を歪めてみせる。 「化け物とは失礼な! 私にはクラヴィルという立派な名前が......」 しかし、そこで言葉を止めて。 「......いや、もう『クラヴィル』と名乗る必要もないのであろうな。この姿を見せる以上は......」 「......どういうこと?」 私は聞き返した。 化け物が発する異質なプレッシャーに負けないよう、とにかく何か言うのが大事と思ったのだ。 「こちらの世界では、クラヴィルという人間の名と姿を借りていた......という意味だ。ジョゼフ様より、そのように命じられていたのでな」 こちらの世界って......。 あれもサイトの世界から紛れこんできたのか!? サイトの世界には、あんな化け物が存在しているのか!? そう思ってサイトを見たが、彼は首をブルンブルンと左右に振っている。 違うらしい。......ま、それもそっか。 「本来の名前で自己紹介しよう。私はヴィゼア。......ジョゼフ様に呼ばれてやってきた魔族の一人である」 魔族! 亜人や幻獣の一種だとか、空想上の生き物だとか、色々言われていたが......。 その正体は、別の世界から呼び出されてきた化け物だったようだ。 ここで、ツンツンと私の服の裾を引っ張るシェフィールド。 「何よ」 振り向きもせずに言う私。 「今......『魔族』って言わなかった?」 尋ねる声が震えている。 「言ったわね」 「で......でも! 魔族って、想像の産物なんじゃないの!?」 「それは奇遇ね。今の今まで、私もそう思ってたわ。だけど......」 「だけど......?」 「よく考えてみたら......。私もサイトも、以前に魔族と戦ったことあったわ、うん」 そう。 レベルが高すぎて意識していなかったが、一応『魔王』って、魔族の王なのよね。魔王が実在する以上は、配下の魔族が現実だとしてもおかしくないわけで。 しかし、だとしたら......。 魔王には五人の腹心がいるとか、その腹心がそれぞれ忠実な配下を持つとか、そういう伝説も実話なのだろうか? ちょっと考えたくないなあ......。 「以前に魔族と戦った......ですって!? でも生きてるってことは......あなたたち、勝ったのよね!?」 「かろうじて。......私は生体エネルギーがカラッポになって、髪が真っ白になったけど」 返事はない。絶句しているようだ。が、それも一瞬。 「私、帰る!」 半ば悲鳴に近い声を上げ、逃げ出すシェフィールドだったが......。 「っきゃっ!」 後ろで彼女の叫び声。私は思わず振り返る。 逃げようとした彼女の目の前に、一匹の巨大な蜘蛛が立ちふさがっていた。 「逃がしゃしねえぜ、お嬢ちゃん」 舌なめずりをしながら、それは人間の言葉を吐いた。 八本の足と巨大な腹。そのフォルムは確かに、巨大な蜘蛛のものである。しかし、その肌と頭とはまぎれもなく、人間のそれだった。 たぶんヴィゼア同様、魔族なのだろうが......。ヴィゼア以上に気持ち悪い存在だ。 私たちから見ればシェフィールドはもう『お嬢ちゃん』という年ではないが、きっと魔族は長命なのだろう。 「逃がしておやりなさい、バーヅ」 別の場所から、別の声がかかる。 「片手間に、無関係な人間をいたぶって遊んでいられるような、生やさしい相手じゃないですわ」 現れた三人目は、黒衣をまとった女メイジ。 初めて見る顔ではない。 「......また蘇ってきたのね?」 「そういう言い方はやめてくださらない? それじゃ、まるで死んだみたいではありませんか。......違いますわ。わたくし、永遠の命を持っておりますの」 モリエール夫人である。ちゃんと埋葬してやったというのに......。 しかし、こいつが出てきたということは。 「また会ったな、貧乳娘」 「ミスコール男爵! 失礼な発言は止せと何度言えばわかる!?」 モリエール夫人の後ろから、禿頭が二人が登場。 なんなんだ、一体これは。魔族二人に死人が三人。まるでお化け屋敷じゃないの!? 「四対五......か」 「私を数に入れないで!」 私のつぶやきに、瞬時に返すシェフィールド。人蜘蛛に睨まれて硬直している割には、素早い反応である。 「あら? わたくし達が五人だけだなんて......勝手に決めつけないでくださいな。ねえ、ヴィゼアさん?」 「その通りだ」 魔族は右の手を高々と差し上げると、パチンと一つ指を鳴らす。 森の気配がいっそう怪しくなり、まわりの木々がざわめいた。 そして......。 「ひーっ!」 シェフィールドが細い悲鳴を上げる。 サイトとマリコルヌは硬直し、私の背中を冷たいものが駆け抜ける。 森の中から現れたオーク鬼。その数は、ザッと見ただけでも、十や二十を軽く超えていた。 ######################## そして、戦いは始まった。 「きゃあああああ!」 シェフィールドは情けない悲鳴を上げると、まともにコロンと転がった。 そのすぐ脇を、白い肉の槍がかすめていく。 サイトは余裕で、マリコルヌはすんでのところで、各自の得物でなぎ払う。既にマリコルヌは『ブレイド』を唱えていたようで、彼の杖には魔力の刃が形成されていた。 私は後ろに飛び退がり、まともにコケたシェフィールドの上を跳び越えて、その後ろにいる人蜘蛛バーヅの方へと向かった。 「相棒! お前はガンダールヴだ、娘っ子の盾だ! それを忘れるなよ!」 「ああ!」 デルフリンガーがサイトに助言するのが、私の耳にも届いた。逆に言えば、私がちゃんとサイトの背中に隠れていれば良いのだろうが......。 この気持ち悪い人蜘蛛、真っ先にやっつけてやりたいのだ! ドーン! エクスプロージョンを叩きつけたが、人蜘蛛はヒラリとかわす。 この『エクスプロージョン』は本物のエクスプロージョンとは違う。かつて魔法が苦手だった頃の名残り。何を唱えても失敗して爆発してしまう、だから『ゼロ』のルイズ。しかしそれは、どんな呪文でもどんな長さでも『爆発(エクスプロージョン)』になるということ。つまり、詠唱時間ほぼ『ゼロ』で、いくらでも撃ち出せるのだ。 「はひゅうっ!」 よく判らん声を上げながら、人蜘蛛は手近の木の幹へ跳んで逃げた。グルリと反対側へ回って、大木を盾にする。 その程度では、私の連続エクスプロージョンは防げない! ......と思った瞬間。目の前に炎の球があった。 「おっと!?」 のけ反ってよける私。どうやら今のは、モリエール夫人が放った火炎球らしい。見れば、今日は杖を手にしている。 この攻撃で私に隙が出来たと判断したのか、バーヅが私に飛び掛かる。 八本の足それぞれに、小さなナイフのような爪がびっしり生えているが......。 「させるか!」 私の前に滑りこんできたサイトが、全部受け止めていた。さすがガンダールヴ。 しかし、サイトまでこちらに来たということは。 「ちょっと待って! 僕一人じゃ無理だよ!?」 マリコルヌが、ミスコールとソワッソンに挟撃されて四苦八苦。 さすがに可哀想なので、エクスプロージョンで援護。 「ぎゃあ!?」 ラッキー。 ソワッソンに直撃した。これでマリコルヌの相手はミスコール一人。変態同士の一騎打ち、頑張ってくれたまえ。 「なるほど......。人間にしては、なかなかの相手のようだな」 最初の攻撃以来おとなしかったヴィゼアが、再びパチンと指を鳴らす。 オーク鬼たちが、一斉に向かってきた! 「いやあああああ」 そろりそろりと逃げ出そうとしていたシェフィールドが、大きく叫ぶ。せっかく今まで無視されていたのに。 「......うるせえ! 目ざわりなんだよ、てめーは!」 いったんサイトから距離をとっていたバーヅが、彼女に足の一本を向ける。 やばい! 彼女は素人だぞ!? 硬直するシェフィールド。 サイトは今は、向かってきたオーク鬼を相手にし始めたところ。 マリコルヌは問題外。 私の魔法も間に合わない!? その時。 「やめろと言ったでしょう、バーヅ!」 モリエール夫人の叱責だ。ややヒステリックにも聞こえるくらいの口調。 一瞬動きを止め、バーヅは露骨に舌打ちをする。 「すぐに終わらせてやるさ!」 「攻撃の手をゆるめてはいけません!」 叫ぶモリエール夫人だが、もう遅い。 この連携の齟齬は、私に十分な時間を与えていた。 ドゥムッ! 重い音と共に私が放ったのは、本物の『爆発(エクスプロージョン)』呪文。フル詠唱ではないが、それでも効果は十分だった。 森の木々と二匹のオーク鬼、そしてその前にいたモリエール夫人が、一瞬にして消滅する。 「何ぃっ!?」 ことここに至り、バーヅもようやく私たちの実力を悟ったらしい。足を振り上げたまま動きを止める。 硬直から脱したシェフィールドが、あわててその場から離れた。 条件が不利なことに変わりはないが、今のでだいぶ、戦いの流れはこちらに傾いたはずである。 一番厄介なのは魔族のヴィゼアだと思うが、なぜか奴は、積極的に参加してこない。人のものではあり得ぬ言葉で、オーク鬼たちに指示を出しているようだ。奴が司令塔に徹してくれるのであれば、今のうちに......。 「ぎおおおおっ!」 仲間をやられて逆上したのか。雄叫びを上げつつ、バーヅが飛び掛かってくる。 サイトはオーク鬼の接近を阻んでくれており、今の私は、再びバーヅと一対一。しかし、その程度のスピードでは、それこそ、飛んで火にいる夏の虫。 ボン! 「......ぢいっ!」 正面から私のエクスプロージョンを食らって、人蜘蛛は、そのままボテッと地面に落ちる。 小さく体を震わせながら、動けない人蜘蛛バーヅ。 そんな相手に対して。 「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ......」 短いながらもキチンと詠唱した、由緒正しいエクスプロージョン。 さすがの魔族も、これには耐えきれず、事切れた。 これでだいぶラクになったか......と思いきや。 「誰か助けてええ!」 マリコルヌの悲鳴だ。 視線を向けると、ミスコールに押され気味の模様。 しかも......後ろから二匹のオーク鬼が近づいている!? 「危ない、マリコルヌ!」 私が叫んだ瞬間。 飛来した無数の『ウィンディ・アイシクル(氷の矢)』が、その二匹を串刺しにした。 「なにいっ!」 叫ぶミスコールも、他人事ではない。 どこからか飛んできたフライパンが頭に当たり、その場に崩れ落ちた。 追い打ちをかけるように炎の球も来て、彼は火柱となる。もう一つ、既に倒れているソワッソンにも火の球が。なるほど、蘇ってくるならば、死体ごと燃やしてしまおうというわけね。 「お待たせ!」 「......遅くなった」 言いながら、私たちの前に登場したのは......。 黒いマントに、白いブラウス、グレーのプリーツスカート。同じような服装でありながら、色々と対照的な二人だった。 赤い髪と青い髪。身長も違えば、胸の大きさも違う。しかし、どちらもメイジとしての腕前は一級品。『微熱』のキュルケと『雪風』のタバサである。 キュルケの方は、彼女の使い魔である火トカゲ――名前はフレイム――を連れていた。 「久しぶりね、タバサ。......あと、あんまり久しぶりじゃないけど、キュルケも」 まさかキュルケまで来るとは思わなかったが、考えてみれば彼女も手配書に載っているわけだ。魔法学院に残っていても問題になっただろうし、既に出発していれば、私たちと同じく賞金首として狙われたことだろう。 「いつからタバサと一緒だったの? タバサと一緒なのは、タルブの村の娘さんだって聞いてたんだけど......」 「ああ、彼女なら......あそこよ」 キュルケが指さしたのは、森の茂みのかげ。そこに隠れるように、一人の女性が立っていた。 私と同じくらいの年齢だが、私よりもスタイルは良い。なぜかメイド服を着ており、カチューシャでまとめた黒髪とソバカスが可愛らしい。いかにも村娘といった雰囲気の少女である。 おそらく、さきほどミスコールにフライパンを投げつけたのは彼女であろう。 「......とりあえず挨拶は、あとですね」 ササッと出てきた彼女は、フライパンを拾いながら、私に微笑みかける。もしも私が男なら、一発で惚れること間違いなしの笑みだった。 そして。 こうして言葉を交わす余裕があることからも明らかなように。 ......戦いの形勢は、完全に逆転していた。 ######################## 「もうあとがないわよ」 言ってキュルケは、ニイッと不敵な笑みを浮かべる。 オーク鬼もかなり数を減らしていた。いまや相手は、三匹のオーク鬼と魔族のヴィゼアを残すのみ。 「さあ、どうするつもり? ......といっても、逃がすつもりはないけどね」 キュルケの勢いに乗って、私もヴィゼアに鋭い言葉を投げつける。 しかし、これ、実は本心ではない。さきほどから見ていて、どうもヴィゼアはまだ、本気で戦っていないように思えるのだ。同じ魔族とはいえ、バーヅとも雰囲気がだいぶ違う。 ヴィゼアが実力を発揮せぬまま退いてくれるのであれば、それはそれで結構だと私は考えていた。 「逃がさん......か」 嘲笑うかのように言うヴィゼア。 「その言葉、そっくりそのまま返すとしようか」 「たいした自信ね。でもこの状況で、一気に逆転っていうのは、かなり難しいと思うんだけど?」 「無理だろうな」 私の言葉に、いともアッサリ魔族は頷いた。 「私たちだけならば、の話だが......」 「......援軍は来ない」 舌戦に参加してきたのはタバサだ。無口な彼女にしては珍しい。 「タルブの村にいるジョゼフの手駒は、これだけのはず」 なるほど、事情を一番知っているのはタバサだ。元ジョゼフ陣営であり、つい最近タルブの村へも潜入している。だから敢えて口を開いたわけか。 「手駒は......な」 声はいきなり、別のところからやってきた。 私とサイトとキュルケとタバサ、四人は同時に凍りつく。 冷たいものが背中を伝う。 背後の声に、私たちは確かに聞き覚えがあった。 「遅くなってしまった。......すまんな、ヴィゼア」 「もったいない御言葉にございます」 魔族は深々と首を垂れた。 私たちはようやく、ゆっくりと振り返る。 やはりそこには......。 青い髪の偉丈夫が一人、ひっそりと佇んでいた。 無能王......ジョゼフ......。 (第三章へつづく) |
「ジョゼフ!」 最初に声を上げたのは、キュルケやタバサと共に現れた、あのメイド少女である。フライパンを握りしめる手がわずかに震えていた。 「シエスタくん、君も軽率なことをするものだ......」 左に持った錫杖を右の手に持ちかえながら、優しい声で言う無能王。 杖の先に鈴なりについた金具が、シャランと涼やかな音を立てる。 本来の無能王ジョゼフは、こんなメイジらしからぬ杖を持つ男ではない。彼の杖が錫杖となったのは、ジョゼフが『魔王』と化した後だった。つまり、このジョゼフは、外見こそ普通の人間だが、やはりジョゼフ=シャブラニグドゥということか......? 「タルブの村のメイド塾で、おとなしく塾生筆頭を続けていれば、追われることもなかったというのに......」 「そらぞらしいこと言わないでください! 薬で父を廃人同様にしておきながら!」 「はてさて......私には何のことやら......」 彼女の激しい問い詰めに、涼しい顔で彼は答えた。 二人の会話に割って入るかのように、私はポソリとつぶやく。 「......違う......」 「......何がだ?」 青い髭をこちらに向けるジョゼフ。 「違う! あんたはジョゼフじゃないわ!」 真っ向から彼を指さし、私はキッパリと言い放った。 理屈ではない。 私は感じ取ったのだ。目の前の男は、無能王でも『魔王』でもジョゼフ=シャブラニグドゥでもない......と。 「ほお......?」 ジョゼフは眉をピクリとはね上げる。面白がっているのだ。 「あんたが本物のジョゼフであるはずはないわ!」 言うと同時に、私は杖を振り下ろす。 無詠唱のエクスプロージョンだ。失敗魔法バージョンだから小さなものだが、それでもジョゼフを中心とした爆発が起こる。 爆煙が晴れると......。 「いきなりとは......。あいかわらず乱暴な娘だな」 無傷のジョゼフが立っていた。 たとえ嘘でもジョゼフの名を騙る男である。この程度で終わるわけがないのは承知の上。 しかし、これは戦闘開始の合図に過ぎない! 「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ウィンデ!」 「ウル・カーノ・ジエーラ・ティール・ギョーフ!」 「ラナ・デル・ウィンデ!」 タバサの氷の矢が、キュルケの炎の蛇が、マリコルヌの風の槌が、次々にジョゼフに襲いかかる。 ......キュルケの技などは私も初めて見る魔法だが、魔法学院に滞在中に火のメイジから教わったのだろう。凄い威力の火炎だ。 タバサの魔力は、言わずもがな。マリコルヌはこのメンツでは明らかに格下だが、彼なりの精一杯で頑張っている。 しかし......。 「......それで?」 軽く杖を振っただけで、すべての攻撃をいなしてしまうジョゼフ。......やっぱ化け物だ。 「ならば今度はこちらから......」 言って呪文を唱え始めるジョゼフ。 まずい!? 私も慌てて、同じ呪文を詠唱し始める。 「ルイズ!? これって......」 「......声かけちゃダメ。みんな彼女の後ろに集まる」 私に話しかけようとしたキュルケをタバサが止め、全員に指示を出す。さすがに冷静な判断力を持つ彼女だ。 そして。 ジョゼフと私の呪文詠唱が完了し、二人同時に杖を振り下ろす。 途端、大地が鳴動した。 ######################## 足下から来る大爆発を、同じ大爆発で相殺。 以前にもやった、エクスプロージョン対エクスプロージョンだ。 ただし今回は、どちらもフル詠唱。前回とは、規模がケタ違いだった。 爆発の余波で全員、吹き飛ばされて倒れている。 「大丈夫ですか、みなさん!?」 真っ先に起き上がった女メイド――たしかジョゼフが『シエスタ』って呼んでたっけ――が、私たち全員に声をかけて回る。 「うん、平気」 答えた私は、周囲を見渡した。 森の地面は大きくえぐられ、赤い土がクレーター状に顔をのぞかせている。 シエスタの表情を見る限り、こちらのメンツに特に被害はなさそうだ。 ジョゼフ側は......。 トロール鬼の姿が見えないが、逃げ出したのではなく、巻き込まれたのでしょうね。ジョゼフ自身は笑顔で立っており、その隣には魔族のヴィゼアも控えていた。 余裕なのか何なのか。私たちに追い打ちをかけようとはしていない。 「ここは、いったん退却した方がよさそうですね......」 「そうね」 シエスタの言葉に頷く私。 サイトやキュルケやタバサは大丈夫だが、マリコルヌとシェフィールドはノビてしまって、まだ目を回したまま。このまま戦い続けては、真っ先に死ぬこと間違いなしだ。 「でも、どこへ? いい隠れ家でもあるの?」 「大丈夫。心当たりがあります」 「でもよ? 逃がしてくれるか......?」 ジョゼフとヴィゼアを睨んだまま、サイトが怯えた声を出す。 私の使い魔なんだからシャキッとしなさい......と言いたいところだが、それは無理。 サイトの内心の動揺が、私にも伝わってくるのだ。かつて戦った『本物』のジョゼフに対する恐怖とプレッシャーが色濃く残っているのだろう。 「とにかく......やってみるしか......」 言いながら、私たちはジワリジワリと後ずさる。 少しずつ、少しずつ。 向こうが攻めてきたら、対応できるように。 しかし何故だか『ジョゼフ』は、私たちを追おうともせず、ただ黙って佇むだけであった。 おかげで私たちは、無事に戦線から離脱できた......。 ######################## 「へええええ」 クルリと辺りを見回すと、私は感嘆の声を上げた。 シエスタの指示に従って辿り着いたのは、ちょっとしたホールのようなところである。 『ジョゼフ』の手を逃れた私たちは、『臭気の森』から少し離れた洞窟の中へ。それから死ぬほどややこしい枝道を右へ左へと進み続け、この場にやって来たのだ。 一息つくと、あちこちで雑談が始まった。 「シェフィールドさんも来たんですね」 「好きでついて来たんじゃないわ。気づいたら、引きずられていたのよ」 マリコルヌとシェフィールドは、途中で意識を回復した者同士で会話を。 そしてシエスタは、サイトに深々と礼をする。 「お久しぶりです、サイトさん。御挨拶が遅れてしまいましたけれど......」 「いやぁ......」 きまり悪そうに、バリバリと頭をかくサイト。 おそらくは、サイトがタルブの村に滞在していた時の知り合いなのだろうが......。 なんか怪しいぞ。 「サイト。このシエスタとは......どういう関係?」 「え? どういう関係って......」 サイトがモゴモゴしていたら、シエスタが代わりに。 「一緒にお風呂に入った仲ですわ」 「シエスタ!? そんなこと言ったら、誤解されちゃうよ......」 慌てるサイト。私の方をチラリと見ているが......。 私なんかより、他のメンツの方を気にするべきだと思うぞ。こういう話題が好きそうなキュルケとか、鼻息を荒くしているマリコルヌとか。 「け、けしからん! 若い男女が裸を見せ合うなんて! いくらアニキとはいえ......」 「ちげーよ! 俺は見てないし、見せてもいない! 夜で外だったから暗くてお湯の中は見えない状況だった!」 弁解するサイト。 しかし、ちょっと話がおかしいぞ!? ハルケギニアでは平民の風呂というのは、屋内のサウナ風呂のはずだが......。 もしかするとサイトは、自分の世界の風呂みたいなのをタルブの村に仮設したのであろうか。それを珍しく思ったシエスタも入ってみた......というのであれば、サイトは悪くない。それなら私も、怒ったり、お仕置きしたりするべきではなさそうだ。 「そうですよ! サイトさん、紳士でしたから。......み、見たいっておっしゃってくだされば、か、か、隠さなかったのに」 「じょ、冗談、だよ、ね?」 「冗談なんかじゃありません。今だって......」 「今だって、な、な、なんでしょう?」 いつにまにか二人の世界に入ってしまったシエスタとサイト。 どうやらシエスタ、彼に気があるようだが......。 へんなしゅみ。 「ねえ、ルイズ。......いいの?」 「......何が?」 「何って......」 キュルケはキュルケで、よくわからん質問を私にしてくる。 マリコルヌは何を妄想したのか、鼻血を噴き出して倒れているし。 シェフィールドは呆れているし。 私が止めないと、サイトとシエスタの桃色会話はえんえん続くのだろうか。 ......と思いきや。 「......ストップ」 トンッと杖で地面を叩いたのはタバサだった。 皆の注目が彼女に集まる。 「......そういう話は、あとでも出来る。まずは状況確認が必要」 「ま、タバサの言うとおりね。自己紹介も兼ねて、まずはシエスタから話を聞きたいんだけど?」 私が水を向けると、シエスタも頷いた。 ######################## マリコルヌも話していたように、一部の者の間では、タルブの村は優秀なメイドを輩出する村として名高いらしい。 そのメイド塾を開いているのがシエスタの父親であり、シエスタ自身はメイド塾の筆頭塾生。かつてサイトが泊めてもらっていたのも、彼らの家だったという。 そんなタルブの村に、最近、モリエール夫人を連れて『ジョゼフ』がやって来た。 「こんな田舎の村にも、無能王ジョゼフの噂は届いていましたから......。庶民の味方の偉い王様ということで、彼らをこころよく受け入れました」 得意のマジックアイテムや魔法薬で、村の困っている人々を助けて回る無能王。村人からの人望もいっそう厚くなったところで、私たちに手配をかけたいと言い出した。 「村長も父も、もちろん私も驚きました。だって......サイトさんの顔と名前が含まれていたんですもの。サイトさん、タルブの村では英雄あつかいなのに......」 ......どうやらサイト、以前にタルブに滞在した際、相当大きな貢献をしたらしい。さすが私の使い魔ね! それはともかく。 シエスタたちがサイトの説明をすると、『ジョゼフ』とモリエール夫人は一瞬顔を見合わせて、 『彼は......邪悪な魔力によって操られているのです。この人によって、ね......』 と、あろうことか、私の似顔絵を指さしたという。 シエスタはここで言葉を切ると、 「『このメイジ、見かけは若い娘だけれど、実際は九十近い老女だ』って言ってましたけど......そうなんですか?」 「んなわけないでしょうが! 私はまだ十六よっ! 十六!」 「ええっ? ルイズって俺と一つしか違わないのかよ!?」 驚くサイトに、私はジト目を送る。 「あんた......。今まで私のこと、いくつだと思ってたのよ......」 「だ、だって......」 サイトの視線は、私の胸に向けられていた。こういう場でなければ、お仕置き必須の態度である。......というか、あとで二人きりになったら、絶対お仕置きだ。 「すみません......。そうですよね、いくら貴族のメイジ様でも、そんな不可解な話はありませんよね」 シエスタが話を再開する。 ともあれ『ジョゼフ』は、サイト救出の意味も含めて、などと言いつつ、「生きたまま」という条件付きでの賞金をかけたのだった。 こうして、私たちはそれぞれ賞金稼ぎたちの標的とされるようになり、その賞金稼ぎたちの一人がシェフィールドだったりするわけだが......。 「その頃から、タルブの村もおかしくなったんです」 まず、シエスタの父親がメイド塾を一時休校とした。頬はゲッソリと痩せこけ、わけのわからないことをブツブツつぶやくようにもなった。 メイド修業の一環として、料理や薬の知識も豊富なシエスタは、父親が何か怪しい薬を飲まされているのではないかと疑ったが......。 メイド塾の仲間に相談しようとしても、もう手遅れであった。村人は全員、『ジョゼフ』に抱き込まれていたのだ。 彼は得体の知れないカリスマによって、村人の大半を熱狂的な信奉者に仕立て上げた。『ジョゼフ』が亜人や魔族まで村に集め始めても、誰も異を唱えない始末。 「私は、完全に孤立していました。そんな時、私の前に現れたのが......」 シエスタが目を向けると、タバサがコクリと頷いた。 「......私は、たまたま近辺に来ていた。賞金稼ぎに狙われて、ジョゼフ生存の噂を聞いたので、タルブの村へ向かった」 「だからタバサさんと一緒に、無能王ジョゼフのところに忍び込もうとしたんですが、あの恐ろしい魔族に阻まれたのです。それで、もうタルブから逃げ出すしかなくて......」 なるほど。 以前にシェフィールドから聞いた話も合わせれば、シエスタ・タバサ組の事情は、あらかた理解できた。 「......で、あんたは?」 私は、キュルケに顔を向ける。彼女は、肩をすくめてみせた。 「あたしも、タバサと同じようなものね。魔法学院を出て、また旅をし始めたら、いきなり襲撃されて。元凶はタルブの村にいるっていうから、来てみたら......。あの森でドンパチやってる場に出くわしたの」 ......ということは、キュルケがタバサ組と合流したのは、私たちの前に現れる直前だったわけだ。 「じゃあ、今度は私の番ね......」 残りは、私とサイトのコンビだ。マリコルヌやシェフィールドが加わった件についても、私の口から説明する。 「......というわけよ」 私が語り終わったところで。 「一番の被害者は私だ」 シェフィールドが、むくれた口調で言う。 「さっきの様子と今の話からして、あなたたちを捕まえてジョゼフ様に差し出したところで、素直に賞金を払ってくれるとは思えないし......。かといって、ここまで巻き込まれちゃ、もう出てくのも無理でしょう?」 「......なんで? いいじゃないですか、逃げたって。シェフィールドさんが逃げ出すなら、僕がエスコートしますよ」 「待て、マリコルヌ。それは......こいつと一緒に逃げ出すってことじゃねーのか!?」 「だってアニキ! 僕、最初に言ったはずだよ? ヤバくなったら逃げるから、って」 うん、私も覚えている。マリコルヌは確かに、そう言っていた。でも......。 「そいつぁあ、いけねーや」 年長らしく口を挟んだのは、魔剣デルフリンガーだった。 「今さら逃げるのは無理だな。ジョゼフって奴の配下に捕まるのがセキの山だろーぜ。しかも捕まりゃあ尋問やら拷問やら......」 「うっ......」 絶句するマリコルヌ。 マリコルヌ自身は手配書には載っていないとはいえ、既に敵対の意志は示しているのだ。それに、私の居場所を吐かされることも間違いない。 諦めたのか、マリコルヌは、おとなしく座り込んだ。さりげなくシェフィールドに擦り寄ろうとしているが、彼女はピシャリと撥ねつけている。 私は、サイトの隣のシエスタに、あらためて質問した。 「......ところで、ここは一体どの辺りなの? 方向ぜんぜんつかめなかったんだけど......」 シエスタは、いたずらっぽい笑みを浮かべて。 「ここはタルブの村の中心部......『神聖棚(フラグーン)』の中です」 ######################## 「棚の中?」 オウム返しに尋ねる私。 「ええ。かつて一人の旅人が死闘の末に魔鳥をうち滅ぼしたのですが、その人は、魔鳥とは何やら因縁があったそうで。魔鳥の死を悼んで、墓所の代わりとして建てたがこのあずまやです。そこにブドウのつるが巻き付いて、いつのまにかブドウ棚になって......」 タルブの名所として有名な、ブドウ棚。どうやら私たちは、その中にいるらしい。 言われてみれば、ただの洞窟とは違う。完全に密閉された空間ではなく、ところどころに隙間があって、陽の光が差し込んでいる。 「でも、シエスタ。ブドウなんて......どこにも見えないじゃない?」 私が言うと、彼女は笑って、 「ブドウの採れる辺りは、人が来ちゃいますから。でも、この辺は何もないですし、ここまでの道も複雑ですから、普通は誰も入り込んだりしません。私は小さい頃から色々と探検したりして、このブドウ棚の通路のことは、何から何まで知っていますけど」 どうやら彼女、昔はかなりのやんちゃだったようである。 たしか私が聞いた話では、タルブの村のブドウ棚は、あとから村の人々がゴチャゴチャと建て増ししたせいで複雑な構造になっているとか。なるほど、知る人ぞ知る迷路のような状態だ。 ......と、私がしみじみ考えていると。 「なあ、デルフ。おまえ、シエスタの言う旅の戦士と一緒に、ザナッファーと戦ったのか?」 シエスタの話に思うところがあったのか、サイトが魔剣デルフリンガーに問いかけていた。 この剣、以前に「光の剣と呼ばれていたこともあった」と自分で言っていたし、『赤眼の魔王(ルビーアイ)』からもそう言われていたはずだが......。 「うんにゃ、知らねえ。記憶にねえなあ」 「なんだよ、それ。しっかりしてくれよ。ザナッファーのこと、詳しく教えて欲しいんだよ......」 ちょっと泣きそうな声で迫るサイト。 ああ、そうか。ヴィゼアやら『ジョゼフ』やらの襲撃で忘れていたが、どうやらザナッファーって、サイトの世界から来たものらしいんだっけ。 「そう言われてもなあ。俺っちにも思い出せんもんは思い出せんよ。......ま、思い出せないだけなのか、人間たちの聞いてる話が間違ってるだけなのか、わからんが......」 「間違ってる......?」 「ああ。よく似た別の剣だったんじゃねーのか? 数十年前......だろ? その頃、人間に使われてたっつう記憶なんて、ねーからなあ......」 「あのう......サイトさん? 魔鳥ザナッファーが、どうかしたんですか?」 サイトの深刻な様子を見て、シエスタが声をかけた。 彼女は彼女で、タルブの村に伝わる伝承には詳しい。サイトがザナッファーに興味があるなら、語って聞かせようというつもりなのだろうが......。 「ザナッファーは、魔鳥なんかじゃねえよ」 ポツリとつぶやくサイト。 「......え?」 「あれは......俺の世界から来た武器。ゼロ戦っつう飛行機だ」 「武器っつっても、もう死んでるみてーだけどな。相棒のルーンが反応しなかったから」 デルフリンガーも補足する。 シエスタがポカンとした顔を見せた。 残念ながら、これではサイトの役には立たない。サイトは、そのゼロ戦という兵器がどうやってハルケギニアに来たのか、その詳細を知りたいのだろう。ハルケギニアから元の世界へ戻る手がかりになるかもしれないから。 ザナッファーが異世界から来たことすら知らない者では、サイトの知りたい情報を与えることは無理なのだが......。 「......そうだったんですか。それで、少し謎が解けました」 シエスタの表情が、納得顔に変わった。 「ザナッファーって、ものすごく硬くて。死んだ後も、その鱗とか羽とか腐らなくて、今でも再利用されてるくらいなんですが......そもそも生き物じゃなかったんですね」 ......ん? 魔鳥の死骸の再利用だと? この村の人々、かなり逞しいみたいだ。 どうやら、私と同じような感想を皆が抱いたようで。しかも、それが顔に出ていたようで。 シエスタは、私たちをグルリと見回しながら。 「ほら! これだって、ザナッファーの鱗から作られたモノなんです。とっても頑丈で、悪い人とか怪物とか叩いても平気!」 手にしたフライパンを皆に見せつける。 さっきの戦いで、ミスコールに向かって投擲したやつだ。そんな由来のあるシロモノだったのか......。 「このフライパンの他にも、色々あるんですよ? 長いトゲから作った物干し竿とか、鋭い翼から作った剣とか......」 「それ......全部あなたが持ってきてるの?」 ここでキュルケが口を挟む。 たぶん私と同じことを考えているのだろう。 武器として使える物があるなら、少しでも活用したいのだ。なにしろ、敵は強大なのだから。 「いいえ。村の宝物として大切に保管されてますが......」 ちょっとガッカリ。 それでは私たちには使えない。 ......と思いきや。 「......そのいくつかは、私が小さい頃、面白半分に持ち出して、このブドウ棚の奥の方に隠してしまったんです」 おいおい......。 「それって......ひょっとして大騒ぎにならなかった?」 「なりましたよ」 サラリと彼女は言ってのける。 「でも当時は、大人たちがなんでそんなに騒いでいるのか、さっぱり判りませんでしたし。......なにぶん、子供のやったことですから」 ......どうやらシエスタ、なかなかいい性格をしているようである。言葉遣いとメイド服に騙されてはいけない。 「じゃあ、みんなでそれを取りに......」 「それはやめた方がいいと思います」 立ち上がりかけた私たちを止めるシエスタ。 「狭く枝道が多い上に、壁や天井に隙間のない暗い部分もあるんです。大勢で行って、もしも何かあったら、たぶん散り散りになってしまうでしょうし......。私はもちろん行かなければ話になりませんが、あと一人......」 彼女はサイトを見つめる。 