原作では言及されただけのキャラを主人公とした短編
『乙女の眠る氷室にて』
主人公;氷室神社の先代
(form 早苗の父親のセリフ in「スリーピング・ビューティー!!」)
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『乙女の眠る氷室にて』

 そのほこらは、切り立った崖の中腹に存在していた。小さな洞窟の中に、山の女神が祀られているのだ。
 1970年代も、既に半ばを過ぎていた。つい最近まで高度経済成長などと騒がれていた、そんな時代だ。都会では急激な変化も多かったが、この辺り一帯は、まだ昔のままだった。
 今、そこを一人の男が訪れる。立派な顎髭をたくわえた、白髪頭の老人である。

(さてさて......)

 入り口の鳥居が示しているように、ここは、彼の神社が管理する場所であった。神社の人間は、屋敷の裏庭から続く細道を通ってやってくる。他のルートで......例えば崖を降りて来るのは大変なのだが、そうやって洞窟に辿り着く者もいるらしい。
 しかし、本来ならば関係者以外が入ってよい場所ではなかった。だから、老人は時々、見回りにくるのだ。
 さらに、今回は、もう一つ別の理由もあった。

(......外は大丈夫のようだ)

 彼は、昨夜の地震が心配だったのだ。
 ほこらが作られたのは、もう200年も300年も昔の話だ。それ以来、この地域が大きな地震に見舞われることはなかったが、しょせん日本は地震の多い国。小さなものは、数えきれないくらいあっただろう。
 昨日の地震も、その一つ。たいした規模ではなかったが、それでも気になったのだった。

(おや......?)

 洞窟に入ろうとした老人の表情が変わる。妙にひんやりとしているのだ。
 胸さわぎを感じながら、彼は、中へと足を進めた。




    乙女の眠る氷室にて




 この洞窟に入った者は、まず、驚くだろう。入り口と比べて、内部は、かなり大きいのだ。
 天井も高いし、横幅も広い。ただし奥行きは、それほどでもない。ややアンバランスな構造となっていた。
 それもそのはず。洞窟の突き当たりの岩壁の、その裏側にこそ、重大な秘密が隠されていたのだが......。

(外とは違って......
 中は崩れてしまったのか)

 と、老人が呟いたように。
 地震で岩が崩れ落ち、今、その『秘密』が外気にさらされていた。
 それは、大きな大きな氷の塊。岩崩れがあったとはいえ、完全に剥き出しになったわけではない。それでも、氷の中に閉じこめられたものが知られてしまうには、十分だった。

(これは......早く
 修復しないといけないな)

 秘密保持の意味だけではない。空気に触れたままでは、氷が溶けてしまうかもしれない。それは......絶対に許されないことだ。
 そう考えて、きびすを返そうとした時。

「氷室だ!
 ......本物の氷室だ!!」

 入り口から、子供の声が飛んできた。


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 少年がここに辿り着いたのは、半ば偶然だった。
 大自然の山の中を歩き回ることが大好きな少年。何もなくても、ちょっとした冒険気分を味わえるからだ。草木をかき分けて道なき道を進むのもワクワクするし、真っ暗な洞窟に入って行くのもドキドキする。
 今日は、いつもとは反対側を――少年にとっての未開の地を――探索していた。そして、崖の途中に洞窟があるのが目に止まり、好奇心に導かれるまま、やって来たのだった。

(......なんだろう?
 この季節外れの寒さは!?)

 入った途端、思わずブルッと肩を震わせてしまう。だが、すぐに理由が判明した。

(すっげえぇ!
 こんなの......初めて見た!!)

 奥の壁の一部が崩れたり、ひび割れたりして、奥の奥が見えているのだが......。
 そこは、全て氷で埋まっているのだ。

(この洞窟って......
 天然の冷蔵庫だったのか!)

 機械文明が発達していなかった頃、人々は、苦労して氷を保存していた。そんな話を、以前に聞いたことがある。

(......えーっと。
 こういうの......なんて言うんだっけ?)

 一つの言葉が頭に浮かぶ。だから、思わず叫んでしまったのだ。

「氷室だ!
 ......本物の氷室だ!!」

 彼の言葉に反応したらしく、視界の片隅で何かが動く。
 少年は、ここで初めて、先客が居ることに気がついた。だが、そちらに意識を向ける暇はなかった。同時に、もっと驚くべき物を発見したからだ。

「お......女のコの遺体......!?」

 氷の中に......人間が封じ込められていたのだ!
 慌てて駆け寄った少年は、ジッと見つめる。

(うっわあぁ。
 何が何だか、よくわからないけど、
 ......とにかく、すっごく綺麗だ!)

 それは、巫女装束の少女だった。
 一点の穢れもない純白の衣をまとい、血のように鮮やかな緋色の袴を履いている。まず、そのコントラストが見事だった。
 もちろん、少女そのものも美しかった。ととのった顔立ちの、すらりとした美人......とでも形容すればよいのだろうか。
 少年よりは少し年上――十代半ばくらい――だろう。氷を通して見ているせいか、長い黒髪は、青っぽい光沢を伴っていた。
 目を閉じている姿は、まるで眠っているかのようだ。だが、こんな氷漬け状態では生きていられないことくらい、少年にも理解できていた。これは、保存された死体なのだ。生前の姿を維持しているだけなのだ。

(クラスの女の子とは......全然違うなぁ)

 ふと、現実の少女たちと比べてしまう。
 彼は小学生なのだが、高学年にもなってくると、少しずつ異性が気になり始めるものだ。ただし、まだまだ男女が仲良くするのは照れくさい......という微妙な年頃でもあった。

(すっげえぇなぁ......)