「......俺? でも......」 サイトは私に目を向ける。 御主人様の了解が必要......ということか。私は、頷いてみせた。 ところが。 「ダメ。彼が行くなら私も行く」 スッとタバサが歩み寄った。 そういえばタバサ、前に別れる際、サイトの騎士になったっぽい態度をとっていたっけ。遠く離れ離れならともかく、こうして私たちと合流した以上は、サイトの側に付き従うつもりらしい。 「......え? でも私とサイトさんの二人で十分ですし、いま言ったように......」 「三人なら大勢じゃない。二人も三人も変わらない」 女の戦い勃発!? キュルケがニヤニヤ顔を私に向ける。 「ねえ、ルイズ。あなたは参加しなくていいの?」 「......何よ? 私は関係ないでしょ。そりゃあ、サイトは私の使い魔だけど......。でも、それ以上でも以下でもないし......。それに使い魔なんだから、ちゃんと私のところに戻って来るはずだし......」 「ふーん......。そう思ってるわけだ」 なんだ、このキュルケの表情は!? サイトと二人の少女を見ていたら、なんだか妙にイライラするのだが、きっとこれはキュルケが変なこと言ってきたせいだ。そうに違いない。 「あ、タバサ! ちょっと待って!」 「......何? あなたも来るの?」 「違うわ。サイトは貸し出すから、どうぞ三人で行ってらっしゃい。ただ、その前に聞きたいことがあるの」 ジョゼフ陣営に関して一番詳しいのはタバサのはず。だから、忘れないうちに、確認しておきたかった。 何度も蘇ってきたモリエール夫人。それに、死んだはずなのに再登場したミスコールとソワッソン。 あれは、おそらく......。 「ジョゼフの魔道具の中に、死人を操るものってある?」 「......ある。『ミョズニトニルン』が使っていた。アンドバリの指輪」 「『ミョズニトニルン』って......誰?」 キュルケが口を挟む。 そう言えばキュルケ、前にタバサが私に説明してくれた時は、その場にいなかったっけ。 「ジョゼフの使い魔。神の頭脳『ミョズニトニルン』。あらゆる魔道具を操る。ジョゼフはミューズと呼んでいた。私は会ったこともない」 ちょっと饒舌なタバサ。聞いてもいないのに、『ミョズニトニルン』の名前まで教えてくれた。 「それって......。じゃあ、あのジョゼフも、もしかして......?」 今度はサイトだ。 しかし、これにはタバサが――そして同時に私とキュルケも――、首を横に振った。 「それはない。死体が残らなかったから」 そう。 サイトは先ほどの『ジョゼフ』を、操られた死体だと思いたいのだろうが......。その説は無理があるのだ。 私たちがジョゼフ=シャブラニグドゥを倒した際、彼は塵と化して消えたのだから。 「あのう......みなさん? そろそろ......」 タイミングを見計らったかのように、シエスタが口を出す。 私は、それに頷いて。 「そうね。もういいわ。行ってらっしゃい」 「じゃあ、ちょっと行ってくる。なるべく早く戻って来るから!」 サイトは私に笑顔を見せてから、シエスタやタバサと共に歩き出した。 ######################## 「ねえ、さっきは空気を読んで口出ししなかったけど......。もう少し事情を説明してくれない?」 「そうだよ。ルイズたち、あの手配書にも心当たりがあるんでしょ? 何も聞かないつもりだったけど、もう、ここまで巻き込まれちゃったから......」 サイトたち三人の姿が見えなくなったところで、シェフィールドとマリコルヌが聞いてくる。 私は、キュルケと顔を見合わせてから。 「そうね。あんたたちにも、話しておいた方が良さそうね」 私は、ゆっくりと語り出す。 無能王ジョゼフの中には『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥが眠っていたこと。それが復活したこと。かろうじて私たちが勝利したこと......。 「......というわけ。わかった?」 話が終わった頃には、マリコルヌは白目を剥いて硬直していた。 魔王を倒しただなんて普通ならばホラ話にしか聞こえないが、ここまで一緒に行動していれば、信じざるを得ない。しかし信じたら信じたで、今度はスケールのあまりの大きさに絶句......といったところか。 一方、大人の女性であるシェフィールドは、なんとか話を受け止めたようだ。俯きながら、何か考え込んでいる。少しの後、顔を上げて。 「前に魔族と戦ったことあるって言ってたけど......相手はジョゼフ様だったのね?」 ヴィゼアが出てきた際の私の言葉を覚えていたらしい。 「そ。......でも一度勝ったからといって、また戦えば勝てるという保証はないわ」 「......というより、たぶん無理よね。偶然も重なって勝ったようなものだから」 身も蓋もないキュルケの言葉だが、私も頷くしかなかった。 シェフィールドは、さらに顔をしかめる。 「でも......あなたたちが以前にジョゼフ様を倒してしまったというのなら。あのジョゼフ様は、一体何者!?」 「それがわからないから、あたしたちも困ってるんだけど......」 沈み込む雰囲気を払拭するため、私は、努めて明るい声を出す。 「まあ、考えても無駄だから、今それについて考えるのは止めましょう。今は、今できることをやるだけよ」 「今できること......?」 「そう。食料調達に行きましょう! ......だって、ここってブドウ棚なんでしょ?」 ######################## 「『今できること』なんて言うから、何かと思えば......」 「ブドウ狩り、ときたもんだ」 シェフィールドとマリコルヌは、交互にこぼした。この二人、何気に息が合ってきたように見えるぞ。 一緒にブドウを採りながら、私は反論する。 「うっさいわねえ。籠城戦するなら、食料調達は重要でしょうが。それに、ブドウ狩りが嫌なら、キュルケみたいに最初から断ればよかったのよ!」 迷子になるから止めた方がいいと言ってキュルケは反対したが、それを押し切って私たち三人は出発。自力で、ブドウの実っている場所を発見したのだった。 さいわい、拠点とした場所からも近く、ここからならば何かあってもすぐに戻れる。 「だって......」 「唖然としてるよりはマシかと思ったんだけど......」 「やっぱりつまんない」 「......というわけで、僕たちフケるから」 「一人でブドウ狩り頑張ってね」 言うなり二人でスタスタと、もと来た方へと去っていく。 おいおい......。 「ふんっ! 何よ何よ何なのよ、あれはっ! せっかく私が、仲良く一緒にブドウ採ろうね、って言ってるものを......」 私はブツブツつぶやきながら、それでも手を休めない。ひたすらえんえんと愚痴りながら、収穫を続けたが......。 「こうなったら、あいつらにはこのブドウわけてやんないんだからっ! ......あれ?」 背後に気配を感じて振り返る。 「マリコルヌ!?」 私は思わず声を上げた。カゴがわりのマントに満載のブドウを脇において、彼に歩み寄る。 マリコルヌは、ヨタヨタとした足どりで、壁で体を支えながら立っている。ケガでもしたのか、両手で顔を覆っているが、指の隙間から見える限りでは、苦悶の表情を浮かべているようだ。 「どうしたの!?」 「僕はもうダメだ......」 その瞬間。 何とも言えない嫌な予感が走り抜け、私は一歩身を引いた。 同時に。 熱い衝撃が私の腹部を襲う。 「な......何を......」 それ以上は言葉にならなかった。 魔力を纏ったマリコルヌの杖には、私の血がベットリと。 そして彼の目には、操られた者に特有の怪しい輝きが浮かんでいた。 「僕は......もう僕じゃないんだ」 薄笑いと共に言うマリコルヌ。 そして反対側からも声がした。 「大丈夫、まだ殺さないわ」 いつのまに回りこんだのか。 マリコルヌと同じく異様な目をしたシェフィールドが、冷笑を浮かべながら立っている。 「でも意識があると邪魔だから、ちょっと休んでいてもらいたいの......」 ......私の腹につけられた傷は、いまや耐えがたいまでに熱く疼いている。体の力も入らず、壁にもたれかかることすら出来なかった。 足がもつれ、バランスを崩し、後ろ向きに倒れる。手にした杖もすっぽ抜け、洞窟の壁に当たって、硬い音を響かせた。 「杖がなくては、メイジは無力......」 シェフィールドの言葉も、もう耳に入ってこない。 限界だった。 私の意識が暗転する。 ######################## 気がつくと、明るい光の中にいた。 私の周りをいくつもの影が取り囲み、何やら口々に喚いている。 その中で、一番最初に私が認識できたのは......。 「......ルイズ、大丈夫か? どこかまだ痛まないか?」 私の使い魔、サイトの声だ。えらく取り乱した様子である。 「ダメですよ! まだ喋ってはいけません!」 「......ちゃんと回復するまで、もう少しかかる」 これはシエスタとタバサ。 見ればシエスタは、手に魔法薬らしき小ビンを持っており、その中身を、反対側の手で私の患部に塗り込んでいた。彼女が必死に、私を治療してくれているようだ。 あと、タバサは『雪風』の二つ名を持つメイジ。『風』と『水』を混ぜたスペルを頻繁に用いているし、おそらく『治癒(ヒーリング)』くらいは使えるはず。ならばタバサもシエスタと一緒になって、治療してくれたのだろう。 とりあえず、私は三人にコクンと頷いてみせた。 「......よかった」 後ろで見守るキュルケの口から、そんな言葉が。 キュルケの隣には、フレイムもいる。 さらに後ろに、マリコルヌとシェフィールド。異様な雰囲気は消えているが、彼は今にも泣き出しそうな表情で、彼女は落ち込んだ顔をしている。 「......あなたたちが行ってからしばらくして、一度だけ、杖がぶつかるような音がしたの」 近寄りながら、キュルケが説明を始めた。 私が事情を聞きたそうな顔をしているのを見てとったのだろう。だから私が口を開く前に、彼女の方から語り出したのだ。さすが、この中で一番私と付き合いの長いキュルケである。 「初めは気のせいかとも思ったんだけど。でも嫌な予感がしたのよね。だから行ってみたら......」 なるほど。 どうやら私が落とした杖の音が洞窟内にこだまして、それがキュルケを呼んだようである。 ......あれ? でも、そうすると......? まさか......ひょっとして......。 「......あの二人が倒れたあなたを襲ってるんで、あわてて二人をはり倒したわけ。でも私じゃ『治癒』は無理だし、途方に暮れてるところに、サイトたちが来てくれたの」 「ごめん、ルイズ。また左の視界が変わったから、ルイズがピンチだってのは判ったんだけど......間に合わなかった」 「いいえ、謝るべきは私たちだわ。いきなり睡魔に襲われて......そこから先の記憶がないの。気づいたら、みんなが慌ててあなたの治療をしていた」 「ごめん。本当に、ごめん......」 キュルケが、サイトが、シェフィールドが、マリコルヌが。 次々と私に語りかけてくる。 私は微笑みながら、手をパタパタと振ってみせた。それから、あらためて視線を巡らせると、サイトが手にした一本の剣が目についた。 サイトは、私の視線に気づいたらしい。 「これか? これがシエスタの言ってた武器の一つだ」 武器の一つ? ......ということは、他にも取ってきたのか? しかし、その疑問までは判ってもらえなかったらしい。シエスタが剣の説明を始める。 「これが魔鳥の羽から作られたという剣です。魔鳥の咆哮(ブレス)のように恐ろしい武器ということで、私たちは『咆哮の剣(ブレス・ブレード)』と呼んでいましたけれど......」 「実際は魔鳥の羽なんかじゃなくて、ゼロ戦の翼の部分の装甲だな。でも、こっちの世界の鉄板以上に硬い金属板だ。......よく研がれているし、剣としても立派に使える。俺の左手が保証する」 サイトが補足し、ガンダールヴとして太鼓判を押した。 「......ま、詳しい話は後にしましょうよ」 キュルケが、この場を取り仕切る。 「とりあえず、ルイズを回復させるのが先だわ。動けるようになったら、急いでこの場所を離れないと。この二人が操られたということは、敵に居場所を知られたってことで......」 『......いや、それは困るな』 遠くで声が響いた。 反響で声がこもってはいるが、あれは......『ジョゼフ』! 『聞こえるだろう? こちらでもお前たちの声は聞こえるんだがな。音が反響して、よくわからん。......面倒だから、そこまで通路を作る。危ないから、注意しろよ』 言って、しばし沈黙。 「ふせろ!」 何かを察して叫んだのは、デルフリンガーだった。 剣に指図される情けない私たち。皆が一斉に伏せた瞬間。 強烈な閃光が、私たちのいる空間を貫いた。 ......やっぱり。 私はこの時、確信した。 ######################## 顔を上げた時、私たちのすぐそばに大穴が開いていた。トロール鬼やオグル鬼さえ立ったまま通れる大きさだ。 それを見るなり、立ち上がるサイト。 「マリコルヌ」 言って『咆哮の剣(ブレス・ブレード)』を、彼に向かってほうり投げる。 「......?」 「行ってくる。ルイズを守ってやってくれ」 「そうだな、相棒。今の状況じゃあ、そうするべきだわ」 デルフリンガーもサイトの行動を支持した。 本来ならばガンダールヴであるサイトは、私の盾として傍らに付き添うべきだが、今の私は呪文詠唱も出来ない状態。ならば少し前に出て、敵を追い払うのも盾の役目......ということだろう。 「......私も行く」 サイトに続くのはタバサ。さらにキュルケも。 「そうね。攻撃は最大の防御なり......ってね」 彼らは、今あいたばかりの穴に向かって歩みを進める。キュルケの使い魔フレイムも、主人の後を追う。 穴の口から突然わいて出たオーク鬼を、サイトは一刀のもとに切り倒し、別の一匹はタバサの氷に貫かれ、さらにキュルケの炎で燃やされた。 そして三人と一匹は、穴の奥へと消えていく。 剣戟や魔法攻撃の音が、徐々に遠ざかる。 「シエスタ......」 マリコルヌが言う。 「ルイズを早く回復させてよ。動けるようになったら、僕たちも出ないと」 「わかっています。全力でやっていますけど......もう少しかかりますから、待っていてください」 そんな私たちの様子を、シェフィールドは座ったまま、無言で眺めていた。 下手に逃げようとしても、かえって巻き込まれる危険がある。だから動くに動けない。そうした意味合いなのだろうが......。 「大丈夫かな、アニキたち」 三人が消えた深い穴へと視線を移しながら、マリコルヌがつぶやく。 しかし。 「......それよりも、自分の心配をするべきだろう」 聞こえる声に、振り向く一同。 そこには黒衣の男が一人。 ......ヴィゼア。 ######################## 「悪いが、今のうちにかたをつけさせてもらうぞ」 「そ......そうは......させ......」 ようやく少し喋れるようになった。しかし身を起こそうとしても、体が言うことをきかない。 「だめです、まだ」 シエスタが私を抑える。 私は、言葉だけをマリコルヌへ。 「マリコルヌ......少し......時間を稼いで......」 「いいや......」 彼は、ユラリと立ち上がった。 珍しく、瞳の奥に固い決意の光をたたえて。 「ルイズには大きな借りを作ってしまったからね。時間を稼ぐくらいじゃ......許されないよ。それにアニキとの約束もある。こいつは......」 右手に『咆哮の剣(ブレス・ブレード)』を、左手に自らの杖を構えつつ、キッパリと言い放った。 「......僕が倒す」 (第四章へつづく) |
「ほう、たいした自信だな......」 まるっきり見下した調子で言うヴィゼア。たかが人間の少年ふぜいに負けるはずがない、という自信が滲み出ている。 「マリコルヌ!」 私は声を上げる。 「魔力よ、魔力! あんたの自慢の『風』の魔法を叩き込むのよ!」 魔族の存在など信じていなかったので話半分だったが、それでも、本で読んだ知識はちゃんと覚えている。 それによると、魔族というのは精神生命体らしい。だから普通の武器だけで傷をつけることはできない。人間の『気』や『精神力』を武器に上乗せてして初めて、ダメージを与えることができる。 さいわい、私たち人間が使う系統魔法は、『精神力』を消費して唱えるもの。だから魔族にも系統魔法は通用する。一方、エルフなどが扱う先住魔法は、精霊の力を借りた魔法であり、自らの『精神力』を用いていないため魔族には効かない......。 これが、とある書物に書かれていた考察である。この理屈でいくと、私の『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』などは借り物の魔法だからダメということになりそうだが......。さすがに対象より遥か上位の魔族の力を借りているだけあって、バッチリ効果あるのだろう。 「無駄なアドバイスだな......。この子供の『風』程度が、私に通じるとでも?」 「僕は『風上』のマリコルヌだ! 僕の『風』を馬鹿にするな!」 右手に『咆哮の剣(ブレス・ブレード)』、左手に彼自身の杖。既に『ブレイド』も唱えており、杖は風の刃をまとっていた。 両手に武器を手にした状態で、マリコルヌが走る。 ヴィゼアの顔の右半面から、伸びる無数の白い鞭。 「ちいっ! 風の妖精さんは負けない!」 右手の剣が一閃し、そのほとんどをなぎ払う。 そしてマリコルヌは魔族に迫る! 「ほぉう!」 ヴィゼアは高々と飛び上がり、ヒタリと天井にはりついた。さながら巨大な蜘蛛のようだ。先日やられた仲間の魔族をリスペクトしているのだろうか。 「どうやら少し、甘くみていたようだ。......思ったよりも面白くしてくれそうだな」 うむ。 見ている私も、少し驚いた。 マリコルヌの手にした剣は、『咆哮の剣(ブレス・ブレード)』というたいそうな名前こそついているものの、要するに頑丈な刀に過ぎない。それで魔族の肉槍を切れたということは......。 剣にマリコルヌの精神力が上乗せされているということだ。それも、魔族に通じる程度の精神力が。 「面白い......だと!? ふざけるな!」 吼えるマリコルヌは、天井の魔族に向けて、風魔法をぶっ放す。 ヴィゼアはこれをかわしつつ、のしかかるようにマリコルヌめがけて飛び降りる。顔面から、白い鞭を無数に放ちながら。 「どわっ!」 たまらず後退するマリコルヌ。 ヴィゼアの肉の触手は大地を深々と貫き、つづいて本体が着地する。 「さすが、魔族。なかなかやるな......」 不敵に笑うマリコルヌ。 だが、今の攻撃を全部は回避しきれなかったようで、頭からダラダラと血を流していた。 「この程度......まだまだ序の口だぞ?」 魔族が言った途端。 マリコルヌの足下の地面が裂ける! 「なぁにっ!?」 地中を這い進んだ魔族の触手である。 真下から出現したそれを、マリコルヌはよけきれない! 「あぐぅっ!」 左のふくらはぎと右の肩を貫かれてしまった。『咆哮の剣(ブレス・ブレード)』も取り落とし、その場に片膝をつくマリコルヌ。 貫いた触手は、とりあえず、左の杖の魔力の刃で斬り落としたが......。 「何やってんの!?」 モタモタと剣を拾おうとするマリコルヌを、私は叱責する。そんな暇はないのだ。また触手が来るぞ!? 「だって......。アニキに言われたんだ、これでルイズを守れ......って!」 そういう意味じゃなかろうに!? クラゲ頭のバカ犬に師事するだけあって、こいつも馬鹿だ! ええい、しかし放ってはおけない! 「ぐわっ!? ......貴様ぁっ!?」 魔族ヴィゼアが悲鳴を上げる。 私が、なけなしの精神力で、エクスプロージョンを放ったのだ。 「まだ無理しちゃダメです、ルイズさん!」 シエスタの言うとおり。 今の私の状態では、ちょっと無茶だった。 虚無魔法を直撃させたのに、ヴィゼアは軽くよろけた程度。 でも。 援護としては十分だった。 ヴィゼアに隙が出来たから。 マリコルヌは『咆哮の剣(ブレス・ブレード)』を拾い上げ、魔族に突撃する! 「くたばれぇっ!」 肩をやられた右腕は使い物にならない。 もう右手は添えるだけ。 マリコルヌは、左手で、自分の杖とサイトから託された剣の両方を握っていた。 これが思わぬ効果を発揮する。 杖と一緒になったことで、剣にも魔力の刃が形成されたのだ! 「うおおおおおおおぉっ!」 彼自身の咆哮と共に。 ドッ! 魔力を伴った『咆哮の剣(ブレス・ブレード)』が、ヴィゼアの腹をまともに貫いた。 ######################## 「......馬鹿な。この私が......こんな......」 その腹に大きな穴を開けながら、地面に崩れ落ちるヴィゼア。 「やった......」 満足そうな笑顔で、マリコルヌも倒れ込む。 無理もない。痛めた脚も気にせずに、全力で走り込んだのだから。しばらくは歩くことすら難しかろう。 「本当ね。よくやったわ、マリコルヌ。ちょっと見直したわよ」 「そうですわ! さすが貴族のメイジ様です!」 私もシエスタも、労いの言葉をかける。 たった一撃だが、あれで終わりだった。マリコルヌの全精神力を叩き込まれた魔族は、もうピクリとも動かない。 やがて、ザアッという小さな音と同時に、その肉体は完全に散り崩れた。 「......どうしたの? 茫然としちゃって」 私はチラリと、シェフィールドに視線を移す。 我ながら、人の悪い質問である。 「い、いや......。魔族って、死ぬとあんな風になるんだな、と思って......」 彼女は面食らった調子で答えた。 ######################## 「はっ!」 サイトの魔剣が一閃し、オーク鬼の一匹を両断する。 すでに戦いには、あらかた決着がついていた。 『ジョゼフ』が『神聖棚(フラグーン)』に開けた穴を出たところ、つまりタルブの村の真っただ中である。 ブドウ棚のまわりは、かなり大きな広場になっていた。少し離れて民家が建ち並び、そこから村人がこちらの様子をうかがっている。 「ふぎぃ! ぴぎっ!」 少なくなったオーク鬼たちは、手に持った棍棒を振り回し、いきり立っていた。 しかし。 サイトのデルフリンガーの餌食になるもの。タバサの氷の矢に串刺しにされるもの。キュルケの炎の蛇に焼きつくされるもの。フレイムに押さえつけられ炎を吐きかけられるもの......。 ついにオーク鬼は全滅する。 その時点で。 「......ルイズ、傷はもういいの?」 いつから気づいていたのか、キュルケが私たちに手を振ってみせる。 「はあい」 私も元気に手を振り返す。 「ルイズ!」 サイトが、やっとこちらの存在に気づく。私の使い魔なんだから、真っ先に気づくべきなのに。 「もう大丈夫なのか?」 「うん。完璧よ!」 コクリと頷く私。傷はともかく、ほとんど精神力はカラッポで、魔法が使える状態ではないのだが......。敢えて言うまい。 私たち四人は、三人と一匹の方に歩いていく。 「今回は死人軍団は出てこなかったぜ」 「前の戦いで、死体まで燃やしつくしたからね」 「......となれば残るはあの、ヴィゼアっつう魔族と......」 キュルケに補足されながら説明するサイト。彼に向かって、私はアッサリと。 「あ、あいつはマリコルヌが倒してくれた」 「マリコルヌが!?」 サイトとキュルケだけではない。タバサまでもが、同時に驚きの声を上げる。 マリコルヌはビッと親指を立てて、三人に笑ってみせた。 シエスタに肩を借りた状態なので、少し情けないが、まあ仕方あるまい。彼の性格上、若い女の子とこれだけ触れ合っていれば、ややこしいところに手を伸ばしそうなものだが、そんなことも今はしていない。それだけ彼に余裕がないという証拠だ。一応シエスタの薬で治療したのだが、まだ軽く足を引きずっていた。 「じゃあ......残るは......」 キュルケは、オーク鬼の死体の向こう、飄々と佇む青髪の偉丈夫に視線を送る。 「あいつ......か......」 呻くようにつぶやくサイト。 私は杖をしっかり握って、静かに『彼女』の背中に押しつける。 「いいえ......茶番劇はそろそろおしまいにしましょう。......ねえ、シェフィールドさん......」 ######################## 「ええっ!?」 「はあ!?」 「......どういうこと?」 一同、二人に注目する。 「......いつ、わかった?」 あくまでシラを切り通すかと思いきや、彼女は、いともアッサリ私の言葉を肯定する。降参のポーズで両手を上げたので、私も答えることにした。 「初めにあんたを怪しいと思ったのは、あんたとマリコルヌに襲われた時よ」 あの時、私の手からすっぽ抜けた杖の音で、キュルケが助けに駆けつけてくれた。では、敵は何故キュルケが来るのを防げなかったのか? マリコルヌやシェフィールドに術をかけて操れるほど、私たちの近くに来ていたのに......。 「敵は二人には接近できたが、キュルケを操れるほど近づいてはいなかった。二人が私を襲っている時、敵はキュルケを足止めすることも出来なかった。......素直に考えれば、理由は一つ。その『二人』の中にこそ、敵がいたから」 マリコルヌのことは以前から知っている。ならば、消去法で犯人はシェフィールドとなるわけだ。 「なるほどねえ。じゃ、私からも一つ教えてあげよう。私は『操られた』ことについて、いきなり睡魔に襲われたって言ったけど......本当は違うのよ。それなのに、あのデブったら、否定もせずに、私に話を合わせちゃって......」 クククッと笑いながら、彼女はマリコルヌを見た。 皆が彼に注目する。彼は、なんだか顔を赤くしているが......? 「......あのね。私はそいつに、心を操る秘薬を、口移しで飲ませてやったのよ。それをそいつったら、私が本気でキスしたんだと思い込んで......。クックッ、そんなわけないじゃない」 ......おい。 一同のマリコルヌを見る目が、色々と変わった。呆れたような目、蔑むような目、汚いものを見るような目......。なぜか羨むような目が一つあるが、今は気にしないでおこう。 ともかく。 対ヴィゼア戦でマリコルヌが妙に頑張った理由が、少しわかった。私への罪悪感から......というのは思ったとおりだとしても、その『罪悪感』の中身は、私たちの予想以上だったわけだ。 きれいなお姉さんとキスしていたら、いつのまにか意識を失ってしまって、敵の操り人形でした......。そりゃあ、よほど奮闘しなきゃ自分で自分を許せんわなあ。こいつだって、それなりにプライドの高い貴族なわけだし。 「......で、私への疑いを確信したのは?」 ひとしきり笑った後、シェフィールドは再び私に聞いてきた。 「『ジョゼフ』が『神聖棚(フラグーン)』を魔法でぶち抜いた時」 もしも敵が洞窟内で私たちを見つけ、再び外に出たのであれば、私たちのところまで『ジョゼフ』を案内できたはず。 それに、あの狙いはあまりにも正確すぎた。結局のところ、『敵』は私たちの中にいるとしか考えられなかった。 「考えてみれば、他にもおかしなことはあったわ。蜘蛛男があんたを狙った時、やたらとモリエール夫人があんたをかばったし......。あんたが気絶している間、あの『ジョゼフ』はボーッと突っ立っていたし......。モリエール夫人も『ジョゼフ』も、あんたが操っていたんでしょ!?」 「......ちょっと違うけどね」 ふてぶてしい笑みを浮かべながら、彼女が補足する。 「モリエールなんて、単なる死体人形さ。......あいつは、ジョゼフ様を愛したとジョゼフ様から認められて、それでジョゼフ様に殺されたんだ。ジョゼフ様は......自分を愛する者を殺したら普通は胸が痛むのではないか、と期待なさって......」 私は思い出す。 無能王ジョゼフは、心が空っぽで、喜んだり悲しんだり出来ない男だった。 「......そんな理由なら、彼女ではなく、私でも良かったはずなのに」 あ。 この人が私たちを追い回していたのは......。 「ジョゼフ様......。あなたはどうして最後まで、この私を見てくださらなかったのです? どうしてこの私を、御手にかけてはくださらなかったのです? 私はただ少女のように、それのみを求めていたというのに......」 彼女は『ジョゼフ』に視線を向けている。でも、おそらく彼女の脳裏には、在りし日のジョゼフの姿が浮かんでいるのだろう。 それから、小さく首を振って。 「あそこにいるジョゼフ様は、モリエールのような死体人形じゃない。『スキルニル』という、血を吸った人物に化けることができる魔法人形......古代のマジックアイテム。その能力も一緒にね......」 なるほど。 だから本物のジョゼフのように、虚無魔法まで使えたわけか。 しかし......よく考えてみると、少し変だぞ!? 魔法を操るには、精神力が必要だ。いくら能力までコピーしたとはいえ、人形ごときに、それだけの精神力があるのだろうか!? そんな私の疑問が顔に出ていたらしい。シェフィールドはニヤッと笑った。 「普通は、剣士や戦士の『スキルニル』で遊ぶんだけどね。さすがジョゼフ様の『スキルニル』だけあって、本物そっくりの魔法まで使われる。......まあ、他ならぬ私だからこそ、これだけ『スキルニル』も使いこなせるわけだけど」 彼女は、高く掲げた右手の指をパチンと鳴らす。 それが合図だったのだろう。 周囲の建物のかげから、さらに大量の『スキルニル』が現れた。 「......ひっ!?」 怯えた声を上げたのは、誰であったか。 私たちを取り囲む『スキルニル』は......。 すべてジョゼフの姿をしていた。 ######################## 「見たかい!? どの『スキルニル』にも、私が回収した御遺体の塵をまぶしてある! 本物のジョゼフ様と同じように虚無魔法も使われるよ!」 さすがに動揺して、硬直する一同。 その隙に。 「ふっ!」 シェフィールドは、いともアッサリと私たちの囲みを突破する。 最初の『ジョゼフ』のもとに駆け寄って、跪き、頭を下げた。 「......ただいま戻りました」 先ほどの彼女の説明からして。 私たちが倒し、塵と化したジョゼフ=シャブラニグドゥ。風に吹き飛ばされたはずだったが、どうやら彼女は、それを拾い集めて利用しているらしい。ああやって一人にかしずくということは、あの『ジョゼフ』にこそ、一番多く塵を費やしたということか......。 しかし、そんなことを考えている余裕はなかった。彼女に対する『ジョゼフ』の呼びかけが、さらに私たちを驚愕させたのだ。 「ご苦労だったな、余のミューズよ」 ミューズ!? それって......。 私は、ギギギッとタバサに顔を向けた。 タバサが頷く。 「......『ミョズニトニルン』のこと。シェフィールドの正体は、ジョゼフの使い魔。私も気づかなかった。迂闊」 「もう違うけどね。ジョゼフ様が亡くなられて、絆であったルーンも消えてしまった......。でも以前に起動させた『スキルニル』は、まだ、こうして動いてくれている」 タバサの声に応じるシェフィールド=ミョズニトニルン。 「......納得。モリエール夫人たちを動かしていたのは、やはりアンドバリの指輪。マリコルヌを操った魔法薬は、おそらく、まだ彼女が『ミョズニトニルン』だった頃にアンドバリの指輪を少し削って作ったもの」 思考を言葉に出すタバサ。 やばい。饒舌タバサというのは、彼女が冷静でない証拠な気がする。 案の定。 「ラグーズ・ウォータル・イス......」 「やめて、タバサ!」 大技の呪文を唱え始めたタバサを、私は慌てて制止した。 たぶん今のは『ウィンディ・アイシクル(氷の矢)』。発動すればタバサの周りを無数の氷の矢が回転するのだろうが、私たちのことも考えて欲しい。ジョゼフ=スキルニルの大軍に包囲された現状では、避難することも出来ないのだ。 私の精神力さえ満タンならば『解除(ディスペル』で、全てのジョゼフ=スキルニルを元の人形に戻せそうだが......。今日はもう虚無魔法は打ち止めだ。 かといって、魔王の力を借りる『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』が、ジョゼフ=スキルニルに通じるかどうか。それに、こんな村のど真ん中では、さすがにあれは使えない......。 「ルイズさん」 いつのまにか私の近くまで来ていたシエスタが、小さな声で言う。 「タバサさんに聞いたんですけど......。ルイズさんは、魔王を超える魔王の力を借りて、すごい呪文を使うって......」 重破爆(ギガ・エクスプロージョン)。 全ての時と星々の闇をあまねく支配する『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』の力を借りた術である。 「あの術は、絶対に使わないでください」 「あ......あのねえ......。そりゃ、こんな場所でぶっ放したら、それこそタルブの村は......」 「いえ、そうじゃないんです」 強い調子で止めるシエスタ。 「できれば......一生涯、使わないで欲しいんです」 「......は?」 いきなりな頼みごとに、私は目を剥く。 「かつて魔鳥ザナッファーからタルブを救った英雄が......村に、こんな言い伝えを残しました。『金色の魔王よみがえる時、ハルケギニアは空へと浮かび、世界は全て滅びるだろう』......と」 なんじゃそりゃ!? 「私たちもよくわからないんですけど......この『金色の魔王』って、ルイズさんの魔法のキーになる人なんですよね?」 伝承によれば。 このハルケギニアは、『混沌の海』とか『大いなる意志』とか呼ばれるものの上に作られた世界の一つ。 そして、その『混沌の海』に天空より堕とされたのが、『金色の魔王』。 それが......下から蘇ってきて、この大地を空へと浮かび上がらせる!? 世界を滅ぼすですって!? 「す、す、すごい話ね......」 ......呪文の制御に失敗しなければ、大丈夫なはず。あるいは、言い伝えそのものが間違っているかもしれない。 それでも、シエスタの真剣な表情を見ると。 「わかったわ。絶対に使わない」 私は、そう言うしかなかった。 ######################## 「ミューズよ。私も少し彼らと遊びたいのだが......」 「御意。......ただし虚無の娘だけは、殺してはなりませぬ。あの娘の中にこそ、ジョゼフ様をジョゼフ様たらしめるモノが眠っていますゆえ......」 私たちを遠目に見ながら、『ジョゼフ』とシェフィールド=ミョズニトニルンが物騒な会話をしている。 彼女は、私を必要としているようだが......。 ジョゼフをジョゼフたらしめるモノ? それって......まさか!? 「しかしミューズよ。どうやら彼らは、ここでは本気を出せない様子。それでは面白くない。さて、どうしたものか......」 「ならば......まずは舞台を整えることから始めましょう」 そう言って彼女は、懐から小さな赤い石を取り出した。赤い、というより、透明なボールの中に炎を閉じこめたような、不可思議な光彩を放っている。 見た瞬間、嫌な汗が背中に流れた。だが、私が行動するより早く。 彼女は赤い石を空高く放り投げた。 同時に、私たちを取り囲んだジョゼフ=スキルニルたちが、いっせいに杖を掲げる。サッと何かつぶやいたかと思うと、周囲の彼らごと、私たちを赤い空気の層が覆った。 「これは......!?」 「驚くこともなかろう。『赤眼の魔王(ルビーアイ)』の力を借りた魔力障壁だ。この程度の芸当、お前でも出来るはずだが......?」 出来んわい。 だが、そんなことより! それだけ強力な結界をはったということは......。まさか、こいつら!? 「やめてっ! おねがいっ!」 私が叫んだその時。 重力に引かれて落ち始めた赤い石。それに向けて、『ジョゼフ』が杖を振る。 障壁の外が、まばゆい光に覆われた。 「なっ!」 「何!? 何があったの!?」 「なんだっ! こりゃあっ!」 口々に叫ぶ一同。 その中で私は、『ジョゼフ』とシェフィールド=ミョズニトニルンから視線を逸らさなかった。 理解していたからだ。 この瞬間、タルブの村が完全に壊滅したことを......。 ######################## 光がおさまり、外の様子が見え始める。 「っ......!」 最初に悲鳴を上げたのは、他ならぬシエスタだった。クタリと気を失い、その場に崩れ落ちる。 慌てて抱きとめるサイト。 土煙のおさまりつつある障壁の外には、私が予想したとおりの光景が広がっていた。 すなわち......一面の荒野。 ほんのしばらく前まで、ここには村があり、人々が笑い、喜び、生活を送っていた。そのわずかな痕跡すら、何ひとつ残っていなかった。 巨大な洞窟と化していた『神聖棚(フラグーン)』さえ、完全に消滅している。 「今のは『火石』と言ってね。生前のジョゼフ様がエルフに作らせたものさ」 涼しい顔でシェフィールド=ミョズニトニルンが言う。 「......あんた......わかっているの? 自分たちが今、何をしたのか......」 かすれた声で言う私に、彼女は満足そうな笑みを向ける。 「ジョゼフ様は以前、地獄を見たいとおっしゃっておられた。そうすれば少しは心が動かされるかもしれない、と。......ジョゼフ様が想定しておられたものと比べれば、この程度、たいした話ではない」 「たいした話ではない......だと?」 つぶやいたのはサイト。静かな声に、彼の怒りが秘められていた。 心が震えているのだろう。左手のルーンは強く輝き、手にしたデルフリンガーも、まばゆいばかりに光っている。 「ふざけるなっ!」 シェフィールド=ミョズニトニルンたちに向かって、真っ正面からかかっていく。 ユラリ......。『ジョゼフ』が一歩、前に出る。 「ほう。ようやく本気を出す気になったか。少しは楽しめるとよいのだが......どうせ心は動かんのだろうな......」 真っ向から振り下ろされるデルフリンガーの一撃に、『ジョゼフ』の体がクルリと一回転。青い髪が宙に躍る。 ガヂッ! 鈍い音がして、二人は離れて間合いを取った。 サイトの表情が引きつっている。 「嘘でしょ......!?」 見ている私も驚いた。 どうやら『ジョゼフ』は、振り下ろされる剣の腹を回し蹴りで叩き、その勢いに任せて体を回転させ、反対の脚の蹴りでサイト自身を狙ったらしい。サイトはサイトで、ちゃんとかわしたようだが......。 恐るべき『ジョゼフ』の体術。ガンダールヴのスピードに対応できるなんて、化け物以外の何者でもないぞ!? そもそも私にしたところで、今の攻防は、ハッキリ見えたわけではない。半分は『感じ取った』こと。私がガンダールヴの主人であるからこそ、何となく判ったことだった。 「......そんなに驚くことはないでしょう?」 向こう側の傍観者シェフィールド=ミョズニトニルンが、何でもない口調で言う。 「ジョゼフ様は虚無の担い手。『加速』の呪文を使えば、ガンダールヴの力も及ばぬスピードが出せる。......むしろ、これでは遅いくらいだわ。やはり本物のジョゼフ様とは違うのですね......」 冗談ではない。ガンダールヴを超えるなど......。 だが、ならばそんな化け物は相手にしなければいい! 淡々と語る彼女に向かって、タバサの氷とキュルケの炎が迫る! 例の『ジョゼフ』はサイトと対峙しており、シェフィールド=ミョズニトニルンの意識もそちらへ向いていた。この氷炎はかわせないはず......。 「ルール違反だよ......」 顔をしかめるシェフィールド=ミョズニトニルン。 いつのまにか彼女の前に、二体のジョゼフ=スキルニルが移動していた。その二体が盾となり、杖を振り、タバサとキュルケの魔法攻撃をあしらう。 「......お前たちと遊びたいのは、ジョゼフ様だ。私じゃない」 勝手なルールを押しつけるな! しかし、そっちが『ジョゼフ』一人しか戦わせないというなら、それはそれで好都合。ジョゼフ=スキルニル軍団は、私たちが逃げないように人壁になっているが、それだけのようだ。戦力として投入する気はないらしい。 完全に私たちは、もてあそばれているわけだが......。その間に、何とかしないと! 「ルイズ......。あなたの得意の虚無魔法は?」 「ごめん。ちょっと待って」 小声で話しかけてきたキュルケに、私も小さな声で答える。 怒りで心が震えたのはサイトだけではない。私も同じだ。そして心がふるえれば、精神力も高まる。 この状態ならば、少しくらいは虚無魔法も使えそうだが、でも、あくまでも少しだけ。タイミングを見計らわないと......。 そう思った時。 バサッ! 上空から巨大な風が。 見れば、一匹の青い風竜が私たちの真上に来ていた。 「呼ばれたから、ちゃんと来たのね! 少し遅れちゃって、ごめんなのね!」 「......遅い」 竜が喋った!? でも驚いている場合ではない。相手しているタバサの言葉から察するに、この竜はタバサの仲間だ。 ならば......。 突然の乱入者に、敵味方ともども驚いている今がチャンス! 「ウル・スリサーズ・アンスール・ケン......」 少しだけ『解除(ディスペル)』を唱える。詠唱時間が短いため範囲は狭いが、今の私の精神力では、この程度が精一杯。 それでも、囲みの一画を壊すには十分だった。右側に並ぶジョゼフ=スキルニルの数体が、小さな人形に戻って、地面に転がる。 「あっちよ!」 「みんな私に乗るのね!」 私の指示に続いて、風竜も叫ぶ。その背に乗って、大脱出を試みる私たち。 「......待ちなさい!」 シェフィールド=ミョズニトニルンが命じたのか、『ジョゼフ』が命じたのか。 ジョゼフ=スキルニル軍団がエクスプロージョンをボンボン打ってくるが、大きなものではない。やはり、あのシェフィールド=ミョズニトニルンの傍らの『ジョゼフ』以外は、レベルが少し落ちるようだ。もちろん、数が多いだけに、それでも十分な脅威ではあるのだけれど。 「ぎゃあああ。怖いのね! あんなの食らったら、さすがの私も無事では済まないのね!」 「......がんばれ。当たらなければ大丈夫」 タバサに叱咤激励されながら、風竜は飛ぶ。 もはや私に出来ることは、この竜がちゃんと避けてくれることを祈るだけ。 「なあ、ルイズ」 竜の背にしがみついたまま、サイトが話しかけてきた。反対側の腕では、まだ失神状態のシエスタを抱えている。 ちなみにキュルケとタバサとマリコルヌは、少しでも魔法攻撃に対抗しようと、それぞれ炎と氷と風を飛ばしていた。 私とは違って、彼らには、まだ魔法を使うだけの精神力が残っているらしい。彼らの系統魔法は、虚無ほど精神力を浪費しないからね。 「......何よ、サイト?」 「結局、空へ逃げるんだったら......。さっきの魔法、無駄だったんじゃねえか?」 あ。 どうやら私、貴重な精神力を無駄遣いしたようだ。 ######################## 私たちが逃げ込んだのは、『臭気の森』の中だった。 タルブの村の爆発は、この近くまで及んでいたが、それでも森の半分くらいは残っていたのだ。 例の『ジョゼフ』は『加速』を使えるわけだが、ジョゼフ=スキルニルたちは使えないのか、あるいはシェフィールド=ミョズニトニルンがお荷物となったのか。なんとか彼らを振り切って、私たちは、ようやく一息つく。 まずは、新参メンバーの紹介である。 「......これはシルフィード。私の使い魔」 「『これ』言うな、ちびすけ」 使い魔である風竜が、主人であるメイジにツッコミを入れる。それから、私たちを見回して。 「それにしても......。ペルスランもミスコールもソワッソンも、ずいぶんと面変わりしたのね」 「......違う。別人」 「わかってるのね。冗談なのね」 竜のセンスは理解できない。 しかし......今の会話でわかったことがある。この使い魔、最近召喚されたものではない。タバサがジョゼフ陣営にいた頃からの使い魔だ。ならば、以前の戦いでは、なぜ......? 「ちょっと待って。もしかして......さっき言ってた『遅れた』っていうのは......?」 何かに気づいたらしいキュルケ。 タバサが頷く。 「......そう。ジョゼフのもとから離れる際に呼んだ。でも今頃ようやく来た」 おい。 それは遅れ過ぎだろう!? 「仕方ないのね! 私はお父さまとお母さまから、『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』の管理を任されているのね。あそこの竜たちからは『長老』って呼ばれてるくらい。......だから忙しいのね! お姉さまの旅にも同行できないし、すぐには来れないのね!」 無茶苦茶な話である。 主人を放っておくというのも使い魔失格であれば、風竜のくせに『火竜』山脈の管理というのも......。 ......ん? 「ねえ、あんた。......えーっと、シルフィード......だっけ? ひょっとしてシルフィード、ただの風竜じゃなくて、韻竜なんじゃないの?」 「おお! さすが、お姉さまのお友だち! 私のこと知ってるのね!」 なるほど、少し理解できた。 韻竜を使い魔にするというのも凄い話だが、いくらタバサでも、完全に制御できていないわけか。それに、韻竜ならば喋れるのも当然。 ......と納得した私を、サイトがチョンチョンと突っつく。 「なあ、ルイズ。韻竜って何?」 「伝説の古代竜よ。知能が高く、言語感覚に優れ、先住魔法を操る......」 「そうなのね!」 シルフィードが胸を張る。人間とは違うので判りにくいが、たぶん胸を張っているのだと思う。 「......ずっと昔に絶滅したって聞いてたわ」 「違うのね!」 シルフィードは平然としているが、この竜の存在がおおやけになったら、大騒ぎだろう。 まあ私たちは、虚無とか魔族とか魔王とか、おおやけに出来ないことに色々と関わっている者たちである。今さら韻竜の一つや二つ、なんてこともない! ......まったく自慢にならないけど。 「......で、私も事情を知りたいのね。お姉さま、いじわる王にこき使われていたはずだったけど......なんだか状況が変わったみたいなのね?」 タバサが頷く。それから視線を私に向けた。無口な自分ではなく、私に説明役のバトンを渡したらしい。 「わかったわ。少し長くなるけど......」 私は、ゆっくりと語り出した。私たちがタバサと出会った頃からのストーリーを......。 ######################## 「......お姉さま、すごい! やっと、いじわる王を倒したのね! ......でも、今は大変なのね」 タバサに話しかけるシルフィード。興奮したり、しょんぼりしたり、なんとも感情豊かな竜である。 そんな微笑ましい主従の様子を見ていたら、キュルケが私に。 「ねえ、ルイズ。あの女の言葉......どういう意味かしら? ルイズの中に、ジョゼフをジョゼフたらしめるモノがあるって......」 シェフィールド=ミョズニトニルンの発言だ。私ならば何か想像してるんじゃないかと、キュルケは思ったらしい。 「ああ、あれね。推測だけど......。たぶん彼女の目的は、ジョゼフの仇討ちではないわ。......ま、それもあるかもしれないけど、メインは別。彼女はジョゼフを蘇らせたいのよ」 「ジョゼフを......蘇らせる!?」 死体すら残らず、塵となったジョゼフ。彼を本当に復活させることなど、さすがの『ミョズニトニルン』でも無理だろう。 しかし彼女の手元には、生前のジョゼフの血を利用した魔法人形『ジョゼフ』がある。せめて、あの『ジョゼフ』を、より本物に近づけたい......。 そんなところではないか。 「......ああやって人間の姿で出てきたところから見て、シェフィールド=ミョズニトニルンが血を採取したのは、魔王として覚醒する前のジョゼフだわ。そのくせ『赤眼の魔王(ルビーアイ)』の力を借りた呪文も使ってくるけど......」 あれは、あとから加えた塵の影響なのか。 それとも、生前のジョゼフも使えた呪文なのか。私が竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)を使えるように、ジョゼフが『赤眼の魔王(ルビーアイ)』の魔法を使えたとしても不思議ではないのだ。 「......まあ、どちらにせよ。あの『ジョゼフ』は『魔王』ではない。そしてシェフィールド=ミョズニトニルンは......魔王じゃないジョゼフなんて本当のジョゼフじゃないと考えてる。だから、どこかから魔王の魂を探し出してきて、あの『ジョゼフ』の中に移植したいんでしょうね」 「でも、魔王の魂だなんて......そんなもの......」 キュルケの言葉が尻すぼみになる。私の考えがわかったらしい。 「まさか......!?」 「そのまさか、よ。真偽は別として、あの女、信じてるんだわ。ジョゼフと同じ『虚無』の私なら......『魔王』を内封しているに違いない、と」 かつて始祖ブリミルは、その身に『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥを封印したという。 ブリミルの死後、魔王の魂は分断されて、ブリミルの子孫の中に転生していくらしい。そして、私やジョゼフが『虚無』の魔法を使えるのは、始祖ブリミルの血を引いているからこそ......。 「ちょっと、ルイズ! それじゃ......あなたも、いずれ......」 「バカ言わないで。あの女がそう思ってる、ってだけよ。......私はバケモノなんかにならないわ。それに、もし万一、私が魔王になった時は......」 「......わかったわ。ライバルのあたしが、キッチリあなたを倒してあげる」 勝手に私の言葉を引き継ぐキュルケ。 でも違う。もしもの場合、魔王ルイズ=シャブラニグドゥを滅ぼすのは、キュルケではなく......。 ......あれ? 周囲を見渡した私は、サイトがいないことに気づいた。 「あ! サイトさんなら、あの竜さんをタバサさんから借りて、乗って出かけましたわ。なんでも、探したいものがあるとか......」 私と目があったシエスタが、教えてくれる。長話の間に、彼女も意識を取り戻していたらしい。 「ほら、ここには、アニキの世界から来た『魔鳥』の残骸が転がってるからさ。武器として使えるものがあるんじゃないか......って」 「『咆哮の剣(ブレス・ブレード)』以外は、『神聖棚(フラグーン)』の中に置いてきちゃいましたから......」 マリコルヌとシスエタの説明で、サイトの意図は理解できたが......。 御主人様である私に黙って行くとは。戻って来たら、お仕置きね! ......と、少し私がプンプンしたところで。 ガサ......ガサッ! 近くの茂みが、嫌な音を立てる。 そして。 「......こんなところに隠れていたのか。でも、もう逃げられないよ......」 シェフィールド=ミョズニトニルンと『ジョゼフ』が現れた。 背後に大量のジョゼフ=スキルニルを従えて......。 ######################## タルブの村で対峙した時とは違う。 今回は、ジョゼフ=スキルニルに取り囲まれているわけではない。彼らは一つところにかたまっている。 それでも、逃げ出すのは難しいだろう。さっきとは違って、タバサの竜はいないのだ。サイトが連れていっちゃったから! 「ミューズよ。あの虚無の娘、もう精神力がゼロだと聞いていたが......さきほどは『解除』を使いおったな?」 「申しわけありません。私の読み誤りでした」 「ならば......これくらい簡単に相殺できるのかな?」 シェフィールド=ミョズニトニルンの隣の『ジョゼフ』が、錫杖を上に掲げた。 それが合図だったらしい。 二人の後ろのジョゼフ=スキルニル軍団が、一斉に呪文詠唱を始めた。 これは......エクスプロージョンだ! 冗談ではない。いくらジョゼフ=スキルニルの力が『ジョゼフ』より劣るとはいえ、この数はシャレにならない! 「ルイズ!?」 キュルケの言葉に、答えている暇はなかった。 虚無魔法を撃つだけの精神力は、もう私には残っていない。ならば......手段は一つ! 「......黄昏よりも昏きもの......血の流れより紅きもの......時の流れに埋もれし......偉大な汝の名において......我ここに闇に誓わん......」 間に合うのか!? 虚無魔法や失敗爆発魔法とは違って、ちゃんと最後まで詠唱しなければ発動しないのだが......。 「......我等が前に立ち塞がりし......すべての愚かなるものに......我と汝が力もて......等しく滅びを与えんことを!」 間に合った! 「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」 私は杖を振り下ろす。 同時に、ジョゼフ=スキルニルの大群も。 ......魔法と魔法が激突する! ゴワアァァッ! 森が悲鳴を上げたかのように。 轟音が鳴り響いた。 この瞬間......。 タルブの村に続いて、『臭気の森』も消滅した。 ######################## 無数のエクスプロージョンに、カウンターとして竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)をぶつけたのだ。 ......無理もない。爆煙がおさまった時、もう辺りには何もなかった。 「あわわ......」 「......」 マリコルヌは腰を抜かしており、シエスタは硬直している。フレイムも動かないが、これも固まっているのだろうか? 一方、キュルケとタバサは、私と同じく、杖を振り下ろした姿勢。 そう、私だけではない。 二人は、絶妙のタイミングで防御魔法を放ったのだ。私が魔法を撃った後、そして向こうのが届く前。 もちろん炎の壁も氷の壁も、エクスプロージョンを相手にしたら、焼け石に水。それでも、爆発の――ド級魔法がぶつかりあった衝撃の――余波から私たちを守るには、十分な役割を果たしてくれた。 「さすが......私の『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』だわ......」 一方、敵は魔力障壁も何も用意していなかった。余裕だったのか、あるいは、こうした状況に慣れていないのか。 ともかくも、今の一撃に巻き込まれて、ジョゼフ=スキルニルの数が少しだけ減っていた。 やはりジョゼフ=スキルニルなど、しょせん魔王覚醒前のジョゼフの血を用いた人形。『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』が通用するらしい。 こうなれば......私の生体エネルギーが尽きるまで、連発するしかない!? そう決意した時。 「わりい! 遅くなった!」 背後からかけられた声に、私は振り返った。 ######################## 青い竜に乗った、青い服の少年。 まるで竜の騎士だが、そうではない。私の大切な使い魔......サイト! この危機的な状況の中、思わず顔が明るくなる私。 力がみなぎってくる。 よーし! こうなったら......いくらでも『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』を撃ってやるぞ! 「ルイズ! この武器ならば......」 サイトの視線が、騎乗している竜の口元へ。 竜は口に何か加えているのだが、それが彼の言う『武器』なのだろう。 でも私は呪文詠唱中。だからサイトに目だけで合図する。 サイトは、私の意図を了解したらしい。 彼は、竜と共に、シエスタのもとに降り立った。 「サイトさん!?」 「シエスタ! 討たせてやるぜ......お前の村と、家族のかたきを......」 二人の言葉を耳にしながら。 「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」 本日二発目を放つ私。 うわっ、さすがにキツイ。やっぱりコレ、連発するような呪文じゃない。 『ジョゼフ』側は、またエクスプロージョンで相殺したようだが......。 「......愚かな! その程度で私たちを倒せると思っているのかい!?」 シェフィールド=ミョズニトニルンが嘲笑う。 爆煙の向こう側なので、彼女の姿は見えない。おそらく、自分たちの優位を疑っていないのだろう。 だが。 この爆発を煙幕にして、すでにサイトの準備は完了していた。 シエスタと前後に並んだサイトは、長い棒状の物体を、二人で肩に抱えている。 「ならば、これはどうだ!」 サイトの言葉を合図に、シエスタの手が動く。 その瞬間。 ダダダダダダダダダダッ......! 魔法ともハルケギニアの武器とも違う音が、辺りに響き渡った。 ######################## 誰でも普通、見た事もない武器を目にすれば、それなりの防御をするであろうが......。 状況が私たちに味方した。 爆煙が目くらましになったのだ。 だからシェフィールド=ミョズニトニルンたちは、知らない武器を突きつけられたことすら、気づかなかった。彼らは、モロにその攻撃をくらって......。 ######################## 完全に煙が晴れた時。 ジョゼフ=スキルニルは、全てその場に倒れていた。 シェフィールド=ミョズニトニルンと『ジョゼフ』も、体中を撃ち抜かれて、重なり合うようにして横たわっている。 まだ小さな人形にこそ戻っていないが、もう『ジョゼフ』は、もの言わぬ人形......。 「お前たちではなく......ジョゼフ様に殺していただきたかった......」 ゴボッと血を吐きながら、彼女は言う。 「復讐を果たして......魔王の魂も手に入れて......ジョゼフ様を復活させて......その後で......」 やはり。 だいたい私の推測どおりだったようだ。だからこそ「生きたまま」という条件付きで、私たちを手配していたわけだ。 魔王云々に関して言うならば、私以外は死んでいても構わないはず。だが、やはり自分の手でジョゼフの仇討ちをしたかったのだろう。それだけでなく、私を相手にする際の人質として利用する気もあったのかもしれない。 そして。 彼女は、タバサに視線を向けた。 「......教えてやろう。ジョゼフ様が、ああなったのは......お前の父親のせいなんだよ......」 「......お父さま?」 「ああ。そうさ......」 幼少の頃から、魔法の才がないことで軽蔑されていたジョゼフ。特に、ジョゼフの弟シャルル――タバサの父――が才能あふれるメイジだっただけに、周囲の風当たりはいっそう強かった。 しかし彼の父――先代のガリア王――が死ぬ際、父王は告げた。 『......次王はジョゼフと為す』 ジョゼフは大いに喜んだ。弟の悔しがる顔が見れると思った。ところが。 『おめでとう。兄さんが王になってくれて、本当によかった。僕は兄さんが大好きだからね。僕も一生懸命協力する。一緒にこの国を素晴らしい国にしよう』 邪気のない笑顔。 それが、ジョゼフの心を壊す第一歩だった。 「......ジョゼフ様も、お前の父親のことは愛しておられた。でも、その瞬間、それが憎しみに変わったのだ。お前の父親の才と優しさを恨み、その兄であることに絶望し......みずから弟を毒矢で射抜いたのだ」 しかも。 その行為自体が、さらにジョゼフを壊してしまった。 最大の愛憎の対象がこの世から消えたことで、もう何をしても、心が動かされない。ジョゼフは、自分の心が空虚になったことに気づいた......。 「......何よ、それ!? そんなの逆恨みじゃない!?」 他人の私が、口を挟むべきではなかったかもしれない。それでも、叫んでしまう。 そんな私に、シェフィールド=ミョズニトニルンは何も答えない。ただ、ゆっくりと視線を動かして、私とサイトとを見比べていた。 「あの武器は......?」 「魔鳥ザナッファーの死骸......と呼ばれていた物の一部だ。実際には、俺の世界から来た兵器なんだけどな」 「異世界の武器......か」 頷いたシェフィールド=ミョズニトニルンに、サイトが説明する。 あの『神聖棚(フラグーン)』の中で、シエスタの言っていた『長いトゲから作った物干し竿』を見て、サイトはピンときた。 それは、ザナッファーことゼロ戦の、機銃の部分だったのだ。 ならば『臭気の森』の中には、同じようなものが――まだ使えるものが――転がっているかもしれない。 そしてサイトは、期待していた物を発見。いや、ある意味、期待以上だった。機銃の一つを改良して、ゼロ戦とは独立して使える機関銃となったシロモノ。しかも、誰も使う者がいなかったせいか、まだ銃弾もタップリ残っている......。 「......触ったら、ガンダールヴのルーンが教えてくれた」 「そうか......。ガンダールヴの力か......」 「なあ、一つ教えてくれ。あんたも......俺みたいに地球から来たのか?」 虚無の使い魔だから、同じように異世界出身かもしれない......。そんな可能性をサイトは考えたようだが。 「......チキュウ? 知らないね。私は......ロバ・アル・カリイエからジョゼフ様に召喚された。シェフィールドも......ミューズも......本当の名前じゃない......」 もう会話はおしまいと言わんばかりに、彼女は、顔をジョゼフの人形へと向ける。 「......ガンダールヴの力に負けた。ジョゼフ様から頂いた......ミョズニトニルンの力が......」 彼女の『ミョズニトニルン』の能力で操ってきたスキルニル。『ミョズニトニルン』だからこそ使いこなせた、尋常でないレベルのスキルニル軍団。 それを一掃したのは、サイトの『ガンダールヴ』の能力で使われた武器。『ガンダールヴ』だからこそ使い方も判った、彼の世界から来た武器。 シェフィールド=ミョズニトニルンにしてみれば、これは『ガンダールヴ』の勝利であり、『ミョズニトニルン』の敗北であった。 「これが......私たちと......お前たちとの差なのか......。私とジョゼフ様との間にあったのは......絆ではなく......私の一方的な愛......」 彼女は、小さく首を振る。 「いや......違う......。私が負けたのは、もう私が......『ミョズニトニルン』ではないからだ......」 彼女の使い魔としてのプライドか。『ミョズニトニルン』の敗北を認めるわけにはいかないのか。 自分の額を触るシェフィールド=ミョズニトニルン。おそらく、かつては、そこに『ミョズニトニルン』のルーンが刻まれていたのだろう。 それから。 「ジョゼフ様......今......おそばにまいります......」 人形『ジョゼフ』の口に、鮮血で汚れた唇を押しあてて。 彼女は、動かなくなった。 これが......。 主人であるメイジを愛した――女として愛してしまった――使い魔、シェフィールド=ミョズニトニルンの最期であった。 ######################## 「......どうも、色々とありがとうございました」 シエスタが、深々とお辞儀する。 「いや、礼を言うのは俺たちの方だよ......。なあ?」 「そうね。ありがとう、シエスタ」 私とサイトの言葉に、フレイムを連れたキュルケも隣で頷いていた。 ここは、王都トリスタニア。街の中央、噴水のある広場で、私たちは立ち話をしている。 「いえ、私はたいしたことしてませんから......」 そう言って微笑むシエスタだが、彼女の頑張りには、皆が感謝していた。 『臭気の森』での決戦が終わった、あのあと......。 私たちはトリスタニアにやって来た。精神的に大きなダメージを受けているはずのシエスタは、この王都で何やらややこしい手続きを済ませ、『ジョゼフ』の手配を解いてくれたのだ。 平民の彼女にそんなことが出来たのも、彼女の家が、タルブの村では有力な一家だったかららしい。彼女の家に宿泊していた『ジョゼフ』は偽物だったということで、何とか話を通したようだ。 「......で、これからどうするの?」 「はい。この街には、いとこが住んでいますから。彼女を頼るつもりです」 シエスタが言うには、親戚が酒場を経営しているとか。 いとこは昔、タルブの村のメイド塾に来たことがあるので、シエスタとは面識もある。その母親は既に亡く、父親は、いとこの話から察するに、優しくてハンサムな人らしい......。 「よかったな、シエスタ。そういう人なら、きっとシエスタも受け入れてくれるよ」 「優しくてハンサムな人......か。あたしも、ちょっと会ってみたいわねえ」 サイトとキュルケは、明るく応じているが。 私は、少し嫌な予感がする。 「まさか......シエスタの親戚って......」 ちなみに。 トリスタニアに入る前に、マリコルヌやタバサはいなくなっている。 『アニキたちと一緒にいたら、命がいくつあっても足りないよ!』 マリコルヌは、そう言って気ままな一人旅に出発。 タバサは使い魔の竜に乗って、 『母さまを元に戻す方法を探す』 と、飛んでいった。彼女には、エルフの薬でおかしくされた母親を治すという、大事な使命があるのだ。 王都トリスタニアになら、その方法があるかもしれない......。 そう言って私は彼女を誘ったのだが、タバサは静かに首を横に振った。真っ先に当たって、結局だめだったらしい。 二人とも、元気でやっているだろうか? ......などと考えている余裕はなかった。 「じゃあ、行くぜ!」 サイトが私の手を引っ張る。 「え? どこに......?」 「何よ、ルイズ。ボーッとしちゃって......。あなた、話を聞いてなかったの?」 キュルケが、呆れた声で。 「あたしたち今から、みんなでシエスタを送って、彼女の親戚のお店に行くのよ。......『魅惑の妖精』亭って言うんですって」 ぎゃあ、やっぱり! そして私は、ズルズルと引きずられていく......。 ######################## タルブの村での事件に、ふと想いをはせるたび、まぶたの裏に必ず浮かぶ光景があった。 何もない荒野に、ゴロンと転がった『ジョゼフ』の人形。 その傍らには、無能王ジョゼフによって召喚され、狂った彼を愛してしまった、本名不明の女が眠りについている。 一体の人形を、墓標のかわりに......。 第三部「タルブの村の乙女」完 (第四部「トリスタニア動乱」へつづく) |