 シチュエーション補正も、働いていたのかもしれない。氷の中の美少女は、子供には目の毒になるほど、幻想的であり妖艶であり神秘的であった。
 黙って静かに、ジーッと見入っていたのだが......。

「おい、坊主。
 ......お前いったい何者だ?」

 横からの声により、少年の幸せな時間は強制終了した。


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「氷室だ!
 ......本物の氷室だ!!」

 その言葉を聞いて、老人は最初、名前を呼ばれたのかと思った。
 だが、すぐに誤解だと悟る。少年がこちらを無視しているからだ。
 少年は、ほこらの『秘密』の前で立ち止まり、

「お......女のコの遺体......!?」

 と叫んだきり、食い入るように見つめている。

(また無関係な者が
 来てしまったのか......。
 よりにもよって、こんな時に!)

 忌々しそうに顔をしかめる老人。
 早く戻って、修復する準備をしたいのだが、ここに少年を一人で残していくわけにもいかない。

「おい、坊主。
 ......お前いったい何者だ?」
「あっ......」

 少年の注意を引きつけることに成功したらしい。
 こちらを向いた少年は、老人の眼光の鋭さに怯んだようだが、それも一瞬。すぐに笑顔を取り戻し、目をキラキラさせて、逆に問いかけてきた。

「このおねーちゃんって、
 もしかして......おじいさんのお孫さん?」

 ずいぶんと罰当たりなことを口にする子供である。
 そもそも......。

(おじいさん......か)

 心の中で、苦笑する老人。
 外見が老けているため年寄り扱いされがちだが――この物語でも『老人』と呼称しているが――、彼は、こんなに大きな孫を持つ年齢ではなかったのだ。
 それどころか初孫すら、まだである。息子夫婦も、そろそろ子供が出来てもいい頃なのだが......。
 そんな内心は全く顔に出さず、表情を変えないまま、言葉を続けた。

「最初に......ワシの質問に答えろ。
 もう一度聞くぞ、坊主。
 お前は、いったい何者だ?」

 ここの『秘密』を知られたからといって、殺して口封じするというわけにもいかない。
 とりあえず相手のことをよく知って、それから対応策を検討しよう。それが老人の考えだった。急いでいる割には、悠長なものである。

「あ、そうか。
 まずは、名乗らなきゃ。
 僕は......」 

 ようやく、少年が自己紹介を始めた。


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(そうか......。
 一応、地元の子供なのだな)

 一通り聞き終わったので、考えてみる。
 少年は、山の麓の小学校に通っているそうだ。神社とは反対側だが、それでも、この山の人間と言えよう。
 ならば、この地方の伝説に関しても少しは知っているだろうし、きちんと言い含めれば大丈夫なはずだ。

「いいか、坊主。
 第一に......ここは氷室ではない。
 いつもは、こんなに寒くないのだ。
 第二に、これは......」

 と言って、少女の遺体を仰ぎ見る。

「......ワシの孫娘ではない。
 おそれ多くも、この山の女神様......
 その御本尊にあらせられるぞ!!」
「えっ!?
 これ......仏像だったの!?
 すっげえぇ、まるで本物の......」

 少年の知識では、御本尊イコール仏像ということらしい。まだ子供だから、仕方が無いのかもしれないが。

 パシッ!

 これは、老人が少年の頭を叩いた音である。
 仏の顔も三度までというが、そんなに我慢できなかったのだ。

「なんという罰当たりなことを......。
 作り物なわけがあるまい、
 これは......本物の女神様だ!!」
「本物の......女神......?」
「ああ、そうだ!
 おまえも知っているだろう、
 昔々、この辺り一帯は......」


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 元禄の頃、ここは死津喪比女という強力な地霊に荒らされていた。大地は揺れ、山は噴火し、人々は困りきっていた。
 江戸から高名な道士が招かれたが、完全に退治することは出来なかった。そこで、怪物を封じ込め、時間をかけて弱らせるという策を選んだ。しかし、それには代償が必要で......。

「......特殊な装置を稼働させるため、
 一人の巫女が、その命を捧げたのだ。
 そして......山の神となったのだ」

 老人は、そこで説明を終わりにした。
 ここまでは、保管してある古文書にもハッキリと記されている話である。だから話してもかまわないし、むしろ地元の者ならば知っていて当然と思ったのだが。

「へえぇ。
 そんな逸話があったのか......」
「な......なんだと......!?」

 少年にとっては、全くの初耳だったらしい。老人が思っているほど、伝説は人々に浸透していなかったのだ。
 さらに、ケロッとした表情で、とんでもない提案を持ちかけてきた。

「......こういう話は、
 埋もれさせたら良くないよね。
 ここをおおっぴらに宣伝して、
 観光名所にしたらどうだろう......?」

 バシッ!!