「......『ゼロ』のルイズ......だな?」 その男が声をかけてきたのは、ある晴れた日の昼下がり。 私とキュルケが、街の洒落たお店で、優雅にティータイム・セットの早食い競争をしていた時のことだった。 正直、早食い競争など貴族らしくない行為。今の私ならば、そんなバカは絶対しない。だが、これは、まだ私もキュルケも使い魔を連れていなかった頃の話である。 言わば、若気の至り。たぶん私は、旅に出た学生メイジが二年目にかかるというナントカ病だったのだろう。 「うん」 クックベリーパイを口に運ぶ手は止めずに、私はアッサリ頷いた。 相手の男は、二十歳をいくつか過ぎたくらい。ピンとはった髭が凛々しい、美男子であった。 ......が、ちょっとイイ男だから素直に対応した、というわけではない。 この早食い競争、負けた方が勘定を持つことになっていたのだ。ヒマな受け答えなんぞして、時間を無駄にするわけにはいかなかった。 私たちが食べまくる横で、男は何やらゴソゴソ取り出して。 「ガリア王国、東薔薇騎士団所属、バッソ・カステルモールだ」 言われてチラリと横目で見ると、かざしているペンダントの刻印は、組み合わされた二本の杖。たしかにガリア王家の紋章のようである。 しかし......何故ガリアの騎士が? ここはガリア王国の領内ではない。クルデンホルフ大公国だ。 クルデンホルフ大公国は、フィリップ三世の御代にトリステイン王国から大公領として独立を許された新興国。トリステインならばまだしも、ガリアの役人がここで活動するのは、内政干渉にあたるはず。 ならば、公務ではないのだろうか? 「お前がこの街に来た、という話は噂で聞いた」 ペンダントをしまいながら、カステルモールとやらは、あくまでも事務的な口調で言った。 「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。お前を連続幼児誘拐事件の容疑で取り調べる」 『ゼロ』のルイズという通称だけでなく、フルネームを知っているとは。 さすがガリア王国の騎士さんだ、よく調べているなあ。 ......って、そうじゃなくて! 「っなぬぃぃぃぃぃぃぃっ!?」 カステルモールの言葉に、私は思わず絶叫していた。 「ちょっと待ってよ! 何なのよ、その『幼児誘拐』ってのは!?」 「とぼけても無駄なこと。ここ最近このクルデンホルフ大公国にて頻発する幼児誘拐事件! お前が犯人だということは明々白々!」 「......な、なんでそうなるのよ!? だいたい、あんた、この国と関係ないでしょ!?」 「何を言う! 行方不明の幼児の中に、たまたまこの国へ旅行中だったガリア貴族の子弟も含まれておるのだ。その子供を無事に連れ帰ることは、私に与えられた重大な任務!」 そういう事情か。 とりあえず、この騎士がクルデンホルフの事件を解決したいという意気込みは理解。他国で発生した事件に派遣されるほど優秀なのか、あるいは逆に、無能だからこそ飛ばされて来たのか、それは判らないけど。 「......で、でも! 私は無関係よ! 第一、私たちがこの国に立ち寄ったのって、つい最近よ! ね、キュルケ?」 しかしキュルケは、ウンともスンとも言わない。黙々とケーキを食べ続けている。 「ほら見ろ! おまえの連れも認めているではないか!」 カステルモールが調子に乗ってしまった。私をビシッと指さして、店中に響き渡る大声で。 「やはり私の推理どおり、お前が犯人だ!」 「違うっつうのに! ......そもそも! 何の理由で私が犯人だ、なんて話になったのよ!?」 「ほほぉう! この期に及んであくまでもシラを切るつもりならば......」 カステルモールは、やたら得意そうな声で、懐からメモを取り出す。 「東の村のト-マスくん五歳が行方不明になった時、近くの麦畠で見つかったのは、トロール鬼のものとおぼしき巨大な足跡!」 「ふむふむ」 「『ゼロ』のルイズの仕業だ!」 「......は?」 いきなりと言えばいきなり過ぎる決めつけに、思わず私の目が点になる。 「つづいて北の村のイェニーちゃん三歳が行方不明になった時、村に面した湖で何か巨大な生物が、水面から首を出しているのが目撃された! ほら、『ゼロ』のルイズの仕業だ!」 「......おい......」 「時を同じくして! 西の村でボリスさんが、五歳になる自分の息子リヒャルトくんを連れて日暮れの道を歩いていると、いきなり夜空に青白い光が現れて......」 「待て、おっさん」 私はカステルモールに詰め寄った。おっさんと呼ぶには少し若いが、もう、こんな奴おっさんで十分じゃ。 「......そうすると何!? 世の中の面妖な事件は、すべて私のせいだとでも!?」 「当然!」 カステルモールは迷わず答える。 「まさかお前、自分自身に関する噂の数々、知らんとは言わんだろうな?」 「う......」 私の二つ名『ゼロ』に関して、どうも世間では色々な噂が流れているようで。 どうせこのカステルモールも、ロクでもない話を耳にしたに違いない......。 「曰く! 口から怪光線を発して盗賊を消滅、その存在そのものを『ゼロ』と化す! 曰く! ピンクの髪が伸びて虫を補食、その存在そのものを『ゼロ』と化す!」 「ちょっと待てええええ!」 「『ゼロ、ゼロ、ゼロの恐怖サイン。どこかで誰かが泣いている。貧乳時代の発生だ。マッハで逃げ出せ、子供たち!』......と、街の小唄にも歌われているではないか!?」 「そんな歌あるわけねえええ!」 思わず私の放った怒りのキックで、カステルモールは隣のテーブルまで飛んでいく。彼はメゲずに、不敵な笑みさえ浮かべながら体を起こし。 「......ふっ。もはや言い逃れは効かぬと知って、実力行使に出たか! それこそ自分が犯人だと言ったも同然!」 「あれだけムチャ言われたら、ふつう誰だって怒るわよっ!?」 「いーや、図星を突かれて動揺し、思わず手を出したのだろう!? そんな程度の言い逃れで、このカステルモールの目は誤摩化せん! 何しろ、この私は......」 カステルモールは、ちょっと澄ました顔をしながら。 「......東薔薇騎士団の中でも随一の切れ者と、御近所の奥様方にも大評判なのだ!」 ......こいつが一番の切れ者って。ガリアの騎士団は、そんなに人材不足なのか!? しかしともあれ。 このままでは水掛け論。私が犯人ではないと証明する方法は、ただ一つ。 「......わかったわ」 「おお! ついに観念して白状する気になったか!?」 「違うわよ! その誘拐事件の真犯人、私が捕まえてやる! ......それでいいでしょ!?」 「どうせ『真犯人を探してくる』とか言って、そのまま逃げる気だろう!?」 「そんなに心配なら、あんたも一緒に来なさい!」 「言われんでも! ここで見つけたが百年目、おまえから目を離すつもりはない!」 ああっ、もう鬱陶しい奴! でも、このとき私は、重大な問題を失念していた。 「ホーッホッホッホ! どうやらこの勝負、あたしの勝ちのようね! ルイズ!」 突然笑い出したキュルケが、それを思い出させる。 もともと私たちは、支払いを賭けての早食い競争をしていたのだ! こんなことで負けるとは......。しかも相手はキュルケ、つまりツェルプストーの女。ヴァリエールがツェルプストーに負けたとあっては、ご先祖様に申しわけが立たない! この場は何とか有耶無耶にせねば......。 と、その時。 「......っきゃあああああああっ!」 店の外から聞こえてきた、女の人の悲鳴。 「......何だ!?」 「外よ! 行ってみましょう!」 私とカステルモールは外へと飛び出し、 「ルイズ! 勘定! あなたが払うのよ!」 続こうとしたキュルケが店員に呼び止められる。 おっしゃああ! これで支払いはキュルケ! 勝負に負けて、でも別の何かに勝った気分! 「ガリアの東薔薇騎士、バッソ・カステルモールだ! 何があった!?」 そこいらの通行人に聞くカステルモール。国は違えど、貴族の騎士さまだ。肩書きが功を奏したか、答えはすぐに返ってきた。 「......なんか......子供がさらわれた、って誰かが言ってました!」 「何っ!? どっちだ!?」 「湖の方よ!」 ほかの誰かの答えを耳に、私とカステルモールは、同時に駆け出す。 たしかにこの街は、やたら大きな湖に面していた。今駆けているこの場所からも、青い水面のきらめきと、沖にかかった霧が見える。 「あれだっ!」 カステルモールの声に、走りながら見上げれば、空をゆく影一つ! 「オーク鬼!?」 「馬鹿もん! オーク鬼が飛ぶわけあるまい!? あれは......翼人だ!」 私の言葉を訂正するカステルモール。 よく晴れた青空を背に湖の方へと羽ばたくヤツには立派な翼があり、腕の中には、三、四歳ほどの子供が一人。 なるほど、彼の言うとおり、羽の生えたオーク鬼なんて聞いたことがない。でも翼人というものは、背中の翼以外は人間そっくりな外見のはず。飛んでるあいつは、豚の顔といい醜く太った胴体といい、いかにもオーク鬼なのだが......。 「そんなことは、どうでもいいでしょう? 今、一番大切なのは......」 「わっ!?」 いつのまにか私たちの横を、キュルケが並走していた。 驚かすな。 しかし彼女の言葉は正しい。敵の正体はともかく......。 「......ルイズが賭けに負けたこと。これだけは忘れちゃいけないわ。とりあえず私が立て替えておいたから、あとで払ってね?」 「違うわ! それこそ一番どうでもいい話じゃあああ!」 終わった話を蒸し返すキュルケに、思わず蹴りでツッコミを入れる私。 あ。 さすがのキュルケも走りながらだったせいか、受けとめきれなかった。まともに食らって、ぶっ倒れる。 ......まあ、いいや。 私は、本題に戻った。カステルモールに向かって。 「見たでしょ!? あいつが犯人よ!」 しかし。 「あの翼人を操っているのがお前じゃないとは限らん! 捜査官と対面している時に別のモノを使って事件を起こし、そちらに目を向けさせようとする......。四十八の悪人技の一つだろう!?」 こいつ......。どうあっても私を犯人にする気だな......。 「......だが、あくまでもお前がアレを配下ではないと言い張るなら! お前の魔法でアレを倒してみせよ!」 「へ?」 飛行オークを追ううちに、私たちは湖のそばまで来てしまっていた。 このままでは確実に逃げられてしまうが......。 私が魔法攻撃を仕掛けたところで、狙いが甘けりゃ子供も巻き添え。よしんば飛行オークだけを撃ち落とせたとしても、当然子供は真っ逆さまである。 それなのに、この男は......。カステルモール、ついに気でも狂ったか!? 「フル・ソル・ウィンデ......」 あ。 レビテーションの呪文を唱えつつ、早くしろと目で合図するカステルモール。 ......そういうことだったのね。こんな奴でも、一応はガリアの東薔薇騎士。推理能力は皆無でも、こういう場合にとっさの作戦を立てる頭はあるようだ。 しかも、私の魔法攻撃の精度を信頼している......というのであれば。 「......わかったわ!」 急いで適当な呪文詠唱。どんな呪文も爆発魔法となる、これが私の特技の一つ。......本来の呪文は失敗しているとも言えるが、ものは言いようである。 サッと杖を振ると、見事に命中。 飛行オークの背中が爆発し、その手から子供がこぼれ落ちる。 でも大丈夫。 カステルモールの魔法で、子供は無事、岸辺へと運ばれた。 ######################## 「よくやった!」 「さすが、貴族の騎士さま! メイジさま!」 やじ馬たちが歓声を上げ、カステルモールをほめ讃える。 同時に。 「てめーっ! なんつーあぶねーことをっ!?」 「子供に当たったらどーするつもりだったのよぉぉぉっ!」 あれ!? なぜか私は......非難されてる!? 私も活躍したのに! 私も貴族のメイジなのに! 「......やはり大衆も理解しているようだな。誰が正義で、誰が悪なのか!」 皮肉な笑みを浮かべつつ、私に言葉をかけるのは、言うまでもなくカステルモールだった。 こいつ......。ここまで読み切った上での作戦だったのか!? 拳を握りしめ、体をプルプル震わせながら、しかしグッと堪える私。 今こいつに手を上げたら、ますます私は悪人あつかいだ。 旅に出てから安っぽい貴族のプライドは捨てたつもりだが、こんな街の平民たちからバカにされては、さすがに自尊心が耐えられなくなる。 ......負けるな、私! 間違えるな、私! 戦うべき相手は......カステルモールだ! 「まだ私を疑ってるのね?」 「当然だ! 小さな事件を起こして、捜査官の目の前で解決し、信用させて疑いを逸らす! これも四十八の悪人技の一つだろうが、このガリア東薔薇騎士たる私の目は誤摩化せん!」 「もともと曇りまくってるでしょうが! あんたの目は! ......そもそもっ!」 私はビシッと沖の方を指さして。 「飛行オークがあっちに飛んでいこうとしてたんなら、あっちが疑わしい......って思うのが普通でしょ!?」 「並の考え方では東薔薇騎士は務まらん!」 「あんたは並以下じゃあっ! ......第一、このやたら晴れた昼間の、しかもどでかい湖の中央だけ濃い霧があるのよ!? 露骨に怪しいじゃないの! 湖の方は捜索したの!?」 「ふっ! またそうやって話を誤摩化そうとする! おそらくお前は、自分が疑われた時のことを考えて、湖のまわりの村や街で事件を起こし、無駄な捜索をさせようという魂胆なのだろうが......」 おい......。 私は、目が点になった。 「......ねえ、ちょっとルイズ。この人、ルックスは悪くないけど......頭カラッポなんじゃない?」 いつのまにか復活して合流していたキュルケが、私に耳打ちする。 キュルケだって頭より胸に栄養が向いているタイプなのに。 ......というより、勘定の話を持ち出さないところを見ると、転んで頭うって忘れたか? ちょっとラッキー! 「そうみたいね。......カステルモール、あんたに聞きたいんだけど、事件って......この湖に面した村や街でだけ起こってるわけ?」 「そうだ! それがどうした!?」 「......で、この湖の捜索はしたの?」 「そんな無駄なことするわけなかろう!? 真犯人『ゼロ』のルイズが目の前にいるというのに!」 はああああ。 このおっさん、飛行オーク戦では冴えていたのに。頭いいのか悪いのか、よくわからん。 ......頭が悪いというより、思い込んだら一直線なのだろうか。 そう言えば、くにの姉ちゃんが嘆いていたっけ。頭いい人間が多いはずの王立魔法研究所(アカデミー)でも、とんでもない頑固者が多いって。 きっと、このカステルモールも同じタイプなのだろう。 「......だから犯人は私じゃないってば」 「ねえ、ルイズ。だったら、あたしたちで真犯人を捕まえましょうよ。そうすれば、この人も引きさがるわ」 再び口を挟むキュルケ。 私は溜め息を返す。 「あのねえ、キュルケ。それは、さっき私も言ったのよ。あんたは食べるのに夢中で、聞いてなかったんでしょうけど......」 「さっき......? 食べるのに夢中......? ......ああああああっ!」 ひときわ大きな声でキュルケが叫ぶ。 「思い出した! あたしたち、早食い競争してたじゃない! ......しかも勝ったのはあたし! あたしが勘定を立て替えたのよ!?」 しまった。 墓穴を掘ってしまった。 「ルイズ! 真犯人! おとなしくしろ!」 「ルイズ! 勘定! ちゃんと支払って!」 二人の言葉を聞きながら。 私は、もう頭を抱えるしかなかった。 ######################## それでも、冤罪を晴らすための捜査は始まる。それは......はっきし言って、困難なものではなかった。 なにしろ、あからさまに怪しい湖がある。それに関して聞き込みを続ければ、情報はおのずと集まってくる。 街の人々曰く。湖に霧が掛かり始めたのは少し前からで、それ以来、漁師たちも船を出さなくなった。なお、かつて湖の真ん中には小さい島があった。いや、なかった。いや、突然出現して突然消失した。 一方、湖のほとりの漁師さんたち曰く。知らない。何も知らない。絶対知らない。 「『なんかあるぞ、ここには!』って絶叫しているようなもんね」 湖から、やや離れたところにある宿屋。 その一階の食堂で、私とキュルケとカステルモールは、夕食のテーブルを囲んで打ち合わせをしていた。 漁師が仕事を止めた影響だろう。湖のある地方にしては、魚介類の少ないメニューである。 「はっ! 笑わせるな! 他人の証言を都合のいいように解釈しおって! ......だいたい、あんなもの信頼できる証言とは言えんぞ。島があるとかないとか、現れたり消えたりとか......」 「......ま、それに関しては、この人の言うとおりね。ルイズ、どう思う?」 「わかんない。だからこそ、調査するの。明日はどっかで船でも借りて、実際に湖の真ん中まで行ってみましょう」 「茶番だな! しかし一度つきあうと言った以上、つきあってやろう! もしも本当に湖の真ん中に『ゼロ』のルイズの秘密基地があった場合、そこにお前が逃げ込むかもしれんからな!」 ......と、とりあえず翌朝の調査には賛同してもらえたのだが。 ######################## この計画には邪魔が入った。 チュゴォォォンッ! その日の真夜中のこと。 大爆発の音で、私は目を覚ました。 「何よ!? 今のは!」 慌てて宿から飛び出して、天を振り仰ぐ。 私の目に映ったのは......月を背に、宙に佇む二匹の竜。背中には、黒衣をまとう男たちが乗っているようだ。 さらに、彼らに対峙する形で、近くの屋根の上にはカステルモールが。 「お前たち! どうせ『ゼロ』のルイズの手下なのだろう!?」 「......なんだと!?」 「私には判っている! 一階の食堂で相談していた時、露骨に怪しい男が近くのテーブルにいたからな! ワザと大声で話をしてみれば、こちらの話に反応していたようだし......。今夜あたり彼女の指示で動き出すと思って、こうやって見張っていたのだ!」 どうやら竜の男たちは、カステルモールに誘い出されたらしい。そこまではよいとして、問題は、彼が黒幕を私と信じ込んでいること。 あいかわらず、鋭いんだか鈍いんだか、よくわからん男だ。 ......まあ、ともかく。 ノコノコ出てきた連中は、キッチリ彼に反撃されたっぽい。カステルモールに魔法の火炎を叩きつけられたのか、あるいは逆に奴ら自身の炎を『風』魔法か何かで跳ね返されたのか。 黒衣の男も竜たちも、ところどころ焦げていた。よく見れば、服の隙間から、中に着込んだ鎧が覗いている。やたら重々しい甲冑で、チラッと黄色い竜の紋章も見えたが、もしかして、こいつら......。 「ねえ、ルイズ。悠長に見てる場合ではないんじゃなくて?」 「......そうね」 私の他にも、やじ馬がチラホラと出て来ていた。その中にはキュルケもいたわけで、私やキュルケは、ただのやじ馬に徹するつもりはなかった。 あの竜の男たちを捕まえて背後関係を自白させれば、事件は一件落着なのだ。 「イル・ウィンデ!」 「ぐおおおお!」 「うぎゃああ!」 カステルモールと竜の男たちは、既に舌戦ではなく魔法の応酬をしていた。カステルモールが優勢らしい。 このおっさん、メイジとしては優秀である。飛行オークの時だって、かなり離れた距離からレビテーションで子供を助け出したのだ。あれは誰にでも出来るという芸当ではなかった。 ......とにもかくにも。 竜と黒衣たちは、カステルモールのストームで動きを拘束されている。今がチャンス! 「ウル・カーノ!」 「じゃ、私も......ウル・カーノ!」 キュルケの炎と私の爆発魔法――どうせ私は何を唱えても爆発する――が、敵に襲いかかった。 ただの竜巻が火炎竜巻に変わり、甲冑を着込んだ男たちも、さすがにノックアウト。騎乗している竜ごと、地面に落下する。 ちょうど下は民家ではなく、ちょっとした広場になっていたので、第三者の被害はない。もしかして......そこまで計算した上で、カステルモールは戦っていたのか!? 「さあ、これで終わり!」 墜落現場へ駆けつける私たち。 しかし。 「くっ! この屈辱......そして貴様らの顔、けっして忘れぬ!」 一人と一匹は、まだ元気だったようだ。倒れた仲間を竜の背に乗せ、捨てゼリフを残して、飛び立った。 「......待ちなさい!」 「無理よ、ルイズ。待てと言われて待つ奴はいないわ。それに、レビテーションやフライじゃ、あの竜には追いつけそうにないし......」 「ならば......竜ではどうかな?」 背後からの言葉に、同時に振り返る私とキュルケ。 敵が残していった、もう一匹の竜。その背に乗り、カステルモールがニヤリと笑っていた。 「その竜......使えるの!?」 「当然! 私はガリアの東薔薇騎士だぞ! ......竜くらいは乗りこなせる」 そうじゃなくて。 そいつは、たった今、魔法でやられたばかりだろう!? もう元気になったのか!? ......そう聞きたかったのだが、私は言葉を呑み込んだ。 おそらく、こいつらは、かなり頑丈な竜。あの程度の魔法は全然平気なのだろう。私の推測が正しければ、そんじょそこらの竜ではないわけだし。 それに。細かいことを詮索している場合ではない。 「そうね! 行きましょう!」 私とキュルケが跳び乗ると同時に、竜が空へと上がる。 逃げるもう一匹を追いながら。 「でも......なんで? なんでワザワザ追跡劇に協力してくれるの? あなた、ルイズを捕まえたいんでしょ?」 「......ん? だが、その肝心の『ゼロ』のルイズが、いつまでたっても罪を認めないのだ! あの部下たちの口から白状させるしかあるまい!?」 キュルケの言葉に、笑みを浮かべながら答えるカステルモール。 この時、私は、彼の真意が判ったような気がした。 ######################## 敵は、湖の中央へと向かう。怪しい霧が、いっそう濃くなっている場所......。 昼間でさえ、視界を遮る霧である。ましてや闇夜の中では、何も見えない。 霧の中へ入った段階で、逃亡する敵の姿は見失ってしまったが......。 「やっぱり......あったのね」 霧の中を進むうちに、代わりに見えてきたもの。 それは巨大な島影だった。 街の人の証言では、あるとかないとか、現れたり消えたりするとか言われていたが、ちゃんとそれは存在していた。 「......いや。よく見ろ」 カステルモールに言われて、目をこらす私たち。 そして......気がついた。 「島が......動いている!?」 暗い上に、こちらも飛行中なのでわかりにくいが、でも間違いない。 島のくせに、船のように湖面を進んでいる! 「自然の島ではないということだ。人工島なのだな、あれは......」 と、カステルモールがつぶやいた時。 『......失敗しおったな』 島の方角から、不気味な声が! 同時に強烈な光が放たれる。 何らかの魔法攻撃だ! 「ぎゃあああああああああ」 さいわい、狙いは私たちではなかったらしい。見失っていた逃亡竜が、ターゲットだった。 トカゲの尻尾切り。役立たずの部下を始末したというわけだ。 「......今の魔法、何?」 「わからん......」 カステルモールの頬に、冷や汗が流れる。 『......うるさいハエどもめ。次は貴様らだ』 まずい!? 正体不明の攻撃が来る! 「うわっ!?」 カンだけで竜を操り、巧みに避けるカステルモール。しかし、こんなラッキーがいつまでも続く保証はない。 「やられる前に......」 「......やるしかない!」 私とキュルケが、炎と爆発魔法をぶつける。 いや二人だけではない。 カステルモールも参加。なんと彼は、『アイス・ストーム』や『カッター・トルネード』といった強力な魔法を連続で放ったが......。 「......効果ないわね」 キュルケは口に出したが、わざわざ言われなくても判りきったこと。 眼下の島には、傷ひとつ、ついていなかった。 「こうなったら......とっておきの大技いくわよ!」 宣言と同時に、私は呪文詠唱を始める。 「......黄昏よりも昏きもの......血の流れより紅きもの......時の流れに埋もれし......偉大な汝の名において......我ここに闇に誓わん......」 「なんだ、それは?」 知らないカステルモールは不思議そうな声を出すが、知っているキュルケはハッとした。 「あなたは、竜の制御に専念して!」 呪文をぶっ放す際に私が竜から落ちないよう、彼女は後ろに回って、背後からしっかり抱きかかえる。 その様子を見て、カステルモールも何となく理解。 「......わかった」 「......我等が前に立ち塞がりし......すべての愚かなるものに......我と汝が力もて......等しく滅びを与えんことを!」 そして。 「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」 ######################## 「すごいものだな......。これが『ゼロ』のルイズの実力か......」 あれでも島そのものは吹き飛ばなかった。ただし大穴が開いたので、そこから島の内部に飛び込んだ。 岩肌というより肉壁のような、気持ち悪いピンク色の洞窟。不快な腐臭も立ちこめる中、私たちを乗せた竜は飛んでいく。 「わかったでしょ? ......なら、そろそろ種明かししたらどう?」 感嘆したようなカステルモールに対して、私は問いただす。 彼は、いたずらがバレた子供のような顔で。 「......気づいていたのか」 「うん。......といっても、ついさっきまでは、私も騙されていたけどね」 「......へ? ルイズ、どういう意味? あなたたち、二人だけで判りあってないで、あたしにも教えてよ!」 事情説明を求めるキュルケ。 カステルモールは肩をすくめるだけ。 仕方ないので、私が語る。 「あのね。カステルモールは本心から、私を連続幼児誘拐犯人だと思ってたわけじゃないの。最初から、本当の真犯人の見当がついていたの。......でも、そちらに向かって捜査を進めたら、上から圧力がかかった。そうでしょ?」 「......しょせん私は、この国の役人ではないからな。外交問題に発展するとなれば、おとなしく引きさがるしかあるまい。しかし、それでは任務は遂行できない」 「なるほどね。だからルイズをスケープゴートにして、ルイズを追うという『的外れな捜査』を始めたわけか。しかもルイズをけしかけて、ルイズが事件を追い、それについていくという形を作った。結果、自然な流れで、こうして敵の本拠地に乗り込めた......」 キュルケも理解したらしい。が、すぐに表情が変わる。 「......ちょっと待って!? でも、そんな圧力をかけてくる相手って......」 「そ。おそらく事件のバックにいるのは、クルデンホルフ大公国そのもの。......でなけりゃ、少なくとも、かなり国の中枢近くにいる人間ね」 漁師たちへの圧力から見ても、大きな力を持った者が関与しているのは、間違いないのだ。 それに、もう一つ。 私たちが乗っている竜や、竜に乗って現れた二人組。チラッと見えた紋章と甲冑から推測するに、おそらくクルデンホルフ大公国の誇る、空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)。ハルケギニア最強とも呼ばれる、大公家親衛隊の竜騎士団だ。 彼らに暗殺者まがいの任務を命令できる者など、そう多くはあるまい。 「まあ私も、なんで国家ぐるみで幼児誘拐なんてやってるのか、その理由まではわからないけど......」 「......人体実験だ。クルデンホルフ大公家は一国を構えてしまうほどの大金持ちだが、やはり国家を運営していくには、きれいな金だけでは足りなかったらしい。裏の世界とつながり、そこから資金を得ていたようだ」 カステルモールが補足する。 なるほどねえ。子供を材料とした闇の商売。ひどい話である。しかも揉み消しのしやすいように、自分の国の中から子供をさらっていたのか。 ところが、たまたま来ていたガリアの貴族の子供が巻き込まれ......。 こうして計画が明るみに出た。やはり、悪いことは出来ないものだ。 「......で、どうするの? ルイズ、もう濡れ衣は晴れたんでしょ?」 「どうする、って......」 聞くまでもないことを聞いてくるキュルケ。 彼女の表情を見る限り、答える必要もなさそうだが、一応。 「乗りかかった船だもん、ちゃんと最後までつきあうわ。だって......」 私は言葉を区切って身を正し、ちょっと澄ました顔で。 「私たちは貴族よ! 敵に後ろを見せない者を、貴族と呼ぶのよ!」 と、決めてみせた時。 「ほう......。勇ましいな......」 前方から聞こえてくる野太い声! 進むに連れて、行く手を阻む者の姿が見えてくる。 それは、見たこともない怪物だった。馬のように四本脚を持ちながら、首の代わりに、人型の上半身が生えている。黒々と光る鎧を着込み、手には武器も持っているようだ。 「我はキメラ七人衆の一人......武者キメラ!」 合成獣(キメラ)! 魔法生物の一種である。様々な生き物をかけ合わせて作られる、強力なモンスター。 ならば、前に倒した飛行オークも、オーク鬼と翼人のキメラだったに違いない。 そして、子供を利用した人体実験というのも、キメラ研究の一環なのだ......。 だが今は、そんなことより。 「どこが『武者』じゃあああああ! ネーミングセンスがおかしいわあああ!」 ツッコミを伴って、私の爆発魔法が炸裂する。 「ぎゃあああ!?」 七人衆の一番手は、この一発でアッサリ滅んだ。 「ねえ、ルイズ。今のキメラ......一応、刀を持ってたみたいよ?」 キュルケにフォローされるくらい、なさけない相手であった。 ######################## 「よくぞここまで来た! オレ様はキメラ七人衆の一人、変形キメ......」 ドーン! 口上の途中で爆発魔法を食らって散るキメラ。 「ちょっと、ルイズ。今のキメラ、まだ名乗りすら終わってなかったわよ?」 「あそこまで聞けば十分でしょ! どうせ『変形キメラ』って言うはずだったのよ」 「......でも、どう変形するのか、ちょっと見てみたくなかった?」 「なかった」 あっさり返す私。 正直、もう鬱陶しいだけだった。 最初の武者キメラの後、次から次へと現れるキメラ軍団を倒したのは、全て私なのだ。 ......キュルケやカステルモールが手を抜いているというわけではなく、今のように、途中で焦れた私が先に手を出すから、そうなるだけなのだが。 「......それにしても、あと何体出てくるのかしら」 「あら、ルイズ、ちゃんと聞いてなかったの? 七人衆って言ってたでしょ。だから今のが最後のはずよ。......武者キメラ、ガマキメラ、アニマルキメラ、ファイヤーキメラ、エスパーキメラ、恐竜キメラ、変形キメラ。ほら、ちゃんと七つ出てきたもの!」 律儀に名前を列挙するキュルケ。ちゃんと全部覚えているとは、なんてヒマなやつ......。 「気を引き締めろ。七人衆とやらを全て倒した以上......ボスの居場所は近いはず!」 カステルモールに言われなくても、わかっている。ちょうど前方に、それらしき広間が見えてきた。 「行くぞ!」 掛け声と共に、竜を加速させるカステルモール。 そうして私たちは、そこへ飛び込んだのだが......。 「なっ!」 入ったとたん、驚愕の声を上げていた。 ######################## 『ここまで辿り着いたか......』 どこから声を出しているのか。 そこにいたのは『人』ではなかった。 獣でも鳥でも魚でもない。 「何よ......これ......」 ......しいて言うならば、生き物の一部。臓器の塊。 むき出しの脳が、中央に鎮座していた。 表面は脈打ち、うごめいている。肉で出来た小さな蛇のようなものが、四方八方へと伸びており、部屋の壁に繋がっていた。 「この人工島自体が......一つの大きなキメラだったのね......」 私はポツリとつぶやいた。 頬を汗の玉が滑り落ちる。 それでも、私は杖を構えた。 『やめておけ......。これは子供たちの脳の集合体だぞ......』 「なっ!」 「そんな!?」 思わず驚愕の声を上げる私とキュルケ。 しかしカステルモールは、冷静に『脳』を睨みつけていた。 「そういうことか。子供たちを使って、脳移植の実験をしていたのか......」 『そのとおり。どんなに強力なキメラを作り上げたところで、それが命令を聞かねば、役には立たんからな......』 それを聞いて、私は一つの噂を思い出す。 かつてガリアの『ファンガスの森』には、キメラ研究で有名な塔が建っていた。だが、研究をおこなっていた貴族は、自分で作り出したキメラに殺されたという......。 『......私たちが拾い上げた者の中に、自身の脳をミノタウロスに移植したという猛者がいてな。その技術を誰でも使えるよう、改善のために研究をしているのだ。......キメラ製造と併せれば、高く売れる技術でもあるからな。クックック......』 不気味な笑い声を、カステルモールが遮った。 「すいぶんと親切に語ってくれているが......。私たちを始末するつもりだからか? 冥土のみやげというやつか?」 『いかにも。......子供を救出に来た貴様らに、その子供の脳を傷つけることはできまい?』 「......ハッタリはやめろ」 彼の言葉で、私もハッとする。 キメラ人工島に突入する前には、たしかに魔法魔法を受けた。だが、入ってからは、弱っちいキメラが出てきただけ。 つまり......。 体内に入った敵に対して、こいつ自身は攻撃手段を持っていない! 「お前も気づいたようだな、『ゼロ』のルイズ」 視線を『脳』から逸らさずに、カステルモールが補足する。 「こいつは、私たちを追い返したいのだ。私たちが恐れて逃げれば、こいつの思うツボだ」 「......でも、それじゃ秘密を喋ったのは変じゃない? 真相を知られたまま逃げられては、困るはず......」 キュルケの言葉に、彼は首を横に振る。 「いいのだよ。私たちが外に出てしまえば、こいつは例の魔法で攻撃できる。こことは違ってな」 そういうことだ。 だが、それでは、こちらも膠着状態。 キメラ人工島に子供たちが組み込まれているなら、迂闊に手を出せない......。 「そして......ハッタリは、もう一つ!」 言って彼は、呪文を唱える。 『なっ!? 貴様っ!』 慌てる『脳』だが、もう遅い。 カステルモールの風の刃が、醜くうごめく『脳』を切り裂いた! ######################## あのあと。 私たちは、他の『部屋』を探しまわり、捕えられていた子供たちを発見。『脳』を失って機能しなくなったキメラ人工島から、彼らを救出した。 「子供の脳を使っているって話......嘘だったのね」 「当然だ。それでは、あの島は子供の意志で動いていることになってしまう。......話が合わんだろう? あの『脳』は、奴らの幹部の一人のものだったはず......」 答えるカステルモールの表情は暗い。 五体満足で助け出された子供たちは、さらわれたうちの約半分。残りは既に別の人体実験で使われてしまったらしく、死体となっていた。それぞれ体の一部を失った死体に......。 「......落ち込むことないわ。あんた、ちゃんと任務は成功したんだし」 「それはそうだが......」 不幸中の幸いと言うべきか。 カステルモールの目当ての、ガリア貴族の子供は、救い出された半分のうちに含まれていた。 それでも亡くなった子供たちを思えば、彼も素直に喜べないようだ。そんなカステルモールを見ていると、私も彼を責められない。彼は言いがかりで私を事件に巻き込んだのだから、私は怒っていいはずなのだけど......。 「......では。世話になったな」 「そうね。なんだか知らないけど......あんたも頑張りなさいよ!」 湖のほとりで、私たちは別れた。 子供を連れて歩き出した彼を見送りながら。 「あの騎士さん......けっこう優しい人だったようね」 「そうみたいね」 私は、キュルケの言葉に頷いていた。 今回の事件における奮闘ぶり。任務を忠実に遂行した......というだけではなく、もしかすると、出世を急ぐような事情があるのかもしれない。ふと、そんな想像をしてしまった。 ちなみに。 ガリアからの糾弾もあったのだろう。後日、この事件が国家がらみだったと明らかにされ、クルデンホルフ大公家は没落。この国は、ふたたびトリステインに併合された。 とりあえず、めでたしめでたし。 (「ゼロのルイズ冤罪を晴らせ!」完) |