 老人は、再び少年を叩いてしまった。しかも、先ほどよりも少し強く。

「なんと罰当たりな......!
 ほこらを荒してはいかん!!
 こうして御遺体を保存してあるのは、
 ......何か意味があるのだ、たぶん」

 誤摩化しながら叫んだが、実は『たぶん』どころの話ではない。老人は、知っていたのだ。
 氷室神社の責任者として先代から色々引き継いだ際に、いくつかの道具と共に、極秘事項も伝えられている。
 その中に、このほこらの真相があった。しっかりと管理していくために、その重要性も教わっていたのだ。
 地下水脈が偶然凍りついたわけではなく、これも、道士の作った仕掛けの一環である。こうして巫女の遺体を保存することで、将来――邪悪な地霊が滅んだ後――彼女を蘇らせることが可能になるらしい......。

(その日が来るまでは、
 ソッとしておかねばならんのだ。
 ......そのためにも、御遺体は
 隠しておかねばならんのだが......。
 この坊主に、そこまで
 話してしまうわけにもいかん。
 さて、どう説き伏せるべきか......)

 そもそも、神社の者にも内緒にしているくらいである。古文書の記載より詳しい話は、一子相伝の秘密なのだ。この洞窟に女神の遺体があることすら、知っているのは老人だけだった。

「女神様がお休みになられている地だぞ。
 静かに秘密にしておいてこそ、
 御加護も得られるというものだ......」

 自分でも説明になっていないような気がしたが、どうやら、考え直してくれたらしい。
 少年は、頭を――叩かれた場所を――さすりながら、複雑な表情をしている。

「そうか......それもそうだね。
 みんなが殺到しちゃったら、
 女神様だってオチオチ
 寝てもいられないだろうし......」
「......だから、な?
 女神様の御遺体があることは
 誰にも話してはいかんぞ、坊主。
 この場所にも、二度と近寄るな!」
「うん、わかった。
 誰にも言いません。
 ......約束します!!」

 これが、老人と少年の出会いだった。


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 しばらく経った、ある日のこと。
 老人が洞窟に入ってみると、いつぞやの少年が来ていた。奥の岩壁に向かって、手を合わせている。お祈りをしていたのだろう。

「なんだ、坊主、また来たのか。
 ......二度と来るなと言ったのに」

 軽く声をかける老人。言葉とは裏腹に、その口調には、非難めいた感じはなかった。
 
「大丈夫、誰にも言っちゃいないよ!
 ここは......誰も知らない、
 知られちゃいけない場所なんでしょ?」

 少年は、勘違いしているらしい。ほこらの存在も含めて他言しないというのであれば、それはそれで構わないのだが......。
 実際には、ほこらがあることではなく、その中に女神の遺体があることが秘密なのだ。
 崩れた箇所は、既に修復してあった。もしも誰かがここへ来ても、裏に氷漬けの女神が隠されていることなど、パッと見ただけではわからないはずだ。

(まあ......よかろう。
 それに、この坊主は......)

 少年と顔を合わせたのは、あの日以来だった。だが、少年が頻繁に来ていることを、老人は見抜いていた。時々、洞窟の奥壁に花が捧げられていたからだ。少年と出会う以前には献花する者などいなかったのだから、誰がやったのか明らかである。

(......信仰心は厚いようだな)

 こうして、老人は最近のことを回想していたのだが、彼の沈黙が誤解を招いたらしい。やや慌てたように手を振りながら、少年が言葉を足した。

「本当だよ、本当にしゃべってないよ!
 ......だいたい、こんな大事なことを
 話し合えるような友だち、いないからさ」

 少年の声に、寂しげな色は全くない。一人で遊ぶのが好きなのだろう。

(そういえば......
 洞窟探検が趣味だとか言っていたな?)

 老人は、ふと思い出す。
 少年は、ここに辿り着いた経緯を述べる際に、そんなことを言っていたっけ。
 危ないから止めたほうがいいという忠告にも、でも穴があったら入りたいから......などという言葉を返してきた。日本語の使い方が間違っていると思ったが、あえて指摘しなかったことを覚えている。
 奇妙な言葉遣いの者が時々現れるのも、この地方の特色の一つなのだ。中には、両親も祖父母も標準語を使うのに何故か娘だけ言葉が訛っている......そんな家庭もあるらしい。

(とりあえず......言っておこうか)

 黙ったままでは、また勘違いされるかもしれない。そう考えて、老人は口を開いた。

「そうか、ちゃんと秘密にしてるのか。
 それなら、まあ、いいだろう。
 ......だがな、坊主」

 ここで老人の表情が厳しくなったために、少年が、やや身を硬くする。

「ここへ来るのは、ほどほどにしておけ。
 時々ならば......かまわないがな」

 最後の言葉の意味が伝わるまで、時間がかかったのだろう。
 少しの沈黙の後、満面の笑みを浮かべて、少年は力強く答えた。

「......はいっ!!」


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(よくもまあ、飽きもせずに......)

 あれ以来、少年は前にも増して足繁く来ているようだ。
 迂闊に許可を出してしまったせいかと反省しながら、老人は、今日もほこらを訪れた。
 実際には、夏休みシーズンに入ったこと――少年の時間的余裕が増えたこと――が理由なのだが、就学児童を家族に持たぬため、老人は誤解していたのだ。

「ここを花畑にするつもりか?」

 やや苦笑しながら、老人は声をかけた。
 いつものようにお祈りしていた少年が、こちらを振り返る。

「だって......女神様に
 喜んでもらいたいから......」

 女神様のためと言われてしまえば、返す言葉がなかった。
 少年が女神に対してどのような気持ちを抱いているのか、老人は、理解していない。あの日――氷の中の女神を目撃した日――少年は心の中でクラスメイトと比べていたわけだが、それを老人が知ることはなかった。

(まあ......それにしても
 これは、やりすぎだろう......?)

 老人は、あらためて少年の周りを見渡す。
 来るたびに少年が花を捧げるため、岩壁の前の定位置は、ちょっとした花壇のような状態になっていた。もちろん、古いものから枯れていき、やがては土に還るのだろうが、そこだけ妙に目立ってしまう。

(入り口に鳥居がある以上、
 何か奉っていることまでは、
 誰の目にも明らかだ......。
 今さら花束の一つや二つ、
 不自然ではないだろうが......)

 老人や少年以外にも、ここに来てしまう者がいるかもしれない。
 その時のためにも、女神の存在を想起させる物は、なるべく無いほうがいい。過剰な献花は、ここに大きな『秘密』があると教えているようなものだ。

「......気持ちはわかるが、
 だからといって、毎回毎回、
 持ってくる必要はないのだぞ?
 あまりに多過ぎたら、女神様も
 鬱陶しく思われるかもしれん......」

 と、軽く諭してみたのだが。

「そうかなぁ......?
 喜んでくれてるからこそ、
 こうして......奇跡を
 見せてくれたんだと思うけど」

 反論しながら、少年は、花壇の片隅を指し示す。
 そこでは、一輪の花がシッカリと大地に根付いていた。


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 親株から切り取られた葉や茎の一部を土に挿しておくと、切断面から根が出てきて、普通に育っていくことがある。この現象は園芸などでも利用されており、挿し木と呼ばれている。
 目の前の花も、そうなのだろう。意図的なものではないが、たまたま切断面が土の中に埋もれ、そこから運よく根が伸びたようだ。

(別に......奇跡というわけでもないな)

 だが、よく考えてみると。
 ここは、雨も降らない日も当たらない場所だ。よくもまあ、こんなところに根付いたものだ。よほど生命力に満ちあふれた、しっかりした植物なのだろう。
 それに、よく見てみると。

(......ふむ。
 見慣れない花だな。
 外来種......今風に言うなら
 エイリアンとでも呼ぶべきか......)
 
 深紅の花弁が特徴的だ。毒々しい感じがしてしまうのは、花の形が歪んでいるせいかもしれない。角度によっては人間の顔のようにも見える、そんな花だった。
 三色スミレの一種が人面草と呼ばれることがあるが、それとは明らかに違う。この花の場合、花びらの模様ではなく、全体の形が人面を形成しているのだ。中央の雌しべは唇を突き出したような形をしており、その両脇にある雄しべは、先端の丸い塊のせいで、ギョロリとした目玉のように見えていた。

(何か......変だな?
 坊主が持ってくる花は、
 たいてい、近くで採ってきた野草だ。
 だが、こんな花は近辺にないはず......)

 そこまで老人が考えた時。
 二つの『目玉』が開き、こちらを睨んだ。

『......何か用があるのかえ?
 おぬし、ジーッと
 わらわを見ていたようだが......』


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「わっ!?
 ......花がしゃべった!?」
「坊主、こっちへ来い!!」

 駆け寄ってきた少年を後ろ手にかばって、老人は『花』に言葉をぶつける。

「......おまえ、妖怪だな!?」

 ここは、女神の眠る神聖な場所なのだ。化け物の侵入を許したことは、痛恨であった。
 そして、最悪の事態をも想定する。

「まさか......。
 死津喪比女......なのか?」
『おおっ!
 おぬし、死津喪さまを知っておるのか!!」

 相手の言葉から、どうやら死津喪比女ではないと判明。比べるのもおこがましいほどの小物なのかもしれない。

(......だから結界が働かなかったのか?)

 老人の推測は、半分は正解であり半分は間違いであった。
 確かに、死津喪比女封印システムを用意した道士は、不測の事態にも備えていた。もしもの場合には、道士自身の人格コピーが起動し、柔軟な対応――結界の強化など――が可能となっている。ただし、今回ここに紛れこんできた妖怪は、装置に『不測の事態』と判断させるほど強くはなかったのだ。
 ここまでは老人の考え通りだが、理由は他にもあった。このほこらは大切な場所ではあるが、その優先順位はトップではなかったのだ。

 未来を見通す力などない老人には、わかるはずもないことだが......。
 後に復活する際、死津喪比女は、大規模な地震攻撃を行う。東京の神社・仏閣・教会が全滅するほどの規模だが、老人の神社は、震源地に近いにも関わらず、ダメージを受けない。社(やしろ)の下の装置本体を守るため、結界が強化されるのだ。
 一方、この洞窟は、地震の影響をモロに受けて、入り口の鳥居まで傾いてしまう。もちろん中も崩れて、女神の遺体が再び人々の目にさらされることになる......。

 このほこらの重要性は、しょせん、その程度だった。老人が想定しているほど、しっかりと守られた場所ではなかったのだ。

(いや......自力では入れないからこそ、
 少年を利用して入ってきたのか?)