青い鱗のシルフィードは主人を乗せ、空を飛んでいた。 鱗の青より鮮やかな空の向こう、二つの月がうっすらと輝いている。白の月は透き通るほどに白く、赤の月は薄い赤みを残すのみ。高空だからこそ見える、幻想的な光景であった。 「お姉さま! 今回は私、もう少しつきあえるのね!」 シルフィードは、体長六メイルほど。翼を広げると体長より長い。その大きな翼を力強く羽ばたかせて空をゆく。 姿形は、どう見てもただの風竜である。しかし普通、竜は喋らない。竜の知能は、幻獣の中では高い部類だが、人の言葉を操るほどではない。 「久しぶりだから、私も嬉しいのね! きゅいきゅい!」 それなのにシルフィードは喉を震わせ、可愛い声で人語を口から発する。 なぜならば。 シルフィードは韻竜。伝説の闇に消えたとされている、幻の古代知性生物なのだ。 それを使い魔として召喚したのは、今年で十五になる青髪の少女タバサ。年よりも二つも三つも幼く見えてしまう体つきで、眼鏡の奥の青い瞳は、冷たく透き通り感情を窺わせない。 「......」 タバサは、シルフィードの首の部分に跨がり、背びれにもたれて悠然と本を読んでいた。が、あまりに幻獣がうるさいので、ページから顔をそらし、シルフィードを見つめた。 主人の注目が自分に向いたことに気づいて、シルフィードは嬉しそうに鼻を鳴らす。 「ふがふが。やっとお姉さまの顔が動いたわ。シルフィの顔を見てくださったわ」 使い魔というものは、本来、いったん召喚されたら一生メイジに仕えるべきもの。主人であるメイジの側から離れないのが普通であるが、韻竜であるシルフィードには、それは出来ない。 幻の竜であるシルフィードは、『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』の管理を両親から任されているからだ。 「お姉さま、今日もすっごくかわいい!」 それでも使い魔となったせいか、シルフィードは、主人のタバサを大好きである。こうして彼女を乗せて空を飛んでいると、それだけで幸せ。しかも、主従は今、タバサの母親に会いに行こうとしているのだ......。 ######################## 「う〜〜。やっぱり、このからだ嫌い。きゅいきゅい」 竜の姿では、人の住まう屋敷には入っていけない。シルフィードは今、韻竜だからこそ使える先住魔法で、姿形を『変化』させていた。 タバサに似た青い長い髪の美しい女性。服はタバサが用意したものを着ている。 シルフィードは人間の衣装も嫌いなのだが、大好きな御主人様と共に彼女の母親を訪問するのだから、と我慢。 うらびれた秘密の屋敷に、二人が入っていくと......。 「お待ちしておりました、シャルロット様」 出迎えたのは、一人の若い騎士。ガリア王国の東薔薇騎士団に所属する、バッソ・カステルモールである。 少しシルフィードがタバサから離れている間に、彼は一介の騎士から団長に出世していた。きっとたくさん手柄を立てたのだろう。 オルレアン公シャルル――タバサの父親――に忠誠を誓っていた彼は、表向きはガリアに仕える騎士でありながら、こっそりタバサの味方をしてきた。それが最近、東薔薇騎士団を率いて、オルレアン公夫人――タバサの母親――奪還に成功したらしい。......タバサからは、そう聞かされていた。 「......ありがとう」 母を助け出してもらったことにあらためて感謝しているのか、あるいは、こうして母を匿ってもらっていることへの気持ちか。 ひとこと口にしたタバサに対して、カステルモールは、首を振る。 「もったいない御言葉でございます、姫殿下」 彼に案内されて、タバサとシルフィードは、一つの部屋へ入っていく。 屋敷の外観とは裏腹に、豪華な広い寝室だった。真ん中に置かれた天蓋つきのベッドに、痩身の女性が寝ている。 部屋に入ってきた者たちへ、女性は問いかけた。 「......だれ?」 「ただいま帰りました、母さま」 タバサは深々と頭を下げたが、女性はタバサを娘だとは認めない。そればかりか、目を爛々と輝かせて、冷たく言い放つ。 「下がりなさい無礼者。王家の回し者ね? 私からシャルロットを奪おうというのね? 誰があなたがたに、可愛いシャルロットを渡すものですか」 女性は、乳飲み子のように抱えた人形をギュッと抱きしめる。 もとはタバサの物だった人形だ。まだタバサが本名のシャルロットを名乗っていた頃――幸せだった頃――に、母親からプレゼントされた人形......。 母と娘の光景を見るうちに、明るかったシルフィードの心も暗く沈み込む。 「......忘れてた。お姉さまのお母さまは......まだ治っていないのね」 「はい。私たちもシャルロット様も、治療法を探すために手を尽くしているのですが......」 カステルモールの言葉で、シルフィードは思い出した。 何故タバサが一人でハルケギニアを旅しているのか、という理由を。 ######################## 「もうしわけありません」 「......いい。あなたには感謝している」 頭を下げるカステルモールに首を振って、タバサたちは秘密の屋敷をあとにした。 彼は、まだ東薔薇騎士団の団長である。ガリアに仕える形であるため、タバサのように自由に旅をするわけにはいかなかった。 しかし、まだガリアの騎士であるが故に、そして団長にまで登り詰めたが故に、耳に入ってくる情報もある。今回の会合において、カステルモールはタバサに、「サビエラ村で、何やら怪しい動きがある模様」と告げていた。 「では、その村へ向かうのね? きゅいきゅい」 「そう」 もめ事に自分から首を突っ込んでいくことは、ある意味、危険である。 でもタバサたちが探しているのは、エルフの薬で心を壊された母親を元に戻す方法。エルフに対抗する手段など、普通にしていて見つかるわけがない。大きな怪事件があれば、率先して関与しなければならないのだ。 ######################## サビエラ村。 ガリアの首都リュティスから五百リーグほど南東に下った、片田舎の山村である。 村から離れた場所に着陸したシルフィードは、タバサに命じられ、人間の姿になった。これから二人は、小さな寒村に潜入するのだ。竜のままというわけにはいかない。 貴族の子供とその従者。そう見える格好で、村への道を歩き始めたが......。 「なあ、いいじゃねえか! ちょっとエルザちゃんが、話をしたいって......」 「イヤだよ! あんたの家になんか、誰が行くもんか!」 喚きあう声が聞こえてきた。 少し前方で、男女の二人組が何やら騒いでいる。痴話喧嘩といった雰囲気でもない。 「何かしら? きゅいきゅい」 まだ若い女だが、彼女の格好は、竜のシルフィードから見ても風変わりだった。 薄汚れた革の胴着に、綿でできたヨレヨレのズボン。足には鹿の皮をなめして作ったブーツ。 大きな目が黒髪の下に光っており、日焼けした肌は、まるで少年のよう。鍛え上げられた体は、引き締まった若鹿のよう。女性にしては力もありそうだが......。 「でも相手が悪いのね。きゅい」 彼女の腕をつかみ、その意志に反して連れ去ろうとしているのは、服装だけ見れば普通の村人。年のころは四十前ほどか。いかにも力自慢といった感じの屈強な大男であり、女性の抵抗をものともしていない。 「......助ける」 シルフィードの横で、ポツリとタバサがつぶやいた。 これから行くサビエラ村の住人であろうとあたりをつけたのだ。ゴロツキに襲われていた村娘を救うというのは、村へ立ち寄る口実として悪いものではない。 タバサは杖を振るう。 「きゃ!?」 「うわっ、なんだ!?」 突然の強風で、男の手が緩む。その隙に、男から離れる女。 すると、風向きが変わった。 「おわあああああっ!?」 突風が男だけに集中して、彼を遠くへ吹き飛ばす。 こうして、暴漢が消えさったところで。 「......大丈夫?」 タバサたち二人は、女のもとへ歩み寄った。 女は、タバサの抱えた大きな杖に目を向ける。 「見たところ、貴族のようだけど......。今の風は、あんたが?」 「......そう」 「助かったわ。ありがとう」 その時。 「おーい、ジル! 何かあったのかぁ!?」 村の方から、ワラワラと人が駆けつけてきた。 今の竜巻を見て来た......にしては早すぎる。この女性――どうやらジルという名前らしい――の帰りが遅いので迎えにきたのだろう。 そうタバサは推測した。 だが......。 走ってくる一団の先頭こそ一般的な村人の服装であったが、他の者たちは、メイジ姿だったり、神官服を着ていたり、騎士のような甲冑をまとっていたり......。 やはり何か起きている村なのだな、とタバサは僅かに目を細めた。 ######################## タバサの思惑どおり。 ジルはサビエラ村の住人であり、彼女を助けたタバサたち二人は、村へと案内された。 段々畑が連なる村の、一番高い場所にある家。村長宅の二階の一室に通される。 「娘を助けていただき、本当にありがとうございました」 村長は深々と頭を下げた。白い髪に髭の、人の良さそうな老人である。 タバサは、チラッとジルを見る。ジルは、先ほどと同じ服装のまま、入り口近くの壁にもたれかかっていた。タバサの視線にこめられた意図を察したようで、口を開く。 「......本当の娘じゃないけどね。でも両親と妹を亡くしたあたしにとっては、オヤジさんは家族みたいなもんだ」 彼女の言葉を聞いて、村長の顔が和らぐ。 血は繋がっていなくても、二人は親子なのだ。 タバサの胸が、チクリと痛んだ。実の伯父に父を殺され、母も狂人にされてしまった自分の境遇と、比べてしまったのだ。 だが、もちろん、それを顔に出すようなタバサではない。だから彼女の胸の内には気づかず、村長は説明を始める。 「あのアレキサンドルも、悪い奴ではないのですが......」 占い師のマゼンダ婆さんが、息子のアレキサンドルや孤児のエルザと一緒にこの村にやって来たのは、三ヶ月ほど前のこと。ただしマゼンダもエルザも、肌に悪いからといって昼間は家に閉じこもったままであり、村人の前に顔を出すのは、もっぱらアレキサンドル一人。 サビエラ村は小さな村であるが、よそ者に特別冷たくあたるような閉鎖的な村ではなかった。だから最初はアレキサンドルたちも受け入れられていたのだが、彼らが来て一ヶ月くらいの後。まるで彼らが災いを運んで来たかのように、事件が起こり始めた。 「正体不明のバケモノに村の人々が次々と食い殺される......という、恐ろしい事件なのです」 役人を派遣してもらえるよう領主に訴えてみたが、小さな村の小さな事件だと思われたのか、ロクに相手にされなかった。 ならば、村のことは村の者の手で。血気盛んな若者たちは、クワや棍棒、斧や包丁などで武装し、自警団を作ったが、それでも事件は収まらない。一人、また一人、村人が消えていく......。 「......もしかすると村人の中に、バケモノに通じる者がいるのではないか。そう考える者も出始めました。そうなると、疑いの目が新参者へ向けられるのも必定......」 しかも間が悪いことに、時を同じくして、アレキサンドルはジルにちょっかいを出すようになっていた。 単なる中年オヤジの色恋沙汰なのかもしれないが、怪事件と結びつけて、アレキサンドルがバケモノを操っているという意見まで生まれる。 「このままでは、村人たちによる暴力行為に発展するでしょう。だから私は、傭兵を雇うことにしたのです」 バケモノ対策という名目であり、実際、バケモノから村人を守ることは傭兵たちの役割の一つ。だが、村人による村人へのリンチを止めることも、彼らの仕事であった。 「......おかげで、まだ私が心配するような事態には至っておりません。しかし、あのアレキサンドルは相変わらずジルに手を出そうとしてきますし、バケモノ事件は続いております」 ここで再び、村長は頭を下げる。 「お願いです。しばらくこの村に留まり、私たちを助けていただけないでしょうか? 立派な貴族のメイジ様に、傭兵の真似事をさせるのは、気が引けるのですが......」 少しでも戦力が欲しいのであろう。 タバサは外見は小さな子供だが、『雪風』という二つ名のとおり、その操る魔法は強力。竜巻を見たジルたちの口から、村長も彼女の実力を聞いたに違いない。 「......かまわない。武者修行の旅の途中だから」 最初に期待していたような、秘法とか秘宝とかは無さそうだ。だが、まだ断定は出来ないし、ここまで話を聞いて今さら放り出すのも気分が良くない。 こうしてタバサは、サビエラ村の『傭兵』の一員になった。 ######################## 村長との話が終わった後、タバサとシルフィードは、一階の大広間へ。そこが傭兵たちの溜まり場になっているらしい。 この世界の傭兵の多くは、ワケあって貴族の身分を捨てることになったメイジや、力自慢の乱暴者などだ。魔法修業の旅に出た学生メイジや、正義を志す平民などが傭兵になる場合もあるが、それは一部の例外である。 サビエラ村の傭兵たちも、ガラの悪い連中が多かった。 「ガキか......」 「だが......腕は立ちそうだな」 タバサの容姿を見て軽蔑する者もいれば、一目で実力を見抜く者もいた。 マントすら着ていない、だらしない姿のメイジたちの中。整然とした格好の二人が、妙に目立っている。 神官服の男と、重い甲冑を着込んだ男。神官姿の男は、タバサと目が合ったとたん、叫んだ。 「マーヴェラス! なんと可愛らしいメイジ。......まるで雪風の妖精だ!」 男か女か一瞬迷うくらいの、透き通るような美声である。 白い手袋をした右手の指で髪を巻きながら、タバサの方へと歩み寄ってくる。 「僕はロマリアの神官、ジュリオ・チェザーレだ。今は一時的に、サビエラ村の傭兵をしている。以後お見知りおきを......」 長身金髪の彼は、誰が見ても一目瞭然の美少年だった。細長い色気を含んだ唇。まつ毛も長く、ピンと立って瞼に影を落としている。 ただ一つ難を上げるとすれば、左右の瞳の色が色が違うこと。左眼は鳶色だが、前髪で半ば隠された右は碧眼。これは二つの月になぞらえて『月目』と呼ばれ、迷信深い地方では不吉なものとして、まるで汚い害虫のように忌み嫌われる。 しかしタバサは、彼の美貌にも月目にも興味は惹かれない。彼女の視線は、彼の左手に向けられていた。彼は、五本の指のうち四つに、同じような指輪をしていたのだ。ただし色は全て異なり、青、赤、茶色、透明......。 「......『土のルビー』!」 タバサは、思わず口に出していた。四つの指輪の一つは、忘れもしない、あの『土のルビー』なのだ。 始祖ブリミルが子供や弟子に与えたと言われる四つの指輪の一つ。虚無の担い手がはめれば、クレアバイブルから虚無の魔法を教わることが出来る指輪。かつては無能王ジョゼフの所有物であり、彼の死後、行方不明となったのだが......。 「おや、この『魔血玉(デモンブラッド)』を御存知とは......。なんとも博識なお嬢さんだ! ならば、あなたに一つ教えていただきたいことがある」 教えて欲しいのは、タバサの方だ。 どうして『土のルビー』が、このジュリオという男の手に渡ったのか。 いや『土のルビー』だけではない。他の三つは、おそらく『水のルビー』と『炎のルビー』と『風のルビー』であろう。ブリミルの四つの指輪を全て持っているなんて......。この男は、いったい何者なのだ!? それに、『魔血玉(デモンブラッド)』という言葉。ブリミルの指輪を、そんなふうに呼ぶとは......。 「......どうやったら君のような、妖精みたいに可愛い女の子ができるんだい?」 一瞬、何を言われたのか、タバサは理解できなかった。が、わかったと同時に、憤然とする。真面目に考え込んでいただけに、感情を逆なでされたのだ。 「......からかわないで」 「いや、僕は真面目なのだが......。怒らせてしまったのであれば、謝ろう。すまなかった。ところで......君の名前も教えてもらいたいのだが?」 「......『雪風』のタバサ。これは、従者のシルフィード」 タバサは、背後のシルフィードを杖で指し示す。 「ほう! シルフィードと言えば、風の妖精の名前。『雪風』の従者がシルフィードとは、なんとも良くできた話だねえ!」 ジュリオは面白そうに笑っているが、タバサは聞いていなかった。 シルフィードの様子がおかしいことに気づいたのだ。ガタガタと震えている。 「......?」 「お、お姉さま......。私......このひと苦手なのね......」 別にシルフィードは、ジュリオと面識があったわけではない。ただ、本能的に危険を察知しただけ。 タバサはジュリオのことが気になるが、シルフィードが嫌がるのであれば、何も今ここで長話をする必要もない。同じ傭兵同士、聞き出す機会は、これからも出てくるだろう。 挨拶代わりに小さく頭を下げた後、タバサはシルフィードを連れて、ジュリオから離れた。 そんな彼女に、立派な甲冑を着た男が言葉を投げかける。 「懸命な判断だな、嬢ちゃん。あのジュリオって坊主には、あんまり関わらない方がいいぜ」 男の鎧には、黄色い竜の紋章がついていた。それを見て、一つの言葉がタバサの頭に浮かんだ。素直に口に出してみる。 「......空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)?」 「知っているのか。あの坊主が言うとおり、嬢ちゃんは物知りだな」 今は亡き、クルデンホルフ大公国の親衛隊。当時ハルケギニア最強とも呼ばれた、大公家おかかえの竜騎士団だった。 国家ぐるみでの陰謀が明るみに出て、かの国はトリステインに併合されたと聞いている。ならば国を失った竜騎士たちの中には、傭兵に身をやつす者が出てきても不思議ではない。 そう思ったタバサは、ついでに一つ質問してみる。 「......竜は?」 「裏口から畑を少し降りたところにある小屋が、臨時の竜舎になっている。俺の竜も、あのジュリオって奴の竜も、そこにいるさ」 タバサは、少し驚いた。 神官姿ではあったが、ならばジュリオも竜騎士なのか。シルフィードの異様な反応も、彼が竜を操ることに関連しているのか......? しかし、振り返った彼女に対して、シルフィードは首を横に振る。 「違うのね。そんな単純な話じゃなくて......とにかくゾッとするのね」 「ハハハ......。嬢ちゃんの従者は、いい娘だな。ああいうハンサムな気障野郎には、それだけでコロッとまいっちまう女が多いもんだが、嬢ちゃんたちは、見た目や雰囲気には騙されない......ってわけだ」 元空中装甲騎士団の男は、タバサとシルフィードを気に入ったらしい。 「あいつに骨抜きにされるのは、人間の女だけじゃないぜ。......俺の竜まで、あいつに撫でられると、あいつの言うことをきいちまうんだ」 彼は、有名な竜騎士団の一員だったのだ。竜使いとしての腕前も一流のはず。その彼の竜を自由に操れるのだとしたら、ジュリオという男、ますます怪しく思えてくる......。 考え込むタバサ。 男は彼女に体を寄せて、そして、ジュリオ――今はテーブルで酒を飲んでいる――の方を見ながら。 「この村は今、バケモノに襲われているわけだが......。俺に言わせれば、あのジュリオって奴も、一種のバケモノだね」 小さな声で、ソッと告げた。 ######################## 夜。 傭兵たちの何人かは、寝ずの番をすることになっていた。 基本的には村長の家で待機していればいいのだが、二人だけは外。一人は村を見回り、一人は村はずれのあばら屋を見張る。 この当番から、女性は免除されていた。村長が気を遣ったのである。傭兵稼業に男も女もないのだが、雇い主に言われれば従う。それが傭兵というものだ。 そんなわけで。 「......あたしたちは、この部屋で寝てりゃいいのさ。寝るのも仕事のうちだ」 一人の女性メイジと相部屋だが、それでもきちんした寝室が、タバサやシルフィードには与えられていた。 「隣には村長の娘のジルが眠ってる。あたしたちは一応、彼女の護衛ってことさ。ほら、バケモノ事件とは別に、あのジルって子、中年オヤジに狙われてるみたいだから」 長い銀髪の下、鋭い目を光らせて笑う女メイジ。 彼女が杖を手にする際の仕草から、元は名のある貴族だったのだろうとタバサは察する。 女メイジはブレオンと名乗ったが、当然、偽名だ。『ブレオン(小麦売りの汚らしい女)』などと娘に名付ける親がいるわけがない。 もちろんタバサは深く詮索したりはしないし、寝るのも仕事のうちというのであれば早く休みたかったが、ブレオンの方は違っていた。 「あんたは正真正銘の貴族のようだね。まだ子供のあんたにゃ難しいかもしれないが、男ってもんは、根っから女を好む生き物なのさ。......あたしは女だが、三度の飯より騎士試合が好きでね。好きなだけ騎士試合ができる仕事を探していたら、いつのまにか、小麦売りの女頭目になっていたことがあって......」 話の流れから考えるに、ここで言う『小麦』とは、男の欲望を満たすための女たち。第一、まっとうな小麦売りの店主は『女頭目』などとは呼ばれない。『騎士試合』というのも、そのトラブルがらみの殺し合いだろう。わざわざメイジを雇うほどトラブルが多発するならば、おそらく売られる女たちの同意があったわけではなく......。 「......ただの人さらい」 遠回しな長話は鬱陶しいので、タバサはボソッとつぶやいた。 しかし。 「おや! あんた、ちゃんとわかるんだねえ! ......ま、食うためには仕方ないさ。でも、そいつらも結局、賄賂を受け取っていた役人ごと捕まっちまってね。仕事にあぶれたあたしは、しばらくフリーの傭兵稼業をしていたんだが......」 ブレオンの話は終わらなかった。むしろ逆に、タバサが子供らしからぬ洞察力があるとわかったため、喜々として語り続ける。もうタバサを子供扱いするのは止めたせいか、聞いているだけで顔が真っ赤になるような話まで......。 ちなみに。 そんな二人の女メイジの横で、シルフィードはサッサと眠ってしまっていた。人間の姿に化けていると疲れるので、よく眠れるのである。 ######################## 家々の灯りも完全に消え去り、星と二つの月だけが辺りを細々と照らす頃。 三十がらみの長身のメイジが、寝静まった村の中を歩いていた。 貴族にしては、世俗の垢にまみれた雰囲気の強すぎる男である。長い髪は無造作に後ろで縛られ、マントも身に着けていない。革の上着に擦り切れたズボンと、薄汚れたブーツを履いていた。 「こうして適当に見回りしてればいいだけ。......まあラクな仕事さ。文句を言ったら、バチが当たるってね」 時折ひとりごとを口にするこの男。名をセレスタン・オリビエ・ド・ラ・コマンジュという。 かつてはガリアの北花壇騎士だったが、『北花壇騎士』とは、ガリアの騎士の中でも、裏仕事を任される者たちである。騎士とはいえない騎士だと自分を蔑んだ彼は、他の騎士と揉めてクビになり、しがない傭兵暮らしをするようになったのだった。 「ん......?」 歴戦の傭兵であるセレスタンが、突然、目を細めた。 ガチャリ、ガチャリという音と共に、何やら人影が近づいてくる。 「......なんでえ、おどかしやがって。ルフトじゃねえか」 傭兵の一人、ルフトと名乗る男だった。 空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)出身だからルフト。もう清々しいくらいの偽名である。 「おい、ルフト。お前の持ち場は、ここじゃねえだろう?」 ルフトの今夜の担当は、村はずれのあばら屋だ。 そこに住むアレキサンドルたちは怪事件への関与を疑われており、村人から襲撃される恐れがあった。村長は、それを防ぎたい。 また、もしも疑惑が本当であった場合、アレキサンドルたちを見張っておけば、バケモノによる新たな被害を未然に防ぐことも出来る。だから二重の意味で、あばら屋担当こそが、いちばん大切な仕事なのだ。 「あの家から、目を離すんじゃねえ。お前にゃ判らんかもしれんが、お前の任務は......」 ルフトは今、甲冑のフェイスガードを完全に閉じている。口の動きも見えないし、瞳に浮かぶ感情も全く判らない。 そのため、セレスタンは気づかなかった。いつにまにかルフトが『スリーピング・クラウド(眠りの雲)』を唱えていたことに。 「......!」 言葉の途中で、崩れ落ちるセレスタン。深い眠りへと落ちていく......。 ######################## セレスタンの意識が戻った時。 「ここは......」 「おや、もうお目ざめかい?」 最初に目に入ったのは、二十歳くらいの若い女性だった。 ゆったりした白い服と、透けるような白い肌。そして、鮮やかなまでの紅さを見せる、つややかな長い髪と唇。 絶世の......と言いたいくらいの美人だが、受ける印象は、まるで雪山で食べる氷菓子。 「お前......誰だ?」 セレスタンは、顔をしかめる。 周囲を見渡して、既に状況は理解していた。どうやら自分は、村はずれのあばら屋に連れ込まれ、テーブルの上に仰向けで縛りつけられているらしい。 しかし。 ならばこそ、この美女の正体が解せぬ。この家にいるのは、中年のアレキサンドル、その母親マゼンダ婆さん、みなしごエルザの三人のはず。こんな赤毛の美女など......。 「......まさか!? お前......マゼンダ婆さんか!?」 「おやおや。なんでわかったんだい?」 彼女の紅い唇が、笑みの形に小さく歪む。 まずい。 セレスタンはゾッとした。自分は今、知ってはいけないことを知ってしまった気がする。 「安心なさい。あなたに用があるのは、私じゃないわ」 そう言って、マゼンダがスッと横に移動。 すると、背後に隠れていた者の姿がセレスタンの視界に入った。このあばら屋の住人の一人、エルザだ。 五歳くらいの、美しい金髪の少女。人形のように可愛い女の子だが......。 「ごめんなさいね。この体になって以来、わたくし、ちょっと特殊な食料が必要になってしまって......」 まるで大人の女性のような口調で、エルザは語りかける。 「......な、何をする気だ!?」 怯えるセレスタンの首筋に、エルザは顔を寄せて。 「ありがとう。恐怖に歪む顔......。今のわたくしにとっては、それが最大のご馳走ですの」 感謝の言葉を告げてから、彼女は口を開く。 白く光る牙が、二個、綺麗に並んでいた。 ######################## 「......セレスタンが消えた?」 翌朝。 朝食の席で、タバサは、その情報を耳にした。 「ああ。夜回りに出たまま、戻ってこないらしい」 タバサに教えてくれたのは、傭兵の一人、ルフトである。 「......『らしい』とは曖昧な言い方だね。あんただって、昨夜は起きてたんだろ? あんたが一番事情に詳しいはずじゃないか」 スープをスプーンですくいながら、ルフトを責めるブレオン。 しかし彼は頭をかいて。 「いやあ。俺は、村はずれ担当だったからなあ。一晩中あばら屋を見張っていたから、セレスタンの面倒は見れないさ」 「......フン。どうだか」 「なんだ? 貴様こそ、ベッドでヌクヌクと眠っていたくせに......」 ルフトが顔色を変えた。食事中の今は、彼も鎧を脱いでいる。その格好で怒ったところで、威厳も迫力も全くない。 「なんだい、やる気かい? ちょうどいい、食後の腹ごなしに......」 「まあまあ。やめたまえ、君たち。食事中じゃないか」 仲裁に入ったのは、ジュリオ。 立ち上がりかけたブレオンが、椅子に戻る。 彼女に向かって、ジュリオが微笑む。 「......あなたもですよ。そのような態度をとっては、せっかくの美しさも台無しです」 「はい。もうしわけありません、ジュリオ様」 うっとりとした目で答えるブレオン。傭兵稼業にドップリ浸かった彼女であっても、ジュリオの魅力には、かなわないらしい。 そんな二人から離れるように、椅子をズズッと引きながら。 「もう少しその話、教えて欲しいのね。きゅい」 寡黙な主人に変わって、ルフトに尋ねるシルフィード。 「......残念ながら、俺も詳しくは知らないんだ。明るくなっても戻って来ないから、心配なんだが......」 「きっとバケモノ事件が怖くなって、村から逃げちゃったのね」 「いや、それはない」 ルフトは、キッパリと否定する。 「あいつの荷物が、まだこの家に残っているからな。けっこうな大金も、中に入っていた。......俺たちは、傭兵稼業だぜ? これまで命がけで稼いだ金を残して逃げ出す馬鹿はいねえや」 身につけて持ち歩けないほどの大金だったのか。それを荷物と一緒にしておくセレスタンも不用心だが、彼が行方不明になった途端に勝手に調べる傭兵たちも、ひどい連中だ。 「......ひとつ教えて」 タバサが口を挟んだ。シルフィードに任せていては、必要な情報が得られないと判断したらしい。 「いつも......こうして、いつのまにかいなくなるの?」 事前に聞いた話では、バケモノに襲われるという事件のはず。知らぬうちに消えていくのも怪談であるが、ちょっと話が違う気もする。 ルフトは、ゆっくりと首を振った。 「いーや。今回みたいなケースもあれば、バケモノがやってきて食い殺される場合もある」 ルフトが体を震わせる。よほど恐ろしい怪物が相手のようだ。 「僕にも教えて欲しいな」 もたれかかるブレオンを無視しながら、ジュリオも会話に参加してきた。 「そのバケモノって、いったい何なんだい? みんな『バケモノ』としか言わないんだけど......」 おや? 不思議に思ったタバサは、ジュリオに視線を向けた。 彼女の瞳に浮かぶ色に気づいたらしく、ジュリオが一言ことわる。 「僕も、村に来たばかりでね。君の二日前だ。だから、まだ実物のバケモノを見てはいないのだよ」 それから、あらためて。 「......というわけで、ついでに教えて欲しいのだが?」 「うーん。俺もチラッとしか見ていないし、暗かったからハッキリとは断言できないのだが......」 顔をしかめながら説明するルフト。 「あれは、竜の一種......だったと思う」 「......竜の一種?」 「そうだよ、嬢ちゃん。だがな......」 ルフトは、クルデンホルフの空中装甲騎士だったのだ。竜には慣れているし、詳しいはず。彼が竜だと言うのであれば、竜なのだろう。 だが、それは竜使いの目から見てもバケモノだったようで、思い出した彼は、ゴクリと喉を鳴らす。 「......奴の首は一つじゃなかった。胴体のあちこちから、無数の『頭』が生えていたんだ」 「きゅい! そんな竜はいないのね!」 「おう、俺もそう信じたい。......きっと、あれは自然の生き物じゃねえ。だから......バケモノだ」 ルフトは、それ以上、何も言わなかった。 ######################## 誰かがいなくなるのも、バケモノに襲われるのも、暗くなってからの出来事である。 明るいうちは、サビエラ村は、平和な田舎の村であった。だから傭兵たちも、昼間は手が空いている。 村人に小銭で頼まれて、畑仕事を手伝う者もいる。夜に備えて、体を休ませる者もいる。 そんな中、タバサはシルフィードを連れて、村を歩き回っていた。 「お姉さま、何を探しているの?」 「......わからない」 本音であった。 ただ、どこかに何か怪しい痕跡があるのでないか。そう思って、漠然と見て回っているだけ。 だから、それに気づいたのも偶然だった。 「あれは......?」 真っ青な顔で走っているのは、ジルだ。 手には手紙らしきものを握りしめているが......。 「何か様子が変なのね。きゅい」 まるでタバサの内心を代弁するかのようなシルフィード。 二人が見ているうちに、ジルは馬小屋から一頭の馬を出してきた。それを駆って、村を飛び出していく。 「......追う」 「きゅいきゅい!」 タバサとシルフィードも走り出した。 もちろん、人の足で馬に追いつけるはずがない。だが、適当なところでシルフィードの『変化』を解き、彼女の背に乗ればOK。馬よりは風韻竜の方が明らかに速い。 「そろそろ、いいかしら?」 村を出て少し進んだところで、主人に尋ねるシルフィード。 タバサも頷いたのだが、その時。 バサッという風と共に、上空から声が。 「君たち! 僕のアズーロに乗りたまえ!」 ジュリオだ。 立派な風竜の背に乗っている。左手には錫杖を持っており、右手一本で手綱を握っていた。 「きゅい。危なかったのね......」 もう少しタイミングがずれていれば、シルフィードが竜の姿に戻る現場を見られていたであろう。 タバサもシルフィードも、ホッと胸をなで下ろす。 しかし。 「......ああ、それとも使い魔の竜を使うかい?」 そう言ってジュリオは、シルフィードに目を向けた。 シルフィードはギクッとするが、タバサは、ちゃんととぼけてみせる。 「......何のこと?」 「ごまかさなくてもいいよ。僕にはわかっているから。そのシルフィード、君の使い魔の風韻竜だろう?」 ジュリオはウインクしてみせる。 「大丈夫、秘密にしておくから。君と僕、二人だけの秘密だ」 他の少女ならばイチコロだろうが、タバサには通じない。眼鏡の奥の目を細めて、彼に尋ねる。 「......なぜ?」 「なぜって......何が?」 「なぜ、シルフィードを韻竜だと思う?」 「ああ、そのことか」 ジュリオは、何でもないことのように肩をすくめて。 「僕にはわかるんだ。僕は、全ての獣......特に幻獣を操る力を持つ、ちょっと変わった神官だからね。獣神官ジュリオと呼んでくれていいよ」 「そう。......わかった」 問い詰めたところで、これ以上の解答は得られそうにない。それに、ここで立ち問答をしている場合でもない。 タバサはシルフィードに目で合図し。 「きゅい!」 了解したシルフィードは、竜の姿に戻る。 「では、行こうか。あの娘を追うんだろう?」 それぞれの竜に乗ったジュリオとタバサが空をゆく。 ジュリオが少し先行する形だ。 斜め前の彼を黙って見つめるタバサ。彼女の視線は、彼の右手の手袋に向けられていた。 かつて書物で読んだ歌の一節が、ふと頭に浮かぶ。 『神の右手がヴィンダールヴ。心優しき神の笛。あらゆる獣を操りて......』 まさか......あの白い手袋の中には......!? ######################## 「この森に入り込んだようだね」 「......私たちも入る」 鬱蒼とした森へと続く小道。 その傍らの大木に、ジルが乗ってきた馬が繋がれていた。 タバサとジュリオも、竜から降りる。 「ここで待っていておくれ、アズーロ」 きゅい、と一声鳴いた竜は、空へと浮かび上がる。街道脇にたたずんでいては目立つから、適当に上空で待機するべき。そうした主人の意図を読み取ったのだ。 「お姉さま、シルフィは?」 「......同じく」 シルフィードならばジュリオの竜とは違い、人間の姿で森の中に入ることも可能だが......。 これからタバサは、ジュリオと一緒にジルを追いかけるのだ。シルフィードは同行させない方がよいという判断であった。 シルフィード自身が本能的に嫌がっているが、それだけではない。先ほどのジュリオの言葉――全ての獣を操る力を持つ――もある。もうタバサも、なるべくシルフィードをジュリオに近づけたくなかった。 「わかったのね」 タバサと離れるのは寂しい。でもジュリオと離れるのは嬉しい。複雑な気持ちで、シルフィードも空へ上がる。 蒼い空の上でアズーロが、友だちを歓迎するかのように「きゅい」と鳴いた。 ######################## 二人は、無言のまま走っていた。 ジュリオが前で、タバサが後ろ。小柄な彼女よりもジュリオの方が足は速いはずだが、彼女のペースにあわせているのだろうか。二人は、一定の距離を保っている。 しかし。 突然、ジュリオの足がとまった。 勢い込んで彼にぶつかることもなく、タバサもストップする。 「......どうしたの?」 「まいったね。ここで君とはお別れのようだ」 ジュリオは、タバサに背中を向けたまま、手にした錫杖で指し示す。 彼の体で前方の視界は遮られていたのだが......。 ヒョイッと顔をのぞかせて、タバサも理解する。そこで道が二つに分岐していたのだ。 「......最近、人が通った形跡は?」 「どっちにもあるよ。本当にどちらもよく使われる山道なのか、あるいは、カモフラージュなのか......」 「......議論してる時間がもったいない。私は左へ行く」 「わかった。じゃあ、僕は右だ。ジルを見つけたら、魔法か何かで、適当に合図してくれ」 小さく頷き、タバサはジュリオと別れる。 自分は魔法を打ち上げればいいが、メイジでないジュリオは、どうするつもりなのか? 一瞬疑問に思ったが、首を振る。あのジュリオのことだ。隠し技の一つや二つ、持っていることだろう。 それよりも。 どうせジュリオと離れるのであれば、シルフィードを連れてきてもよかった。今から呼ぶのも一つの手だが、そんなことをしては、ジル発見の合図だとジュリオに誤解されるだろうか......。 そうやって考えながらも、タバサは、走り続けている。 しかし......。 「......もしかして、ハズレ?」 彼女のゆく道は、どんどん狭くなっていく。 いわゆる獣道だ。一応、人が通れることは通れるが......。 「......いや。私の方が正解」 自分の疑念を自分で否定するタバサ。 彼女は、気配を察知したのだ。 周囲に巧みに溶け込んだ、非常に薄い殺気。神経を鋭く張りつめていなければ、遭遇するまで気づかないであろう程度の......。 「ほう......。我の存在に気づいたか......」 タバサが足をとめると同時に。 前方に、黒装束の男が現れた。両目以外の部分は全て黒で覆われており、表情を読み取ることは全くできない。 見るからに、悪の手先である。 「......どいて」 「そうはいかん」 案の定。 「ここから先、例の娘以外、誰も通すな。邪魔者は全力で排除せよ。......そう依頼されている」 「あなた......誰?」 無駄と思いながら、一応、聞いてみる。 意外なことに、男は名乗った。 「『地下水』......。そう呼ばれている」 「......!」 ハッとするタバサ。 それは......裏の世界では有名な、暗殺者の名前であった。 (中編へつづく) |