 そうした事情を完全には理解していないため、老人は、まだ考え続けていた。それを遮ったのは、妖怪の言葉だった。

『わらわは、のう......
 地霊の大先輩である死津喪さまと
 義姉妹の契りを交わそうと思って......
 ここまで、はるばるやってきたのじゃ』

 悠然とした態度で、妖怪は、しゃべり続けている。

『死津喪さまの義妹ということで......
 義津喪比女とでも呼んでもらおうか』


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「ギズモヒメ......?
 なんだか......いかにも死津喪比女の
 バッタもんって感じだよねえ......」

 少年の言葉が、洞窟に響いた。軽くつぶやいたつもりなのだが、思った以上に、反響してしまったようだ。
 義津喪比女の視線が、少年へと向く。今までは、老人のことばかり見ていたのだ。なにしろ、老人は死津喪比女の名前を口にしたわけだし、少年は、その陰に隠れて黙ったままだったからだ。

『言葉の意味はよくわからんが......
 なんだか馬鹿にされた気がするぞえ』

 義津喪比女が、蔓状の葉を伸ばす。鞭のようにしならせて、少年を打ち据えたのだが。

 ......バシッ!!

 何もない地面を叩くだけだった。
 老人が、とっさに少年を抱きかかえて、後方へと跳躍して逃げたからだ。

『ほう......素早いな?』

 義津喪比女の声には、軽い驚きがこめられていた。
 一方、少年は少年で、歓声を上げる。

「すっげえぇ!
 ......まるで変身ヒーローだ!!」

 年寄りとは思えぬ、老人の身のこなし。それは、子供の目には、テレビで流行っている特撮ヒーローのように見えたのだ。
 まるでバッタのようなジャンプ力。『バッタもん』のバッタとは、大違いである。
 憧憬の念を込めて見つめる少年に対して、老人がニッと笑ってみせた。

「......まあ、な。
 こう見えてもワシは......
 偉大な道士の血を引いているからな!」


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 呪的メカニズムを駆使して、江戸時代に死津喪比女を封じた道士。
 責任感の強かった彼は、この地に留まり、神社を建立し、その初代当主となった。人身御供となった巫女を見守るために、そして、死津喪比女が完全に滅ぶのを見届けるために。
 もちろん、それは、一代限りでは終わらない仕事だった。彼の使命は、子供へ孫へと受け継がれ......そして、現在に至るのだ。

「......当代の家長としての責任だ。
 おまえのようなバケモノに......
 ここを荒らさせるわけにはいかん!!」

 力強く宣言した老人は、懐から武器を――先代から引き継いだ道具の一つを――取り出す。神社の当主として行動する際は、用心のため、これを持ち歩いていたのだ。
 一見、薄っぺらい紙のようだが、ただの紙ではない。お札の一種である。それも、神社で売っているようなシロモノではない。破魔札と呼ばれるもので、普通は、ゴーストスイーパー(GS)が扱う物だ。

(ワシだって......これくらい......)

 もちろん老人は、本職のGSではない。だが、遠い遠い先祖は、高名な道士......強力な霊能力者だったのだ。
 その血が体に流れている以上、潜在能力だけならば、誰にも負けないはず。テレビのワイドショーで――ウィークエンダーなどで――騒がれていたGSにだって、負けないはず......。
 老人には、そんな自負があった。

(これを使う程度の力は......!)

 老人が手にしている破魔札は、使い方の難しい武器ではない。破魔札自体に強力な霊力が含まれているので、それを少量の霊力で起爆させればよいだけだ。
 もちろんGSにとっての『少量の霊力』であって、素人の場合は、話が違うだろう。だが、ともかく起爆に足るだけの霊力さえ込めれば――それだけの霊力さえあれば――、大丈夫なはずだった。

『ふむ......そんな紙切れで、
 わらわと戦うつもりかえ?
 ......人間とは愚かな生き物よのう』

 と、侮蔑の笑みを浮かべる義津喪比女に向かって。

「愚かなのは......おまえのほうだ!
 ......くらえっ、悪霊退散!!」

 老人が、破魔札を投げつけた!


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『ギャアァッア......』

 爆発炎上する義津喪比女。見る見るうちに、炭と化していく。

「なんか......あっけないね」

 少年が、ポツリとつぶやく。
 たった一枚の破魔札で終わったのだから、まあ、当然の感想であろう。
 そんな少年の頭の上に、老人がポンと手を置いた。

「坊主......。
 おまえは何を期待していたんだ?」
「......えっ!?
 えーっと......肉弾戦......かな?
 パンチとかキックとか大車輪とか......」

 子供の考えることは、よくわからない。
 老人は、軽く頭を左右に振ってから、洞窟の状況をチェックする。

(これは......いかんな)

 今の爆発で、奥の岩壁の一部がポロポロと崩れていた。まだ『秘密』が露呈するほどではないが、それでも、修復する必要があるだろう。

「おい、坊主。
 ......おまえも手伝え」

 崩れ落ちた小岩を、元の場所へと嵌め込んでいく。とりあえず、今できることをやっておくのだ。その上で、後で道具を持ってきて本格的な修繕をしよう。

「......ねえ、おじいさん」

 少年が、作業を手伝いながら、話しかけてきた。

「ギズモヒメは......
 やっぱりバッタもんだったね。
 でも......もし、あれが本物の
 死津喪比女だったら......?」

 少年は、死津喪比女の復活を恐れているのだろうか。
 老人自身、一瞬だが義津喪比女を死津喪比女と誤認したわけで、少年の心配を笑い飛ばすことは出来なかった。だから、優しい言葉をかける。

「......安心しろ。
 女神様のおかげで......
 地脈の養分は、せき止められている。
 死津喪比女が蘇ることなど、ありえん」

 そう、襲撃があるとしても、せいぜい今回のような小物だけだ。結局、義津喪比女は、地霊ですら無いようだった。死津喪比女に憧れるだけの、下等な植物妖怪だったのだ。

「ああ、そうか。
 ありがとう、女神様......」

 少年は、岩壁の向こう側を見るかのような目をしていた。
 先ほどの戦いが嘘のように、穏やかな気持ちで作業をする二人。
 だが、彼らは、植物妖怪の特性を理解していなかった......。


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「うわあぁーっ!
 誰か助けてえぇえーっ!!」

 いつものようにほこらへと向かう老人の耳に、悲鳴が飛び込んできた。
 少年の声だ。洞窟の中からだ。
 現場へ駆けつけた老人の目に入ってきたのは......。

『おや......。
 いつぞやの老人も来おったか』

 何本もの蔓で少年の体を締め上げる、植物妖怪の姿だった。前回よりも小型ではあるが、花びらで形成される顔には、いっそう凶悪な表情が浮かんでいる。

(こいつ......完全に
 消し飛んだはずだったのに......)

 相手の言葉から、同種の別個体などではなく、以前に倒したはずの義津喪比女そのものだと理解する。同時に、植物の性質にも思い至った。

(そうか、根っこか......!)

 燃え尽きたのは地面に出ていた部分だけであり、根の部分は健在だったのだ。地下で力を蓄え、再び芽を出したのだろう。

『......おぬしには感謝しておるぞ。
 なぜ死津喪さまがおられぬのか、
 わらわに教えてくれたのだからな......』

 これは痛恨。少年との会話を、聞かれていたらしい。
 目的の死津喪比女が封じられていると知った以上、義津喪比女がやろうとしていることは......?

『地脈からは無理だというのなら
 ......その分、わらわが直に養分を
 献上すればよいのじゃろう?』

 どうやら、女神をどうこうしようという意図はないようだ。
 まあ、ここにあるのは遺体だけで、装置本体は別の場所にある。女神の遺体を攻撃したところで、地脈の門は解放されないだろう。
 そこまで義津喪比女が理解しているかどうかは別として。

(女神様の御遺体に手出しを
 されないというのであれば、
 まずは一安心か......)

 目の前の状況も一瞬忘れて、ホッと胸をなで下ろす老人。これが、油断となった。

『まずは......おぬしらの霊力を
 吸い取ってくれよう......!!』

 義津喪比女の蔓が伸びてくる。以前とは違って、早い......!!
 避けられなかった。何重にも巻き付かれ、老人は、体の自由を失った。


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(まずいっ!)

 義津喪比女は、何か花粉のようなものも放出しているらしい。辺りには、甘い香りがする。
 隣の少年の声が聞こえないのは、既に気を失っているからだろう。老人自身も、だんだん、意識が薄れてきた。

「うっ......」
『クックックッ......。
 むこうの小僧とは違って、
 おぬしは......旨そうだな。
 では、まず、おぬしから......』

 新たに、一本の蔓が老人へと向かう。他とは違って、先端が針状に尖っている。これで人間の霊的エネルギーを吸い取って、死津喪比女へ送り込むつもりなのだ。

(そうは......させん!)

 蔓と花粉のせいで、もはや体を動かすのは難しい。だが、右腕の手首から先だけは、何とかなりそうだ。
 老人の右手には、お守りが握り込まれていた。洞窟に入る前、悲鳴が聞こえた時点で、懐中から出しておいたのだ。
 頑張って、それを投げつける。

「......消え失せろ、バケモノめ!」


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 爆煙が晴れるのも待たずに、老人は、少年に駆け寄った。

「大丈夫か、坊主!?」

 返事はないが、息はしているようだ。
 お守りのおかげで、二人とも解放されたのだ。

(......ありがとうございます、道士様!)