「そんなはずはない......。でも......。もしかして......」 森の小道を急ぐジルの手には、一通の手紙が握られている。 彼女の部屋の、机の上に置かれていたものだ。 いつからそこにあったのか、わからない。 ジルが手紙に気づいたのは、つい先刻だった。だが、もしかすると、朝になってから置かれたものではなく、ジルが寝ている間に誰かが忍び込んだのかもしれない。 『おまえの妹は生きている。詳しい話を聞きたければ、地図に示した場所まで来い』 その文面を読み、ジルは絶句した。 (妹が生きている......だって!?) 信じられなかった。ジルの家族は、三年前に殺されたのだ。彼女の留守中に......キメラに食い殺されたのだ。 ジルは、あの光景を今でも忘れない。父は下半身がなかった。母は内蔵を食われてカラッポだった。妹は、手が一個、残っていただけ......。 (......!) ジルはハッとする。 手以外は全て食べられてしまったと思っていたが......。 もしかすると、妹は、腕を食いちぎられただけだったのでは!? 腕の途中を食われてしまい、先端の手だけが、あの場にボトリと落ちた。しかし妹自身は、逃げ出して、生き延びていたのかも......。 そう考えると、もう体が動き出していた。 馬で村を飛び出し、付記された地図に従って、この暗い森へ。 細い小道を分け入って、鬱蒼と茂る森をくぐり......。 「......この中か!?」 切り立った崖にポッカリと開いた洞窟の前で、ジルはつぶやいた。 不気味な洞窟である。高さは五メイル、幅は三メイルほど。中は真っ暗で、どれだけ深いのかもわからない。 体が震えるのを感じながら。 ジルは、洞窟に足を踏み入れた。 ######################## 同じ森の、少し離れた場所で。 タバサは、黒装束の男と対峙していた。 相手が告げた名前を、確認するかのように口に出す。 「あなたが『地下水』......」 「そうだ。名乗ることにしている。依頼主と......死にゆく者には......」 地下水のように、音もなく流れ、不意に姿を現し、目的を果たして地下に消えていく謎のメイジ。狙われたら最後、命だろうがモノだろうが人だろうが、逃げることはできない。 性別も年齢もわかっていないという話だったが、こうして見る限り、男のようである。 その『地下水』が相手であるというならば、先手必勝。タバサは小さく、敵に唇の動きを見せずに呪文を唱えた。 「ラナ・デル・ウインデ」 巨大な空気の塊が、黒装束の『地下水』を襲う。 『地下水』は右に転がり、それをかわした。草木や茂みだらけの森の中とは思えぬ動きである。 外れた空気の塊は、木々にぶち当たって四散する。その頃には、既にタバサは次の攻撃呪文を繰り出していた。 今度は『エア・カッター』だ。風の刃が、『地下水』めがけて飛んだ。 不可視の風刃をも、『地下水』は驚くべき体術で回避する。かわされた風の刃が、森の木々を切り刻んだ。 「自然破壊だな」 「......うるさい」 意外に茶目っ気のある暗殺者なのだろうか。『地下水』が軽口を叩き、タバサも思わず応じてしまった。 彼女はいったん、杖を構えなおす。立て続けに攻撃呪文を唱えたら、あっというまに精神力が枯渇するのだ。 最近は他の強力なメイジと共に戦うことが多かったので、ガンガン連発するクセがついている。気をつけねばならなかった。 今は一対一。しかも相手は『地下水』......。 無表情の下、焦りが回転する。さすが悪名高い暗殺者、『地下水』は相当な体術の使い手であるようだ。 こうしてタバサの攻撃の手が緩んだところで。 「イル・ウォータル・スレイプ・クラウディ」 呪文詠唱と共に左手を突き出す『地下水』。 青白い雲が現れ、タバサの頭を包んだ。『スリープ・クラウド』だ。 「......嘘!?」 彼の手に杖は握られていない。 メイジが使う系統魔法は、幻獣やエルフが使う先住魔法とは異なり、媒介となる杖を必要とするはず。 杖なしで系統魔法を使えるメイジなど、聞いたこともない。 だが現に、強烈な眠気がタバサを襲っている。トライアングルクラス――と彼女自身は思っているが本当は既にスクウェアクラス――の強力なメイジであるタバサは、強靭な精神力でもって、その魔法に耐えた。 「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ウィンデ」 次に『地下水』が唱えたのは、タバサお得意の『ウィンディ・アイシクル』。いつもは敵に食らわせる氷の矢が、タバサに向かって飛んでくる。 とっさに身をかわすが、あいにく、障害物の多い森の中だ。 「......うっ!?」 一本の氷が、彼女の左腕を貫いた。そのまま彼女の小さな体を、森の木に縫い付ける。 左手の感覚がなくなっていく。氷の矢にこめられた魔力で、氷結していくのだ。 タバサの同じ魔法ほど強力ではないようで、一瞬のうちにパキンと砕け散るわけではないが、このままでは彼女は左腕を失うことになるであろう。 「ウル・カーノ」 自分の腕を『発火』の呪文で焼くタバサ。荒療治であったが、とりあえず氷の矢は溶かすことができた。もしかすると凍傷と火傷で、後で左腕を切断することになるかもしれないが、仕方がない。木に縫い留められて動けない状態では、魔法攻撃の的でしかないからだ。 「......思いきったことをする娘だな。しかし、残念。......もう手遅れだ」 ハッとするタバサ。 呪文が聞こえていなかったので、少し油断した。 彼女が今の処置をしている間に、『地下水』は、すぐ目の前まで迫っていた! 「うっ......」 みぞおちに膝蹴りをくらい、うめくタバサ。 反対側の足で、『地下水』はタバサの杖を蹴り飛ばした。 さらに。 「これで呪文も使えまい」 彼の右手が、タバサの口を押さえつける。 続いて左手が喉を。声帯を握りつぶすつもりらしい。 いや、このまま絞殺する気だろうか!? 先ほど身をもって食らった『ウィンディ・アイシクル』の威力から判断するに、『地下水』の魔力そのものは高くはない。むしろ体術を得意とする暗殺者のようだから......。 消えゆく意識の中。冷静なタバサの頭脳は、最後まで『地下水』の分析をしてしまう。 そして......。 彼女の意識は、暗転した。 ######################## 暗い洞窟の中を、ジルは進んでいく。 真っ暗というわけではない。適当な間隔で、壁に魔法の明かりが灯されている。自然のままの洞窟ではなく、誰かが手を加えたという証であった。 元々は、染み出る水が岩盤を溶かして作られた鍾乳洞......。ジルは、そう推測した。弱い明かりに照らされて、天井から垂れ下がる石氷柱や地面から突き出した石筍も見えたからだ。 冷えた、湿った空気が奥から流れてくる。時々、獣の咆哮のようなものも聞こえてくるが、気のせいであろうか? ......いや、気のせいではなかった。 「こいつは!?」 ジルの前方に見えてきたモノは、恐ろしいバケモノ。 赤黒い鱗に包まれた大きなトカゲの足。そこだけ見れば普通の火竜だが、見上げた途端、ジルは言葉を失う。 その胴体からは、無数の『頭』が生えていた。 馬の首があった。 豚の首があった。 豹の首があった。 熊の首があった。 狼の首があった。 人らしき首があった。 その他、様々な首が、それぞれに呻きをあげている。 初めて見る怪物だが、ジルにはわかった。 「これが......サビエラ村を襲うバケモノだ......」 絞り出すように、彼女の口から出た言葉。それに呼応する者があった。 「そうですわ」 「......エルザちゃん?」 バケモノの後ろから現れたのは、小さな可愛い女の子。しかし、その外見に騙されてはいけない。こんな洞窟でバケモノと共にジルを待っていたエルザが、純真無垢な少女であるはずがない。 エルザは、バケモノの肌をペタペタと叩きながら。 「これはキメラドラゴン。かつて『ファンガスの森』で作られ......」 「ファンガスの森!」 ジルの叫び声が、エルザの言葉を中断した。 それは、かつてジルの家族が暮らしていた場所の名前。強力な『合成獣(キメラ)』を作る研究が行われていたが、そのキメラの暴走で研究していた貴族自身も食い殺されたという、いわくつきの森だった。 狩人仲間からも敬遠されていたが、だからこそ獲物も多いという判断で、ジルの家族は狙って住み着いた。しかしジル自身は猟師暮らしが嫌で、家を飛び出して街へ。でも奉公も続かず、帰ってきたところ......。 ジルの家族は、森のキメラたちに食い殺されていたのだ。 「......ええ、そうです。あなたの住んでいた『ファンガスの森』ですわ」 事情を知っているかのようなエルザの言葉。 ジルは驚くが、同時に、ようやく気づいた。 エルザの口調がおかしい!? 村で見かけた時は、もっと年相応の話し方をしていたはずだが......。 「ごめんなさいね。わたくしの前任者は、やり方が乱暴で......。最初からわたくしがこの作戦を担当していれば、あなたの家族を襲わせたりもしなかったのに......」 「なんだと!?」 ジルの家族は、エルザの『前任者』に殺された......。今、エルザはそう言ったのだ。 激昂し、エルザに詰め寄ろうとするジル。 しかし彼女は動けなかった。後ろからガシッと彼女を羽交い締めにする者がいたからだ。アレキサンドルである。 「離せ! 今、おまえに構っている暇は......」 「あら。今の彼に、言葉は通じませんよ? アレキサンドルは現在、『屍人鬼(グール)』状態。わたくしが送り込んだ血が解放されて、わたくしの操り人形になっていますから」 「グール......だと!?」 詳しくは知らないが、ジルも少し聞いたことがある。『屍人鬼(グール)』とは、吸血鬼に血を吸われて、吸血鬼に操られるようになった人間のこと。 ならば、このエルザという少女は......。 「そうですわ。でも......不便ですわね、吸血鬼って。太陽の光にも弱いし、人間のようなゴハンも食べられない。『屍人鬼(グール)』に出来るのも、一度に一人きり......」 吸血鬼。それだけでも恐ろしい存在だが、エルザの口ぶりから察するに、ただの吸血鬼でもないらしい。 ここに来た目的は、妹に関する話を聞くことだった。だが、まずは目の前の怪物の正体を知らねばならない......。 そんな強迫観念におそわれて、ジルは尋ねた。 「おまえ......何者だ......?」 「見てのとおり、今では吸血鬼ですわ。......このエルザという名前の吸血鬼の体に、脳を移植してしまいましたから」 脳移植! キメラ製造以上の禁忌である。そもそも、不可能ではないが大変困難な技術のはず。 いや、それよりも。 吸血鬼に脳を移植したということは、この『エルザ』は、もとは人間だったということか......。 ジルの顔色から、その考えを読み取ったらしい。エルザは、微笑みながら。 「申し遅れました。わたくしの名前はリュシー。組織の中では......シスター・リュシーと呼ばれております」 ######################## 『お見事! お見事! いやぁ、たいしたものだねシャルロット! 父さんにだってそこまで繊細に、人形を操ることなんてできないよ』 うららかな春の日差しが暖かい中庭で、男が嬉しそうに愛娘を抱き上げた。四十を過ぎてはいたが、青年のように瑞々しい顔をしている。 まだ十一歳の少女は、父親に頭を撫でられて、気持ち良さそうに笑っていた。 『すごいでしょ! ほめて、ほめて!』 『よし! じゃあ屋敷まで、父さんがおぶって行ってあげよう」 『わーい! おんぶ、おんぶ!』 父親の背中でキャッキャッとはしゃぐ少女。 ......これは夢だ。 タバサには、それがわかっていた。 まだ幸せだった頃の思い出。 いや、事実とは少し違う。たしかに当時の彼女は、素直に父に甘えていたが、でも、これほどストレートではなかった。 きっとこれは、過ぎ去りし日を想うと同時に、「こうしておけばよかった、ああしておけばよかった」という気持ちが見せている夢なのだ......。 「......父さま」 自分の口から出た寝言で、タバサは目を覚ました。 体が揺れている。どうやら、誰かに背負われているらしい。だから、あんな夢を見たのであろうか。しかし、これはいったい誰の背中なのか......。 「おや、気がついたようだね。可愛い妖精さん」 その言葉でわかった。 ジュリオだ。 タバサは、ハッと身を硬くする。 「......おろして」 「君がそう言うのであれば」 立ち止まり、タバサを降ろすジュリオ。 彼女の顔に右手を近づけて......。 白い手袋の指で、タバサの顔をスッとぬぐった。 「......何?」 「君に涙は似合わないよ」 言われて気づく。少し泣いていたようだ。あんな夢を見たからなのか。 気恥ずかしさから、顔を赤らめるタバサ。だが、頭がハッキリしてくると同時に、それどころではない状況だと思い出した。 「......ありがとう」 「どういたしまして」 タバサの礼に、即座に返すジュリオ。無口な彼女の説明不足も、気にしていない様子。 何に対しての「ありがとう」なのか、ちゃんと通じたのだろう。 タバサが意識を失ったのは、『地下水』との戦闘の途中である。それなのに気づいたらジュリオと二人きりということは、ジュリオに助け出されたということだ。 タバサは、自分の左腕に目を向ける。あの戦いでボロボロになったはずだが、今はまったくの無傷。まるで『地下水』との激闘こそが夢だったかのようだ。 「......それも僕が治しておいたよ。あと、喉もやられたようだから、ついでに」 タバサの視線に、ジュリオは進んで説明する。 彼女は、さらに聞いてみた。 「......どうして?」 「魔法で森を壊している音が聞こえてね。ジルを見つけた合図だと思って来てみれば......いやはや。あんな男と君が遊んでいたものだから、驚いたよ」 聞きたかったこととは少し違う。 「......そうじゃない。どうして私を助けた? ......どうやって?」 「ん? ......そりゃあ当然だろう。君のような可愛い妖精を、傷だらけでおいていくのは、ちょっとね」 澄んだ声で、タバサを妖精あつかいする美少年。これだけで舞い上がってしまう女性も多いだろうが、タバサは違う。誤摩化されることなく、質問を繰り返す。 「......どうやって?」 「それは秘密だよ。男は、秘密の多い生き物だからね」 ウインクするジュリオ。詳しく語るつもりはないらしい。 特殊な治療技術を持っているのであれば、タバサとしては是非知りたい。母親の心を治すヒントになるかもしれないと思ったのだ。 しかし、今は問い詰めても無駄な様子。 それに。 「......じゃあ行こうか。あんな男が出てきたということは、この先に何かある......つまり、ジルが向かっているってことだろうからね」 ジュリオの言葉に頷いて。 タバサは、彼と共に走り出した。 ######################## 洞窟の中。 リュシーと名乗った吸血鬼『エルザ』は、ジルに歩み寄る。 「ひっ......!」 ジルは思わず後ずさりしたくなるが、それは出来ない。アレキサンドルに体を拘束されたままなのだ。 彼女の怯えた様子に反応したのか、キメラドラゴンがグルルッと鳴いた。 リュシー=エルザは、そちらにチラッと顔を向けて、 「あなたも自己紹介したいのね。でも、ごめんなさい。あなたには名前をつけていないから......」 それから、ジルに対して説明する。 「このキメラドラゴンには、人なつっこいペット犬の脳が入っているの。だから、わたくしたちの言うことを忠実に聞いてくれるのですわ。......ああ、そうだ!」 いいことを思いついた、という笑顔を作る吸血鬼。 「あなた、このキメラドラゴンに名前をつけてみませんか?」 「ふざけるな! なんで私が......」 「あら。だって......あなたの大切な妹さんも、この中にいるのですよ」 言われてジルは、あらためてキメラドラゴンを注視した。 そして......。 「......!」 ジルの体が強ばり、震えだす。 彼女は見てしまったのだ。 キメラドラゴンの胴体から生えている頭の一つは、彼女の妹のものだった。 つまり、このキメラドラゴンこそが、ジルの家族を食い殺したキメラ! 心の中で様々な感情が渦巻き、嵐となる。彼女は唇を強くかんだ。切れて、血が流れる。 「気づいたようですわね。......そうです。あなたの妹さんは、キメラドラゴンの中で永遠に生き続けるのです」 違う。 これは、もう『生きている』わけじゃない。 ジルは、リュシー=エルザをキッと睨みつける。 リュシー=エルザは、悲しそうな表情を見せた。 「わたくしも、理不尽にも父を処刑され、屋敷や家族を失った身。あなたの気持ちも、少しはわかるつもりです。......こんなことを言うだけ、あなたの怒りの火に油を注ぐだけでしょうけれど」 そして、小さく首を振ってから。 「でも、これ以上あなたを苦しめたくない......。その気持ちは本当です。だから素直に教えて......」 と、そこまで口にした時。 その場に、一つの黒い影が出現した。 「もうしわけない。失敗した」 戻ってきた『地下水』である。 大事な話を遮られ、リュシー=エルザは、良い気はしなかった。が、放ってはおけない。 「失敗した......ですって? 暗殺者『地下水』ともあろう者が!?」 「女と男が一人ずつ。女の方は、あと一歩だった。しかし、男の方が問題だ。あれは......バケモノだ」 「あら。あなたが、そこまで言うとは......」 リュシー=エルザは苦笑する。万全を期するために雇った暗殺者だったが、案外と役に立たないものだ。 この時、キメラドラゴンがグルッと唸った。バケモノにはバケモノをぶつければいい、と志願したかのようだった。 「そうね。あなたに行ってもらいましょう。昼間に村まで出ては目立ちますが......この森の中ならば、大丈夫でしょうから」 リュシー=エルザが微笑みかけると、それだけで理解したようで、キメラドラゴンは歩き出した。 続いて彼女は、『地下水』にも指示を与える。 「......とりあえず、今は必要ありません。下がっていてください」 「了解した」 黒い暗殺者が、音もなく姿を消す。 静かになったところで、リュシー=エルザは、再びジルに話しかけた。 「さて。では、もう一度。......手紙に記したとおり、わたくしは、あなたに妹さんの現状を教えました。ですから、あなたも教えてください」 彼女は、さらにジルに詰め寄りながら。 「あなたは......どこに『写本』を隠したのですか?」 ######################## 「この中のようだね」 ジュリオの言葉に、タバサは小さく頷く。 二人は、洞窟の入り口まで来ていた。 十分に警戒しながら、暗い穴の中に入ろうとした時。 「......何か来る!」 洞窟の左右へ、サッと身を躍らせる二人。 中から飛び出して来たのは......。 「......これが!?」 胴体からたくさんの首を生やした竜の怪物。サビエラ村を襲っていたバケモノだ。 しかし、表情を引きしめるタバサとは対照的に。 「なーんだ。やっぱり、ファンガスのキメラドラゴンじゃないか」 拍子抜けしたような声が、ジュリオの口からもれる。 「やっぱり......?」 わずかに顔をしかめながら、聞き返すタバサ。目はキメラドラゴンから離さず、ただちに呪文を唱え始める。 ジュリオからの返答など期待していなかったのだが、意外にも。 「『ファンガスの森』で作られたキメラドラゴンを彼らの組織が回収して、さらに手を加えたという噂があってね。......すると、サビエラ村でのバケモノ事件は、このキメラの運用試験だったわけか......」 さらに説明を要する発言だ。しかし問いただしている暇はない。 呪文詠唱を終わらせたタバサは、杖を振り下ろす。 キメラドラゴンは、呑気なジュリオではなく殺気を放つタバサを敵とみなしたようで、タバサに顔を向けていた。彼女の杖から撃ち出された『ジャベリン(氷の槍)』が、キメラドラゴンが開けた口の中に突き刺さる。 タバサの魔力で、キメラドラゴンの頭部全体が氷結。 一瞬の間があり......。 ピキッと凍りついた頭に亀裂が走り、バラバラにはじけ飛ぶ。 しかし。 「まだだよ」 ジュリオの言葉があったので、助かった。 安堵することなく、警戒を解かなかったタバサは、サッと飛びずさる。 キメラドラゴンの腕が伸びてきたのだ。もしも油断していたら、体を大きくえぐられていたかもしれない。 「......頭を一つ吹き飛ばしても、代わりはいくらでもあるからね」 むこうでジュリオが言うとおり。 ボコッと音がして、キメラドラゴンの胴体から肉塊が盛り上がった。モコモコと粘土のように、形をとり始める。新しい頭が生まれつつあるようだ。 「食った獣を取り込んで、それとそっくりな頭を生やす。そうして胴体から生えた頭が、メインの首がとんだ場合のスペアになる。......なるほど、こうやって頭部が生え変わるわけか。いざ目にしてみると、なかなか気持ち悪いプロセスだねえ」 悠長に解説しながら、ジュリオは背後からキメラドラゴンに忍び寄る。その肌にスッと手を当ててみるが。 「......だめだな。僕の『力』も通じない。こいつは......もうケモノではない。人造のバケモノだ」 残念そうに首を振り、また離れる。 しかし今ので、キメラドラゴンの注意もタバサからジュリオへと移った。できたてほやほやの頭を、彼へと向ける。 それは、人の顔をしていた。 「いたい......。いたいよう......」 「......しゃべった!?」 驚愕するタバサ。 ジャベリンでも頭を一つ吹き飛ばしただけ、つまり生半可な魔法では、このバケモノは仕留められない。そう考えて、弱点を見出そうと観察していたのだが、これは予想外だった。 「驚くことはないさ。聞いた話では、こいつはジルの家族を食らったという。おそらく......これがジルの妹の顔かな」 ジュリオの話は、タバサには初耳のものばかり。 さいわい今、キメラドラゴンの攻撃の対象はタバサではなくジュリオだ。質問するなら今のうちだと思った。 「......ジュリオ。あなた、何を知っているの?」 「そうだねえ......。妖精のように可愛い君が、そんなに知りたいと言うなら......少し教えてあげようかな」 キメラドラゴンが爪を振るう。 体重のこもったその一撃を、ジュリオは手にした錫杖であしらいながら、タバサと会話を続ける。 「オリヴァー・クロムウェル......という名前を聞いたことがあるかい?」 「......『レコン・キスタ』」 「そう。レコン・キスタという組織を作り、アルビオン王家を滅ぼした男だ」 空に浮かぶ国アルビオンは、トリステインやガリアと並ぶ、歴史ある三大王家の一つであった。しかし国内で大規模な反乱が起こり、今では貴族政府が運営する国家となっている。 その反乱勢力『レコン・キスタ』の中心人物が、オリヴァー・クロムウェル。反乱成功後、一時はアルビオン帝国皇帝を名乗ったこともあるが、結局は権力争いに敗れて失脚した......。 これが世間で流布している話であり、タバサも、それに疑いを挟んだことはない。 「......アルビオンを追い出されたクロムウェルは、ガリアの片田舎に潜伏していたらしい。そこで、また新しい組織を立ち上げてね。......まあ、かりにも一時は一大勢力のトップに立った男。それなりにカリスマはあったようだよ」 キメラドラゴンと戦いながら、ジュリオは説明する。 それによると。 今度のクロムウェルの組織は宗教団体。彼の出自は一介の司教であっただけに、宗教団体は、レコン・キスタ以上に扱い易かったのだろう。あれよあれよというまに、規模も大きくなっていった。同時に、いつのまにか団体の教義も変わっていく。 もともと教団の母体は、新教徒の集まり。解釈こそ違えど、信仰の対象は始祖ブリミルだったはず。ところが......。 「......今では、彼らは魔王を崇拝する邪教集団だ。ま、クロムウェルがクロムウェルだからね。信仰云々より、何にすがってでもいいから力が欲しい、って連中が多かったんだろう」 なるほど。 一度そうなってしまえば、さらに悪党どもが集まってくるし、組織が悪事に走るのも当然。 タバサは、事件の背後にあるものの大きさを理解した。だが、まだ肝心の話は不明である。これが、ジルの家族やサビエラ村と、どう関連するのか......。 「そして連中が今ねらっているのが......『写本』だ」 「『写本』!?」 思わず聞き返したタバサ。 『写本』とは、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』の知識の一部を記したものだと言われている。実際、タバサの知り合いのメイジの中には、『写本』から学んだ魔法を使いこなす少女もいる。 本来『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』は、虚無魔法を使うメイジのみが――それも始祖の指輪をはめた時のみ――、読むことが出来る書物。でも『写本』ならば、普通の者でも読める。始祖ブリミルの知識の一端を、知ることが出来る......。 「......そうだ。その『写本』だよ。その重要性は、君にもわかるだろう?」 タバサは頷いた。 そして、これは他人事ではないと気づく。 なにしろ、始祖ブリミルの知識なのだ。エルフと戦ったと言われる始祖ブリミルならば、エルフの薬に対抗する手段も知っていたかもしれない。 エルフの薬で心を壊された母を、もとに戻す方法。それだって......『写本』に記されているかもしれない! 「そうした『写本』の一つを、森に隠れ住むジルの家族が持っていたんだ。だからクロムウェルの教団は、キメラドラゴンを使ってジルの屋敷を襲った。ところが......発見できなかった」 タバサは思い出す。ジュリオは先ほど「このキメラの運用試験」と言っていた。 ......つまり。 キメラドラゴンの実戦投入テストと、『写本』争奪。その二つの目的で、邪教集団は、このバケモノを用いた。 テストは成功したが、あいにく探していた『写本』は見つからない。ならば生き残ったジルが持っているに違いないと、ジルを追跡。サビエラ村にやってきた......。 「......これで、だいたい理解できただろう? ならば......君の魔法で、こいつにトドメをさしてくれないかな?」 お茶にでも誘うかのような気楽な口調で、ジュリオは、そう言った。 ######################## 「あなたは......どこに『写本』を隠したのですか?」 「......『写本』?」 リュシー=エルザに問われて、ジルは聞き返してしまった。 何を聞かれても絶対に口を開かない、と決めていたのに。 「そうです。あなたの屋敷にもなかったし、あなたの家族も持っていなかったそうですわ。......あなたが持って逃げたのでしょう?」 最初、ジルは何の話だかわからなかった。が、途中で思い当たる。 家を飛び出した時......。 たしかに彼女は、あれを持ち出していた。 両親が「この中には、御先祖様から託された、大切な書類が入っているんだよ」と言っていたもの。 それほど重要なものならば、それを持っている限り、家族との縁も切れないだろう。そう考えて、黙って持ち出したのだが......。 まさか......あれの為に、家族は殺されたのか!? 「......その表情では、やはり心当たりがあるのですね。教えてくださいな」 答える代わりに、ジルは顔を横に背けた。 リュシー=エルザは、悲しそうな目で溜め息をつく。 「抵抗はしないでください。これ以上......あなたを苦しめたくはないのです」 リュシー=エルザはジルの顎に手をかけて、無理矢理、自分の方を向かせる。 ジルは口を開いた。 「あたしも......このアレキサンドルのように、グールにするつもりか。あんたの操り人形にして、聞き出すつもりか!?」 家族を殺され、自分はグールにされ、リュシー=エルザの思うがまま。そして彼らは、目的を果たして万々歳。 そんなことは許せない。 だが、今のジルに出来る対抗策は、もうほとんどなかった。彼らの計画を妨げるためには......。思いつく手段は、ただ一つ。 屍人鬼(グール)にされる前に、舌を噛んで死んでやる! 目を閉じて、それを実行しようとした時。 「そんなことは、しませんわ」 リュシー=エルザが静かに言う。 ジルは思いとどまった。 「......というより、できませんの。アレキサンドルを『屍人鬼(グール)』として使っていますから。先ほども話したように、一度に一人しか操れない......けっこう不便なんですよ、これ」 こんな状況の中でも、少し安心するジル。 ならば、自分が抵抗し続ければ......。 「でも、わたくし『制約(ギアス)』が使えますから」 「......ギアス?」 「ええ。心を操る水系統の呪文です。簡単な行動しか命令できませんけど、『写本』の隠し場所を喋らせるくらいなら十分ですわ。......ですから、あなたが最初から素直にわたくしの家まで来てくだされば、村で騒動を起こすこともなく簡単に片づいていたのに......」 ニッコリと笑うリュシー=エルザ。 ジルは、再び絶望した。 ######################## 「......私が?」 「そうだ。この程度のキメラ......君の魔法で、簡単に倒せるだろう?」 キメラドラゴンをあしらいながら、アッサリと言うジュリオ。 タバサは少し顔をしかめたが、すぐにそれも消える。 彼女の表情の小さな変化を、彼は見逃さなかった。 「わかったようだね」 「......頭と首と胴体が、一直線に並ぶタイミング」 「そのとおり! さすが『雪風』の妖精だ!」 最初のタバサの一撃が、キメラドラゴンの頭部しか吹き飛ばせなかったのは、ジャベリンが口内に刺さったからだ。だが胴体の中の臓器まで届けば、からだ全体を破壊できる。見るからに硬そうな肌をしているので、そうやって内側から倒すしかないだろう。 「では、どうぞ。可愛い妖精さん」 このようにジュリオから呼びかけられるのは、何度目だろうか。 だが、この時はじめて、タバサは体がゾクッとした。 官能ではない。悪寒である。 タバサは、ようやく理解したのだ。 「......私は、あなたの人形ではない」 「おやおや。賢い妖精さんだ。ますます好きになってしまうよ」 ジュリオの『可愛い妖精』とは、魅力的な少女という意味ではなかった。戦力として使える手駒ということだ。 それがわかった上で、なお彼の言うとおりに行動するのは、少し癪に触る。しかしキメラドラゴンを倒さねばならないのは確かであるし、タバサならば可能であるのも間違っていない。 呪文を唱えながら、タバサは走り出す。ジュリオの隣、つまりキメラドラゴンの前方に回りこんだのだが......。 「......どうしたのかな?」 杖を振り下ろすのを躊躇するタバサ。 タイミングを見計らっている......というわけではない。ちょっとジャンプすれば、頭と首と胴体が直線上にのるような位置取りは可能だ。 では、なぜ攻撃できないかというと。 「いたいよう......。いたいよう......」 すすり泣く子供のような声が、まだキメラドラゴンの口から漏れているのだ。ジルの妹の顔をした、その口から。 意識が残っているのだろうか。あるいは、生前の動きを繰り返しているだけなのだろうか。 おそらく後者だと思うのだが、それでも。 「......しゃべってる。生きてるの?」 尋ねるように、タバサはつぶやいていた。 キメラドラゴンは答えない。ただ、その爪を振るうのみ。 代わりに。 「違うよ」 バッサリ否定したのは、傍らのジュリオ。 「彼女は、もう死んでいる。食い殺されたからこそ、こうして『顔』が出てきてるのさ」 さらに、冷たい口調で。 「......それに、もしも生きていたところで、一度キメラに組み込まれた以上、もう元に戻すことは不可能だよ。美味しいミックスジュースを作れる料理人でも、そこからオレンジ・ジュースだけを取り出すことはできないだろう?」 タバサは頷き、心を決めた。 もう一度呪文を唱え直そうとしたのだが、ジュリオが目を細めて、追い打ちをかける。 「そもそも......。どっちにしたって、キメラドラゴンの首には、もう彼女の心は残っていないんだ。心がなければ......生きているとは言えないよね」 ククッと笑うジュリオ。 心がなければ生きているとは言えない......。 母親の心を取り戻そうとあがくタバサにとって、これは聞き捨てならない言葉だった。 タバサの魔力が、怒りで膨れ上がる。周りの空気が凍りついていく。 「......そう、その調子だよ、『雪風』の妖精さん。でも、間違えてはダメだ。その魔力をぶつける相手は僕じゃない。この可哀想なバケモノに叩き込んでやってくれ」 全て計算のうち。 そう匂わせながら、ジュリオは、目の前のキメラドラゴンを指し示した。 ######################## 絶妙なタイミングで放たれた氷の槍は、キメラドラゴンの口に飛びこみ、喉を裂き、胴体の中へ。胃袋に突き刺さり、キメラドラゴンを体内から氷結させる。 全身を凍らせるには至らなかったが、内蔵をやられたダメージは大きかったらしい。バケモノは口からドロドロの体液を吐き出し、ドウッと地面に倒れた。何度か痙攣して、動かなくなる。 「......やれやれ。けっこう手間取ってしまったね」 そのとおり。 タバサたちが来た目的は、キメラドラゴン退治ではない。 行く手を遮る障害物を一つ、排除しただけ。それ以上の感傷を抱くべき出来事ではなかった。 「ジルが心配だ。先を急ごう」 彼女の身を案じるかのような言葉だが、そこに気持ちはこもっていない。 すでにタバサには、わかっていた。 ジュリオの狙いも『写本』。あれだけ事情を知っていながら、それでもジルを放っておいたということは、自分から行動を起こしても無駄と判断したからだ。あえてジルを泳がせていたのである。 こうして邪教集団の魔の手が伸びて来たのも、むしろジュリオにとっては好都合なのだろう。このイザコザをきっかけとして、『写本』の隠し場所まで案内させるつもりなのだ。 「......あなたも敵」 洞窟に突入して、壁の明かりを頼りに走りながら。 タバサは、小さくもらした。 「ん? 何か言ったかい?」 「......なんでもない」 とりあえず、クロムウェルの教団に対しては共闘できる。 ジュリオが自分を便利な戦力だとカウントしているのであれば、こちらも利用してやればいい。ジュリオを使って、ジルを助け出して、その後は......。 「おやおや。これは......」 斜め前を行くジュリオが、突然、立ちどまった。 タバサも停止。彼の背中から顔を出す形で、その場の様子を見る。 「......!」 天井が少し高くなり、横幅も二倍くらいに広がった空間。 その床に。 ジルが倒れていた。 「遅かったようだね」 ジュリオが、彼女を抱き起こす。 タバサも近寄り、ジルの手首の脈をとるが......。 確認するまでもなかった。 口からは一筋の血が流れており、顔は既に土気色。生命の輝きは感じられない。 ジルは、舌を噛んで死んでいたのだった。 (後編へつづく) |