 先ほどのお守りは、ただのお守りではない。初代当主である道士が作ったと言われる物だった。先代からの引き継ぎの際に渡された、貴重な品々の一つである。
 有事の際に切り札として使うよう、指示されていたのだが、それもそのはず。その中には、精霊石が入っていたのだ。
 精霊石といえば、ザンス王国が産出地として有名だろう。だが、後に復活する死津喪比女が精霊石を受けて『人間とは進歩がない生き物よの』と発言するように、鎖国時代の日本でも、それなりに使われていたのだった。

(とりあえず......ここから離れよう)
 
 意識の無い少年を背負って、脱出を試みる老人だったが。

『......そうは......させん』

 振り返ると......。
 むごたらしい姿の義津喪比女が目に入った。
 花びらは半分以下となり、茎も傷だらけでボロボロ。蔓状の葉も、せいぜい二つか三つとなっている。

(あれを......耐えきったのか?)

 精霊石という言葉は知らないが、その威力が前回の破魔札などとは桁違いだということくらい、老人にもわかっていた。
 彼の理解は間違ってはいない。義津喪比女程度なら、直撃すれば根こそぎ消滅しただろう。しかし、無理な姿勢から手首だけで投げたため、命中しなかったのである。爆発の余波で二人の身を自由にするのが、関の山だったのだ。

『逃さんぞ......!』

 義津喪比女の蔓が伸びる。
 そして、驚愕の表情で固まる老人を貫いた。


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 あれから三年。
 中学生となった少年は、今日も、いつもの場所で、いつものように手を合わせる。

「おじいさん......」

 三年前のあの日、義津喪比女に襲われた日。
 少年が意識を取り戻したのは、神社の屋敷の一室だった。神社の人々の話では、敷地の端に倒れていた二人を見つけて、慌てて運んできたのだという。
 老人は、血だらけだったそうだ。義津喪比女と戦って、少年を救出して、自分も重傷を負って......。神社まで逃げたところで、力つきたのだろう。少年は、そう思った。
 その後かろうじて老人の意識は回復したが、もはや話をする力もなく、誰にも何も伝えないまま、一日も経たぬうちに亡くなったそうだ。

「カタキは......僕が必ず!」

 ほこらのことは秘密だと思って、少年は、神社の人々にも一切しゃべらなかった。義津喪比女にやられたケガに関しては『崖から落ちた』と言い張った。彼らは、それを信じたようだった。

「では......行ってまいります」

 もう一度最後に深々と頭を下げて、少年は、老人の墓の前から立ち去った。
 そう、ここは女神の眠る氷室ではない。今の少年にとっては、ほこらではなく、老人の眠る墓地こそが、足繁く通う場所となっていたのだ。


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 老人の死後、少年は、ほこらの洞窟には入っていない。中には、まだ義津喪比女がいる......それを感じ取っていたからだ。
 ただし、入り口近くまでは行く。誰も洞窟へ入らないよう、見張るためだ。人が来たら、とにかく追っ払うようにしていた。
 その甲斐あって、最近では、ほこらに近づく者は皆無となった。

 もちろん、ほこらの警護ばかりやっていたわけではない。
 この三年の間に、少年は、独学で呪法を勉強していた。いじめられっ子が呪いを学ぶというのであれば、よくある話なのかもしれないが、彼の場合は違う。
 元々友だちのいない彼は、中学に入るといじめられることもあったが、その仕返しに呪いを用いることは決してなかった。ただ黙って耐えるだけだった。
 あくまでも、怨念の対象は義津喪比女。そのつもりで、彼は呪法をマスターしたのだ。

「待ってろよ、ギズモヒメ......」

 少年は今、戦士に変わる。マスターした力と共に、今こそ進む!

「今日こそ......退治してやるっ!!」

 神社の裏庭から続く道を、一歩一歩踏みしめて。
 少年は、ほこらへと向かう。今日は、入り口で引き返すのではない。三年ぶりに、洞窟内へ突入するつもりだった。


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『ほう......懐かしいな。
 この匂い、覚えておるぞえ。
 久方ぶりの獲物が......
 あの時のこわっぱとはな!!』

 三年という年月は長かったらしい。栄養も日光も届かぬ場所なのに、義津喪比女は巨大植物に成長し、洞窟の主となっていた。
 だが、歳月は少年にも味方している。

「僕は......昔の僕じゃない!」

 少年を襲う、無数の蔓。しかし少年は恐れない。それらを全て、盾代わりの金属板と剣代わりの鉄の棒で、弾き飛ばしたのだ!

『......なかなかやるな。
 だが......これは防げまい!』

 ブワッと何かを吐き出す義津喪比女。辺り一面、霞みがかったように黄色っぽくなる。花粉攻撃だ!

「そんなもん、怖くないぜ!」

 あらかじめ防毒マスクやゴーグルを着用してきたのだ。Tシャツの上には、防護服も着込んでいる。
 だが......!!

『フォッフォッフォッ......。
 しょせん子供の浅知恵よのう』
「......えっ!?」

 少しずつ、体が痺れてきた。
 完全にはカバーしきれていないのだろうか。隙間から花粉が入り込み、皮膚から体内に吸収されているようだ。

(......まずいっ!)