「うーん。これは......困ったなあ」 ジルの亡骸を抱きかかえながら、淡々とつぶやくジュリオ。 使おうと思っていた道具が壊れちゃった......。そんな口調である。 彼女をモノ扱いするジュリオにも腹が立つが、タバサは今、自分自身にも怒りを向けていた。 もっと早く来ればよかった。そうすれば、ジルを死なせずに済んだかもしれない。それが出来なかったのは、対キメラドラゴン戦で時間をくったからだ。 あそこで躊躇したが故に、こういう事態に......。その想いが、タバサを責めたてる。 でも。 だからといって、ここで立ち止まるわけにはいかない。 「......ん? どうするつもりだい?」 スクッと立ち上がったタバサに、ジュリオが声をかけた。 彼に背を向けたまま、タバサは歩き出す。 「......追う。この先にいるはず」 洞窟は一本道だった。途中で誰ともすれ違ってはいない。つまり、ジルを殺した教団の者は、洞窟の奥にいるのだ。 「なるほど。でも......ジルは放っておくのかい?」 瞬間、タバサの足が止まる。 「今は。......あとで埋葬しに戻る」 「埋めちゃうのかい? ......いやいや、それは可哀想だよ。ちょうど、まだ聞かなきゃいけないこともあるから、こうやって......」 洞窟内が、パーッと明るくなった。 背後でジュリオが何かしたのだ。 「......!?」 慌てて振り返った時には、既に光は収まっていた。 そして、驚くべきことに。 「あれ? あたし......どうして......」 「お目覚めですか、お嬢さん」 ジュリオの腕の中。 死んだはずのジルが、目を開いていた。 ######################## 「......どうやって?」 聞くだけ無駄だというのは判っているが、それでもタバサは、反射的に尋ねてしまった。 「それは秘密だよ。男は、秘密の多い生き物だからね」 ジュリオの返答は、予想どおり。 タバサは考える。使者を蘇らせるマジックアイテムで、真っ先に頭に浮かぶのは、アンドバリの指輪だが......。 ジュリオの右手は、白い手袋に覆われていた。手袋内部の『手』がどうなっているか知らないが、指の部分が異様に膨らんだりはしていない。中で指輪をはめている様子はなかった。 左手には四つの指輪をしているが、それもアンドバリの指輪とは別物。四つとも始祖ブリミルの指輪だ。 では......どうやって? ジュリオに関する謎が、また一つ増えてしまった。しかし、とりあえず今はジルだ。 「ジル。話を聞かせて欲しいな」 起き上がったジルに尋ねるジュリオ。タバサも知りたい。 「えーっと......あたし......」 ジルは話し始める。 手紙で誘い出されたこと。リュシーと名乗る吸血鬼『エルザ』たちが待っていたこと。そしてリュシー=エルザから知らされた真相......。 「......で、そのギアスって魔法に抵抗するために、死んでやろうって思ったんだけど......無理だったみたいだね」 ジュリオとタバサは、顔を見合わせる。 ジルが死んでいたことは敢えて告げまい。二人の顔には、そう書いてあった。 「その吸血鬼が、教団の作戦指揮官なわけか。ふーむ。それが、君を置いて姿を消したということは......」 「あたし......操られて、喋っちゃったのかな?」 自決は成功しているのだから、情報秘匿にも成功したのかもしれない。あるいは、死に際にギリギリで言わされたのかもしれない。 だが前者であるならば、ここにジルの死体を放置してはいかないだろう。となれば、後者である可能性が高い......。 タバサはそう推測したし、ジュリオも同じだったらしい。 「......そうかもしれないね。とにかく、その吸血鬼たちを追おう。ジル、君は......」 「あたしも一緒に行く!」 たった今まで死んでいたとは思えぬくらい、元気よく叫ぶジル。体を動かすにも支障はないようだ。 「わかった。じゃあ行こう」 ジュリオ、ジル、タバサの順に並んで、三人は洞窟の奥へ進んでいく。 途中、ジュリオは振り返って。 「そうだ。君に一つ、教えてあげよう。あのキメラドラゴンは......タバサが倒してくれたよ」 「......え!」 少し間を置いてから、ジルはタバサに顔を向ける。 すこし複雑な表情だが、それでも満足の色が浮かんでいた。 「ありがとう。あたしの家族の......仇を討ってくれたんだね」 タバサは、何も言えなかった。ただ黙って、小さく頷くだけであった。 ######################## やがて、三人は再深部に辿り着く。 ジルが倒れていた場所よりもさらに一回り大きな、自然の大広間になっていた。突き当たりの壁には、あのドラゴンキメラの全身すら映し出せそうな巨大な姿見がある。 そして、その鏡の前には......。 「ここを死守しろと言われた」 キメラの群れを率いた『地下水』。 彼の後ろのキメラ軍団も、明らかに戦闘用に作られた怪物ばかり。頭が二つあるオオカミ、角を持つ巨大なヒヒ、腕が四本あるクマ、体に無数の太いトゲを生やしたトラ......。他にも、形容しがたいバケモノがたくさんいる。 「なるほどね。そういうことだったのか」 「......どういうこと?」 ジュリオのつぶやきに、とりあえず聞いてみるタバサ。 ここまでのつきあいで、彼女にも判ってきたのだ。ジュリオは何が何でも秘密主義というわけではなく、ちゃんと解説してくれる場合もある。 この時も、そうであった。 「あの『鏡』さ。ほら、あの連中の存在を感知して、うっすらと光っているだろう? あれはただの鏡じゃない。『ゲート』のような魔法の鏡だ」 そこまで聞けば十分。タバサは小さく頷いて、ポツリと口にする。 「......秘密の抜け穴」 「そういうことだ」 リュシー=エルザたちが洞窟の外ではなく奥へ進んだことが少し不思議だったが、これで謎が解けた。なんのことはない、彼らはちゃんと『外』へ向かっていたのだ。 おそらく、この『鏡』はサビエラ村に通じているのだろう。キメラドラゴンが村を襲う際も、外の街道を通ってではなく、この『鏡』から村へ向かっていたと思われる。 「じゃあ、さっさと片づけようか」 ジュリオが、サラッと口にした。キメラ軍団や『地下水』を前に、まったく臆した様子はない。 一方タバサは、前回『地下水』に手ひどく痛めつけられた記憶がある。今度は負けないと心に誓うが、体は正直だ。あの時の苦痛が、体に染込んでいた。完治したはずの喉と左腕が疼く。 「......そうか。君には、あの『地下水』は荷が重いのか。ならば、ここは僕に任せたまえ。君たちは、先に行って構わないよ」 えっ、とタバサが思う暇もなく。 敵が対処するよりも早く。 ジュリオは、サッと左手を振った。 チラッと指輪の一つが光ったように見えた直後、彼らの周囲に白い霧が立ちこめて、敵も味方も視界を奪われる。 「......わかった」 「えっ、何......」 タバサはジルの手を取り、鏡に向かって走りだした。白霧の中でも鏡だけは淡い輝きを放っているため、はっきりと場所がわかる。 キメラや『地下水』も無視して駆け抜ける。攻撃を受けるとは思わなかった。ジュリオがああ言った以上、ちゃんと防いでくれると信じていた。 予想どおり。 タバサはジルと共に、無事、鏡の『ゲート』に飛び込むことができた。 ######################## 「何が......どうなってるの......? あたしたち、鏡にぶつかったはずなのに......」 「......マジックアイテム」 端的に答えるタバサ。 鏡をくぐった先は、石室だった。 石壁に覆われた、十メイルほどの長方形の部屋。ちょうどキメラドラゴンの体がすっぽり収まるくらい。 「......さがって。私の後ろに隠れてて」 「う、うん......」 ジルの安全を確保してから、タバサは呪文を唱える。壁や天井に軽く風を当ててみたところ、天井が少し持ち上がった。 「......わかった。出口は上」 ジルに言い聞かせるようにつぶやいてから、先ほどよりも強い風で、天井を吹き飛ばす。 「きゃ!」 悲鳴を上げたのはジル。強風で飛んできた物が当たった......というわけではない。まぶしかったのだ。突然、昼間の陽光が差し込んできたのである。 「......外へ出る」 魔法でタバサは、ジルと一緒に浮かび上がる。 石室の外は、草地だった。そこに降り立つ頃には、ジルも光に目が慣れて来たらしい。辺りを見回して、タバサに告げる。 「ここは......サビエラ村のはずれだ。ほら、あそこにアレキサンドルたちが住んでた家もある」 頷くタバサ。 指し示されたあばら屋を見るのは初めてだが、だいたい予想は出来ていたからだ。 彼らがバケモノ事件の黒幕であり、さきほどの洞窟がキメラドラゴンの隠れ家であった以上、ここに通じているというのが合理的である。 「こんなところに......こんなものがあったなんて......」 ジルは信じられないという表情をしていた。 タバサが中から吹き飛ばしてしまったので、今はポッカリと穴が開いている。だが、今まではちゃんと偽装してあったのだろう。だから村人たちも気づかなかったのだ 村にはたくさんの傭兵が雇われていたが、しょせん彼らは『傭兵』。誰も事件解決を目指していたわけではない。むしろ、いつまでも雇っていてもらえるよう、解決を望まなかった者すらいたかもしれない。 タバサやジュリオは真相を知りたがっていたはずだが、彼らは村に来たばかり。この辺りは、まだ調査していなかった。 「......ん? あれは......」 村の中央の方角へ目を向けるジル。そちらから、人々が騒ぐ音が聞こえてきたのだ。 「行くよ!」 ジルが叫んで駆け出す。もちろん、タバサも続いた。 ######################## サビエラ村の中央広場は、山あいの村にしては珍しく、かなりのスペースの平地となっている。集会や祭りなどの催しに使われる場所であり、時が時ならば村人たちの笑顔で溢れかえっていたことだろう。 しかし、今。 そこは戦場であった。 ゴオオォッ! 重厚な鎧で身をかためた男、ルフトの『カッター・トルネード』が荒れ狂う。間に真空の層が挟まっていて、触れると切れる。恐ろしいスクウェア・スペルだ。 彼の周りには、すでに多くの傭兵たちが倒れていた。体中に切り傷が走り、血を流している。仲間だったはずのルフトにやられたのだ。 そんな中。 「あたしは......前々から、あんたのことが気に食わなかったんだ......」 一人の女傭兵が、しっかりと大地を踏みしめて、ルフトに吐き捨てた。 ブレオンである。 彼女もまた、『風』を得意とするメイジ。自身の風の刃を飛ばすが、ルフトの体には届かない。彼の竜巻に吸収される形で、消滅してしまう。 「ちッ! 厄介な相手だ......」 なぜ突然、ルフトが仲間を襲い始めたのか。おそらく、少し離れたところで暴れているアレキサンドルと関係があるのだろう。 だが理由など、ブレオンにはどうでもいい。久々に歯ごたえのある相手と戦えるのだ。 全身から発せられるオーラで、長い銀髪がゆらめく。 魔力そのものは、ブレオンも低くはない。ただ、それを扱う腕前に難があるだけ......。 「おや......?」 迫り来る竜巻から目を離さず、なんとか避け続けながら。 ブレオンは、視界の隅に、小柄な青髪少女の姿を認めた。昨日から傭兵集団に加わったメイジ、タバサだ。 タバサが杖を振り下ろし、氷の矢が飛ぶ。それは背後の死角からルフトを襲う。 まともに食らって、倒れ込むルフト。自慢の鎧ごと、地面と一緒に凍りついている。 「よし! とどめ......」 ブレオンは杖に魔力を纏わせて、ルフトの元へ。その首めがけて振り下ろそうとするが......。 バシッ! 空気の塊を手に叩きつけられ、杖を取り落とした。 「何すんだい!?」 「......殺す必要はない。おそらく『制約(ギアス)』で操られていただけ。彼は元に戻る。それより......」 近寄りながら声をかけるタバサ。彼女は自分の杖で、もう一つの戦場を指し示す。 そこではアレキサンドルが、おのれの怪力だけを武器にして、数名のメイジ相手に大立ち回りを演じていた。 「......あっちは無理。『屍人鬼(グール)』だから、もう動く死体と同じ。あれこそ、ちゃんと始末してあげるべき」 小さな少女は言い放つ。年長であるブレオンが驚くほど、冷淡な物言いであった。 ######################## 洞窟の中の戦いも、既に勝敗は決していた。 累々たるキメラの死体の中、静かに対峙するジュリオと『地下水』。 「おまえ......何者だ?」 暗殺者『地下水』の目から見ても、ジュリオはバケモノであった。 彼がリュシー=エルザから借り出したキメラたちは、強力なモンスターばかり。それが、こうも簡単に......。 「僕はジュリオ・チェザーレ。ロマリアの神官だよ」 「バカな。おまえのような神官がいるものか......」 「そう言われてもねえ。神官という言葉が気に入らないなら、獣神官と呼んでくれてもかまわないけど?」 「......そういう問題ではない」 彼らしくないことだが、『地下水』の声には、焦りの響きすらあった。 「そんなことよりさ。どうする? 今度こそ決着をつけるかい? それとも、さっきのように逃げるのかな」 今の二人の位置関係は、戦闘が始まった時とは逆になっている。 鏡を背にして立っているのは、『地下水』ではなくジュリオの方だ。タバサたちを追うという意味では、これ以上『地下水』と戦う必要はなかった。 「殺せ......と言われれば殺す。それが暗殺者だ。しかし俺ではお前には勝てん。......今の俺では」 まるでパワーアップの余地があるかのような含みを残して。 『地下水』は、ジュリオの前からアッサリと消え去る。 「ふーん。身のほどをわきまえている奴もいるんだな。......人間の中にも」 そう言いながら、ジュリオは鏡の中へ入っていった。 ######################## 「ウオーッ!」 獣の咆哮をあげ、アレキサンドルが傍らの杭を引き抜いた。熊のような力である。 「こいつ......強いぞ!?」 「バカ、お前が邪魔なんだよ!」 これまでアレキサンドルが傭兵メイジたちと対等に戦ってこれたのは、傭兵同士の連携がなかったからだ。『ブレイド』で杖を魔法の剣として斬り掛かる者もいたが、そうやって接近戦を仕掛けるメイジは、離れて魔法を撃ち込もうとするメイジを妨げる形にもなっていた。 「......どいて!」 その状況が、タバサの加勢で一変する。 アレキサンドルから距離をとるように指示を出し、言うことを聞かない傭兵には実力行使。風の魔法で吹き飛ばしてしまった。 さらにタバサは、『ウィンディ・アイシクル』を唱える。 シュカッ! シュカカカカッ! 四方八方から現れた氷の矢が、アレキサンドルの体を串刺しにした。 ドウッと地面に崩れ落ち、彼はジタバタと暴れる。 「......焼く」 その一言で十分だった。傭兵たちの中にも、それなりの場数を踏んで来た者がいるのだ。あとは彼らの仕事だった。 誰かがアレキサンドルに土をかけて。 誰かが土を『錬金』で油に変えて。 誰かが火の魔法で燃やして。 ......『屍人鬼(グール)』アレキサンドルは、その場で荼毘に付された。 ######################## メラメラと燃える炎に照らされて、傭兵たちが静まり返る中。 タバサが尋ねる。 「......説明して」 誰に尋ねたのか、何を聞きたいのか、はっきりしない。それでも傭兵たちを代表して、同室で一夜を過ごしたブレオンが口を開く。 「あの三人が突然、出てきたんだ......」 昼間は家に閉じ篭っているはずのマゼンダ婆さんと孤児エルザ。二人がアレキサンドルを連れて、あばら屋の方から村の中央へやって来たのだった。 不思議なことに、マゼンダ婆さんは、いつもより数十歳は若く見えた。逆にエルザは、子供とは思えぬ声と口調だった。 「......で、エルザちゃんが言ったんだ。『この村も、もう潮時かしら』って」 ただでさえバケモノ事件との関連を疑われていた者たちである。彼女の不審な言葉に、村人たちの数人が詰め寄った。 ところがエルザは、それを撥ね除けて......。 「......そして、アレキサンドルが暴れ始めたんだ」 人とは思えぬ怪力ぶり。村人たちの手には余り、村人たちと親しくしていた一部の傭兵たちが、まず助っ人として参加する。 続いて、騒動を収めるようにと村長から言われて、他の傭兵たちも。 「そうしたら、なぜかルフトの奴が、向こう側に回っちゃってさ」 タバサに対して説明しながら、ブレオンは鎧の男へチラリと視線を向けた。 ルフトは今、凍りついた鎧を脱ぎ、少し離れたところに座り込んでいる。この騒ぎの間の記憶がないようで、キョトンとした顔になっていた。 「......彼も被害者。『エルザ』に操られていた」 「そうなのかい? ま、あんたがそう言うなら......」 ルフトが『制約(ギアス)』にかかっていたのであれば、彼自身の意志とは無関係に、これまでも簡単な用事をさせられていたのだろう。おそらく昨夜のセレスタン失踪事件にも関わっているし、ジルの部屋まで手紙を届けたのも彼だ。 しかし、それよりも今は、もっと大切な問題がある。 「......彼女たちは?」 「彼女たち......って?」 「マゼンダと『エルザ』」 「ああ、その二人かい。その二人なら、いつのまにか姿を消していて......」 「......わかった」 アレキサンドルやルフトを暴れさせて、その隙に、二人は『写本』の在処へ向かったのだ。 タバサは、そう推測する。ジルを見ると、彼女も頷いていた。同じ考えが頭に浮かんだようだ。 「なあ、タバサ。今度は、あたしが質問する番だ。......いったい何がどうなってるんだい? やっぱり彼女たちがバケモノ事件の黒幕だったのかい?」 「そうです。実は......」 タバサより先に、ジルが答えようとする。 彼女は、悲しそうな表情をしていた。 リュシー=エルザから聞いた話によれば、このサビエラ村が襲われたのは、ジルのせいなのだ。家族を失ったジルが――『写本』の隠し場所を知っているジルが――この村で暮らし始めたからこそ、邪教集団もサビエラ村まで追って来た。ジルが来なければ、この村は事件に巻き込まれることもなく、平和に......。 「詳しい話は、あと」 スッと杖を出して、ジルを制止するタバサ。 今は一刻も早く、リュシー=エルザたちを追跡するべきだった。それに、事情を全て村人たちに語る必要もない。悪いのはジルではなく、リュシー=エルザたち邪教集団なのだ。 「タバサ、奴らを追っていくつもりかい。なら、あたしたちも......」 「......来なくていい」 ブレオンの言葉を、タバサは切り捨てた。 少しムッとするブレオンだが、先ほどの戦闘の様子を思い出し、納得する。 「そうだね。あたしたちじゃ、あんたの足手まといになる......」 「あたしは行くよ!」 ジルが叫んだ。 タバサは、あらためて彼女を見つめる。 たしかに、ジルは一番の当事者だ。それに......。 「......『写本』の隠し場所に詳しいのは、彼女だからね」 背後からかけられた声に、タバサが振り返るより早く。 「ジュリオ様〜〜!」 ブレオンが、似合わぬ甘い声を出していた。 「どこに行っていたんですか!? タバサも一緒に姿を消したから、よもや二人で逢い引きでもしてるんじゃないかと、あたしは気が気じゃなくて......」 「......いつから、ここに?」 「『あんたの足手まといになる』ってところから」 ジュリオに擦り寄るブレオンは無視して、タバサとジュリオは会話する。 「......来たばかり」 「そうだ。でも状況は理解できたよ。......逃げられてしまったんだね?」 コクンと頷くタバサ。 「ならば、こんなところでモタモタしてる場合じゃない。僕たちも行こう!」 「はい、ジュリオ様!」 行かないはずのブレオンが、力強く頷いていた。 ######################## ガリアの青空を二匹の青い竜が飛ぶ。アズーロとシルフィードである。 シルフィードは、背中にタバサとジルを乗せていた。 「きゅい......」 「だめ」 竜の意図を察して、先に制するタバサ。 シルフィードにしてみれば、サビエラ村から少し離れたところで別れたタバサが、いつのまにか村に戻っていたのだ。そして今度は、また別の地へ向かうよう、命じられた。聞きたいことも話したいことも、たくさんあった。 しかし、タバサとジュリオ以外の者がいる以上、おしゃべりは厳禁。わかってはいるのだが、ちょっと不満なシルフィードであった。 タバサが、シルフィードの首をソッと撫でる。 「......それは、あとで」 「きゅい!」 一方、アズーロの背には、ジュリオとブレオンが乗っている。 足手まといだから行かないと言っていたブレオンも、ジュリオが行くと知った途端に前言撤回。タバサたちも、彼女を説得する時間が惜しいと判断して、同行を許したのだった。 今は背中からジュリオにしがみついており、ブレオンは幸せ一杯の笑顔である。 「ああ......。ジュリオ様と空のデート......。夢みたいだわ......」 おそらく彼女は、どこへ行くのか、何しに行くのか、気にしていないのであろう。事情を理解していれば、こんな呑気な態度でいられるわけがない。 これから彼らが向かう先は、『ファンガスの森』。かつてジルが住んでいた森であるが、いまだにキメラが徘徊しているという危険なところでもある。 その森の中に、ジルは家から持ち出した『写本』を隠していた。タバサたちは、リュシー=エルザの邪教集団よりも早く、そこに行かねばならないのだ......。 ######################## 森の入り口で竜から降りて、四人は『ファンガスの森』へ入っていく。 森の中は静かで、澄んだ空気の香りがした。 先導するのはジル。先に出発したリュシー=エルザたちに負けないためにも、正確な場所を知るジルの存在は重要である。 ブレオンはジュリオに腕をからませつつ、もたれかかっており、文字どおりの足手まとい。だが、ジュリオは気にしていない様子で、笑みすら浮かべている。 タバサは杖を構え、周囲に気を配りながら歩いていた。 やがて......。 「ここだ......」 立ち止まったジルが指さしたのは、巨大な朽ち木。巧妙に草と薮で隠されていたが、根っこの隙間に、幅三メイルほどの穴が開いていた。 「......これが地下空洞に繋がってるんだ。たぶん獣かキメラの巣穴だったんだろうが、あたしが森に住んでた頃には、もう住人はいなくなっていた」 「キメラだとしたら......退治されたか、あるいは他へ連れて行かれたのだろうね」 ジュリオの言葉で、タバサは思い出した。洞窟の鏡の前に現れた『地下水』はキメラ軍団を従えていたのだ。あのキメラたちも、この森で生まれたキメラなのかもしれない。 しかし、そんなことより。 「......遅かったみたい」 「そうだね」 タバサのつぶやきをジュリオも肯定する。 二人は、穴の近くの落ち葉や泥土の様子から、人が入っていった形跡を見つけていた。 「......でも行く」 「ああ。まだ中にいるかもしれない。ここで引き返す手はないさ」 タバサとジュリオの意見が一致する。ジルにも異論はなく、ブレオンに意見はなかった。 「さすがに危険だ。僕が前を行こう」 敵が残っている可能性を考慮すれば、ジルを先頭にするのは愚策である、 ブレオンというオマケつきのジュリオが穴に入り、ジル、タバサの順で続いた。 ######################## 少し進んだだけで、地下の洞窟は行き止まり。直径が四メイルはあろうかという、球状の空間になっていた。誰が灯したのか、魔法の明かりが、うっすらと周囲を照らし出している。 そこに......。 「やはり来たのですね。また『地下水』は失敗したのですか......」 人形のように可愛い、小さな金髪の少女。 タバサやジュリオは初対面だが、今さら紹介の必要もない。これが、リュシーという名を持つ吸血鬼『エルザ』だった。 「......おや? あなた、生きていたのですか!? それはよかった......」 ジルの姿を目にとめて、ホッとしたような声を出すリュシー=エルザだが、 「よかぁないよ!」 当のジルは怒っていた。目の前のリュシー=エルザこそが、サビエラ村での一連の事件の黒幕であり、ジルの家族を殺した邪教集団の一員なのだ。 「......『写本』は?」 タバサが口を挟む。 リュシー=エルザは目を細めて、少し間ジーッとタバサを見つめた。それから、ゆっくりと首を横に振って。 「組織の本部のお目付役のかたが、持っていってしまいましたわ」 ここにいるのは、リュシー=エルザのみ。彼女と一緒だったはずの『マゼンダ婆さん』の姿は見えない。ならば、そのマゼンダという女が、リュシー=エルザの言うところの『お目付役』なのだろう。 タバサが、そう判断した時。 「なるほど。ならば僕たちも、ここに長居する必要はない」 軽い口調で言うジュリオ。それをリュシー=エルザが笑い飛ばす。 「あら、そうはいきませんわ。もしも追っ手が来た場合にはここで足止めをするように......と、わたくし、頼まれていますから」 「吸血鬼のレディ、残念ながら僕には、あなたの御相手をしている時間はありません。それは『雪風』の妖精たちに任せましょう。......では!」 一陣の風が吹いた。 「......え?」 続いて、ブレオンの倒れる音。 「ちょっと! どういうこと!?」 驚きの声で、ブレオンはキョロキョロと周囲を見渡す たった今まで彼女が寄りかかっていたジュリオが、突然、その場からいなくなったのだ。 「あら......。困りましたわね。わたくし、これでは任務失敗ということになってしまうのかしら?」 「......そう。だから、もう私たちが争う必要もない」 冷酷に聞こえるが、そうではない。タバサは、無用な戦いは避けようと提案したのだ。 しかし。 「そうはいかない! こいつらは、あたしの家族や村の仲間の仇なんだ!」 ジルは好戦的だ。背中のバッグから、何やらゴソゴソと、武器を取り出そうとしている。 そして。 「そうですわ。ジルさんのおっしゃるとおり......。戦いは避けられません。『雪風』さん、せめてあなただけでも、この場に引き留めないと」 リュシー=エルザが、手にした小さなタクトを構える。 こうなっては仕方がない。タバサも杖を握りしめ、身構えた。 隣では、ブレオンまで臨戦態勢。 「ええい、なんだか知らないけど! あんたのせいで、ジュリオ様が帰っちゃったじゃないか!」 半ば八つ当たりでリュシー=エルザに怒気を向け、長い銀髪を震わせていた。 ######################## 「気をつけて! 彼女は高位の『水』メイジ!」 リュシー=エルザは禁呪『制約(ギアス)』を使うメイジだ。それ自体も恐ろしい魔法だが、『制約(ギアス)』を使えるくらいなのだから、他にも強力な水の魔法を駆使するはず。 そう考えたタバサは警告の意味で叫んだのだが、少し遅かった。 「ぐげ! ごげ! 息が! 息ができなぐぼごぼげごぼぉ」 水の塊がブレオンを包み込み、水柱の中で彼女は悶える。 戦闘開始早々、一人脱落。 三対一という状況だったせいか、あるいは、必要以上の殺生を嫌ったためか。リュシー=エルザはブレオンを溺死させることなく、その意識を刈る程度にとどめて、次の標的へ。 細い小さな杖から水の鞭が伸びて、タバサを狙った。 しかし。 「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ウィンデ」 タバサの『ウィンディ・アイシクル(氷の矢)』が水鞭を迎え撃ち、凍らせてしまう。 「やっぱり......。わたくしの水の力は、『雪風』のあなたには相性が悪いようですわね」 どこか観念した口調のリュシー=エルザ。 まだ戦いの途中だというのに、まるで既に勝敗は決したかのような態度である。 こちらの油断を誘うための策であろうか? タバサは警戒を強めたが......。 バシュッ! 「うっ......」 狡猾なはずの吸血鬼は、演技ではなく、本当に隙があったようだ。 メイジではないために、大きな戦力としてカウントされていなかったジル。彼女が放った一本の矢が、リュシー=エルザの胸を貫き、小さな爆発を起こした。 「......これは?」 「ただの矢じゃどうしようもないからね。あたしが作ったんだよ。いつか家族の仇をとるために、と思って......」 問いかけるタバサに答えるジル。言葉だけ聞けば得意げであるが、その表情は険しかった。 ジルの矢は、先端に火薬が取りつけられていたらしい。 食らったリュシー=エルザは、胸に大きな風穴を開けて、その場に倒れていた。 しかし、さすがは吸血鬼の生命力。人間なら即死するような傷だが、まだ喋ることができた。 「負けましたわ......」 口からゴボッと血を吐きながら、リュシー=エルザは、歩み寄るタバサに語りかける。 「ここに来たあなたを見て、予感しました。あなたは倒せないと。わたくし以上に復讐心を秘めたあなたには、勝てるはずがないと」 「......え?」 ジルが驚きの声を上げた。リュシー=エルザを射抜いたのはジルであり、そこには、彼女の復讐心がこめられていた。家族を殺した邪教集団に対する恨みがこめられていた。 それなのに......。 リュシー=エルザは、ジルではなく、タバサの復讐心について言及したのだ。 「もう最期です。わたくしの告解を聞き届けてくださいまし......」 ######################## 「わたくしは、ガリアの貴族の家に生まれました。ですが父は政争に巻き込まれて命を落とし、屋敷も財産も奪われたのです。......わたくしの父は、オルレアン公に仕えておりましたから」 その名前で、わずかにタバサの眉が動く。それをリュシー=エルザは見逃さなかった。 「そうです。シャルロット様、あなたのお父上です」 彼女は哀しげな目で、続きを語る。 「家族も散り散りになってしまい、わたくしは寺院に身を寄せ、出家することにいたしました。ですが本心から神を信じることは出来ませんでした。わたくしの家族を壊したガリア王政府への復讐......。わたくしの胸の内で、それがずっと燻っていたのです」 やがてリュシーに、復讐の機会がやってきた。艦隊付き神官として、ガリア両用艦隊への赴任が命じられたのだ。 海に浮かぶ帆船でありながら、風石を積み、空用の帆と羽を張る事で空軍艦としても使える両用艦隊。それが海沿いの軍港サン・マロンに停泊していた時、彼女は大事件を引き起こす。 両用艦隊連続爆破事件。多くの艦艇と乗組員を亡きものにし、ガリア王国に多大な損害を与えた事件である。 「わたくし自身が手を汚す必要はありませんでした。寺院の告解室に来た信者に『制約(ギアス)』を刷り込むだけ。もともと寺院に来るような者たちは、すがりつくものを求める心弱き人間でしたから、簡単に『制約(ギアス)』にかかりました」 それは宗教を信じる者の言葉ではなかった。宗教を利用する者の言葉であった。しかしタバサは頷いてみせた。 「......その事件は、私も知っている。結局、あなたは捕まった」 この爆破事件に関する話は、噂で聞いただけではない。タバサは、カステルモールからも聞かされていた。真犯人を暴いたのはカステルモールであり、これも彼の手柄の一つとなったからだ。 「そうです。悪いことは出来ないものですね。......捕えられたわたくしは、あとは静かに死を待つはずだったのですが......」 リュシーを助けたのは、クロムウェルの組織だった。 当時のクロムウェルは、自分の手駒として使える者たちを集めている最中。あれだけの大事件の犯人であり、もはや表社会では生きていけぬ彼女は、かっこうの人材だった。 「そして組織の一員となったわけですが......。指名手配から逃れられるよう、新しい体と顔を与える......。そう言われて、吸血鬼に脳移植されてしまったのです」 もはや人間ではなくなったリュシー=エルザ。そんな彼女を支えたのは、やはりガリア王家への復讐心。 組織の教義など、当然、信じてはいない。ただ、力が必要だった。 クロムウェルの組織の中で、少しでも高い地位へ上がり、ゆくゆくは組織の力を利用して、ガリア王家に戦いを挑む......。 「少しずつ頑張って......。ついに大きな作戦を任されたのです。『写本』を手に入れる......。これに成功したら、わたくしも組織の大幹部になったでしょうに......。あのマゼンダさんすら越える、高い地位に......」 ジルを追ってサビエラ村に辿り着いたリュシー=エルザは、キメラドラゴン運用試験という別の任務も、同時におこなった。また、吸血鬼として『エサ』を必要としたため、村人や傭兵たちの誘拐も。 半ば陽動として、それらに人々の目を引きつけておいて、本命であるジルへの接近を試みる......。 これが、一連の事件の真相であった。 「ええ、たしかに『写本』は手に入れました。でも......わたくし自身がやられてしまっては......意味ないですわね」 自嘲の言葉を吐く吸血鬼。しかしリュシー=エルザには、もう自身を笑い飛ばす力すら残っていなかった。 最後に彼女は、まるで遺志を託すかのように、小さな手をタバサに伸ばした。 「シャルロット様。あなたならば......いつかきっと、復讐を成し遂げることができるでしょう。......お願いします。どうか......あなたのお父上と......わたくしの父の......仇を......。あの憎きガリア王ジョゼフを......」 それが限界であった。 彼女の手が、ストンと地面に落ちる。 こうして。 吸血鬼リュシー=エルザは、息を引き取った。 ......無能王ジョゼフが既に滅んだことを、知らぬまま。 ######################## 暗黒の洞窟から出て、鬱蒼とした森も抜けて。 三人の女性は、竜の待つ場所まで戻ってきた。 「きゅい! きゅいきゅい!」 騒がしいシルフィード。 アズーロの姿が見えないところを見ると、ジュリオが乗って行ったのか。ならばシルフィードには、タバサに報告したい話もあるに違いない。 「......あとで。もう少し待って」 「きゅい......」 言葉を交わす主従を見て、ジルが声をかける。 「いいよ。先に行きな」 タバサは、まだ『写本』を追うつもりだ。それが判ったから、ジルは、ここでタバサと別れるつもりだった。 「なんだか知らないけど......。あたしたちは、歩いて村に戻るさ」 ブレオンも、ジルに賛成する。実際には、徒歩で移動したら大変なので、どこかで馬か何かを借りることになるだろう。が、ともかく、これ以上タバサの世話になる必要はない。 「......わかった。ありがとう」 「あ! ちょっと待って......」 竜の背に乗ろうとしたタバサに、ジルが駆け寄った。 体を近づけて、小声で。 「さっきの話さ。聞かなかったことにしておくよ」 リュシーの告白の中には、タバサが実は王族であるという内容も含まれていた。 気絶していたブレオンは聞いていない。ジルさえ知らないフリをすれば、秘密は保たれるのだ。 「......そうしてもらえると助かる」 タバサは頷いた。 それから、あらためて、ジルとブレオンにペコリと頭を下げる。タバサなりの、別れの挨拶だった。 「きゅい!」 シルフィードも、ひと鳴きして......。 主従は、空へと消えていった。 竜の青が空の青さに溶け込んで、やがて、姿が見えなくなる。 「......行っちゃったね」 「ああ。あたしたちも、帰ろうか」 ジルとブレオンも歩き出した。 しかし数歩も進まぬうちに......。 「おい、ジル! どうしたんだ!?」 ジルが突然、倒れてしまったのだ。 ブレオンはジルを揺さぶるが、まったく反応はない。 それどころか、息もしていなかった。 「......死んでる」 ジュリオから与えられた魔力が切れて、かりそめの命の灯火が消えたのである。 当然、そんな事情をブレオンは知らない。ただ空を見上げて、叫ぶしかなかった。 「なんで......!? なんでなんだよう!」 ######################## ブレオンの声が届かぬ遥か先を、タバサはシルフィードに乗って飛んでいる。 「きゅいきゅい!」 「......もう喋っていい」 「きゅい! 色々あったのね! さっきも、あの恐い神官だけが戻ってきて......」 ジルの死をタバサが知るすべはない。 何も知らずに、タバサは『写本』を追う。 そこには、心を取り戻す秘法が書かれているかもしれない......という淡い期待を胸にして。 外伝タバサの冒険「タバサと獣神官と暗殺者」完 (第四部「トリスタニア動乱」及び第五部「くろがねの魔獣」へつづく) |
......まさにそれは突然だった。 「ルイズ・フランソワーズ、かくごぉぉっ!」 「ひょえええっ!?」 とっさに身を引く私の鼻先を、魔法の矢がかすめていった。 「なっ、なっ、な......」 あやうくひっくりかえるところだったが、それでもなんとかバランスを立て直し、椅子から立ち上がって相手の方に体を向ける。 小さな街の、小さなお店。クックベリーパイがメニューにあったので注文してみたら、田舎町とは思えぬ素晴らしい出来映え。あっというまに半分食べてしまい、さて残りは少しゆっくり味わおうか......と思った矢先の攻撃である。 「どうせ、こういう馬鹿なことをするのはキュルケ......」 まだサイトを召喚していなかったが、既にキュルケは旅の連れ......という時期の話である。そのキュルケは、少し前にフラッといなくなっていた。だから、てっきりキュルケが、彼女流の再会の挨拶をかましてきたと思ったが......。 キュルケではなかった。 見れば相手は、私より十歳くらい年上の女性。格好からすると、貴族のメイジのようだ。 「......いきなり何なのよっ!」 「黙りなさいっ!」 彼女は、キッと私を睨みつける。 黒髪をひっつめ、眼鏡をかけた妙齢の女性。魔法修業の実戦よりも、屋内での魔法研究が向いていそうな面構えだが、眼鏡の奥の瞳は燃えている。 「兄のカタキ、覚悟!」 「ちょっ、ちょっと!?」 彼女の杖から繰り出される水の鞭。それを避けながら、私は店の外に飛び出した。 ちちぃっ! まだクックベリーパイ半分しか食べてないのに! でも私と違って逃げられないクックベリーパイさんは、水の魔法で、もうベチョベチョ。 許せん! クックベリーパイさんのカタキ! 「『ゼロ』のルイズの実力......思い知らせてやるわ!」 昼の日中の大通り。それでも少し走れば、ある程度スペースのある場所まで辿り着く。 そこでクルッと体を反転させて。 「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ハガラース......」 「それは......『氷嵐(アイス・ストーム)』の呪文! トライアングルスペルじゃないの!?」 うん。 あんたが水系統のメイジみたいだから、私もそれ系の魔法を唱えてみた。あいにく、私が使うと全く別の魔法になるけど。 ちゅどーん! 「きゃあああああああああ」 黒コゲになった彼女が、空高く吹き飛んでいく。 「......安心しなさい。峰打ちよ」 爆発魔法に峰打ちも何もあったもんじゃないが、そういう気分である。まともに直撃させるのではなく、足下で炸裂させたはずだから。......まあ実際には、ちょっとばかし当たっちゃったみたいだけど。 これが、名前も聞きそびれた女メイジの見納めであった......。 ######################## ......とは、ならなかった。 「また見つけたわ、ルイズ・フランソワーズ! 今度こそ、覚悟!」 私がそれに会ったのは、海辺の街道でのことである。 潮風が、心地良く鼻をくすぐる。 おひさまもぽかぽかとあったかい。 季節はもう初夏。 キュルケがいつもやっていたように、シャツのボタンを胸元まで開けたくなるような季節である。 そんな陽気の中、それは体中を当て木と包帯でグルグル巻きにし、両手に持った二本の杖でなんとか体を支えながら、街路樹の木陰に立っていた。 見ているだけで暑っ苦しい。顔も包帯でグルグルだから、見覚えも何もあったもんじゃない。なんとなく正体は予想がついたが、一応、聞いてみる。 「......誰だっけ?」 「忘れたとは言わさないわ! ヴァレリーよ、ヴァレリー!」 「ヴァレリーって......誰?」 ザザーン......。波の音が遠くに響く。 「あなたに兄を殺されたヴァレリーよ!」 「ああ、やっぱり。あんたなのね」 最初から、そう言ってくれればよかったのに。 ......といっても、仇討ちの対象になるような事など、したことない。ただ、私をカタキと思う女メイジがいたのは覚えている。だから、彼女なのだろう。 まさか「兄のカタキ!」と私を狙う女が、そんなにウジャウジャいるとも思えんし。 「今日こそは逃がさないわ! 私の得意の水魔法で......」 言うなり呪文を唱え始めるヴァレリー。 でも。 「......あれ? 杖......どうしよう」 うん。 ヴァレリーは両手の杖で体を支えているので、それを振り上げることも振り下ろすことも出来ない。そもそも、それは医療用の杖であって、メイジの杖ではない。いくらヴァレリーが変人であっても、さすがに松葉杖とは契約してないだろう。 「えーっと......」 とまどう彼女に、私はテクテクと歩み寄り。 コキン! 彼女の杖に軽く足払いをかける。 ペテッ! あっさり倒れるヴァレリー。 「ちょっと! 何すんのよ!?」 ジタバタジタバタ。当て木が邪魔して、自分で起き上がることすらできないらしい。 「助けて......。ルイズ......」 おおヴァレリー、カタキに助けてもらうとは情けない。 ......なんて私は言わない。 そもそも、助けてあげなかった。 「お願い......」 「知らんわい!」 何やらわめき続ける彼女を見捨てて、私は、次の宿場街へと歩き出す......。 ######################## 「またまた見つけたわ、ルイズ・フランソワーズ! 今度の今度こそ、覚悟!」 私はそこの露天で買った、桃りんごジュースを一気に吹き出した。 いやいやながら彼女と三度目の遭遇を果たしたのは、前回から十日ばかりが過ぎた、ある街の中でのこと。 「......汚いわねえ。あなた貴族でしょう?」 眉をひそめて言うヴァレリー。 「やかまひいっ! 誰のせいだと思ってるのよっ!」 「はあ? どういう意味よ......。誤摩化そうとしても、そうはいかないわ。......それに! すっかり傷の癒えた今、もう二度とあんな卑怯な手は通用しないわよ!?」 彼女が自分で宣言したとおり。 今日のヴァレリーは、もう、ケガ人スタイルではない。 黒いマントに、白いブラウス。これでグレーのプリーツスカートならば典型的な学生メイジだが、残念ながら彼女は学生という年齢ではない。ロングブーツの上端が隠れるくらいの、長い紫色のスカートを履いていた。 くにの姉ちゃんを思い出させる服装である。 「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール! あなたも貴族なら貴族らしく、正々堂々と私に討たれなさい!」 げ。 こんなところで、私のフルネームを叫ばんでくれ。 ......と思っていたら。 バシャ! バシャシャシャシャッ! いきなり大量の『水』が降ってきた! ヴァレリーの先制攻撃だ。 ぜんぜん正々堂々じゃねえええ! 「どうよ! 私の『ウォーターフォール』の威力は!? これなら、あなたでも避けられないでしょう!?」 うん、たしかに回避不能。私は、頭からびしょ濡れになっていた。 ......痛くも痒くもないけど。 もともと彼女、兄の仇討ちって言ってたけど、こんなんでいいのだろうか。なんだか私に魔法を命中させることに特化しすぎて、すでに目的を見失っている気が......。 そもそも。 「何するんだ、このアマ!」 「商売もんをあんなにしちまって! 一体この始末、どうつけてくれるってんだい!」 「いくら貴族でも、やっていいことと悪いことがあるぞ!」 ここは屋台や露天商がズラリと並んだ大通り。 私以上に迷惑をこうむった人々が、ほら、たくさん。 こわいおっちゃんたちは、ヴァレリーを取り囲み、ズイッと迫る。 皆それぞれ、濡れて駄目になった売り物を手にしているが......。水を吸った手ぬぐいって、叩かれると結構痛いのよね。時代物のお芝居でやってたのを見た事がある。 「ひ......ひええ......」 ヴァレリーは貴族、彼らは平民。だが彼らの迫力に気押されて、ヴァレリーは思わず後ずさり。 「でも......」 「でももへったくれもあるもんかいっ! このかりは、きちんと働いて返してもらうからなっ!」 貴族に対しても譲らないところは譲らない。さすが商売人のおっちゃんたち。 さいわい、かたぎの人たちである。「ねえちゃん、体で支払ってもらおうか。グヘヘヘへ」なあんて事態には、ならなそう。よかったねヴァレリー、あんたの貞操は無事に守られそうよ。 「だって......私......」 それでも泣きそうなヴァレリーは、チラリと私を振り返る。 ......知らん、知らん。 「つけ狙われて困っていたところなんです。みなさん、煮るなり焼くなり、どうぞお好きに。......それでは私はこれで」 言ってニッコリ微笑むと、一同に反論の機を与えぬうちに、クルリと背を向けて歩き出す。私も共犯だと思われては、たまったもんじゃないからだ。 「......さあっ! お前はこっちだっ!」 「とっとと働けっ!」 「まずは......」 「ひわーっ! かんべんーっ!」 背中にヴァレリーの悲鳴を聞きつつ、私は足早にその街をあとにした。 ......どうせまた、やってくるんだろうなあ、彼女。 ######################## 「ルイズ・フランソワーズ! 今度の今度の今度こそ、覚悟しなさい!」 あだ討ちヴァレリーとの第四ラウンド。 私は、またも屋台で買い食い中だった。 極楽鳥の串焼き......といっても、たぶん本当は違う鳥だと思う。一口サイズに切ってあるので正体不明。でも美味しいからOK! 三切れまとめて串に刺し、甘辛のタレで味つけして焼いたシロモノだ。鳥肉と鳥肉の間にはハシバミ草が挟まっているが、火を通すことで苦みも緩和され、ほどよいアクセントになっている。 「ひょっほはっへ(ちょっとまって)......」 前回とは違って、今度は吹き出すこともなく。 ちゃんと全部ゴックンしてから、私は彼女と対峙する。 律儀に待ってくれた彼女は、私をピシッと指さして。 「今までは三回とも逃げられたけど! 今度はそうはいかないわよ!」 あれを『逃げた』と言うのだろうか? ヴァレリーの常識では......。 「......けどあんた、あの街で壊したもの、ちゃんと弁償したの? ずいぶん早く追いついたみたいだけど......」 「ああ、あれね。もちろんちゃんと弁償したわよ。雨具屋さんと組んで、私の『ウォーターフォール』で集中豪雨を引き起こしたら、もうバカ売れ!」 それって一種のマッチポンプ商法なのでは......。 しかし一応、ここは褒めておくべき。 「ほほぉぉう、なるほど! そのテがあったか。......うーん目のつけどころが違う!」 「いやあ、それほどでも......」 照れるヴァレリー。私の世辞を真に受けている。 「うーむ、私も今度やってみよ。......じゃあ、また何か新しい商売の方法、思いついたら教えてね」 私は手を振ると、クルリと彼女に背を向ける。 「うん、わかった」 手を振り返すヴァレリー。 ......。 その笑みが引きつる。 「ちょっと待ちなさいっ! 違うでしょーがっ!」 あ、さすがに気がついたか。 「さすがにルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。あやうくまたも引っかかるところだったわ」 「......さすがも何も、普通はこんなもんに引っかかったりしないと思うけど......」 「おだまり! 人間を相手にすんのは苦手なのよ!」 ......って。 この人、じゃあ何を相手にすれば得意なんだか。 「ともあれ、決着の時は来たのよ!」 このヴァレリーという人、さっきから大声で叫び過ぎである。 私は当然のように美少女だし、彼女だって少しトウが立ってはいるが、美人の部類に入る。そんな二人が真っ昼間の大通りで騒いでいれば、注目の的。 大道芸か何かだと誤解した群衆が、ワラワラと集まってきて、ヤジも飛ばしてくる。 ヴァレリーは気にしていない――あるいは気づいていない――ようだが、私は、少し恥ずかしい。 ならば。 「......わかったわ」 ふうっと小さく息をつきながら。 「でも、こんな街の真ん中で戦うわけにもいかないでしょ。......いい!? よく聞きなさい!」 私はビシッと人さし指を一本立てる。 「今日、夕日が海に沈む頃、この街の波止場に来なさい! いい? 必ずよ!」 二人の間に流れる静寂。 やじ馬たちも、シーンとする。 やがて。 「......いいでしょう、ルイズ。せいぜい覚悟しておきなさい」 マントを風に遊ばせながら、ヴァレリーはきびすを返して。 人ごみの中に消えていった。 「はあ......」 ホッとする私。 ......誤解のないように説明しておくと、私は『波止場に来い』って言っただけで、『待ってる』とか『決着をつけよう』などとは一言も口にしていない。 だから波止場に行く必要はないし、彼女は一生そこで待ちぼうけ。 「......これで終わったのね」 ふと仰ぎ見れば、空はどこまでも青かった。 清々しい気分だ。 ヴァレリーのことなど忘れて、私は歩き出した。 ######################## 翌日。 静かな海を眺めながら、私は海岸通りの道を歩いていた。浜辺では子供が数人、じゃれ合っているのが見える。 そんな穏やかな景色を破って。 「もう逃がさないわよ、ルイズ・フランソワーズ!」 あだ討ちヴァレリー、再登場。 「ルイズ・フランソワーズ......? 私、ヴァネッサですけど......?」 「......え?」 ヴァレリーの顔に、とまどいの色が浮かんだ。 それもそのはず。今の私は、目立つ桃色の髪を、魔法の染料でくすんだ茶色に変えているのだ。 昨日ベッドに入る頃には彼女のことも忘れていたが、今朝になったら思い出してしまい、「どうせまた来るんだろうなあ」という気になった。だから、こうして変装しておいたのである。 「人違い......かしら? でも......」 「ごめんなさい。私、急ぎますので。では......」 立ちすくむヴァレリーに軽く会釈して、私は歩き出す。 ちょっとした変装でも、表情や声色などを変えれば、効果はバッチリ。女は生まれついての女優なのだ。タニアリージュ・ロワイヤル座の人気女優ノール・イールも言っているではないか、「女性は誰でも『千の仮面を持つ少女』」と。 まして相手はヴァレリーだ。すっかり彼女は騙されたらしい。 ......と思っていたら。 「待ちなさい、ちびルイズ」 ビクッと反応してしまう私。 だって『ちびルイズ』っていうのは、くにの姉ちゃんが使う呼び方なのだ。ヴァレリーが姉ちゃんと知り合いのわけないから、偶然の一致だと思うけど......。 「やっぱり! あなた、ルイズなのね!」 仕方なく振り返った私に、ヴァレリーの愚痴が飛ぶ。 「......あなたが昨日あの場に来なかったせいで、集まったやじ馬たちにゴミ投げられるわ風邪ひくわ! さいわい私は水魔法の専門家だから、風邪は簡単に治せたけど!」 水魔法の専門家って......。そんなまた、たいそうな言い方を。 基本的には魔法は四系統なのだから、『水』を得意とするメイジはゴマンといるっちゅうに。 「今日という今日は、兄のためにあなたを倒す! ......だって、もらった休暇もそろそろ終わり。来週には王立魔法研究所(アカデミー)に戻らなきゃいけないから......」 そうか、そうか。 この人、職場から休みをもらって、その期間で仇討ちを頑張っているのか。ご苦労なことで......。 って聞き流していたが、ちょっと待て。 「えっ!? ヴァレリーあんた、魔法研究所(アカデミー)の職員だったの!?」 「......そうよ。こう見えても私は、王立魔法研究所(アカデミー)の主席研究員の一人。水魔法を用いた魔法薬(ポーション)の研究をしているわ」 私は目が丸くなった。 魔法研究所(アカデミー)の主席研究員ということは......姉ちゃんと同じではないか! 「まさか......エレオノール姉さまの知り合い......?」 私は茫然として、思わず口に出してしまった。 それを聞いた彼女は、ポンと手を叩いて。 「今まで気づかなかったけど......。ラ・ヴァリエールの末娘ってことは、あなた、エレオノールの妹なのね。......そうか。じゃあ、この仇討ちの話も、まずはエレオノールに相談するべきだったのかしら」 「ちょっと待てえええええ!」 私が大声で叫ぶ番だった。 身に覚えなどないが、それでも姉ちゃんの耳に入るのは困る。家名に泥を塗ったとか貴族の名誉を汚したとか何とか言って、姉ちゃん、激怒しそうだから。 まずい。とってもまずい。何としても阻止しなければ。 しかし姉ちゃんの同僚であるというなら、アッサリ抹殺するわけにもいかんし......。 「わかった! 逃げない! 今日は逃げない! でもヴァレリー、いきなり戦う前に、まずは事情を説明して!」 「事情も何も......。あなたは兄のカタキよ」 「待って! そこんとこ詳しく!」 世間の常識に疎い学者馬鹿かもしれないが、それでも一応は魔法研究所(アカデミー)の主席研究員。まんざら話の通じない相手でもないらしい。 仇討ちであるならば、たしかに、ある程度の説明は必要と思ったようで。 ヴァレリーは語り始めた。 ######################## 彼女の話によると。 半年前、彼女の兄が一人のメイジに殺された。 即死ではなかったが、彼女が駆けつけた時には、既に虫の息。 誰にやられたかと尋ねる彼女の腕の中。彼は最期に、こう言いのこした。 『......お前たちもよく知っている......あの......ラ・ヴァリエールの末娘の......』 「......そこで兄は、こと切れたのよ」 うーむ。 確かにうちの家は有名だし、末娘は私だが、メイジ殺しなんてしていない。時期的には私が旅に出た後なので、盗賊や野盗やモンスターならば殺していても不思議ではないが、ヴァレリーの兄さんは普通の貴族のはず。 「ねえ、ヴァレリー。そのお兄さんの言葉以外に......私が犯人だって証拠があるの?」 「......まだ言い逃れする気? ならば......ここに目撃証言もあるわ!」 険悪な表情で、ヴァレリーは懐から羊皮紙の束を取り出す。 彼女自身で調べ上げたものだろうか。あらためて私の前で、読み上げ始めた。 「長身の......」 ......ん? 自慢じゃないが、ちびと言われることはあっても、背が高いなぞと言われたことは一度もない。 「黒マントをまとった人物で......」 そりゃあメイジなら誰だって大抵......。 「常に白い仮面で顔を隠しているが......」 女は誰でも千の仮面を持つ女優。つい最近そう思ったこともあるが、それは比喩表現。現物の仮面なんて、かぶっちゃいない。 私の顔は、どう見ても素顔である。 「隙間から見える限りで察するに、なかなかの美男子」 ......おい。 「ちょっと待てい、おばちゃん」 私はジト目で彼女を睨んだが、ヴァレリーは気にせずメモを読み続ける。 「仮面から時々はみ出る、おヒゲもチャーミング......」 ヴァレリーは、ようやく顔を上げて、私を見つめた。 それから、困ったように眉をしかめる。 「......全然違うわね」 「何を考えてのんよっ! 何をっ!」 「待って! まだ情報が!」 再び羊皮紙に目を落として。 「......そのメイジは、様々な白仮面を所有することから『千の仮面を持つメイジ』と呼ばれ、また、グリフォンに騎乗することから『仮面のグリフォンライダー』とも呼ばれる......」 「わかった!? どう見ても私じゃないでしょう!?」 グイッと詰め寄る私。 しかしヴァレリーは何も答えず、スッと手を伸ばして来た。 ......今さら和解の握手のつもりだろうか? そう考えた私が甘かった。 「痛っ!」 いきなり左手をつねってきたのだ。 「何すんのよ!?」 「ごめんなさい! でも......たしかめたかったから。ほら、そのメイジの左手は義手......って書いてあるの。『銀の機械の腕をふるって、海を山をふるさとを荒し回る』って。その義手も五種類あって、それを付け替えることで、どんな敵とも戦えるんですって」 「そこまで情報を集めといて、何でそれを私だと思うのよ!? ......とにかく! これで私がお兄さんのカタキなんかじゃないって判ったでしょ!?」 「......まあ、ね。ごめん......」 彼女は、わりと素直に謝った。 ######################## 立ち話も何なので、海辺で座って話をする私とヴァレリー。 夏の真っ盛りには屋外レストランになるのであろうが、海水浴で賑わう季節は、もう少し先だ。営業していない店先のテーブルと椅子を、私たちは無断借用していた。ビーチパラソルもついていて、なかなか快適である。 「そう言えば......」 近くの屋台で買ってきたレモン果汁入り炭酸水を飲みながら、ヴァレリーが言う。 「私この街で、白い仮面をかぶった黒マントのメイジを見たわ。昨日のことよ」 「この街で!?」 「ええ。ちょっと気になったけど、グリフォンじゃなくてドラゴンに乗っていたから『仮面のグリフォンライダー』ではないし......。それに、あなたとの決闘のために波止場へ向かう途中だったから......」 彼女は、ちょっと小首をかしげて、眼鏡のつるに指を当てながら。 「......でも今にしてみると、あいつ、怪しいわね」 「今にして思わなくても、それは十分に怪しいでしょ!?」 私は叫んでしまった。 まったく、この人は......。 こんなのが王立魔法研究所(アカデミー)の研究員では、トリステインの未来も明るくないぞ。姉ちゃん頑張れと心の中で応援してしまう。 「ともあれ......」 私は痛む頭を押さえながら言った。 「そいつを探すのはとりあえず午後ということにして、とりあえず、どこかでお昼にしましょう」 「え......」 ヴァレリーは、私の前に並んだ空き皿にチラッと目をやる。洋梨のケーキやら蛇苺のシャーベットやら、皿にのっていたデザートは全て私のお腹の中だ。 一瞬「まだ食べるの?」という目になったが、彼女だって若い女性。デザートは別腹ということは理解している。 「......そうね。どこかで海の幸でも食べましょうか」 こうして。 私は彼女の仇探しを手伝うことになった。 別に頼まれたわけでもないが、姉ちゃんの知り合いだっていうんだから、協力してやらないとなあ。ヴァレリーだけだと、また無関係の別人を襲いそうだし......。 ######################## 昼食の後......。 男はアッサリと見つかった。 白い仮面の黒いやつ知らないか、と聞いて回ったところ、簡単に足どりが判明したのだ。 「いたわ! あいつよ!」 ヴァレリーが声を上げる。 見ると、広々とした砂浜を一人の男がトボトボと歩いている。......グリフォンだかドラゴンだかは、どうしたのだろう? 「行くわよ!」 私が言うより早く、彼女は駆け出していた。 「待ちなさい! そこの変な仮面!」 ヴァレリーの声で立ち止まって振り返る男。 そろそろ暑い季節だから、夏用なのだろうか。白い仮面は顔の上半分しか隠しておらず、凛々しい長い口髭が、よく目立っていた。 頭には羽帽子をかぶり、黒いマントの胸にはグリフォンをかたどった刺繍が施されている。 こいつ......ひょっとすると......!? 「......僕のことかな? しかし『変な仮面』とは失礼ですね、レディ」 ヴァレリーに文句を言った後、わずかに遅れて辿り着いた私を見て。 「おや? 君は......もしかして......。いや違うな、髪の色が異なる。......よく似た別人か」 顎に手を当てて少し考え込んだ様子だが、なんだか一人で納得している。 私の髪は、今朝安宿の部屋で染めたまま、元に戻していないわけだが......。今は黙っている方が良さそうだ。 「『千の仮面を持つメイジ』! 兄のカタキ! 覚悟!」 ヴァレリーが杖を振り、水の鞭が白仮面に襲いかかる。 しかし男は、体を捻って、軽く回避。 「......何だか知らんが、仇討ちかね? この『千の仮面(サウザンド)』に杖を向けるとは愚かな......。身の程をわきまえたまえ!」 自称『千の仮面(サウザンド)』も杖を構える。細身の杖ではあるが、フェンシングの剣のようにも使える軍杖だ。 まずい! 見る者が見ればわかる。この男......できる! ヴァレリーだけでは、絶対に返り討ちにあうぞ!? 慌てて私も杖を構えるが、その間に『千の仮面(サウザンド)』は呪文詠唱を。 「ユビキタス・デル・ウィンデ......」 呪文が完成すると、『千の仮面(サウザンド)』の体が分身した。 一つ、二つ、三つ、四つ......。本体と合わせて五体の『千の仮面(サウザンド)』が、私たち二人を取り囲む。 「何よ、これ!? スクウェア・スペルの『偏在』じゃないの! しかも......四つも!?」 「そうよ! あんたがかなう相手じゃないわ! あきらめなさい!」 ヒィッと悲鳴を上げるヴァレリーに、状況を再認識させる。 だが。 「逃がさないよ、お嬢さんたち。僕に杖を向けた以上は......少し痛い目にあってもらおう」 宣言と同時に、五つの『千の仮面(サウザンド)』が走り始めた。 私たちの周りを、右回りに円を描いて。 「フフフ......。これで逃げられまい! しかも、どれが『偏在』でどれが本物の僕か、もうわからないだろう!?」 言いながら、回る速度を少しずつ上げている。全く同じ姿形なので、たしかに、どれが本体なのか判別できない。 それだけではない。円の中心である私たちが動けば、『千の仮面(サウザンド)』たちの軌道が描く円もまた、それに動きを合わせる。 ......ということなのだろうが。 「馬鹿ね......」 私は、小さくつぶやいた。 この男......。 おそらくアウトローな生き方をしているうちに、腕が鈍ったか。こんな大道芸のような戦い方じゃなくて、まともに戦えば強いだろうに。......それも、もはや過去の話なのね。 私は、声に憐れみの色すら浮かべつつ。 「せめて......これで倒してあげる!」 私が唱えた呪文は『ライトニング・クラウド』。たぶん『千の仮面(サウザンド)』の得意技の一つだったんだろうな......と思う魔法だ。 しかしもちろん、私が使えば爆発魔法に早変わり。 ちゅどーん! 五人のうちの一人に直撃した『爆発』は、それだけでは収まらず......。 「うわあああああ!」 残りの四人――その『爆発』に自ら飛び込む四人――をも巻き込んだ。 「......え? 何......これ......」 私の隣で、目が点になるヴァレリー。 肩をすくめて、私が解説する。 「あのスピードじゃ、急に止まれるわけないでしょ。本体も『偏在』も、みんな同じ円の上を回っているわけだから、その一カ所に魔法をぶち込んでやれば、それでおしまい。止まりそびれて、自分から飛び込んじゃうの。......これがホントの自爆ってやつね」 四つの『偏在』は全て消滅していた。黒コゲの『千の仮面(サウザンド)』本体だけが、不自然な体勢で手足を突き出し、ピクピクしている。 「......ま、まあ、いいわ。ともかく......。兄さん、カタキは私が立派に討ち果たしました......」 「あんたは何もやってないでしょうが」 私のツッコミなど聞こえないフリをして、ヴァレリーは『千の仮面(サウザンド)』に歩み寄る。 「......ん? 何するつもり......?」 「いや、せっかくだから、仮面を外して、素顔を見ておこうかな、って......」 そう言って手を伸ばすヴァレリー。 ......大変だ! 「ストップ!」 大声で叫びながら、私は、彼女の体を引き戻した。 「危ないから、やめなさい!」 「......え? 何で?」 「だって......」 急いで頭を回転させる私。 「ほら! こいつ、反撃してくるかもしれないわ! やられたフリをして、相手の隙をうかがう......。昔から、悪人がよく使う手口でしょ!?」 「言われてみれば......」 説得に成功した! 「だから......私にまかせて!」 ヴァレリーと共に、少し距離をとってから。 再び爆発魔法を詠唱。 周囲の砂浜ごと吹き飛ばされた『千の仮面(サウザンド)』は、空高くに飛んでいき、完全に姿が見えなくなる。 「......これでよし!」 私は、ヴァレリーに笑顔を向けた。 ######################## 「ごめんね、ルイズ......。あなたには色々と世話になって......」 町外れで、私とヴァレリーは別れることになった。 仇討ちも無事に終了したので、彼女は王立魔法研究所(アカデミー)に戻るらしい。 この様子ならば......。今回の一件、彼女は姉ちゃんには喋らないだろう。めでたしめでたしである。 「気にしないで。姉さまの友だちの手助けができて、私も嬉しいわ」 「ありがとう。そう言ってもらえると、助かるわ」 あの『千の仮面(サウザンド)』、正体を知らないヴァレリーは「死んだ」と考えているようだ。あれくらいじゃ死んでないと私は思うけど。 そう、私は理解していた。今にして思えば、ヴァレリーの兄さんが死ぬ時に言いたかったのは、『ラ・ヴァリエールの末娘の......ルイズ』ではなく『ラ・ヴァリエールの末娘の......元婚約者』だったに違いない。 恥ずかしながら、私の昔の婚約者は、トリステインを裏切りアルビオン反乱政府のスパイをしていた男。それがバレて逃亡したのだが......。『千の仮面(サウザンド)』のいくつかの特徴が、彼にピッタリ合致していたのだ。 だから『千の仮面(サウザンド)』の正体を知られたくなかったわけである。あんな変な奴と婚約していただなんて、考えただけでもゾッとする......。 「......それじゃ、元気でね。姉さまによろしく」 「ええ、あなたも元気で」 ふわりとマントをたなびかせ、私は歩き出そうとしたが。 ふと思いついて尋ねた。 「余計なことだけど......。ところでヴァレリーのお兄さんって、なんであいつに殺されたの?」 「そう......」 彼女は寂しそうな笑みを浮かべると、遠い目をして語り始めた。 「私がいけなかったの。研究心が加速して、作ってしまったポーション。天才の私だからこそ作れた、魔力を増すポーション」 「......え?」 質問とは違う答えが返ってきたような気がするが、これはこれで凄い話だぞ!? 魔力を強める魔法薬......。本当に作り上げたのだとしたら、このヴァレリー、さすが魔法研究所(アカデミー)の主席研究員である。 「......でも、あまりデキのいいものじゃなかったの」 「どういうこと?」 ちょっと話に引き込まれてしまう私。 「確かに魔力は高まるのだけど......。ほら、魔力って感情に左右されるじゃない?」 私は頷く。 「感情をも強めてしまうのよ。怒り、喜び、悲しみ......。普通の精神力じゃ耐えられないくらいに、感情を高ぶらせてしまうの。だから、それを飲んだ兄さんは......通りすがりのあいつを後ろから......」 「ちょ、ちょっと待ったっ!」 私は慌てて彼女を制した。 「や......やっぱし、聞かないことにしとくわ、その話......」 「え? ようやく背景説明が終わって、ここからが本題なんだけど......」 彼女は不思議そうな顔をする。 ああああああっ!? まさか立派な逆恨み、なんてことは......。 あいつ昔は悪人だったけど、今では単なる変な奴だったのでは......。 ......いや! いったん悪の道に落ちた奴が、簡単に更生するわけがない! 間違いなく今でも悪人なんだ! そーだ、そーに決まった! 「何を一人で悩んでるわけ?」 「いやぁぁ、べぇぇつにぃぃ! ......そいじゃあ、さいならっ!」 私は引きつった笑みを浮かべながら、逃げるように歩き去った。 ......教訓。やっぱり私の家族の周りには、ロクなやつがいない。 (「千の仮面を持つメイジ」完) |