 意識が朦朧としてきた。
 そんな少年を見つめる義津喪比女は、余裕の笑みを浮かべている。

『そなたも大きく成長したようじゃな。
 まず意識を奪ってから......その霊力、
 すべて食らいつくしてくれようぞ!』


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「冗談じゃない......」

 倒れそうになったが、少年は、挫けない。
 気力を振り絞り、ヨロヨロと立ち上がった。

「......勝つのは、僕のほうだ!」

 少し弱らせてからの予定だったが、そんな悠長に構えていられる状況ではない。
 少年の脳内で、誰かが叫びながらスイッチを叩き押した。秘密兵器の使用が承認されたのだ!

「これが......勝利の鍵だっ!」

 満タンの霧吹きを取り出す。金属盾の裏側に隠し持っていた物だ。
 義津喪比女に向かって、その中身を勢いよく吹き付ける。

『おやおや......。
 わらわに水をかけてくれるのかえ?』

 余裕しゃくしゃくの義津喪比女だが、それも最初だけだった。突然、苦悩の声を上げ始めたのだ。

『グッ......グオォ......ッ!
 ......なんじゃ!?
 いったい何をしたのじゃ!?』

 少年が用意してきたもの、それは除草剤だった。
 しかも、ただの除草剤ではない。強力な呪いが込められていたのだ。
 少年の......三年に渡る想いが、怨念が。

「これが、僕の......想いの力!」

 直接吹きかけられた部位だけではなく。
 義津喪比女の全身を駆け巡る。

『ウゥウゥゥ......。
 か、体が腐っていくではないか!?
 わらわの......体が......
 せっかく育った体が......!』

 愚かな義津喪比女だ。サッサと切り離せばよかったのだが、そこまで頭が回らなかったのだ。
 やがて、地中に潜む根にまで届いたのだろう。

『死津喪さまあぁッ......!!』

 と、絶叫して。
 義津喪比女は消滅した。


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「......おじいさん、カタキは討ちました」

 少年は、義津喪比女のいた場所を掘り、根も残っていないことを確認。それから、周りを見渡す。

「何もかも......なくなっちゃったな」

 かつて少年が捧げていた花も、もはや全く見当たらなかった。これまでの戦いで吹き飛んだり、義津喪比女に吸収されたりしたのだろう。

「だが......これでいいんだ」

 そして、奥の壁を見上げる。三年前の激闘の影響で、所々、岩が崩れ落ちていた。まだ氷も女神も完全に隠されているが、このまま放置しておくのは嫌だ。
 持参してきた道具を使って、少年は、そこを修復する。
 そして、完全に直した後。

「......女神さま。
 ゆっくりお休み下さい。
 さようなら......!!」

 それを最後の挨拶として。
 少年は、その場をあとにした。


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 それから。
 時は流れて......。


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 あれから十数年。
 少年は、立派な大人に成長していた。

 大学卒業後ヨーロッパに渡った彼は、本格的に修業し、そこでGS資格も獲得した。そのまま異国に留まり、地底湖に潜む魔物や洞窟の奥底の地霊ばかり狩るチームを率いている。
 山口ヒロキ探検隊。その世界では、少しは名の知れたグループなのだが......。
 彼と同じく、穴があったら潜ってみたいという連中の寄せ集めであるため、一般のGSとは交流がほとんどなかった。世間では大事件が起こっているのに、洞窟に籠っていたから気付かない......なんてことも日常茶飯事。今後もしも世界規模の霊障が発生したとしても、彼らが関わることはないのだろう。

「ふう......久しぶりの太陽だ。
 ......なんだか黄色く感じるぜ」

 今、ひと仕事終えた探検隊が、洞窟から俗世間へと戻ってきた。
 ベースキャンプのテントへ入り、まずは、自分たちが留守だった間のニュースなどをチェックする。

「なあ......ヒロキの国、
 大変だったみたいだぜ!?」
「えっ、リーダーの......?」
「どれどれ......」

 仲間たちが騒ぐので、彼も、その記事に注目した。

(おいおい、これって......)

 さすがに、唖然としてしまう。
 どうやら、死津喪比女が蘇ったらしいのだ!
 だが、日本在住の強力なGSが結集し、なんとか除霊に成功したらしい。

(そうか......終わったのか)

 GSとしての彼の夢は、死津喪比女を倒すことだった。もちろん、それは簡単なことではない。だからこそ『夢』として、最終目標として設定していたのだ。
 いつの日か、十分な実力がついた時こそ、帰国する時だと思っていたが......。

(それならば......もう、
 日本に帰る必要もないかもしれないな)

 家族という、しがらみがあるわけでもない。
 いまだに独身の彼である。
 子供の頃に見た『本物の女神』のインパクトが強過ぎて、もう現実の女性に興味がわかないのだ。
 今でも、まぶたを閉じれば、氷室に眠る乙女の姿が目に浮かぶ......。

(たぶん......死津喪比女退治でも、
 女神様の御加護があったんだろうな。
 あの場所で......未来永劫、
 人々を見守ってくれているのだろう......)

 もちろん、その後『女神』がどうなったのか、誰が現在の『山の神』なのか、彼は知らない。
 だから、彼は。
 かつて自身を犠牲にした少女に想いを馳せて、心の中で、ソッと手を合わせるのであった。




(乙女の眠る氷室にて・完)

(初出;「NONSENSE」様のコンテンツ「椎名作品二次創作小説投稿広場」[2010年12月])

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